第三四話 二人きりの生活 四日目⑥
登場人物紹介
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。覚悟を決めて『黒姫様を愛でる会』と相対したが、やや困惑気味。
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。実際は真田玲香。黒姫様と密かに呼ばれている。
御巫詩穂美:玲香の数少ない友人。お嬢様学校として名高い光華学園の生徒だが本人はお嬢様ではない。無双流という武術の使い手。幼なじみは『異世界少年カイト』の主人公、黒崎櫂斗。
九条隆也:南城高校の生徒会会長にして『黒姫様を愛でる会』の創設者にして会長。実は『黒姫様』のこととなると冷静でいられない。
綾部静:南城高校の生徒会副会長にして『黒姫様を愛でる会』の副会長。『過激派』のトップでもある。
教室内で注目を一身に受けている中、詩穂美は微塵も臆することなく、話し始めた。
「わたしが校門前で玲香を待っている時、光華学園の制服が珍しかったのか、変に注目を集めてしまって……。その時、男性に声をかけられて困っていたところを、真田君に助けてもらったんです。そうですよね、真田君」
「……………………そ、そうなんです……」
健一はツッコミをしたい気持ちを押し殺し、頷いた。
声をかけられて困ったどころか、小林先輩のことを歯牙にもかけておらず、健一が助けるまでもなかったのだが……
詩穂美的には、昨日の詳細まで知る者はいないと踏んでの発言なのだろう。
――さすがだよね……
こういう度胸あるところを期待して、詩穂美に協力をお願いしたのだ。
*
昨日、喫茶店『ソレイユ』で詩穂美と別れ際。
詩穂美と、RINEのIDを交換していた。
もちろん、詩穂美の発案だ。
健一からそんなことを提案する甲斐性があるはずもない。
そこではIDの交換だけではなく、健一、玲香、詩穂美の三人のRINEグループも作ったぐらいだ。
ただ、その作ったグループも、詩穂美と玲香がやりとりするのみで、健一はスタンプすら押せてはいないのだが……
なんにせよ、そのおかげで昼休みに連絡が取れたのは僥倖だった。
*
「それで、お礼をしたかったので真田君を『ソレイユ』に誘ったんです。つまり、喫茶店で一緒にお茶をしていたのはわたしと真田君なんですよ。――玲香は、わたしがRINEで連絡して、後から喫茶店まで来てもらっただけで。それだけなんです」
詩穂美は肩をすくめて見せた。
――なるほど……
健一と玲香は喫茶店で会ってはいたが、二人とも詩穂美に誘われただけで、やましいことはなにもない、ということにしたのだ。
実際、多少の経緯に違いはあるが、説明していることは、ほぼ事実だった。
――まあ、実際やましいことなんてなにもないんだけど……
詩穂美に来てもらうように頼みはしたが、どのように誤魔化すかは、彼女に一任していた。故に、健一もどう説明するかは知らなかったのだ。
「それが『黒姫様』が真田君と喫茶店でお茶をしていた真相、ということですか?」
「そうですね…………って『黒姫様』?」
九条会長の発言に、詩穂美は首を傾げる。
詩穂美は玲香が南城高校でどのように呼ばれているか知らなかったようだ。まあ、玲香自身が知らないのに、詩穂美が知る由もないのは当然か。
「はい。『黒姫様を愛でる会』の間では、神楽坂玲香様をそのように呼ばせてもらっています」
九条会長はまったく悪びれることなく、それどころか誇らしそうだった。
詩穂美の方を見ると、一瞬、表情がほんのわずかに硬くなったように見えた。
だが、すぐに笑顔を見せ、
「そうですか。愛されていますね。玲香」
その物言いにはある種のニュアンスが込められていた。
だが――
「ありがとうございます。親友のあなたに言ってもらえるとありがたい」
九条会長はそれを素直に受け取ったようだ。
「………………はい、そうですね」
詩穂美はすっと目を細める。
そして、こちらをチラリと見た。
「………………」
「………………」
お互い、思うところがあるようだが言及はしなかった。
「話を戻しますが、その後、わたしと玲香で食事に行く予定だったんです。吉田屋に行こうと約束をしていて」
「……なぜ、吉田屋に? あまり女子二人で行くような場所とは思えないのですが……」
「理由は簡単で、父から吉田屋の株主優待券をもらったからです。その事を玲香に言ったら、吉田屋の牛丼を食べたことが無いとの事で。それなら一緒に行こうか、という事になったんですよ。玲香も牛丼屋に興味はあるとのことだったんで」
「ふむ……」
「だけど、喫茶店でお茶をしていた時に、わたしに急遽用事ができてしまって行けなくなったんです。もらった株主優待券の期限がすぐに切れそうで、またの機会にと言うわけにもいかず……。そこで真田君に代役を頼んだんです」
「だが、まだ会ったばかりの真田君に代役を任せるというのは……」
「話をして信用できると思ったからです。それに、玲香と真田君はクラスメイトだというじゃないですか?」
「……むぅ…………で、では、ゲームセンターについては?」
「ああ、それについても、一緒に行く予定だったんです。玲香がゲーセンも行ったことないっていうので。だから、真田君にはご迷惑をかけると思ったんですが、そちらも案内をお願いしたんです。――真田君は快く引き受けてくれました。とても感謝しています」
詩穂美はごく自然に、話し続ける。
ぶっつけ本番でよくもまあ、言えるものだ、と思う。
――そもそも丸投げする僕も悪いんだけど……
一通り説明を聞いた、九条会長は念を押すように問う。
「……なるほど……つまりは、真田君は、あなたに頼まれたから『黒姫様』と一緒にいただけということでよろしいか? 二人の間になにもない、と」
「そうですね。そう考えてもらって構いません。――そうですよね、真田君」
言ってから、詩穂美はこちらを見た。
「……は、はい。御巫さんの言う通り……です。本当にただ…………あ、案内しただけなんで……」
健一は、言いながら胸に小さなトゲが刺さったような痛みを、何故か感じていた。
「そうか。それならば良かった」
九条会長は、とても安心した表情をしていた。
最初に健一に質問した時の不安そうな表情とはまるで違っていた。
そんなに玲香と健一の関係が深いものでなかったことがうれしいのだろうか。
「そうね。これで安心して『黒姫様』を愛でることができそうね」
綾部副会長も満足そうな表情だ。
状況に一区切りが付いたからか、場の空気がふっと軽くなった。
――これで大丈夫かな……
健一と玲香のデート疑惑については、解決したと言っていいだろう。
喫茶店については、偶然知り合った詩穂美に呼ばれただけで、牛丼屋とゲームセンターについてはその詩穂美に、どうしても、と頼まれたからであり、健一と玲香の間に深い関係などない、ということになった。
今後は、表だって玲香と一緒にいなければ、このような事態に陥ることはないだろう。
「……………………」
問題解決の安堵感に包まれつつも腑に落ちない気分になる。
ここまで『愛でる会』について気を使わなくてはならないという状況に納得し難い気分になる。
本当にこれでいいのだろうか。
「それにしても、なにも無いというのは良かった」
「そうね。最初、『姫』が男といるだなんて気絶するかと思ったけど、安心した」
綾部副会長の言葉に九条会長が頷く。
「そうだな。我らが『黒姫様』はこの世に降り立った天上の輝きであり、この世の理を超越した存在。――何者も近づくことは許されない」
九条会長は立ち上がり、両手を大きく広げ、熱弁する。
あまりに大仰な発言に、健一は呆気にとられた。
まさか、ここまでの崇拝ぶりとは思っていなかった。
「『黒姫様を愛でる会』は、今後も、『黒姫様』には近づかず――近づかせず、守護り、愛でていこうじゃないか」
「会長! よく言ってくれました!」
「今後も頑張りましょう!」
『黒姫様を愛でる会』の面々から、賞賛の声が聞こえてくる。
誰も九条会長の宣言に疑問を抱いていないようだ。
これが、『黒姫様を愛でる会』なのか、と思った。
彼らが玲香のことを心底敬愛しているのは確かで、悪気が無いのはわかるが――さすがにやり過ぎではなかろうか。
その行き過ぎた崇拝とも言える好意から、玲香に近づくことを良しとはしないし、それどころか近づかせないような行動をしている。
健一がこの空き教室に呼び出されたこともそうだ。
今後も、玲香と接触する者がいれば、誰であれ、同じ事をしていくのだろう。
気に入らない――と思った。
すべてをぶち壊してやりたい――とすら思った。
――いやいや、ちょっと待って。冷静になろう。
健一は一度落ち着くべく、深呼吸を繰り返す。
だが――
胸の奥に溜まったなにかはなくならない。それどころか徐々に膨れ上がってきていた。
そんな制御できない想いに健一は戸惑う。
――僕は、なにを考えているんだ。せっかく、丸く収まったというのに……
理性的な自分は、それをやるべきでないと判断している。
だが、本能がそれを拒否していた。
健一の脳裏に玲香の顔がよぎる。
玲香と過ごした三日間が思い起こされる。
たかが、三日間とも言えるし、されど三日間、とも言えた。
過ごしようによっては、関係に変化が起こりうるだけの時間だ。
そして、関係は変わった――
――今から、僕がやろうとしていることを、玲香さんは望むかな?
わざわざ、詩穂美に頼んでまで切り抜けたというのに、自分はなにをしようとしているのか。
詩穂美のおかげで、健一は助かった。
だが、玲香の方はどうだろう。
なにも変わらない。
今後も、玲香は、『黒姫様を愛でる会』の監視の下、孤立し続けるだろう。
玲香本人の与り知らぬ所で、理由もわからずに。
もしかしたら、玲香本人は今の状況をあまり深刻に考えていないかも知れない。なにしろ、『愛でる会』の存在について微塵も気づいていないのだから。
ならば、このままで問題ないとも言える。
だが――
――僕は、気にするよ……
義兄として、玲香の今の状況を座視することはできない。
――だって、玲香さんは皆が思うような、高嶺の花じゃないんだから……
たまに笑えない冗談は言うし、家では効率重視で中学時代のジャージで過ごしたりしている。
食べるのが好きで、弁当のおかずに文句を言ったりするところとかは、あまりに本気すぎて笑ってしまう。
そんな、決して特別なんかではない普通の女の子が、玲香だ。
それを、健一は知っている。
そして、そのことを皆にも知ってもらいたい――と思った。
拳を爪が食い込むぐらいに握り込む。
勇気を振り絞り、健一は立ち上がった。
立ち上がる際、椅子が後ろにずれてギギッと音が鳴った。
その音で、一瞬場が静まりかえる。
九条会長が不可解な表情でこちらを見た。
「どうしたのかね? 真田君」
「……………………」
今更ながら、全身から血の気が引くのを感じた。
もともと人に注目されることが苦手な健一だ。教室内の全員から突き刺さる視線に全身を貫かれ、恐れおののく。
だが――
今更、後には引けない。
なけなしの勇気で、健一は立ち続ける。
「そうか。君も『黒姫様を愛でる会』に入りたいというのか? 歓迎するよ」
「違います」
健一は、九条会長の提案を一蹴した。
強い拒否反応に、九条会長は怪訝な顔をした。
「真田君、どうしたのだ?」
「すいません。先程、御巫さんが説明したことは、すべて嘘です。――僕が御巫さんに頼んで説明してもらいました」
「真田君、なにを言っているんだ――」
「僕と玲香さんは兄妹なんですよ」
言ってしまった。
もう、後戻りは、出来ない。
「………………?」
突然のカミングアウトに、九条会長は理解が追いついていないようだ。
それは、綾部副会長もその他の面々も同じようだった。
もう一度、言うしかなさそうだ。
――そうだ。
健一は、今朝、玲香としたやり取りを思い出した。
さすがにその呼び方はどうだろう、と思ったアレだ。
せっかくだ。
とことん、行こう。
「そう、僕は、玲香さんの――」
健一は大きく息を吸って、力一杯の声で叫んだ。
「お義兄ちゃんだっ!」
教室内に響き渡る絶叫に、唖然とした顔をする『愛でる会』の面々。
詩穂美は多少驚いた顔をしつつも、「やるじゃん」と言いたげな表情でこちらを見ていた。




