EP.10 二人の日常
登場人物紹介
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。玲香に告白されるも答えは保留中。
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。戸籍上は神楽坂玲香。色々あって、健一に告白した。
石原梓:中学時代、健一が片想いしていた相手。偶然、梓が健一の事を嫌と言っていることを聞いてしまい、それ以来疎遠になっている。現在は、文映堂でバイトしている。
早朝。
真田健一は、今日もスマートフォンのアラーム音が鳴る前に、目を覚ました。
早起きをするようになって、一ヶ月と少し。
そしてそれは、クラスメイトの神楽坂玲香と義理の兄妹となって一ヶ月、という事でもあった。
ベッドから降りて、大きく伸びをする。
――まだ一ヶ月なんだよな……
健一と玲香は、両親の再婚をきっかけに義理の兄妹となり、一つ屋根の下で一緒に暮らすことになった。
二人は、クラスメイトとして、顔見知りではあったが、まともに会話をしたことなどない、浅い関係だったというのに。
そんな二人が、特別な一週間を過ごし、単なるクラスメイトではなくなった。
今や、玲香との関係は一言では言い表せないものになっていた。
あの『黒姫様』から『お義兄ちゃん』と呼ばれることになるとは、去年の自分からしたら、夢にも思わなかったはずだ。
学生服に着替え、階下に降りる。
洗面所で洗顔をすると、リビングに向かった。
「おはよう、玲香」
キッチンで朝食の準備をしている、玲香に声を掛ける。
同世代の女の子を呼び捨てにするだなんて、最初は慣れなかったが、これだけ言っているとさすがに慣れてきた。
「おはよう、お義兄ちゃん」
黒のセーラー服にピンクのエプロン姿の玲香が言う。料理しやすいように、艶やかな長い黒髪をポニーテールにしていた。
よくよく考えると同い年なのに『お義兄ちゃん』と呼ばれるのはどうなんだろう、と思わなくはないが、玲香に呼びたいと言われて、了承をしてしまったのだから仕方がない。
――たった一日違いの誕生日で兄と妹が決まるんだからなぁ……
もし、誕生日が逆だったらどうなったんだろう、と思う。
玲香のことを『お義姉ちゃん』などと呼んでいたんだろうか。
――ないでしょ。
益体もないことを考えながら、ダイニングテーブルで朝食をとっている両親に挨拶をする。
「おはよう、父さん、義母さん」
「おはよう、健一」
「おはよう、健ちゃん」
父の武之、義母の久美子が言った。
一ヶ月を過ぎ、ようやく健一も久美子のことを『お義母さん』と呼べるようになっていた。
対して久美子の方は健一のこと『健ちゃん』と呼ぶようになっていた。
久美子がどうしても呼びたいと言ったからだ。
正直、この年齢になって、そんな呼ばれ方は気恥ずかしいが――嫌ではなかった。
いつものように、健一はキッチンの方へ向かい、玲香の邪魔にならない場所で弁当作りを始める。
冷凍庫を見て、本日の弁当に使う冷凍食品を選ぶ。
一口カツと、きんぴらごぼうにすることにした。
そして冷蔵庫からプチトマトも出しておく。
一口カツは電子レンジで温め、きんぴらごぼうは自然解凍なのでそのまま弁当箱へ。
そして――冷蔵庫から卵を取り出すと、ボウルに割って、箸で手早く溶く。
「玲香。コンロ、ひとつ使っていい?」
「ええ、どうぞ」
卵焼き用のフライパンを取り出し、厚焼き卵を作る。
教わった当初はひどい出来だったが、何度か挑戦したことによりそれなりの物になっている。
無事完成した厚焼き卵に、一口カツときんぴらごぼう、ヘタを取ったプチトマトを弁当箱の一段目に入れる。
よく炊けた白米を二段目の弁当箱に詰め――二人分の弁当は完成した。
あとは、ふたをせずにしばらく置いておき、粗熱をとるだけだ。
と――
「じゃあ、私達は行くから」
「行ってきます」
父の武之と義母の久美子が揃って出かけていった。
真田家には、健一と玲香の二人が残される。
「お義兄ちゃん、朝食ができたから、食べましょう」
「そうだね」
健一と玲香はダイニングテーブルに、向かい合わせで座った。
一時期は、やたらと隣に座ってきたが、以前のように向かい合わせで座るようになっていた。
玲香曰く『押してばかり、というのも良くないわよね』とのことだった。
――別にいいんだけどさ……
そんなことを本人に言わないで欲しい、と思う健一であった。
「もうすぐ夏休みね」
朝食を食べながら、玲香が言った。
「そうだね」
七月も半ばに近づき、夏休みもすぐそこだった。
――そういえば……
夏休みと言えば、思い出したことがある。
「勉強を教えてくれてありがとう。――期末テストの結果、悪くなかったよ」
六月末に実施した期末テストの結果が最近返ってきたのだが、悪くない結果となっていた。
それもこれも、勉強を教えてくれた玲香のおかげだった。
「そう。なら良かったわ」
「本当に、助かったよ」
お世辞抜きで、玲香の教え方はとてもうまかった。
――本当にわかりやすかったよなぁ……
正直に言えば、玲香に勉強を教えてもらうことに不安があった。
学年一位の学力の持ち主である玲香の説明を、平凡な学力の健一が理解できるだろうか、と思ったからだ。
だが――
そんな健一の不安は杞憂だった。
玲香の教え方はとても丁寧でわかりやすかった。
おかげで、今回の期末テストの成績は過去一番に良かった。
玲香には感謝しかなかった。
「なにかお礼したいんだけど、なにがいい?」
「別にいいわよ。この位のこと、なにかしてもらうほどのことはないわ」
「いやいや、そう言わずに」
「気にしないで。お義兄ちゃん」
「いや、でもさ……」
なんとか健一は食い下がるも、玲香は受け入れようとしなかった。
――お礼も遠慮するんだな……
神楽坂玲香は、基本、人を頼らない。
頼れない、というべきか。
これまで、仕事が忙しい母に負担をかけないように、自分でなんでもやってきた結果、人に頼ることに抵抗を感じるようになってしまったようだ。
嫌、というわけではないのだろう。
相手に負担をかけてしまうのではないか、と気にしてしまうのだと思う。
似た境遇の健一は、そんな玲香の気持ちを理解できた。
だからこそ、健一は、玲香に手伝いを申し出るときは、その事をやりたくて仕方ない、とアピールすることで、玲香に負担を感じさせないようにしていた。
だが、勉強を見てもらったお礼すら遠慮されてしまうというのは予想外だった。
本来であれば、無理にでもお礼をしたいところではあるが、玲香の性格的に、そんなことをされても、素直に喜んでくれないだろう。
「そっか……じゃあ、感謝だけさせてもらうね。――本当にありがとう」
とりあえず、感謝の言葉だけはしっかり述べておくことにした。
「どういたしまして」
期末テストについての話は、そこで終わった。
その後は、他愛もない話をしながら、朝食をとる。
そんな中、健一は考えていた。
――やっぱり、なにかお礼はしたいよな……
それは、勉強を教えてもらったことに限った話ではない。
毎日の家事をやってもらっていることもそうだし、玲香には頼ってばかりだった。
だが、そういうお題目によるお礼では、玲香は素直に喜んでくれない気がする。
お礼をするなら、もっとシンプルな理由の方が良いだろう。
そして、ちょうどいい理由が、もうすぐあった。
玲香の誕生日である。
玲香の誕生日は、八月二七日だった。
つまりは、玲香より、誕生日が一日早い健一の誕生日は、八月二六日になるのだが――これはどうでもいい。
さすがの玲香も、誕生日を理由としたお礼――というかプレゼントなら素直に受け入れてくれるのではないか。
誕生日に今までの諸々の感謝を込めて、プレゼントをしよう、と健一は密かに決意したのだった。
登校途中。
駅から降りて学校へ向かう道すがらで、玲香が言う。
「お義兄ちゃん。少し寄り道していいかしら?」
「……別にいいけど、どこへ行くの?」
「それほど、遠回りにならないから、心配しないで」
目的地は繁華街をから少し外れた場所にあった。
外観はスーパーマーケットを改装したような感じで、看板には、緑色の背景に白抜き文字で、『文映堂』と書いてあった。
文映堂は、本・雑誌にレンタルDVDを扱う、個人経営の複合ショップだ。
基本、映像作品を配信サイトで観ている健一にとっては、行くことはほとんどないがその存在は知っていた。
まだ朝なので、開店はしていないようだ。
「借りていたDVDを返しておきたいのよ」
玲香が鞄から取り出したのは、レンタルDVDが入った貸出用のバッグだった。
そして、それを文映堂の入口横にある返却用のBOXの投入口に、入れていた。
「この前観た映画ってここで借りたんだね……」
この前、玲香と一緒に、映画を観たのだが、その内容があまりにも個性的で困惑したものだ。
あのような作品を、どこで借りたのだろう、と思っていたのだが……
「ええ。いい店でしょ」
「まあ、雰囲気は悪くはないよね……」
長いこと改装もしていないのか、古くさい感じの外観をしているが、逆に味があるとも言えた。
「ありがとう、お義兄ちゃん。では、学校へ行きましょうか」
「そうだね」
歩き出す玲香についていこうとした時、健一は店舗の入口に張り出されているチラシに気づいた。
そのチラシには、『アルバイト募集中』と書いてあった。
――これは……
健一は、そのチラシをスマートフォンのカメラで写真を撮った。
「どうしたの?」
シャッター音を聞いた玲香が振り返った。
「いや、なんでもないよ」
言いながら、決めたことがあった。
――ここで、バイトしようか。そして、そのお金で玲香にプレゼントをするんだ!
両親からは、生活費込みで毎月まとまった額をもらってはいるが、そのお金で玲香にプレゼントをするのは、なんだか違う気がしていたのだ。
玲香にプレゼントをするのならば、やはり自分で稼いだお金でするのが良いはずだ。
――ここなら、忙しくなさそうだし……
今時、レンタルしてDVDを借りる人もあまりいない――玲香という例外はあるが――ので、暇そうだし、初めてのアルバイトにはもってこいではないか、と思ったのだ。
――恐い先輩バイトとかいなければいいけど……
不安はあるが、とりあえず申込みはしてみよう。
そもそも採用されなかったら、そんな不安も意味がないのだから。
「どうしたの? お義兄ちゃん」
「な、なんでもない、今行くよ」
健一は、足早に歩いて玲香に追いつき、二人で学校へ向かった。
あとがき
『二人の日常』の章はここでいったん終了となります。
次章に入る前の現状を、整理するような話になっています。
次の章は、『二人の関係』になる予定です。
できるだけ早く公開できるように頑張りたいと思います。




