家族的類似とイデア
突き詰めれば、存在するのは曖昧な概念。
アイリスは本を読むソフィアを横目に、棚に並んだ様々な本の背表紙を眺めながら、ぼんやりと問いかけた。
「ソフィーって昔から本好きだよね。私にはどれも文字ばっかりでよく分からないや。全部同じに見えるもん」
ソフィアはシュガーポットから砂糖を取り出し、コーヒーに入れてかき混ぜながら、アイリスの言葉に返す。
「アイでも読めるような本もいっぱいあるよ。絵本とか図鑑とか、漫画とかも立派な本だからね」
「あー確かに。でも、漫画とかって本って感じがしないなー。難しいものが本って感じがして、でも漫画も本だし...どこまでが本なんだろう」
ソフィアは微笑み、コーヒーを混ぜる手を止めた。
「その考え方は、ウィトゲンシュタインの『家族的類似』に似てるかもね。」
「なにそれ」
「例えば、アイはさっき『漫画とか図鑑は本って感じがしない』って言ってたでしょ?絵とか写真がたくさんあって、内容も簡単。でも、そういう違いはあっても似ている所が少しずつあるんだよ」
「似てるって言っても、私は紙に文字が書かれてるぐらいしか似てそーな所分からないよ」
「それだけでも『本』っていう特徴としては共通してる。そういう似てる特徴で色んなものは繋がってるっていう考え方が『家族的類似』なんだ」
んー、と唸りながらアイリスは天井をぼんやり見つめる。どこを見ているわけでもない綺麗な瞳で、頭を働かせる。
「よく分かんないなー。でも私が本って思うものは、多分本なんだろうね」
「アイが珍しく賢そうな事を言ってるけど、まるで中身が無いな」
「私は私の範囲で分かれば良いや」
そう言いながらコーヒーを飲もうとしたアイリスの手が止まる。
「私、閃いてしまいました!」
「何?」
「前も似たようなこと言ってた気がします!アデ、ウデ、ウディ...イディ...イイダ!」
「...『イデア』?」
アイリスは急に指をさして「それだ!」と叫んだ。その拍子にコーヒーが零れそうになり、ソフィアは慌ててアイリスを制した。
「落ち着け、まずはその手に持ったコーヒーカップを置くんだ。お前の動きは予測不可能だ」
そう言われ、アイリスはゆらゆらと揺れるコーヒーに目を向けた。
「おー!危なかったねぇ。ソフィー」
「こっちのセリフだ...それで『イデア』だっけ。どういうものか覚えてる?」
テストするようにソフィアは聞く。アイリスの記憶力を信頼してないからだ。
「えーっと、私が『本』だって思えばそれが本に」
「ならねーよ、いつ覚えたんだそんな魔法。『イデア』っていうのは『本』で例えるなら、『本』っていう完璧なイメージがあるって感じ。現実にあるものはその完璧な『イデアの本』に似たものってことなんだ」
「うーん?『イデア』が完璧なイメージで、『家族的類似』は少し似てて...アイリス、降参します」
アイリスは近くの白紙の紙を、白旗のようにヒラヒラと降った。
「まぁ、どっちも似てるって事には違いないかもね。『イデア』は何処かにある理想で、『家族的類似』は似たもの同士が繋がっている。どっちもはっきりしない曖昧な捉え方だから面白いんだ」
アイリスは混乱した脳を落ち着かせるようにコーヒーを飲み、一息吐いて微笑んだ。
「結局分かったような、分からないような。でもそんなに曖昧な答えなら、私みたいに分からなくても良いのかな?」
「そうだね、それも1つの曖昧な答えかも」
「私たちも、少し似てて繋がってるから一緒に居るのかな。そう考えると少し嬉しいなー」
そう言われたソフィアは、何も言わずに本で顔を隠した。本で隠れた顔からはみ出た耳は、赤くなっている。
「頭使ったから甘いもの食べたーい!」
「...裏の冷蔵庫から勝手に持っていけよ」
嬉しそうにアイリスは取りに行く。ソフィアはアイリスが居なくなった途端に顔を上げ、深呼吸をした。