第五四話 二人きりの生活 七日目⑤
登場人物紹介
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。結局告白に対して保留を選択してしまうヘタレ。
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。戸籍上はまだ神楽坂玲香。黒姫様と密かに呼ばれている。恋愛では肉食系だと判明(本人は認めず)。告白は保留となったが、ただ待つつもりはなかった。
「それで、確認なのだけれど、健一さんは、義妹としては間違いなく好きなのよね」
玲香が念を押すように訊いてきた。
「……そうだけど……」
改めて聞かれると気恥ずかしくはあるが、素直に頷く。
「なら……」
と、玲香は何故か立ち上がった。
そして、こちらに近づいてきて、健一が座っているソファの隣に腰を下ろした。
玲香がこちらをのぞき込むように見てくる。
「ど、どうしたの……?」
先ほどまでは向かい合わせに座っていてそれなりに距離があったが、隣に座られたことで一気に距離が縮まり、うろたえてしまう。
「健一さんのこと、お義兄ちゃんって、呼んでいい?」
「……呼んでいいもなにも、玲香さん、たまに呼んでいるじゃないか」
「そうね。でも、健一さんは呼ばれるの苦手でしょ?」
「……苦手というか、まだ慣れないというか……」
「だから、健一さんの許可が欲しいのよ。呼びたいときに呼べるように」
「……………」
「さっきは、私の方が譲歩したのだから、いいでしょ?」
「う……」
告白の答えを先延ばしにした件についてまたつついてきた。
それを言われると、拒否なんて出来るわけもなく。
「……許可します……ただ、お手柔らかにお願い……」
「……心配しないで。お義兄ちゃんと呼ぶのは、この家の中だけにするから」
「え? そうなの?」
「わざわざ、私たちが兄妹であることを喧伝する気はないもの。――兄妹であることをみんなに知られると、後々面倒になりそうだし。ねえ、お義兄ちゃん?」
「……そ、そうだね……」
玲香としては、既に健一と付き合うことを見据えているようだった。
このままずるずると飲み込まれてしまいそうだ。
健一は頭を振る。
――ダメダメ、流されないために答えを先延ばしにさせてもらったんだから……
そんなことを思っていると――
「健一さん」
と、玲香が健一に近づいてきて、健一の肩にもたれかかってきた。
心臓の鼓動が高まる。
「れ、玲香さん……」
「玲香」
「え?」
「玲香でいい」
「いや、さすがにそれは……」
「なら、このまま動かない」
「そ、それは困るよ……」
「………………」
玲香はなにも言わない。
健一が呼ぶまで梃子でも動かないつもりか。
――まったく……
「れ……玲香……」
観念した健一は意を決して、玲香の名前を呼ぶ。
「なあに、お義兄ちゃん」
玲香は満足そうな表情で答えた。
「……………」
「……………」
その後、玲香はなにも言わないし、健一もなにも言えなかった。
無言のまま静かに時が過ぎていく。
「……………そ、そろそろ離れてもらえるかな……」
「どうして?」
「だって、名前で呼べばどいてくれるって……」
「そんなこと言ったかしら?」
「そんな……」
「別に、私たちは兄妹なんだから気にすることはないでしょう? 兄妹ならこれくらいのスキンシップをしてもおかしくないわ」
「そ、そうかなあ……」
さっきから肩に玲香の重みと体温を感じている。
この状況はとても困る。
嫌、というわけではない。
むしろ、玲香と触れ合うことで、心地よさを感じていた。
だからこそ、困るのだ。
「で、れ、玲香はいつまでこうしているのかな?」
「さあ? ――もう少しこうしていてもいいかもしれないわね」
含み笑いをしながら、玲香。
完全に遊ばれている。
だが、それも健一を信頼しているから故に、こちらからなにかすることもできないわけで。
――落ち着け落ち着け……
余計な事を考えず、まるで修行僧の気分で健一はただ、時間が過ぎるのを待つしかない。
そう思ったその時、
突然、リビングのドアが開いた。
「ただいま~!」
声をともにリビングに両親が入ってきた。
――やばい!
健一が慌てた時には、玲香はすでに距離をとり、健一の隣で、普通に座っていた。
なんという素早さだった。
「お、おかえり……父さん」
健一は、まずリビングに入ってきた父――武之に挨拶をした。
「……ただいま。健一。こんなに長い期間の旅行なんて初めてだったから、疲れたよ」
父は、旅行帰りだというのに、相変わらずぼさぼさの髪に大きな四角フレームの眼鏡をしていた。
普段の父と変わらない姿に健一は苦笑した。
「あら、武之さん。新婚旅行に行くの嫌だったの?」
義母の久美子が武之を軽く睨む。
久美子は、玲香の母親らしくとても美人だった。
髪型は玲香とは違って短めのボブカットだが、顔立ちはそっくりだった。並んでいれば親子であることは一目瞭然だった。
「いやいや、これは言葉のアヤという奴で……ごめん久美子さん。もちろん、楽しかったよ」
頭をかきながら謝る武之。
「冗談よ。まったく、武之さんたら……」
久美子はうれしそうな表情で笑っていた。
相変わらず仲が良さそうで安心した。
新婚旅行を機に離婚する夫婦もよくいるという話も聞くので、気になっていたのだ。
久美子はこちらに向き直り、ソファで二人並んで座っているのを見て、目を細めた。
「あら、仲が良くてなによりね。――結婚して早々新婚旅行に出ちゃったから心配していたのよ」
「大丈夫よ。――お義兄ちゃんとは、仲良くやらせてもらっているわ」
「……へえ……いつの間に……」
と、久美子は興味深そうな表情でこちらを見る。
おそらく、玲香が健一のことを『お義兄ちゃん』と呼んでいることに、思うところがあるのだろう。
「ははは……どうも……」
健一はなんと答えていいかわからず乾いた笑いをするしかなかった。
それから、両親は少し休憩したいと言い、向かいのソファに座り、四人でたわいのない会話をしていた。
と、その時。
「ねえ、お義父さん」
玲香が武之に向かって声を掛けた。
「なんだい、玲香さん」
武之は玲香が『お義父さん』と呼んでくれたことがうれしかったのか、いつもより声のトーンを上げて答えていた。
だが――
「落ち着いたらすると言っていた、お義父さんとの養子縁組の件は無しにしてもらえますか?」
「え? どうして? ……もしかして、僕の娘になるの嫌になっちゃった?」
武之は、よほどショックだったのか絶望的な表情をしていた。
――なんてことを言うんだ、玲香さんは……
健一も同じくらい驚いていた。
玲香は首を振る。
「そうではないの。お義父さんの娘になりたくないわけではないの。――ただ、戸籍上はお義父さんと養子縁組すると困ることがあって……」
「ん? どういうことだい?」
「れ、玲香さん!」
これから玲香が言おうとすることを理解した健一は止めようとするが、玲香は気にせず続ける。
「実は……健一さんとお付き合いを考えておりまして。そうなると、正式に武之さんの娘になってしまうと、今後もし結婚する場合に、問題になりそうなので」
「…………え? け、けっこん?」
武之は状況が理解できないのか、呆けたような返事をしている。
久美子の方は即座に理解したのか、玲香に問うた。
「それは、本当なの? 玲香」
「ええ。でも、まだ健一さんが落ちてくれなくて……」
「ちょ、玲香さん……」
「なるほどね」
と、久美子は納得したように頷いた。
「やるわね。玲香。私は応援してるから」
いつの間にか母親公認になってしまった。
「ありがとう。母さん」
と、二人でぎゅっと手を握り合っていた。
「でも、口説き落としたいなら、ぐいぐい行かなくちゃだめよ。私も武之さんを口説き落とす時は本当に頑張ったんだから」
「そうね。その通りだと思うわ。――なんとか頑張ってみるから」
そして、母娘がうんうんと頷いている。
――なんてこった……
健一が絶句していると、
「く、久美子さん……いいのかい? それで……」
武之が恐る恐る訊いた。
「別に血が繋がっているわけでもないし、問題ないでしょう? 世間体が悪いとかで、私達が反対していはいけないと思うの。むしろ、私達が守ってあげなくちゃ」
久美子の言葉に、武之は静かに頷いた。
「……うん。そうだね……」
武之は、健一の方を見て、言った。
「……健一。父さんも反対はしない。だが、玲香さんとは節度を持って付き合うんだぞ」
「だから、まだ付き合っていないって!」
「お、おう。そうか……すまんすまん」
「まったく……」
なんだか完全に外堀を埋められた気がして、大きくため息をつく健一だった。




