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■第二十話 強襲、イリオス(2)

 人体がまるで投石のように、高く、遠く、宙を舞う。


 頭から落ちれば首を折って死にかねない――頭では分かっていても、一瞬のことに反応が追いつかない。


 走ったって間に合わない。


 呪文を。魔法を。ああ、駄目だ。


「クレナイ!」


 追突直前のクレナイと地面の間に、細見のシルエットが滑り込む。


 落下の衝撃を受け止めるクッションとなったその人物は、ここにいるはずのない、ホタルだった。


 ありえない。ホタルはサブノック要塞にいるはずだ。


 唐突な展開に驚く僕を他所に、何台もの軍用車輌が次々に現れては急停止し、僕達を守るような陣形を構築する。


「弩弓部隊、射撃用意! 射て!」


 隊長の号令一下、車輌から降りた兵士達が一斉にクロスボウを発射する。


 しかもあのクロスボウは普通じゃない。


 本来、クロスボウは一発発射するごとに、ハンドル式の巻き上げ機で弦を引いてから、次の矢弾を(つが)えなければならない。


 高威力の代償として、弦があまりにも固くなり、素手では矢弾を装填することができないのだ。


 再装填に掛かる時間こそ、クロスボウ最大の弱点。


 だが、これは違う。

 レオン司令のリクエストで開発した魔導式自動巻き上げ機を搭載し、高速の再装填と連射を可能とした改良型なのだ。


 絶え間なく射出される矢弾が、次から次にイリオスの肉体に突き刺さる。


「オノレ……人間風情ガ、薄血(ハクケツ)風情ガ、コノ俺ヲオオオオオッ!」


 イリオスは全身からおびただしい量の血を噴き出しながら、怪物じみた跳躍力で森の中へと逃げ去っていった。


「射ち方、止め! 周辺の警戒に移れ!」


 僕が唖然としている間に戦いは終わっていた。


 何故? どうして? どんどん疑問が浮かんできて、しかも全く答えが見えない。


「コハクさん、これは一体……」


 ルリが疲れた体を引きずって近付いてくる。


 ガルヴァイスも突然現れた兵士達に驚き戸惑い、結局見知った人間の近くが安全だと思ったのか、大慌てで僕の傍に駆け寄ってきた。


「僕が聞きたいくらいだよ。どうして要塞の兵士がこんなところに……」

「あんな爆発があったんです。何かあったと思わない方がおかしいでしょう」


 そう答えたのは、他ならぬホタル自身だった。


「すぐに動ける人員で急行してみれば、この有り様です。何があったのか聞きたいのは私の方ですよ。まさかコハク殿が襲われていたとは、さすがに想像もしていませんでした」


 ああ、なるほど、そういうことか。

 僕が自動車を爆破したことで、要塞にも異常事態が伝わったのだ。


 怪我の功名というか何というか。良くも悪くも、偶然に振り回される戦いだった。


「ディアマンディ様。クレナイに治癒魔法を。あの高さからの落下です、内臓を痛めているかもしれません」

「治療が必要なのは貴女もでしょう!? ほら、動かないで!


 ホタルは砂と土で汚れた服のまま、ぐったりとしたクレナイに肩を貸して、フラフラした足取りで歩いていた。


 人間一人の落下を体で受け止めた側と、受け止められたとはいえあの高さから落ちた側。


 どちらも見た目以上のダメージが入っていてもおかしくない。


「ルリ。悪いけど、ここは任せていいか? 僕はさっきの奴の跡を……」

「お待ちなさい! 治療が必要なのは貴方もです!」

「僕も?」

「貴方も、ですっ! 顔中血塗れですわ! 鏡があったら見せつけて差し上げたいくらいに!」


 あ、本当だ。道理で前が見にくいと思ったら。


 どうやら車を爆発させたときに、破片で額を深く切っていたらしい。


 額は切れやすくて派手に出血しやすいと聞くけれど、こんなにたくさん血が出ているのは、さすがに軽い傷ではなさそうだ。


 三人まとめてルリの治癒魔法を受けながら、僕は隣にへたり込んでいるクレナイに話しかけた。


「大丈夫か、クレナイ」

「えへへ……途中までは、上手くいったと思ったんですけど……すみません、結局こうなっちゃって……」

「お陰で助かったよ。それより、あの獣人は……」

「はい、私の父親みたいです」


 クレナイは困ったように笑った。


 やっぱりそうだったのか。


 ということは、イリオスが口にしていた『フォティア』というのは、ひょっとしたらクレナイが獣人の里にいた頃の名前だったのかもしれない。


 それを本人に問い質すのは、何となく(はばか)られた。


「十歳くらいで森に捨てられるまで、親らしいことなんか全くされませんでしたけどね。でもまぁ、汚点とか言って毛嫌いするくらいですし、親なのは本当だと思いますよ」


 あまりにあっけらかんとした態度に、思わず困惑してしまう。


 本人は気にしていない……ということはないだろう。


 そうでなければ、あんなに怒りを露わにして立ち向かったりはしないはずだ。


「あ、ちなみに。十歳まで育てられたのはですね。それくらいまでなら、後天的に毛皮が生えて半獣になる可能性があるから、とか何とかで。半獣ならギリギリ手元に置いてやってもいい、みたいな価値観らしいですよ。毛が生えたってそんなのお断りですけどね!」


 クレナイは子供みたいにケラケラと笑い、それから大きく息を吸い込んで、吐息と共に静かな声色で言葉を続けた。


「……ありがとうございます、コハク様」

「それは何に対してのお礼なのかな。心当たりがないんだけど」

「色々です。私……ずっと前から、もしもアイツとまた出くわしたら、思いっきりぶっ飛ばしてやろうって思ってたんです。でも、見ての通りすっごく強かったでしょ? だから無理だと諦めてたんですけど……」

「魔導器のお陰で実現できたって?」


 悪いけどそいつは買い被りだ。


「あんな使い方は想定してなかったよ。だから、あれは君自身の頑張りだ。おめでとう、でいいのかな」

「だとしても、お礼を言いたいんです」


 真っ直ぐな笑顔でそう言われてしまい、気恥ずかしさに思わず視線を逸らす。


「コハク様が来てくれたから、私も、村の皆にも……希望が……すぅ……」


 クレナイは軍用車輌の車体に寄りかかったまま、すやすやと寝息を立て始めた。


 慌てるホタルに、クレナイが眠ってしまったのも仕方ないことだと説明する。


「疲れて眠くなったんだよ。魔導アカデミーで教わる治癒魔法は、治される側も体力を使うタイプだからね」


 治癒魔法や回復魔法とひとまとめにされがちだが、そのやり方は流派によって様々だ。


 自然治癒力を活発化させるもの。

 実体化した魔力で傷口を埋め、自然に治るまでの鎮痛に徹するもの。

 中には、人体の組織を擬似的に生成して、その場で元通りにしてしまう離れ業を使える人もいるらしい。


 魔導アカデミーが教えている治癒魔法は、自然治癒力を利用したスタンダードなものである。


 習得が比較的簡単で――治癒魔法にしては、だが――大袈裟な準備をしなくても使える一方で、治療対象も体力を消耗しながら自然治癒力を働かせることになるため、衰弱しきった相手には逆効果になってしまう欠点がある。


 多用しすぎると寿命が短くなるという説もあり、この手の魔法を忌避する人も少なくはないけど、実際のところはよく分からないし、今考えるようなことでもないだろう。


「言われてみれば私も眠く……って、いえ! その前に、コハク殿! お伝えすることがあります!」

「お伝えすること?」

「査察官殿が、コハク殿と直接お話したいと仰っています」


 思考が一瞬フリーズする。


 しまった、すっかり忘れていた。

 魔石鉱山を飛び出して要塞に急いでいたのは、急遽交代したという新しい査察官に対応するためだった。


「……ああー……」

「そうでしたわ……結局、対策は何も練られていませんが……」

「私達が現場に急行できたのも、そのために車の準備をしていたタイミングだったからです。ほら、ちょうとあちらに」


 ホタルが視線を動かして、兵士に指揮を飛ばす隊長の方を見やる。


 前に要塞で見かけたことがある隊長の隣に、全く見覚えのない男が一人。


 堅物と厳格を絵に描いたようなその男は、ホタルの視線に気がつくと、隊長とのやり取りを打ち切ってこちらに歩み寄ってきた。


「お初にお目にかかる。私は王室近衛兵団第一小隊隊長のメギ・グラフカだ。貴君が魔導師コハク・リンクス殿で相違ないな」

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

 

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