完璧
大好きなイチローが日米で殿堂入りした。
1人の日本人として誇らしいことであると同時に、日頃から野球を見ない方にとってはあまり興味のないことなのかもしれない。
だが、偉業は偉業だ。
日米を又にかけて活躍すること自体が凄いことで、大谷翔平や他のメジャーリーガーに影響を与えたのは間違いないと思う。
色々な媒体で散々書かれたりしているのは重々承知の上で、私なりに今回の偉業について書きたい。
思うに何事においてもパイオニアというのは、並大抵の精神力とバイタリティが無いと行えないと思う。
私自身、何かを産み出したり、未踏のことについて一歩踏み出したりするのは、絶対に出来ないことなので、余計に凄みを感じてしまう。
その中でも日本人野手で初めてメジャーリーグに挑戦し、1年目から結果を求められる立場の状態で、本場アメリカ人までも称賛するほどの活躍をしたのは、どんな言葉を使っても言い表せない偉業だ。
当時、小学生だった私にとってイチローがどれ程のことをしたのかを知るにはまだ幼く、その凄さを知るのはまだ先のことではあるのだが、ただただ、連日、日本時代と変わらずヒットを打ち続けるニュースを見る度に、学校で友達と話題にしていたのを覚えている。
今回、アメリカの野球殿堂にアジア人で初めて殿堂入りしたのは、実績を見ると当たり前なのだが、逆にすごすぎて、さも当たり前のように語られていることにビックリする。
10年連続200本安打、ゴールドグラブ、オールスター選出など快挙に暇がない。
私自身、イチローが好きすぎるあまりに、自家用車のナンバーは背番号や日米合算のヒット数など、いつも「何の数字?」と聞かれるぐらいマニアックなナンバープレートとなっている。
長々とイチローについて書いてしまったが、今回の受賞の際、イチローがインタビューで発言した内容が素晴らしかったのでここで紹介したいと思う。
「1票足りないというのはすごくよかったと思います。 (中略) ですけど、いろいろなことが足りない、人って。それを自分なりに自分なりの完璧を追い求めて進んでいくのが人生だと思うんですよね。
これとそれはまた別な話なんですけど、やっぱり不完全であるというのはいいなと。生きていくうえで不完全だから進もうとできるわけで。そういうことを改めて考えさせられるというか、見つめ合えるというか、そこに向き合えるのはよかったなと思います」
この言葉を会社の休憩中に読んでしまい、つい涙を流しそうになった。
本当にその通りだ、人間は完璧ではないから、次に進める。
もし、完璧な人物がいたら、さぞこの世の中はつまらないだろう。
世界中、どこを探しても完璧な人間なんていない。
どんなお金持ちでも、権力があったとしても。
それなのに、人は完璧を追い求めてしまう。
自分も他に漏れず、完璧を追い求める人間だった。
それは、すごく愚かな行為なんだと思いながら生活してきた。
だが、違った。その感覚で間違いなかったのだ。
自分自身の完璧を追い求めるのは、人間の欲求として、間違いなかったのだ。
イチローが、
死ぬほど憧れ、引退の会見も家のテレビの前で正座しながら聞いていた、ある意味神よりも尊い人物が、そっと背中を押してくれたような気がした。
この感覚でよかったんだ。間違いじゃなかった。
これからも、自分なりの「完璧」を追い求めてもいいんだな、と思えた。
言葉の持つ力というのは想像以上だ。
だからこそ、このエッセイでも、しっかりと言葉を紡ぎ、一人でも多くの人に言葉の持つ力強さ、勇気、感動、後押しができるよう、拙者ながら、尽力していきたいと思った。
人には、感情を読む力があり、言葉を発し、傷つけたり、励ましたりすることが出来る。
一人のエッセイストとして、今回抱いた感情を大事にしようと思った。
できれば、読んでくれた人全員がまた前を向いて、歩き出せるような言葉を紡ぎたい。
本気でそう思った。
しがない一人の人間だが、これからも「完璧」を追い求めよう。
すぐには手に入らないからこそ面白い。人生を賭ける意味がある。
今回のインタビューはそれほどにインパクトのあるインタビューだった。
(敬省略)