EP.9 玲香、出かける
登場人物紹介
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。戸籍上は神楽坂玲香。色々あって、健一に告白した。
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。玲香に告白されるも答えは保留中。
休日の昼間。
人々のざわめきを感じながら、神楽坂玲香は歩いていた。
ここは、南城高校近くの繁華街。
登下校する際にも、通る道である。
時刻は一三時半ぐらいか。
玲香は私服姿だった。
もちろん、ジャージなどではない。
以前、『らぁめん たじまや』に行った時は、ジャージでここまで来ていたが、、あの時は真っ直ぐにラーメンライスと真摯に向き合うためには、ジャージがベストであると考えたからで、常にジャージで出かけるわけではない。
以前、新宿に健一と出かけた際も、『今日はジャージじゃないんだ』と言われたが、玲香からすると心外だった。
今日の服装は、無地の白Tシャツに、濃紺のデニムパンツだった。
飾り気がないことで、腰まで伸びた艶やかな黒髪が映え、周囲の目を引いているのだが、玲香本人はその事に気づいていなかった。
目的地は繁華街から少し外れた場所にあった。
そこは、ワンフロアで横に長い建物だった。
外観はスーパーマーケットを改装したような感じで、入り口に自動ドアがある。
看板は、緑色の背景に白抜き文字で、
『文映堂 DVD・BOOK・MAGAZINE』
と書いてあった。
文映堂は、本・雑誌にレンタルDVDを扱う、個人経営の複合ショップだった。
今や映像作品といえば、定額を支払うサブスクリプション配信で観るのが主流で、レンタルDVDという業態は、過去のものになりつつある。
そんな中、文映堂はサブスク配信ではあまり見かけないマニアックなラインナップを揃えることで、この厳しい時代を生き残っていた。
玲香は、この文映堂の常連と言うほどではないが、定期的に通っていた。
目的は、当然、映画のDVDをレンタルするためだった。
映画鑑賞。
それは、玲香の数少ない趣味だった。
だが、映画館に行くことはほとんどなく、自宅で映画を鑑賞するのがメインだった。
家事の合間に観ることも多いので、いつでも視聴中断、再開ができる自宅での視聴の方が都合が良いのだ。
そんなこともあり、玲香は、自宅での観賞用としてDVDを借りに、文映堂まで来ていた。
目当ての作品があるわけではない。
店内を散策し、パッケージを見て、ピンとくる作品を選ぶのが、玲香のスタイルだった。
そうして、様々な作品と出会うのが好きだった。
そのやり方だと、つまらない作品に出会うこともある。
だが、それもまた一期一会と思っていた。
自動ドアをくぐり、店内に入る。
入口に入ると、正面やや右手にレジカウンターがある。
本、レンタルと共通のカウンターだ。
「いらっしゃいませー」
レジにいる女性店員の元気の良い声が聞こえる。
今のところ、用はないので早速レンタルコーナーへ移動する。
玲香は、早速、DVDを物色し始めた。
この文映堂の売りはそのレンタルDVDエリアで、店内の七割を占めていた。
玲香は、ジャンルを決めずに、適当に店内を散策する。
目に付いたDVDケースを手に取る。
ジャケットの裏面を見て、どんな映画か確認する。
――うーん……
ピンとこないので、DVDケースを棚に戻す。
さらに見て回ると、DVDケースに手書きのカードサイズのPOPが貼り付けてあるものがあった。
――これは……
玲香は、その作品のDVDケースを迷わず手に取る。
そのPOPには、手書きでみっちりとその映画をオススメする理由が書いてあった。
書いた本人が、本当にこの映画が好きなんだろう、と感じる文章だった。
――これは、あの人が書いたPOPよね……
そのPOPに、書いた人の名前が書いているわけではない。
だが、明らかに熱量の違う文章なので判別は簡単だった。
玲香はこの『POPの人』のファンだった。
そのPOPの存在に気づいたのは去年のことだった。
POPの紹介文を読んで、興味を持った玲香はその作品を試しに借りてみることにした。
その作品は、過激なバイオレンス・アクション映画で普段の自分なら絶対に観ないジャンルの映画だった。
POPには、『なんの情報も仕入れずに、最後まで観て! 衝撃のラストに絶対に驚くから!』と書いてあった。
――衝撃のラスト、ねえ……
映画のキャッチコピーとしては、割とありふれた言葉なので、その時は、正直懐疑的だった。
それでも気になってしまったので、その作品をレンタルし、あまり期待せずに鑑賞してみたのだが、玲香は正真正銘、衝撃のラストに驚いてしまった。
あまりのことにしばらく呆然として動けなくなったぐらいだ。
これまでの整合性など関係ない、と言わんばかりのラストは、笑うしかなかった。
玲香の新しい扉が開いた瞬間だった。
それからは、そのPOPを見かければ、絶対にレンタルするようになっていた。
――今日はこれにしましょう。
玲香はDVDケースにセットされている番号カードを取り出す。
文映堂では、店内の棚に置いてあるDVDケースには、中身が入っていないダミーケースとなっている。
レンタルしたい場合は、番号カードをレジ持っていき、店員にレジ裏にある棚からかDVD本体を持ってきてもらう――という寸法だ。
――さすがに借りるのが一本というのも物足りないわね……
もう少し店内を見回って、あと数本選ぶことにしよう。
結局、『POPの人』の作品を三本借りることにした。
さすがに、すべて『POPの人』オススメの作品というのは、初めての事だったが、たまにはこういうのもいいだろう、と思った。
玲香は、番号カードをレジカウンターに持って行く。
「レンタル、お願いします」
カウンターにいる女性店員に、会員カードと一緒に、番号カードを全て渡した。
「かしこまりました。少々お待ちください」
女性店員は、番号カードを受け取り、レジ裏の棚にあるDVDと番号カードに記載してある番号を照合していた。
「こちらで、よろしいでしょうか?」
透明なDVDケースを三つ、表面が見えるように置いてくれた。
ケースに入っているDVDに記載しているタイトルを、客に確認してもらうためだ。
「大丈夫です」
玲香が答える。
だが、女性店員は反応せず、玲香の方を、興味深そうな視線を向けていた。
「どうかしましたか?」
玲香が言うと、女性店員は、はっと我に返り、
「申し訳ありません」
と、DVDケースのバーコードをスキャンし始めた。
玲香は、改めてその女性店員を見た。
おそらく、玲香と同世代ぐらいだろう。
文映堂でよく見る顔で、これまで何度も接客してもらっていた。
髪型はショートヘアで、ボーイッシュな感じはありつつ、目を引く長いまつげや柔らかな頬の曲線は、間違いなく女の子らしいかわいらしさが息づいていた。
「では、期間は、一週間――七泊八日でよろしいでしょうか?」
少し低めの通る声で、女性店員が言った。
少年っぽさもありながら、柔らかい響きはやはり女の子らしさを感じさせる声だった。
「はい」
「合計で――円になります」
玲香は財布を取り出し、料金を支払う。
そして、レンタルしたDVDが入った貸出用のバッグを受け取る。
女性店員に会釈をして、背を向けて歩き出す。
「ありがとうございました!」
快活で気持ちの良い声が背中から聞こえた。
自動ドアを抜け、店を出る。
外に出て、店の駐車場の辺りを歩いていた時――
「待ってくださーい!」
振り返る。
大きく手を振りながら走ってきたのは、先程の女性店員だった。
「あの……、これ、忘れ物です」
と持ってきたのは、文映堂の会員カードだった。
レンタルする際に必要な物なので、会計の際に取り出していた。
会計後、カードを受け取った覚えがあるのだが、財布にしまい忘れてしまったようだ。
「わざわざ、ありがとうございます」
玲香は礼を言った。
「いえいえ、気にしないでください。それで、あのー」
と、女性店員は、貸出用のバッグを指さし、言った。
「こういう映画、好きなんですか?」
「え?」
「……三本とも、全部マイナー映画だし、何故なのかな、と思って」
「実は……POPのオススメ文を見て気になって、借りたんですよ」
「やっぱりそうなんだ!」
女性店員はうれしそうに声を上げ、にこっと笑った。
まるで花が咲くような笑顔だった。
「実は…………それ、書いたのボクなんですよ」
「え、そうなんですか?」
玲香は驚く。
まさか、目の前の女性店員が、『POPの人』だとは思わなかった。
なにしろ、オススメする作品のほとんどが、玲香が生まれる前の作品ばかりなのだから。
「お客さん、今日だけじゃなくて、前からボクが書いたPOPの作品を借りてるよね?」
「はい、そうですけど……私の事、覚えているんですか?」
「そりゃそうですよ。借りているラインナップも特徴的な上に、しかもこんなに美人なら覚えるに決まってますよ!」
「…………本当に、あなたがあのPOPを?」
「そうなんです。店長からは、もう少しメジャーな作品を推せと言われているんですけど……ボクは、ボクが好きな映画を推したいんですよ!」
女性店員は力説している。
「確かに、個性的な作品が多かったかも。――でも、私も、ああいうの好きです」
玲香は素直な感想を述べる。
「ありがとう! ――とっても嬉しい!」
それを聞いた、女性店員は、満面の笑顔を見せた。
その、屈託のない笑顔に、玲香は見惚れてしまう。
「ほんと、POP書いていてよかった。――今後も頑張って書くから楽しみにして下さいね」
「はい。――楽しみにしてます。私、あのPOPのファンですから」
「本当ですか? 期待に応えられるよう感張ります! ――あ、早く店に戻らないと。じゃあ、行きますね」
そして、女性店員は元気に、店に戻っていった。
――あの人が『POPの人』だったんだ……
思わぬ出会いに、玲香は嬉しくなった。
玲香は、弾んだ足取りで、自宅へと帰っていくのだった。
少し後の話になるが――
玲香は、借りてきたDVDを、健一と一緒に鑑賞した。
玲香としては、ちょっとしたお家デート気分だった。
だが――
「こ、個性的な作品だね……」
と、健一に引きつった顔をされてしまい、そういう雰囲気になることはなかった。
――面白いのに……
*
文映堂店内に戻ると、レジカウンターに店長がいて、渋い顔でこちらを見ていた。
「おい、石原~、勝手にカウンターからいなくなるなって。今日のバイトはお前しかいねーんだからな」
「だったら、バイト増やしてくださいよ。ウチは基本、暇な店ですけど、さすがに一人で回すのは大変なんですよ?」
「店の前にバイト募集のチラシは貼ってあるんだかな。――まったく連絡来ないわ。笑えるぜ」
「笑ってる場合じゃないでしょ」
「笑うしかないんだよ。――で、どうしてレジから、いなくなってたんだ?」
「さっきのお客さんが、会員カードを忘れてたんで、渡しに行ってきました」
「そうか。それは仕方ねーな」
「そうでしょ、そうでしょ」
「調子に乗るな。――今度は、一度事務所に声を掛けてからにしてくれ」
「はーい」
「……なんだか、楽しそうだな?」
「わかります? とってもいいことあったんですよ。――さあ、仕事頑張りましょう! 店長も少しは働いてくださいよ」
石原梓は、腕まくりをして、元気にバイトに勤しむのだった。
登場人物紹介2
石原梓:中学時代、健一が片想いしていた相手。偶然、梓が健一の事を嫌と言っていることを聞いてしまい、それ以来疎遠になっている(『二人きりの一週間』の章 第五一話 二人きりの生活 七日目②参照)。現在は、文映堂でバイトしている。POPは自腹でレンタルした上で書いている。




