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■第二十三話 古き魔導師の慟哭

 一瞬のホワイトアウトの後、僕は屋外のどこか開けた場所に立っていた。


 足元には土と草。少しばかり離れたところに、鬱蒼とした木々の壁。


 どうやら森林の中の、開けた広い草地に放り出されたようだ。


「ここは……アルゴス大森林の……?」


 要塞付近の森といえばそこしかない。


 でも、一体何のために?


 困惑する僕の前で、トベラ大臣がローブのフードを外して素顔を露わにする。


「貴様と二人で話したいことがある。誰の邪魔も入らないところでな」


 トベラ大臣がそう言うと、草地全体を覆う規模の巨大な魔力防壁のドームが、瞬き一つの間に生成された。


 間違いない。この人物は誰かの変装なんかじゃなく、明らかにトベラ大臣本人だ。


 高等技術の転移魔法に、こんなにも大規模な魔力防壁。


 どちらも無詠唱で、魔法陣はおろか杖や身振り手振りすら使うことなく、息をするくらい簡単に発動させられるなんて、魔導師の中でもほんの一握り。


 その中の一人が、特級魔導師トベラ。

 魔法の腕前まで成り済ませる奴なんて、この国に十人もいやしない。


「話……ですか?」

「結果論だが、私の過ちは()()だ。貴様の思想が異端である理由、許されざる理由の説明を怠った。それが貴様の暴走を招き、事態を悪化させた。つまりは指導の不手際だ。私も衰えたものだな」


 勝手なことを並べ立てられ、思わず眉をひそめる。


 暴走? 事態の悪化? 一体何が言いたいんだ。


 念の為に持ち歩いていた護身用魔導器をいつでも取り出せるよう、さり気なく右手を上着の懐に近付ける。


「世の中には魔法使いが足りていない。魔導師を増やすべきだ。以前、貴様はそう言ったな」

「ええ、言いました。今も意見は変わっていません」

「それはもう失敗した。百年も前にな」


 ……今、この人は何と言った?


「百年前に大規模な内乱が起きたことは知っているだろう。サブノック要塞もその時期に建てられた砦だ」

「それくらいは歴史として知っています。要塞の成り立ちも、ペトラ村の村長から教わりました」

「よろしい。では、この内乱の原因は何だ?」

「当時の国王の無謀な改革で国が荒れたからでしょう。こんなところで歴史の授業ですか。一体何が言いたいんです」


 無意味な雑談なんかじゃないはずだ。きっと何か意味があるに違いない。


 しかしどれだけ頭を働かせても、トベラ大臣の意図は予想することもできなかった。


「暗愚なる王が犯した、数え切れないほどの過ち。その一つが『魔導師を増やす』というものだった。貴様が主張していたようにな」

「なっ……!」

「最初はよかった。数少ない善政の一つだと思われていたほどだ。しかし間もなく、致命的な欠陥が浮き彫りになった! 地獄の釜の蓋が開いたのだ!」


 トベラ大臣の声が段々と感情的になっていく。


「魔導師が、魔法使いが増えすぎたのだよ! 魔法を求める声よりも、魔法の使い手の方が多くなった! 人々が魔法使いに助けを乞うのではなく、魔法使いが人々に仕事を乞う有り様になったのだ! そこに敬意はなかった! 尊厳はなかった! 尊敬されるべき技を修めた同胞達が、飢餓と貧困の中で死んでいった!」


 怒りだ。言葉の端々に、燃え滾るような怒りが込められている。


「……そんな、見てきたような……」

「見てきたとも。最前線で、この目を潰したくなるほど、まざまざとな」

「は……?」

「アカデミーの同期だった男が、不平魔導師を糾合して内乱に合流した。奴を討ち取ったのは、この私だ。大臣の地位も、そのときの功績で与えられたものだ」

「百年前の……内乱でしょう?」

「老いた魔導師が見た目通りの齢だとは思わんことだ」


 常識的に考えれば、信じられない。


 だけど大臣の目に浮かんだ悲しみの色は、とても嘘だとは思えなかった。


「故に、私は決意した。同じ轍は決して踏ませないと。同じ悲劇は起こさせないと。魔法は特別であるべきなのだ。魔法使いには相応の敬意が払われるべきなのだ。誇り高かった同期の(ともがら)が、地に額を擦り付けて一切れのパンを乞うなど、二度とあってはならんのだ」


 もしもルリがそうなってしまったら――頭に浮かんだ想像を振り払う。


「コハクよ。貴様もこの土地では尊敬を集めただろう? 魔導師だというだけで敬意を払われただろう? それは魔法が特別だからだ。今の貴様があるのも、私が魔法使いを増やさぬように心を砕いてきたからだ。貴様はそれを踏みにじるのか?」

「……魔法が貴重だから有難がられた。最初は間違いなくそうでした。それは否定しません」


 最終的には魔導器を作ったことで評価されるようになったとはいえ、最初に諸手を上げて歓迎されたのは、間違いなくトベラ大臣が言った通りの理由だ。


 その時期があったからこそ、後に魔導器で評価される土台が生まれたのだと言われたら、否定することはできない。


「だけど、それでも僕は、同じことを言い続けます」

「……ほう?」

「マクリアの人達は苦しんでいました。他の地域にも同じ境遇の人が大勢いるはずです。魔法があれば助かった命がたくさんあるはずです」


 目を逸らすことなく、百年以上を生きた魔導師と正面から対峙する。


 ここから一歩も退くつもりはない。


 魔導器を喜ぶ人の声を聞いてきたから。

 喜びの裏にある、これまでの苦しみを垣間見てきたから。


「貴方はやりすぎた。魔法使いが増えすぎた悲劇を恐れる余り、魔法使いを減らしすぎたんだ。それを正すことが間違いだっていうのなら、僕はこれからも間違え続けます。永遠に異端の魔導師であり続けます」

「……若造が。よく言ったものだ」


 そのときだった。


 地面を揺るがす振動が駆け巡り、魔力防壁のドームに衝撃が走った。


「な、なんだ!?」


 トベラ大臣から視線を切って周囲を見渡す。


 ほんの少し前までは、魔力障壁の外には鬱蒼とした森林だけが見えていた。


 しかし、今は違う。


 ひしめき合う亜人の群れ。

 禍々しいオーガ。醜いオーク。巨大なトロール。数え切れないほどのゴブリン。

 様々な動物の姿をした獣人もいる。鳥人間もいる。魚人もいる。リザードマンも。


 それら全てが、魔力障壁のドームをあらゆる方向から取り囲み、突き破らんと容赦のない攻撃を繰り返している。


「ふむ、どうやら要塞への攻撃を準備していたらしいな。我々はちょうどそこに乗り込んだ形になったのか。運が良かったのか悪かったのか」

「言ってる場合ですか! どうするんです、これ! 早く転移魔法で……!」


 次の瞬間、凄まじい雷撃が透明なドームの周辺に迸った。


 時間にすれば一瞬の出来事。


 たったそれだけの間に、ドームを取り囲んでいた無数の亜人が、残らず黒焦げの死体と化してしまった。


「これでよし。邪魔者は片付いた」


 ……驚きの余り、声すら出ない。

 規格外にも程がある。人間を辞めているんじゃないだろうか。


 トベラ大臣はそれきり周囲の亜人への興味を失い、何事もなかったかのように僕へと向き直った。


 だから、僕もトベラ大臣も気が付かなかった。


 雷撃を逃れた一体の獣人が、焼け焦げた仲間の死体の山を駆け上り、ドームの頂点まで上り詰めていたことに。


「えっ……?」

「……む」


 魔力防壁の頂点部が切り裂かれ、一体の獣人が僕達めがけて急降下する。


 大臣はまるで蝿を追い払うかのように雷撃を放ち、その獣人を一瞥もすることなく迎撃した。


 普通なら、これで終わっていたんだろう。


 だが獣人の()()()()は雷撃を霞のようにかき消し、直下にいたトベラ大臣を肩口から腰に掛けて両断した。


「――――」


 声もなく倒れ伏すトベラ大臣。


 その背後に立つ、満身創痍の赤毛皮の獣人。


「イリオス!」

「■■■■■■■■――――ッ!」


 理性の欠片もないケダモノじみた咆哮が響き渡る。


 僕が後ずさるよりも遥かに速く、正気を失ったイリオスは大剣を振り上げ、ほんの僅かの間合いを詰め切った。


 ああ、ほんの少しだけ。一秒にも満たない瞬間だけ。僕の方が速かった。


 懐に隠していた護身用魔導器を抜き放つ。


 細い金属の筒にクロスボウのグリップとトリガーを取り付けた、簡素極まりない魔導器。


 原型はクレナイがやってみせた咄嗟の応用。


 筒の奥で生じた爆発が一点に収束し、筒の先端から一粒の金属球を高速で解き放つ。


 炸裂音。

 イリオスの眉間に指先ほどの穴が穿たれ、反対側の後頭部から潰れた金属球が突き抜ける。


 たった一瞬の攻防でイリオスの命は刈り取られ、振り上げられた大剣が振り下ろされることは永久になくなった。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

 

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