EP.6 風邪と優しい嘘(後編)
登場人物紹介
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。戸籍上は神楽坂玲香。色々あって、健一に告白した。風邪を引いたのは本当に久々だった。
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。玲香に告白されるも答えは保留中。
玲香は、健一に付き添われ診療所で診察を受けてきた。
診察の結果は、予想通り風邪だった。
薬を飲んでしっかり休めば、良くなるとのことだった。
思ったより、悪い症状ではなくて安心した。
「おかゆを持ってきたよ。薬を飲まなきゃだし、まずは食事をしないと」
お盆を持って、健一が部屋に入ってくる。
お盆には湯気の立つおかゆが入った茶碗があった。
「おかゆ……お義兄ちゃんが作ったの?」
「もちろん……って言いたいところだけど、これは、レトルトのおかゆ。電子レンジで温めただけ。――これなら玲香も安心でしょ?」
「それは賢明ね」
健一は、料理をする際、調子に乗って失敗しがちなので、レトルトにしたのは正解だろう。まあ、玲香としては失敗作だとしても健一のおかゆが食べたかったという気持ちもあるが。
そしてお茶碗の隣にある瓶に目が行く。
小ぶりなガラス瓶に詰められた、黒々とした海苔の佃煮だった。
ラベルは濃い青を基調とし、中央には太めの白い文字で「ご○んですよ」の文字が印刷されている。
「うちじゃ昔から、風邪のときはこれだったんだよね。簡単だし。――これで大丈夫?」
「ええ。ありがとう」
玲香はおかゆというと梅干しと塩で食べていたので、海苔の佃煮で食べたことはなかった。
「じゃあ、入れるよ」
健一は、小瓶からひとさじすくい、おかゆの真ん中にそっとのせた。
黒いペースト上の海苔の佃煮が、熱を受けてとろりと溶け、白いおかゆにゆっくりと広がっていく。
甘辛く濃厚な香りが、湯気と一緒にふわりと立ちのぼった。
「どうぞ」
「ありがとう」
一口、海苔を絡めたおかゆをレンゲですくって口に運ぶ。
塩気と甘みとほんのりとした磯の香りが口の中にふわっと広がる。
「これ……結構好きかも……」
「なら、良かった」
健一は安堵の笑みを浮かべた。
「急がなくていいから。しっかり食べて、薬を飲んで休めば、きっと良くなるよ」
そんな健一の優しげな笑みに、玲香はなにかが満たされた気がした。
おかゆはあっという間に食べ終わった。
今まで食べた中で、最高のおかゆだった。
お腹だけでなく、心が満たされるのを感じる。
いや――
自分のお腹の状態を確認すると――まだ余裕があった。
「おかわり、もらえるかしら」
玲香は少し恥ずかしそうに言った。
健一はそんな玲香を見て、安心したように頷いた。
「……そんなに食欲があるのなら、きっと大丈夫だね。――そう言うと思ってたから、レトルトのおかゆは沢山買ってきたから、すぐに温めてくるよ。おかわりしたかったら、いくらでも言ってね」
「……さすがの私でも、そんなに食べないから。でも、ありがとう、お義兄ちゃん」
玲香は苦笑しつつ、健一に感謝の言葉を述べた。
おかゆを――結局三杯――食べ終え、処方された薬を飲むと眠くなってきた。
「玲香、そろそろ寝た方がいいよ。――僕は自分の部屋に戻っているから。なにかあったらRINEして。すぐに行くから」
「お義兄ちゃん」
「なに?」
「私が寝るまで、ここにいて欲しい」
普段なら、絶対に言わない発言だった。
だが、今日は、義兄に甘えたい気分だった。
「わかった。――ここにいるだけでいいの?」
「手も、握っていて欲しい、かな」
布団から右手を出した。
一度甘えると決めたら、とことん甘えよう、と思った。
「……わかった……これでいい?」
健一はまったく躊躇せず、玲香の手を包むように、優しく握ってくれた。
その心遣いが、玲香の心に染み込んでくる。
「ありがとう、お義兄ちゃん」
そう言うと、玲香は瞼を閉じた。
そして、健一の手のぬくもりを感じながら、玲香は眠りに落ちた。
目を覚ました時には、部屋が真っ暗だった。
カーテン越しに漏れる街灯の明かりが、部屋の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。
今は何時頃だろう。
枕元のスマートフォンで確認する。
二〇時一〇分だった。
医者から帰ってきたのが、昼前だと考えると、かなり睡眠がとれたようだ。
頭の重さも、身体のだるさも、すっかり和らいでる。
そして、未だに手のひらに感じる温もりに気づく。
健一が、ベッドの縁にうつ伏せたまま、玲香の手を握ったまま眠っていた。
その顔は静かで、少し寝癖がついた髪が額にかかっていた。
玲香は、そんな義兄を見ながら、その手を握り返した。
と――
「…………ん……」
健一はゆっくりと目を覚ます。
まだ自分の状況を理解していないのか、顔を上げた後、キョロキョロと周囲を見回し――玲香と目が合う。
「おはよう、お義兄ちゃん」
「……え? 僕、寝てた?」
「ええ。それはもう、ぐっすりと。――同じベッドで一緒に寝ていたわね」
玲香はわざと語弊がありそうな言い方をする。
「な、なに言っているんだよ、玲香。――ていうか、手……」
健一はようやく未だに手を握ったままな事に気づいた。
「……あ……えっと……暗いから、電気つけるね」
健一は立ち上がり、握った手を離すと、部屋の照明のスイッチを押した。
部屋が明るくなったことで、健一の顔が赤くなっていることがよく見えた。
玲香はそれを見て、くすりと小さく笑う。
先程までの頼りがいのある姿も良いが、こういうあたふたしている義兄の姿も、とても良い、と玲香は思う。
と、その時。
ぐぅと玲香のお腹が遠慮なく鳴った。
「……えっ」
今度は、玲香の顔が赤くなる番だった。
「……ははっ」
健一はそんな玲香見て吹き出している。
「お義兄ちゃん……」
玲香は、健一は軽く睨む。
「ごめんごめん。――またおかゆ作ってくるよ。もちろん、レトルトだから、心配しないで」
優しく笑い、健一は立ち上がり、おかゆを用意するために、部屋を出た。
玲香は一人になり、まだ義兄の温もりが残っている手のひらを見た。
――本当に、ありがとう。お義兄ちゃん……
今度、健一が風邪を引いたら、絶対に看病をする――と心に決める玲香だった。
だが――きっと、健一も看病を断るだろう。
健一も玲香と同じで、相手に負担をかけてしまったことを気にしてしまうタイプだからだ。
でも大丈夫。
その時は、『義兄の看病とか、一度やってみたかったのよね』と言えばいいのだから――




