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■第十七話 査察(2)

 一ヶ月後――当初の予定通り、軍事省の査察担当官メギ・グラフカは、魔導師コハクの魔導器研究を査察するため、王都の遥か西方に位置するマクリア地方伯領を訪れていた。


 荒涼とした平原の真ん中で軍事省の馬車を降り、周囲の荒廃具合に嘆息する。


「噂以上の辺境ぶりですな、グラフカ殿」


 馬車の御者も戸惑いを隠しきれていない。


「ご苦労。もう引き返してもいいぞ」

「へ、へい。それじゃあ、失礼します」


 メギは逃げるように走り去る馬車を見送りもせず、古びた東屋(ガゼボ)――壁のない日除け小屋のベンチに腰を降ろし、マクリア伯からの送迎を待った。


 しばらくして、今度は荒野の向こうから馬車の音が聞こえてくる。


 周囲に視界を遮るものは何もない。


 音がした方に目を向ければ、一台の馬車が近付いてくるのが見て取れた。


「……っ!? 何だ……あれは……!」


 メギは我が目を疑った。


 貴人の移動に使われる高級な箱馬車の車体が、馬に繋がれることなくひとりでに前進している。


 坂道ならまだしも、ここはただの平原だ。


 馬なしの馬車が勝手に走るなどありえない……魔法でも使っていない限りは。


 御者席には一組の男女の姿。

 片方は若い少女でもう片方は兵士の男。


 服装からして、少女の方が高い地位にあるようだ。


 車がメギの前で止まり、黒髪の少女が軽やかに地面に降り立つ。


「ロウバイ・ファーサ査察官殿ですね。私はサブノック要塞の騎士ホタル・レオンです。ようこそ、マクリアへ」

「いや、すまないが急遽予定に変更があった。私は王室近衛兵団のメギ・グラフカ。ロウバイ・ファーサに代わって査察官を務めさせてもらう。こちらが正式な辞令書だ」


 少女騎士は驚きに目を丸くしながら辞令書を受け取り、中身を検めた。


 事前連絡なしの変更ということもあって、少女騎士も何か言いたそうな顔をしていたが、最終的にはそれをぐっと飲み込んだ様子で言葉を続けた。


「交代の件、了承しました。改めてよろしくお願いします、メギ・グラフカ査察官殿」

「こちらこそ、よろしく頼む。ところで、この車は? 魔法で動かしているのか? それとも、まさか……」


 挨拶もそこそこに、メギは当然の疑問を投げかけた。


「そのまさかです。これは魔導師コハク・リンクス様が設計した自動車。魔法の才を持たない私にも扱える魔法の道具です」


 少女騎士の返答は、魔導器と開発者に対する誇りに満ち溢れていた。


 信じ難い。一体どうやって動かしているというのか。

 メギは詐術を見破ろうとする取締官のように、自動車という魔導器を凝視した。


(全体的な構造は既存の馬車の流用か。車体を新たに製造するのではなく、既に馬車として使われていたものを改造することで、短期間での開発を可能としたのだな。車体の前方に取り付けられた箱型の大型装置、これが動力と見た。具体的な原理は分からんが、この装置と前輪を連結することで車輪を回す仕組みか)


 考えれば考えるほどによく出来た機巧(からくり)だ。


 件の魔導師が追放されて二ヶ月。

 たったのそれだけの期間で、トベラ大臣が脅威を感じるほどの装置を作れるものかと思っていたが、現物を見れば納得だ。


 一から全てを構築しているのではなく、既存の道具に必要最小限の改造を加えるだけで、魔法の恩恵を組み込めるように設計されている。


(動力装置の搭載以外の改造箇所は……御者席に船の舵輪のような輪形ハンドルが。これは方向転換のための装置と見て間違いないだろう。足元のペダルで動力装置を制御するのか?)


 メギがあまりにも真剣に車体を眺めていたせいか、少女騎士は困ったような笑顔を作って、メギに乗車を促した。


「お乗りください、査察官。要塞ではもっと素晴らしいものが見られますよ」

「う、うむ。失礼した」


 気を取り直して客席に乗り込み、要塞への移動を開始する。


 乗り心地は馬車そのものだ。


 現状、動力以外の部分までは手を加えられていないと思われる。


 今度も研究開発が勧められたとしたら、一体どんな代物が生み出されることになるのだろうか。


 ふと車窓の外に視線を移すと、街道から少しばかり離れた場所に広がる畑が見えた。


 よく整えられた畑だ。収穫もきっと期待できるだろう。


 ここが辺境の土地だということを忘れそうになってしまう光景だった。


「あの畑は魔法使いが仕立てたのか?」

「いいえ、領民達が魔導器を使って仕上げたものです」

「そうか……末恐ろしいものだ」

「何かおっしゃいましたか?」

「独り言だ。気にしなくてもいい」


 やがて自動車はサブノック要塞にたどり着き、メギを乗せたまま城壁の内側へと入っていく。


 城壁内の広場には、何台もの自動車が所狭しと並べられていた。


 貴族のための華美な車体ではない。

 質実剛健な軍用馬車を改造したものだ。


 その多くは輸送用のようだが、中には金属の装甲を取り付けられているものまである。


 御者席まで装甲に包まれたその姿は、まるで大きな金属の貯槽(タンク)のようだ。


「……装甲も魔導師リンクスの指示なのか?」

「あれは要塞司令官の発案です」

「そうか、安心した」


 よもや自分と同じく、軍事にも精通した魔導師なのか――メギは一瞬そんな不安を抱いたが、さすがにそこまで万能というわけではなかったらしい。


 だが、その安堵感、あるいは油断も、要塞の建物の中に入るまでだった。


「お降りください、査察官殿。まずは要塞内部を案内いたします」


 メギは少女騎士の先導で要塞に踏み込み、そしてすぐに驚きと眩しさで目を細めた。


 要塞の廊下は眩い明かりに照らし上げられていた。


 窓がないにもかかわらず、まるで昼間のような明るさ。


 天井近くの壁面に点々と取り付けられた照明器具は、火を燃やすことなく光だけを放っている。


「魔力照明か。まさかとは思うが……」

「もちろんこれも、コハク師設計の魔導器です。原理としては、容器の中に組み込んだ魔石を発光させているだけの単純なもの……とのことです。とてもそうは思えませんけれど。ちなみにあちらのスイッチで、廊下全体の照明を操作できるようになっています」

「……簡単に言ってくれる」


 メギは口を歪めて呟いた。


(これほどの規模の建造物全体の照明を、魔法を使えない人間が指先一つで制御する……理屈は単純かもしれんが、これまで誰も思いつかなかった発想だ。都市の街灯を全てこれに置き換えることすらできるかもしれん)


 しかしこれも、メギを待ち受けていた驚きの数々の中では、まだまだ序の口に過ぎなかった。


 例えば、魔導ボイラーによる給湯システム。

 この要塞では大浴場に熱水を供給するだけの役割に留まっているが、理論上は配管を建物全体に巡らせることで、暖房器具の熱源として流用することも可能だという。


 例えば、物資運搬用のエレベーター。

 装置自体は前々から使われていたもので、人力と滑車を用いていたのだが、その動力源を魔導器に置き換えることで飛躍的な効率化が実現されている。


 例えば、厨房の魔導コンロ。

 王都などの大都市でも、薪ではなく魔力を火に変えて料理をするのは一般的である。

 だが、それらは魔法で火を起こす。つまみを回すだけ火が出るなど前代未聞だ。


 そして少女騎士は、メギを厨房の最奥の一室に招き入れた。


 扉を開いた瞬間、冬の屋外のような冷気が溢れ出る。


 薄暗い部屋。立ち並ぶ棚。それらに陳列された肉や魚。


「ここは要塞の食料貯蔵室です。王都にあってマクリアにないものは数え切れませんけど、一番不便なのはやはり『冷蔵庫』がないことでした。魔法の冷気で食料を腐らせずに保管する……今までは、たったそれだけのことすらできなかったんです」

「……これも魔導器か……」

「はい。この冷蔵室のお陰で、腐りかけの塩漬けを騙し騙し使う必要もなくなりました。現在、自動車に搭載して長距離輸送にも使えるように、小型化と省エネルギー化の研究中だそうです」


 メギは信じられないものを見たように首を振った。


 少女騎士が言った通り、冷蔵庫は王都にも存在している。


 だがそれは、魔法使いが容器に魔法を掛けて一定期間の低温状態を作り、効果が切れるたびにまた掛け直してもらう、というサイクルで成立しているものだ。


 王都を筆頭とする大都会の快適な暮らしは、魔法の恩恵によって成り立っている。


 魔導師や魔法使いの助けなくして享受はできず、都会以外では目にすることすら難しい特別な生活――それらと同等の代物が、魔導器によって作り上げられていた。


(こんな技術が普及してみろ。影響は民間人の生活に留まらんぞ。軍事にすら影響を与えかねん)


 人数の限られた魔法使いに頼ることなく、物資を運搬し、食料を保存し、野営地で兵士の腹を満たす――


 まさに革新。魔法使いの頭数というボトルネックが解消されることで、軍の活動の幅を飛躍的に広げられるようになる。


 それどころか、更に研究開発が進めば、これまでにない新たな装備が生み出されるかもしれない。


 だが、魔法省はその可能性の芽を摘もうとしている。


 このまま協力し続けるべきか否か。


 魔導師コハクが作り出した魔導器の数々を前に、メギは大きすぎる決断を迫られていた。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

 

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