第二六話 二人きりの生活 三日目⑩
登場人物紹介
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。玲香に謝られて困惑中。
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。実際は真田玲香。黒姫様と密かに呼ばれている。健一に詩穂美のことを訊いたことを後悔中。
ノープランであった。
玲香を牛丼屋に誘ったことだ。
落ち込んでいる玲香を見て、どうにかしなければ、という思いだけで行動してしまった。
――玲香さんならたくさん食べさせれば元気になるだろうし……
さすがの玲香でも怒りそうなことを胸中で呟く。
正直、少し後悔はしている。
学校からはそれなりに離れている場所だが、同じ学校の誰かに見られる可能性はあるからだ。
だが、そのリスクを受け入れても、やるべきだ、と思った。
「玲香さんって、牛丼屋とか行くの?」
「行かないわ。――前にも言ったけれど、基本夕食は私が作っていたから。外食自体ほとんど行かないわ」
「そうなんだ。じゃあ、牛丼屋が嫌って訳じゃないよね」
「そうね。むしろ、牛丼は好きな方よ。よく作るもの。――それに、自分で作れば沢山食べられるし」
「なるほど……」
玲香らしい答えだな、と思った。
自動ドアをくぐる。
店内にはタレの香りがふわりと漂っている。
二人はカウンター席に並んで座った。
まだピーク時より少し前だからか、さほど混んではいないのですんなり座ることが出来た。
客層は、サラリーマンが多いか。学生はほとんどいないようで良かった。
だが、あからさまではないが、玲香が注目されていることはわかった。
どちらかと言えば男性客が多い牛丼屋に若い女性――しかも、黒髪ロングの超絶美人とくれば誰もが気になるだろう。
玲香はそんな視線などどこ吹く風だ。そもそも玲香はそういうのに気づかないようだが。かなり鈍感なのかもしれない。
「玲香さんは牛丼でいい?」
「そうね……」
玲香は、真剣な表情でメニューを見ている。
「私は、牛丼……大盛りで――いや、特盛りで」
「本当?」
大盛りは予想していたが特盛りとは。まあ、Lサイズピザを一枚以上ペロリとたべてしまうのだから、あり得るか。
「じゃあ、僕は普通に牛丼並盛りのつゆだくにしようかな……」
「つゆだく?」
「ああ、注文時に『つゆだく』っていうと牛丼のつゆを多めにしてくれるんだ。――玲香さんもする?」
「…………やめておくわ。私はご飯はつゆに浸りすぎていない方が好きだから」
「なるほど……」
そういう好みもあるか、と思った。
「じゃあ、注文するね」
健一は店員を呼び、二人分の注文をした。
玲香の方が特盛りで健一が普通盛りと聞いて、驚いていた。
――だろうね……
注文が終わり、横を見ると玲香が黒髪を後ろでまとめてポニーテールにしていた。
「丼物を食べるのに、髪の毛の事なんて気にしていられないわ」
臨戦態勢は万全のようだった。
――とりあえず、大丈夫そうかな……
先程までの深刻な雰囲気は感じない。
健一は安心した。
注文していた牛丼が届いた。
玲香に届いた特盛り牛丼と自分の並盛り牛丼を比べる。
まず、器が違う。
特盛り牛丼の器は、一回り大きかった。
「大丈夫? 食べられそう?」
「問題ないわ」
目の前の牛丼に目を輝かせて、玲香は答えた。
そしてすぐに食べ始める。
さすがにどんぶりに口をつけて掻き込むように食べたりはしないが、良いペースで食べていた。
――まあ、僕も問題ないと思っていたけど……
健一は、テーブルに置いてある紅ショウガをたっぷり牛丼に乗せた。
「あなた……なにしているの?」
玲香が紅ショウガに覆われた牛丼を見て眉をしかめる。
「いや、牛丼にはやっぱり紅ショウガでしょ」
「それにしても限度というモノがあるわよ」
「それはわかるんだけど……やっぱり欲しくなるんだよねぇ」
正直、入れすぎなのはわかっているのだが、吉田屋の牛丼には紅ショウガの酸味が欲しくなるのだ。
「私は牛丼に紅ショウガは入れたことないけれど……美味しいの?」
「僕はかなり好きかな」
「…………ふーん」
玲香は少し、興味を引いたようだ。
「玲香さんも入れてみる?」
「でも……」
「隅っこに少し入れてみればいいじゃない。ものは試しってことで」
「わかったわ」
玲香は紅ショウガを牛丼の上に少し乗せて、その紅ショウガごと、牛丼を食べてみた。
「…………」
玲香は無言だった。
「どう?」
健一が訊くと、玲香は追加で紅ショウガを少し牛丼に乗せていた。
「まあ……悪くはないわね……」
少し恥ずかしそうな玲香であった。
「良かった」
そんな玲香を見て、健一は安堵した。
義妹に、暗い顔をさせないという、義兄の役目は果たせたかな、と思った。




