EP.5 風邪と優しい嘘(前編)
登場人物紹介
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。戸籍上は神楽坂玲香。色々あって、健一に告白した。普段から体調には気をつけていたのだが……
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。玲香に告白されるも答えは保留中。
――あれ?
朝、起きて、ベッドから降りようとした時、玲香は身体のだるさに気づいた。
明らかに身体が重い。
なんとか立ち上がり、いつも通りパジャマからジャージに着替えようとするが、なかなか着替えられない。
それでもなんとか着替え、一階に降り、洗面所に向かう。
いつものように、ドラム式洗濯乾燥機に入っている洗濯物を取り込むためだ。
正直、歩くのもきつい状況だったが、なんとか洗面所にたどり着くことは出来た。
この体調では、学校へ行くことは難しいだろう。
洗濯物の取り込みだけしたら、自室に戻って休むしかなさそうだ。
と――
「おはよう――って、どうしたの? 玲香」
洗面所にやってきた健一が、尋常じゃない様子の玲香を見て、慌てて近づいてきた。
玲香は、健一を手で制し、
「……なんだか、ちょっと体調が悪いみたい。――だから、ごめんなさい。朝食を作るのは無理そう」
「いやいや、そんなこと気にすることじゃないから。早く部屋に戻って休まないと」
「でも、洗濯物を畳まないと……」
「だから、そういうこと、考えなくていいから。――まずは、自分のことを考えて」
「…………うん、わかった。お義兄ちゃん」
本当に心配そうな健一の表情を見て、玲香は素直に頷く。
「なら、部屋に戻ろうか。――歩ける?」
「……なんとかそれはできそう」
「そう。じゃあ、ゆっくり階段を上って」
玲香は、健一に促されて、階段を上り始める。
健一は、そんな玲香の後ろにぴったりとついて、玲香の背中を手で支えてくれていた。
普段と違い、やけに頼りがいのある義兄に戸惑いつつも、胸が高鳴ってしまう玲香だった。
なんとか自室に戻り、ベッドに入る。
その際に乱れた布団を、健一がかけ直してくれた。
「どう?」
「横になれたことで、随分楽になったわ」
楽になった度合いとすれば、ほんのわずかではあったが、健一を安心させるための、嘘だった。
「……………………そう……」
そんな玲香を、健一はじっと見つめる。
本当に大丈夫なのか、と思っているのだろう。
「寝てれば良くなるから、お義兄ちゃんは、学校に行って」
「いいよ。僕も学校休むから」
「大丈夫よ。――それに、お義兄ちゃんがいてもそんなに役に立たないから」
玲香は、頑張って不敵な笑みを浮かべて見せた。
「玲香…………」
「本当に大丈夫だから。お義父さんや母さんにも大丈夫、と伝えておいて」
「…………わかった。父さんと久美子さんには伝えておく」
健一が、玲香の部屋から出ていった。
「…………ふぅ……」
玲香は大きく息を吐いた。
なんとか、納得してもらえたようだ。
自分の体調不良程度で、家族に負担をかけたくなかった。
今までだって、そうだったのだから。
母と二人で暮らした頃。
玲香が風邪を引いた時、母に仕事を休んで欲しくなくて、よく強がっていた。
仕事を頑張っている母の負担になりたくなかったから。
自分さえ我慢すれば大丈夫。
それが、玲香の基本的な考え方なのだ。
それから、しばらくベッドで寝続けていたが、眠ることは出来なかった。
目を開け、部屋の掛け時計の針を見ると、八時半を指していた。
数時間はベッドに入っていたことになるが、体調は一向に良くならない。
喉も痛み始め、咳が出始めた。
このまま一生体調が良くならないでは、などと思い始めて不安になる。
――医者に行った方がいいかしら……
近所に診療所はあり、徒歩で行ける距離だった。とはいえ、今の玲香にそこまで歩けるかどうか。
だが、薬を処方してもらわないと、明日も良くならないのでは、と不安になってきた。
と――
玲香の部屋のドアが開く。
部屋に入ってきたのは、健一だった。
健一は、何故か私服姿だった。
「どうしたの、お義兄ちゃん」
「いいよいいよ。起き上がらなくて」
上半身を起きあがらせようとする玲香を制する健一。
そんな健一に、玲香は訊いた。
「お義兄ちゃん、学校へ行ったんじゃないの?」
「いや、行っていないけど。――まあ、色々買い込む必要があったんでコンビニには行ってきたけど」
「どうしてよ。私は大丈夫だからって言ったでしょ」
健一が来てくれたことは、うれしい気持ちもあるが、それ以上に健一に負担をかけたくなかった。
「そういうわけにはいかないよ」
「何故」
「だってさ」
と、健一は、にやりと笑みを見せた。
「だって、家族の看病のためっていう理由で堂々と学校を休めるのに、休まない手はないじゃないか」
「なにを言っているのよ」
「いいや。絶対看病する。僕は玲香の看病をしたくてしかたないんだ。――義妹の看病とか、一度やってみたかったし」
「お義兄ちゃん……」
そんな、わざとらしい健一の話しぶりに、玲香はある日のことを思い出した。
それは、健一と同居して二日目の夕方のことだ。
スーパーマーケット『マーズ』からの帰り。
『お願いします! この僕にその荷物を持たせて下さい! その荷物を持ちたくてしょうがないんです』
健一は頼ることに慣れていない玲香に納得してもらうために、そんな頼み方をした。
今日の健一はその時とそっくりだった。
玲香を負担を感じさせないための、彼なりの優しい嘘なのだろう。
――まったく……
玲香は苦笑し、素直になるしかないな、と思った。
「わかった……お願い、お義兄ちゃん。――正直、かなりつらいの」
「だと思ったよ。――とりあえずタクシー呼ぶから、医者に行こうか」




