第二五話 二人きりの生活 三日目⑨
登場人物紹介
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。玲香と詩穂美に挟まれ気まずい。
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。実際は真田玲香。黒姫様と密かに呼ばれている。健一とは本当の兄妹のようになれたらいいと思っている? 健一が詩穂美のことをどう思っているか気になっている。
御巫詩穂美:玲香の数少ない友人。お嬢様学校として名高い光華学園の生徒だが本人はお嬢様ではない。無双流という武術の使い手の恐い人。幼なじみは別作品の『異世界少年カイト』の主人公、黒崎櫂斗。
夕暮れ時。
健一と玲香は帰宅の途についていた。
詩穂美とは喫茶店を出てすぐに別れていた。
『そろそろ寮に戻らないとまずそう』
とのことだ。
――疲れた……
隣には、いつもの、なにを考えているかわからない表情の玲香がいる。
健一は、そんな玲香の歩調にあわせて歩いていた。
喫茶『ソレイユ』がある場所は、繁華街から外れているので、人気はあまりない。
おかげで、同級生らに見られる可能性は低そうだった。
「健一さん、今度、詩穂美と会ったらまず私に連絡して。――健一さんもあの子を相手にするのは大変だったでしょ?」
玲香の言うことはもっともだった。
御巫詩穂美という少女はいろんな意味で質は良くない。
こちらの考えている事なんて見透かしているように思え、会話のペースを握られてしまう。
実感を込めて、健一は言う。
「そうだね。なんというか……変わっているね」
「…………健一さん……」
すると玲香が神妙な顔つきでこちらを見ていた。
「な、なに、玲香さん」
「……あの……その……」
玲香にしては珍しく、歯切れが悪い。
「どうしたの?」
健一が聞き返すと、玲香は意を決したのか、口を開いた。
「健一さんって……詩穂美のことをどう思う?」
「…………え?」
思わず呆けた声を漏らす。
健一は最初、玲香がなにを言っているのか理解できなかった。
――どう思うって……どういうことだ?
突然の言葉に混乱する。
玲香はなにが言いたいのだろう。
と――
――もしかして……
ようやく玲香が言いたいことに気づいた。
「もしかして、僕が御巫さんのことを好きになったりしていないか気になってる? ――ないない。そんなこと。ありえないって。そんなこと、心配しなくても良いから」
健一は右手を振って否定した。
なるほど、と健一は思った。
大事な親友に対してアプローチをかけるのでは、と心配していたのか。
玲香も心配性だな、と思った。
「そうなの?」
玲香は不思議そうに首を傾げていた。
――いやいや、当然でしょ。
健一は胸中でツッコむ。
「そもそもなにを根拠にそんなことを思うようになったの?」
健一は逆に訊き返す。
「それはその……詩穂美は、美人で、明るいし……愛嬌もあるから」
「……そうかなぁ。美人で明るいのは認めるけど、愛嬌は……どうかなぁ」
健一としては素直に頷けない。
表面上はそう感じる部分あるかも知れないが……
「喫茶店では、二人で楽しそうに話していたわ」
「楽しそうっていうか、一方的にからかわれていたというか……」
「…………うーん……」
玲香は納得していないようだった。
健一は、玲香が何故こうも気にしているのかがわからなかった。
だから、健一は、安心させるために、はっきりと言った。
「玲香さん、心配しなくても僕が御巫さんになにかしたりしないから」
確かに、詩穂美は可愛いとは思う。
だが、それだけだ。
恋愛的に好きになるとか付き合いたいと思うことはない。
それに――
「僕なんかが、御巫さんのことを好きになったら迷惑だろうし。己の分をわきまえてはいるよ」
健一は自嘲気味に言った。
自分のような何の取り柄もない陰キャ男子は、誰かを好きになったとしても、ろくなことがない。
ならば、最初から希望を持たなければ良い。
身の程を知る――という奴だ。
夜空に輝く美しい星々に心奪われることはある。
だが、それを手に入れようと現実的に考えたりはしない――観ているだけで満足だ。
真田健一はそう、考えている。
そう考えるように――なった。
「ん?」
隣に玲香がいない。
振り返ると玲香が立ち止まっていた。
夕日を背にしているからか、玲香の表情はわからない。
「どうしたの?」
玲香の所へ歩み寄る。
「健一さん」
玲香は、真剣な表情でこちらを見ていた。
「な、なに?」
「…………健一さん……ごめんなさい」
玲香は頭を下げた。
「……なんのこと?」
健一は、首を傾げる。
なぜ謝っているのかが、健一にはわからない。
玲香は真剣な顔で言った。
「迷惑だなんて、そんなことを思っていないわ」
「え?」
一瞬、なにを言っているのかが、わからなかった。
――迷惑……って、ああ。
詩穂美のことを好きになることが迷惑だろう、と健一が言ったことか。
「それがどうしたの?」
そんな健一のあっけらかんとした声を聞き、玲香はさらに顔を曇らせた。
「……そんなことを言わせてしまって……本当にごめんなさい。私が無神経だったわ」
「え? そんなこと言う必要ないって」
何気ない一言で玲香を謝らせてしまい、健一は慌てた。
「私はただ、健一さんが詩穂美のことをどう思っているか本当に訊きたかっただけなの。他意はなかったわ」
「…………いや、だから僕は気にしていないから……」
本当に気にしていないのに、玲香がここまで深刻に捉えているとは思わなかった。
予想外の玲香の反応に、戸惑う健一であった。
――気にしすぎだよ……玲香さん……
*
玲香は後悔していた。
言わせてしまった、と思った。
そんなつもりではなかった。
ただ、健一が詩穂美のことをどう思っているか、本当に気になったからだ。
玲香の目からは、とても仲が良さそうに見えたからだ
自分でも、らしくないことをしているな、と思った。
だが――
そんな、玲香の追求が、健一にあんなことを言わせてしまった。
過去にどんな出来事があったら、『好きになったら迷惑』だとか、『己の分をわきまえている』――と平然と言えるようになるのだろう。
あまりに達観している義兄が悲しかった。
玲香が自責の念にかられていると――
「あのさあ、玲香さん」
健一が声をかけてきた。
「……なにかしら?」
一呼吸を置いて、答える。
「ちょっと言いたいことがあるんだけど」
健一は真剣な表情だった。
「……ええ、どうぞ」
なにを言われてもいいように身構える。
が――
健一は真面目くさった顔で、言った。
「お腹、減った」
「………………………………え?」
「喫茶店ではコーヒーしか飲んでないし、お腹が減って仕方ないんだよね。――今日の夕飯はなに?」
「え? ま、まだ決めていないけれど……」
「良かった。じゃあ、外で食べない?」
「……いいけれど……」
「なにが食べたい?」
「……特には……」
「じゃあ、あそこでいい?」
と、健一は少し先の大通り沿いにある赤やオレンジを基調とした看板を指差す。
「……吉田屋?」
玲香は大手牛丼チェーン店の名前を口にした。
健一は頷いた。
「まあ、とりあえず、牛丼でも食べようよ」




