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■第十九話 強襲、イリオス(1)

「何だって? (かしら)? 頭領? ええと、メガス・キーオンは組織名だから……つまり、あいつがその指導者……イリオス……」


 元に戻された自動車を盾に様子を窺う。


 獣人と自動車の距離は、人間の全速力で二秒か三秒程度。


 数は一体。他に合流してくる様子はない。


 恐らく、単独行動中に偶然僕達を発見したんだろう。


 森の中をたった一輌で疾走する謎の軍用車輌。

 誰が乗っているのか、何を運んでいるのかは分からなかったが、何かしらの任務を受けていると予想して破壊を試みた、といったところか。


 今すぐ車に乗り込んで逃げ出したいのは山々だけど、あの獣人の身体能力を考えると、迂闊に隙を見せるわけには――


「お待ちなさい! まだ動いてはいけません!」


 ルリが不意に大声を上げる。


 その視線の先では、クレナイが車体の陰から呆然と身を乗り出していた。


 まずい。あれだと車体が盾になっていない。


 腕を伸ばして引っ張り戻そうとした矢先、真紅の獣人が唸るような声を上げた。


「■■■■、■■■■、■■■■■■■■」


 クレナイが唇を引き結び、怒りとも嘆きともつかない感情に顔を歪める。


 獣貌の戦士の口が動く。威嚇とは違う。嘲ったのだろうか。


「言葉ヲ忘レタカ? ナラバ人間ノ鳴キ声デ伝エテヤル」


 口吻(マズル)状の口から放たれたのは、紛れもなく人間の言葉だった。


「フォティア。我ガ生涯唯一ニシテ最大ノ汚点。マサカ、コンナトコロデ再ビ相見(アイマミ)エルトハナ」


 獣人が人間の言葉を喋った事自体は、驚きはしたが不自然ではない。


 クレナイがそうであるように、アルゴス山脈の獣人の知性は人間と変わらない。


 僕が耳を疑ったのは、あの獣人が明らかにクレナイを知っていたからだ。


「哀レナ出来損ナイ。殺シテヤロウ。今度コソ」


 真紅の獣人……メガス・キーオンのイリオスが身を屈める。


 次の瞬間、数え切れないほどの魔力の刃がイリオスに降り注いだ。


 着弾、轟音、噴き上がる土煙。


「聞くに耐えませんわね。事情は分かりかねますが、どちらに(くみ)するべきかは論ずるまでもありません」


 ルリがクレナイの前に進み出る。


 その周囲には、金剛石(ダイヤモンド)のように煌めく結晶化した魔力の刃が、幾枚も宙に浮かんで静止していた。


命ず(ユベロー)


 右手を前に動かす仕草に合わせて、無数の刃の先端が一斉に土煙を指し示す。


金剛よ(アダマンテース)穿て(ペネトラーテ・)我が(イニミカム・)敵を(メウム)


 横薙ぎに降り注ぐ、結晶化した魔力の刃。


 切り裂かれ、吹き消される土煙。


 突き抜けていった魔力の刃が、遥か後方の森林までも刺し貫き、何十本もの木々を切り刻んで倒壊させていく。


 相変わらず冗談みたいな威力の魔法だ。


 ルリの手に掛かれば、巨大な豪邸も数分足らずでズタズタの木片に変えられてしまうだろう。


 これほどの魔法行使を、たった数単語の詠唱で実現してしまうのだから、一流は根本的にレベルが違うのだと思わざるを得ない。


 だが、土煙が晴れたその後には、無傷のイリオスが悠然と佇んでいた。


「……っ! 再攻撃(レペティテ)!」


 再び襲いかかる魔力の刃。


 ところが、イリオスが牙の大剣を片手で振るうと、直撃するはずだった刃が吸い込まれるように掻き消えてしまった。


 明らかに異常だ。悪い冗談としか思えない。

 結晶化した魔力が破壊されたのなら、消える前に砕けるはず。


 あれじゃあまるで、剣に喰われてしまったかのようだ。


「魔獣……いえ、神獣の牙! 逃げなさい! 早く!」


 ルリが形振り構わず叫ぶ。


 動かないクレナイ。

 腰を抜かしながらも逃げようとするガルヴァイス。


 僕は車体の陰にしゃがみ込み、自動車の動力部の辺りに側面から手を触れた。


「遅イ!」


 イリオスが目にも止まらぬ速さで肉薄する。


 咄嗟に結晶化魔力の障壁を展開するルリだったが、牙の大剣は障壁を一切の抵抗なく突き抜けて、術者であるルリを刺し貫かんとした。


「危ないっ!」


 その窮地を救ったのはクレナイだった。


 常人離れした瞬発力でルリに飛びかかったかと思うと、その勢いのまま自分の体ごとイリオスの間合いの外に飛び出してしまう。


 大剣が、ルリの背後にあった車体を貫通する。


 車体の反対側に隠れた僕の目と鼻の先を、牙の切っ先が掠め過ぎる。


 イリオスは刃を引き抜くことなく、刀身に剛力を込めて、そのまま車体を両断した。


「コレデ逃ゲラレマイ……ムッ?」


 ここに来てようやく、イリオスは車体の陰に隠れた僕の存在に気がついた。


 ああ、残念ながら手遅れだ。


 もっと早く――僕に気がつくべきだった。


「遅い!」


 動力部に触れさせた片手に渾身の魔力を込める。


 それが最後の一押しとなって、動力部に搭載された全ての魔石が励起。


 自動車を中心に大爆発を引き起こした。


「ガアアアアッ!」

「ぐううっ……!」


 至近距離から爆発の直撃を受けるイリオス。


 僕もその余波を受けて吹き飛ばされ、何度も地面を転がってようやく停止する。


 ああ、くそっ、全身が痛みでバラバラになりそうだ。


 ルリが戦っている間、僕は車体に身を隠しながらこっそりと詠唱を続け、動力源の魔石で爆発魔法を発動できるように準備をしていた。


 僕みたいな三流の魔導師でも、あれだけの魔石と詠唱時間があれば、一撃だけなら一流に迫ることができるのだ。


 あくまで万が一の切り札。できれば使いたくない悪あがき。

 魔導機関の構造を把握している僕だからこその、最後の抵抗。


 そんなつもりで進めていた準備だったが、まさかこんな自爆同然の形で使うことになるなんて。


 爆発には指向性を持たせていたし、全力の防御魔法も同時に展開していたにもかかわらず、食らってみればこの有り様だ。


 やっぱり慣れないことはするものじゃない。


 心の底からそう思いながら、気力を振り絞って上半身を起こそうとする。


 ここまでやったんだ。いくらなんでもこれで終わり――


「……おいおい、嘘だろ……」


 イリオスは爆風で吹き飛ばされながらも、牙の大剣を盾にして、倒れることなく踏みとどまっていた。


 まさかあの魔力喰いの大剣が、魔導器の魔石を使った爆発魔法まで吸い取ってしまったのか。


 しかしさすがに無傷というわけにはいかなかったらしく、全身に軽い熱傷と切創を受けている。


 恐らく、刀身の大きさの都合で、全身はカバーしきれなかったのだろう。


 あの無法な牙剣も万能ではなかった……と分かったところで、僕にはもう打つ手がない。


「……そうだ! 皆は……?」


 イリオスを警戒しながら、急いで周囲を見渡す。


 ガルヴァイスは一足先に逃げていたので、無傷で距離を取っている。


 ルリはもう立ち上がって呪文を詠唱し、様々な属性の魔法を立て続けに繰り出していたが、全てイリオスに切り払われて足止めにしかなっていない。


 そしてクレナイは、ルリの側を離れて走りながら、離れた場所にいるガルヴァイスに向けて叫んでいた。


「あった! ヴァイス君! 私の鞄、取って! 思いっきりぶん投げて!」

「え? あ、はい! これか!」


 ガルヴァイスは火に包まれた車の残骸に腕を突っ込み、運転席だった辺りからクレナイの鞄を引っ張り出した。


 人間なら大火傷間違いなしの行動だ。

 しかし、鱗に覆われたガルヴァイスの体なら耐えられる。


「ナげます! そりゃあっ!」


 火が燃え移った鞄が宙を舞う。


 クレナイは地面に落ちた鞄に駆け寄って、その中から筒状の魔導器を取り出した。


「……よし、燃えてない! まだ使える!」


 それは僕が以前クレナイに渡した、威嚇用の魔導器だった。


 中空の筒の奥で爆発を起こし、筒を向けた方向に爆風と大きな音を打ち出すだけの、些細な道具。


 駄目だ。そんなものがあいつに通じるわけがない。


 野生動物を驚かして追い払うだけで精一杯。

 それ以上の性能は最初から考えていないのだ。


 やめるんだ、と大声で静止したかったが、喉が詰まって掠れた声しか出なかった。


 ところが、クレナイが取った行動は予想もできないものだった。


 筒の開口部を塞いでいた布――異物が入らないようにするための蓋を取り外し、爆発した自動車の細かな破片を筒の奥にねじ込んだのだ。


 そして思いっきり息を吸い、獣人の言語で吼えるように叫ぶ。


「■■! ■■■■ッ! ■■■■■■■■■!」


 言葉の意味は分からないが、それに込められた感情は、クレナイの鬼気迫る横顔を見ただけで理解できた。


 怒り。憎しみ。全身全霊の決意。


 その矛先を向けられたイリオスが、憤怒に牙を剥いて咆哮する。


「フォティアァ!」


 もはやイリオスは僕もルリも眼中になく、殺意を剥き出しにクレナイ目掛けて突進した。


「……っ! クレナイ!」

「いけません、クレナイさん!」


 振り上げられる牙の大剣。


 クレナイは筒状の魔導器をイリオスの顔めがけて振り向け、クロスボウから流用された引き金を引いた。


 響き渡る炸裂音。噴出する爆風。そして、鋭く尖った無数の破片。


 筒にねじ込まれた破片が瞬間的に加速され、一つ一つが鋭利な(つぶて)と化してイリオスの顔面に突き刺さり――片方の眼球を引き裂いた。


「ガアアアアッ!?」


 激痛に悶えるイリオス。


 まさかの反撃。そう言うしかない。まさかあの魔導器に、こんな使い方があったなんて。


 理屈としては僕が自動車を爆破したのと同じだ。


 牙の大剣は刀身で受け止めた魔法は吸収でき、飛び散った破片も物理的な強度で防ぎ止められるが、防御できなかった破片はどうしようもない。


 筒状の魔導器の内部で一方向に収束させられた爆風は、破片に獣人の毛皮を貫くだけの速度を与えるには充分すぎたのだ。


「やった――えっ?」


 だが、巨漢の獣人を仕留めるには至らない。


 クレナイが喜びに動きを止めた瞬間、イリオスは太い腕でクレナイの胸ぐらを引っ掴み、そのまま力任せに投げ飛ばした。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

 

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