第三六話 二人きりの生活 四日目⑧
登場人物紹介
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。『黒姫様を愛でる会』に我慢ならず爆発した。
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。実際は真田玲香。黒姫様と密かに呼ばれている。
御巫詩穂美:玲香の数少ない友人。お嬢様学校として名高い光華学園の生徒だが本人はお嬢様ではない。無双流という武術の使い手。健一に頼まれて再び南城高校にやってきた。
九条隆也:南城高校の生徒会会長にして『黒姫様を愛でる会』の創設者にして会長。実は『黒姫様』のこととなると冷静でいられない。健一の言葉に観念して会則の変更を宣言した。
綾部静:南城高校の生徒会副会長にして『黒姫様を愛でる会』の副会長。『過激派』のトップでもある。玲香のことは自分を含め誰も近くにいるべきでは無いと思っている。
健一は、九条会長の方に視線を向ける。
あれからずっと、九条会長が魂を抜かれたような表情をしていた。
「あの、会長……」
おもわず、声をかける。
「なんだね? 真田君。――会則の件については、心配しないでくれ。今日中に会員全員に連絡はしよう」
「いや、そこは心配していないですが……その、大丈夫ですか?」
まるでこの世の終わりのような雰囲気の九条会長を見て心配になってしまったのだ。
「……大丈夫か? と言われれば大丈夫では無いかも知れないが……約束だ。仕方あるまい」
ますますテンションが落ちていく九条会長。
「…………会長だって玲香さんに声をかけたっていいんですよ。あなたが個人的に友達になりたいのであれば好きにして構いませんし」
健一がなんとかしたかった事は、玲香と関わりたい人間を排除していたことだ。関わりたいという人がいるなら、その元凶である九条会長であろうがそれは一向に構わないと、健一は思っていた。
だが、九条会長は首を振った。
「それは……無理だ……」
「なんでですか? 僕は気にしませんから」
「いや……そうではなくて……」
九条会長は恥ずかしそうに俯きながら、
「だって……恥ずかしいじゃないか」
「は?」
「あの『黒姫様』と近くで顔を合わせることなんてとても無理だ。恥ずかしくて死んでしまう。ああ、想像しただけで呼吸が出来なくなりそうだ」
九条会長は、本当に荒い呼吸をしていた。
それを見て、健一はふと思う。
――もしかして……近づくべからずって、九条会長が近づきたくても近づけないから、決めた会則なんじゃ……
だが、それを九条会長に今更確認するのも野暮か。
「そ、そうですか、大変ですね……」
いい加減、話を終わらせて教室を出ようと思ったその時――
「ダメよ…………」
ゆらりとした動きで、九条会長の隣にいた綾部副会長が立ち上がる。
ぴったりと並べられていた机を蹴り飛ばし、こちらに近づいて来た。
「……綾部君?」
「ダメよダメ……『姫』は孤高ではなくては……ダメ。ダメ、なのよ……」
うわごとのようにつぶやく綾部副会長。
視線が定まらず、まるで幽鬼のようであった。
「どうしたんだ、綾部君。――まさか……」
「どういうことですか?」
「綾部君は、『黒姫様』を愛でることにかけては、私よりも凄くてな。誰であろうと『黒姫様』の近くにいることを絶対に許さないのだ。――自分も含めて、な。それが『過激派』たる所以だ。そんな彼女にとって会則の削除という事実を受け止めきれないのかも知れない……」
それがこの我を忘れた綾部副会長のこの姿というのか。
「なんなの、その悲しき獣は……」
綾部副会長の豹変に、ある種の戦慄を覚えていると――
「あなたさえいなければ!」
叫びとともに床を蹴り、綾部副会長が襲いかかってきた。
――え? え?
健一は呆然とそれを見ているしかなかった。
突然のことに現実感がないのだ。
その時――
「まあまあ、落ち着いて」
詩穂美が素早い動きで、健一を守るように前に立った。
――え?
健一は状況についていけていない。
「邪魔だぁぁぁぁっ!」
綾部副会長は、邪魔な相手として詩穂美を排除しようと掴みかかる。
だが、まるで舞踊のような鮮やかな動きでいなす。
そして、彼女の腕を取り――
ふわり。
健一が気づいたときには、綾部副会長が宙を舞っていた。
見事な背負い投げだった。
だが、その見事すぎる背負い投げは、固い教室の床に綾部副会長を背中から叩き付けてしまいそうだった。
「――っ」
だが、詩穂美はそうならないように腕を引き、勢いを弱めてから、背中ではなく臀部から床に落とした。
「っ!」
それでも痛かったのか、綾部副会長は声にならない悲鳴を上げていた。
あまりのことに教室内が静まりかえってしまった。
――無双流とか言っていたっけ? 武術をやってたのって本当だったんだ……
さすがに嘘とは思わなかったが、ここまでとは思わなかった。
「大丈夫?」
「う、うん……ありがとう」
「どういたしまして」
詩穂美が余裕の笑みを見せた。
「あれ…………あたし、なにをやっていたんだろう……?」
綾部副会長が自分になにが起きたかわからないのか首を傾げている。
どうやら本当に我を忘れていたようだ。
「大丈夫ですか? ごめんなさい。突然のことだったから、あまり手加減できなくて」
詩穂美が座り込んでいる綾部副会長に近づいた。
それを聞いて綾部副会長は自分がなにをしたか気づいたのだろう。
「……あたしは……なんてことを……」
ワナワナとふるえている綾部副会長に詩穂美は優しく言った。
「気にしないで。結果、誰もケガしていないんだし」
詩穂美は綾部副会長の手を取り、立ち上がらせた。
「あ、あの……ありがとう……」
何故か綾部副会長は顔を赤らめていた。
そして、おずおずと詩穂美に訊ねる。
「御巫詩穂美さん……でしたか?」
「はい、そうですけど……」
詩穂美は、先程までの雰囲気と違う綾部副会長を見て、怪訝な表情をした。
――なんだか綾部副会長の口調も態度も先程までと違う気がするんだけど……
「あの、お姉様って呼ばせてもらっていいですか?」
綾部副会長がとんでもないことを言ってきた。
その目は完全にハートになっていた。
「えっ」
詩穂美は顔を引きつらせていた。
健一からすると、いつも余裕ぶっている詩穂美の顔しか見たことはなかったので、ある意味新鮮だった。
「あの…………わたしの方が年下ですよね?」
「愛に年齢は関係ないですから」
正直、何を言っているのか意味がわからない。
だが、綾部副会長は今度は詩穂美に惚れ込んでしまったことは間違いなさそうだ。
――まあ、御巫さんなら大丈夫かな……
なにがあっても、彼女ならなんとかなるだろうと思ってしまうところがある。
とりあえず放っておこう。
「真田君……」
なんだか恨めしそうな表情でこちらを見ている気がするが、あえて気づかないフリをした。




