第三七話 二人きりの生活 四日目⑨
登場人物紹介
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。慣れないことをしてさすがに疲れている。
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。実際は真田玲香。黒姫様と密かに呼ばれている。
御巫詩穂美:玲香の数少ない友人。お嬢様学校として名高い光華学園の生徒だが本人はお嬢様ではない。無双流という武術の使い手。ついにその実力の片鱗を魅せる。そのせいで、とんでもない相手に気に入られてしまった。
九条隆也:南城高校の生徒会会長にして『黒姫様を愛でる会』の創設者にして会長。本当は『黒姫様』と話したかったが恥ずかしくて声がかけられなかったと判明。
綾部静:南城高校の生徒会副会長にして『黒姫様を愛でる会』の副会長。『過激派』のトップでもある。新たなターゲットとして詩穂美をロックオンした模様。
――疲れた……
健一は、旧校舎と新校舎を繋ぐ道を一人歩いていた。
放課後から随分時間が経ったからか、空は茜色に染まっている。
夕暮れ時である。
詩穂美は綾部副会長から逃げるために急いで帰ってしまった。帰る時に「後はまかせた」と健一に言っていたが、いったいなんのことだろう。
九条会長をはじめとした『愛でる会』の面々は、今後のことを話し合うという事でまだ教室に残ったままだ。
健一が要求した、『会則』の変更についてのことだろう。
――明日からどうなるかな……
会則を変えさせるために、健一と玲香の関係を明かしてしまった。
当初は、誤魔化すつもりだったし――誤魔化すことはできていた。
それで良しとしなかったのは、健一自身だった。
正直、衝動的に行動をしてしまった、とは思う。
もう少しやりようはあったな、という反省はあった。
だが、後悔はしていなかった。
これで、玲香の学校生活も変わるだろう。
いきなり変わるかは微妙だが、少なくとも『黒姫様を愛でる会』の会則による抑止力はなくなるわけで、変化は絶対にあるはずだ。
――それに高橋さんだって……
健一は、教室をでる前、高橋里美とのやり取りを思い出す――
「あの……真田君……」
教室を出ようとする健一に、高橋里美が神妙な顔で、声をかけてきた。
「高橋さん。どうしたの?」
「いや、その……ごめん」
「え? なにが?」
「実は……真田君がここに呼ばれたきっかけは私なのよ」
高橋里美は、朝の『黒姫様を愛でる会』の緊急会議の事を説明した。
玲香が南城高校の男子生徒と一緒にいることが判明したこと。
だが、その時点では、それが何者かは特定できなかった。
『愛でる会』の会員による人海戦術で見つけるつもりだった。
だが、そんな時、健一の名前を出してしまったのが、高橋里美なのだと言う。
九条会長の『なにか気になることがあるか?』という質問になにげなく答えただけではあるが――原因であることは変わらない。
本当にごめん、と高橋里美は頭を下げた。
「別にいいよ。話を聞く限り、高橋さんはなにも謝るようようなことをしていないし」
これは高橋里美のことを気遣って言ったではなく、本当にそう思っていた。話を聞く限り、高橋里美としては知っていることをただ話しただけなわけで、なんの問題もない。
「そんなことより、これで堂々と玲香さんと話せるんだから、明日は玲香さんと挨拶だけでなく話してあげてよ。高橋さんもずっとそれをしたかったんでしょ?」
「う、うん、そうだけど……」
「じゃあ、それをしてくれたら、すべてチャラって事で」
「……いいの? そんなことで。私からしたら、『黒姫様』……いいえ、神楽坂さんと話せることは普通にやりたいことだし」
「いきなり会則がなくなかったからってすぐに話しかけられるかって言うと難しくない? たぶん、みんなで空気読みして動けなかったりしそうじゃない?」
「確かにそうかも……」
健一の懸念点に高橋里美は頷く。
「だから、誰かが最初に動かないと状況は変わらない気がするんでだよね。――玲香さん自体、人から話しかけられやすいタイプかというとそうでもないし」
「…………そっか……」
高橋里美は、なにかを納得したような表情をしていた。
「なに? 高橋さん」
「いや、なんだか、納得した」
「なにが?」
「真田君が、お義兄さんなんだってこと」
高橋里美は、茶化すような雰囲気は皆無で、至極真面目な表情だった。
「……別にそんなんじゃ……」
健一はなんだか気恥ずかしくなった。
「じゃあ、僕は行くから……」
この場は退散させてもらおう。
「うん、明日は、任せて」
健一は振り返ることが出来ず、教室を出たのだった。
――お義兄さん……か……
健一は高橋里美から言われたことを反芻する。
高橋里美から見て、健一はそんなに義兄らしく見えたのだろうか。
さすがに過大評価だろう、とは思うが、悪い気分ではなかった。
そうこうしている内に、二年C組の教室まで来ていた。
教室に入る。
教室の窓から夕陽が差し込み、机にオレンジ色の影を落としていた。
――あれ……?
もう教室内には誰もいないと思っていたが――いた。
教室の窓際の一番前の席に、ひとりの少女がたたずんでいた。
斜陽が頬を優しく照らし、その横顔はどこか遠くを見つめているようだった。
風がカーテンを揺らし、少女の艶やかな黒髪がふわりと踊る。
少女がこちらに気づき、視線を向けた。
「あら……健一さん」
「玲香さん……?」
教室にいた少女は玲香だった。
「玲香さん、まだ帰っていなかったの?」
「…………詩穂美を待っているのよ……」
玲香の話では、今日も南城高校に来ると詩穂美から連絡が来ていたとのことだ。
着いたら連絡するから教室にいてくれと言われていたのだが、一向に連絡が来ずどうしたものかと思っていたのだ。
「こちらからRINEで連絡しても既読すらつかないし……まったくなにをしているのかしら」
玲香は口をとがらせる。
「ああ」
それを聞いて健一は、先程、詩穂美が「後はまかせた」と言った意味を理解した。
本当は『愛でる会』とのことが終わったら玲香と会う予定だったということか。
だが、その予定も綾部副会長につきまとわれた結果、すぐに帰る必要があり、崩れてしまったという訳だ。
「あー、御巫さんは今日は来ないと思う……かなぁ……」
なんとも煮え切らないことを言ってしまう。
玲香は怪訝な表情をした。
「それはどういうことかしら? 健一さんはなにか知っているの?」
「知っているというかなんというか……」
旧校舎での出来事を説明するわけにもいかないので、どう言い訳をするか頭をフル回転させる。
だが、考えても何も思い浮かばない。
「なんか、僕の所にRINEが来たんだよね……」
「どうして健一さんに?」
「いやー、僕もわからないけど、きっと送る人を間違えたんじゃ無いかなー」
苦しい言い訳だ。
「…………ふーん…………」
当然、玲香はそんな健一をジト目で見ている。
だが、こちらとしては真実を言うわけには行かないので、それ以上なにも言えなかった。
そしてしばらくの後――
「まあいいわ」
玲香は嘆息し、立ち上がった。
「え」
「詩穂美は来ないんでしょう? なら帰るけれど」
「う、うん。そうだよね……」
「健一さんはどうするの?」
「いや、僕はこれから帰る準備があるから……」
実際は、準備なんてすることは何もなかった。
このままだと玲香と一緒に帰ることになってしまうので、そうならない為の言い訳だった。さすがに校内から一緒に帰るのは――校内に人がかなり少なくなったとは言え――目立ちすぎる。
玲香は、そんな健一を見て、しばらく意味深な視線を向けていたが、
「…………そう。――じゃあ、私は行くわね」
と、教室を出て行った。
教室で一人になった健一は、大きく嘆息した。
――やっぱり、玲香さん、怪しんでたよなぁ……
家に帰った時、玲香の追及をどうかわせばいいか思案する健一だった。




