ぎゅうぎゅう詰め
稀に講習に行く。
講習に行く際は電車やバスと言った公共交通機関を
利用して移動しなければならない。
これは会社のルールだ。
中々に厳しいルールだなと感じているのだが
たまには気分転換にいいかと思いながら電車に乗る。
普段は車移動が主流で、歩くという行為が
こんなにも大変だったかなと感じる。
家から15分歩くと駅に着く。
朝からポンコツになった体に鞭を打ちながら
絶え絶えになった息を整え、駅に着いて改札を通り
ホームに降りて辺りを見渡す。
12月も中頃になったというのに
上着も羽織らずにシャツ一枚といった格好で
颯爽と歩いて行く金髪の女性。
朝からガールズトークに花を咲かせ
学生生活を謳歌する3人組。
スーツの上にコートを羽織り
肩を窄めながら次に来る電車を待つサラリーマンの男性。
その他にも老若男女様々な人が、綺麗に晴れた空の下
各々の目的に向かって電車を待つ。
電車を待つというその行為だけでも一人一人特徴があり
その人たちが何を大切にし、どう時間を使うかが
少しだけだが見える気がする。
そうやって不審者に見られない程度に
人や風景を観察するのが好きだ。
なんならこれが電車移動の醍醐味だとも感じている。
どうしても車移動では見られない部分だからだ。
車の中では基本は1人だ。
会社に出勤するなら尚更。
頭の中では、今日の仕事の段取り、連絡事項
課員に指示を出す内容、眠たい、デートに行きたい
などをボンヤリ考えている。
雑念も真剣な内容も浮かんでは消えを繰り返しながら
片道50分の通勤時間を過ごしている。
だが今日は講習。
頭の中はある意味空っぽなので、フラットな感覚で
辺りを見渡すことが出来る。
だからこそ残念に思うこともある。
日本人に生まれ、この小さい島国の人々が
世界に誇れる実績を挙げてきたのは何故なのか。
それは四季があり、風勢や憧憬といった形にならない
感覚の部分が優れているからだと思う。
繊細な舌や指先の微妙な感覚。
それが段々と薄れてきている気がする。
電車に乗るとそれをよく感じる。
乗客みんなが何かの宗教にでも入ったのか?
と感じるぐらいにスマートフォンに目を映している。
何人かは日々の激務か、ただの夜更かしかはわからないが
ウトウトしている人も見受けられる。
窓から映る景色を見ながら、物思いに耽ったり
「あ、あの人の格好オシャレ〜」
「めっちゃ可愛い子がいる!」
など煩悩を考えるといった感性が消えてしまったのか
とスマホに目線を落としている人を見ると思う。
この文章を書いているといかに自分が他の人から
異物に見えるかがわかる。
あの人は何故キョロキョロしているのだろう?
と感じられているはずだ。
一人一人大事にする感性や感覚は違う。
それを否定するつもりは全くない。
寒空の中、半袖で歩いていてもいいし
他の乗客の迷惑にならなければ化粧や食事もいいだろう。
電車に乗るといつもそういう事を考える。
30分程の講習までの乗車時間。
各駅停車の電車に乗ったためか、朝の通勤ラッシュの関係か
ドアが開くたびに人口密度は減るどころか増えていった。
ぎゅうぎゅう詰めになった車内で
普段慣れない為か開閉口の反対に陣取ったため
おしくらまんじゅうのように詰められて思った。
「やっぱり車通勤の方がいいな」
電車に乗るのはたまにでいい。
この感性が人と同じにならないように。