第二〇話 二人きりの生活 三日目④
登場人物紹介
真田健一:主人公。陰キャ男子。玲香とは義理の兄妹。
神楽坂玲香:誕生日一日違いの義妹。実際は真田玲香。黒姫様と密かに呼ばれている。健一とは本当の兄妹のようになれたらいいと思っている。健一と高橋里美の関係が気になっている。
御巫詩穂美:玲香の数少ない友人。健一に興味津々。
高橋里美:クラスメイト。『黒姫様を愛でる会』の会員。自分は過激派ではないと思っている。意外に本音では話せる友人が少ない。
その後は、何事もなく授業を受け、放課後になった。
――さて、帰るか。
特に用事も無いので、帰宅の準備を始めた。
準備の折、ちらりと玲香の様子を見る。
玲香はまだ教室におり、今は、教卓近くで教師と話していた。
授業でわからなかったことを質問しているのだろうか。
――さすがだな……
こういう所が学年トップの成績を維持している所以なのだろう。
玲香の周囲を見ると、そんな彼女を遠巻きに見ている人々がいた。
憧れの眼差しを向けてはいるが、決して近づくことはない。
「……………………」
準備を終え、教室を出る。
ひとり、廊下を歩きながら思う。
――普通に声をかければ、玲香さんは答えてくれるのにな。
一見、超然としていて近寄りがたさはあるが、それは単に人と関わるのが得意ではないだけ。
そこは健一自身も誤解をしていたことだった。
普通に話しかけさえすれば、最初はぎこちない会話になるだろうが、徐々に、違った顔を見せてくれるはずだ。
もっとも、その一歩を踏み出すことが出来ないが故に今の状況になってしまったのだろうが。
校門を抜けようとした際、健一はそれに気づいた。
南城高校の校門前に人の輪のようなものができていた。
十数人はいるだろうか。
完全に輪というよりは、校門横の壁を囲むような半円となっていた。
輪の中心に誰かがいるのだろうか。
この時間は、帰宅部の人は既に帰っているし、部活組は部活に精を出している時間なので、校門付近が人で賑わうと言うことはあまりない。
普段起きえないなにかがあったことは確かだろう。
――なんだろう?
自分には関係ないと思いながらも、少々気にはなるのでその人の輪に加わることにした。
人の輪の隙間から、輪の中心を見やる。
校門横の壁を背に、見慣れない制服の少女がいた。
――あの制服って、確か光華学園だよな……
少女が着ているのは、この辺ではミッション系の女子高として有名な光華学園の制服だった。
ライトグレーのブレザーに、膝下まであるグレーのスカートが印象的だった。胸元には花びらを模したようなリボンをしていた。
光華学園は全寮制のいわゆる――お嬢様学校であり、平凡な公立高校に通う生徒からすれば高嶺の花とも呼ばれる存在だった。
だが、いくら高嶺の花のお嬢様といえど、これほど人の注目を集めるというのは普通ではない。
改めて少女の方を見る。
――なるほど……
人の注目を集めていたのは、光華学園のお嬢様という肩書き故ではなかった。
目の前にいる少女は、肩書き不要の存在感を示していたのだ。
その透き通った瞳はすべてを見透かしてしまうように深く、鼻は高くて端正であり顔のバランスを完璧に保っていた。
襟首まで伸びた艶やかな黒髪をさらさらと流し、柔らかな笑みを誰に向けるのでもなく浮かべている。
街を歩いていれば誰もが振り返るような、美少女であった。
それこそ、玲香に負けないぐらいの。
あまり感情を感じさせない表情が多く、美人であるが近寄りがたいタイプの玲香とは違い、人当たりの良さを感じさせた。
まさにお嬢様だった。
――しかし……凄いな……
十数人の輪に囲まれているというのに、少女は平然としていた。
あれだけ好奇の目にさらされているというのに、その視線を無視するわけでもなく、自然と受け流しているようだった。
もし健一が同じ立場だとしたら、間違いなく居たたまれなくなって退散してしまうだろう。
その時、人の輪をかき分けて、少女の方へ真っ直ぐに向かって行く人影が見えた。
――あの人は……
人影が、少女の前に立った。
金髪の学生服姿の男だ。
南城高校一のイケメンとして有名な三年の小林先輩である。
知り合いというわけではない。
良くも悪くも有名なので、一方的にこちらが知っているだけだった。
「すみません、あなたがあまりに素敵すぎて、つい声をかけてしまいました。 素敵なカフェが近くにあるんで、お茶しませんか?」
小林先輩がさわやかな笑顔で少女に声をかけた。
――すご……
まさに歯が浮くような台詞だ。とても自分には出来そうもない。
歯が浮くような台詞だが、あの小林先輩だからこそできることだろう。
実際、そんな小林先輩を見て、野次馬の中にいた女子生徒が黄色い声援を上げていた。
だが。
「……………………」
そんな中、少女は無言だった。
無視しているわけではない。
視線はしっかり小林先輩の方を向いている。
「……ねえ、聞いてる……よね?」
さしもの小林先輩も少女のそんなリアクションに戸惑っているようだった。
「……………………」
少女は言葉を発さない。
まるで値踏みをするように、小林先輩をじっと見ている。
「うっ……」
そんな少女の様子に顔を引きつらせる小林先輩。
さすがにそのリアクションは予想外だったようだ。
「どうしてしゃべってくれないのかな? ――まさか、イケメンの僕の誘いが嫌だったなんてことないよね?」
なんというか、ここまで自身満々になれるところはある意味に尊敬に値する。
「……………………」
だが、少女は言葉を発さない。
――なんか、凄いな……
普通に考えれば、見知らぬ男性に絡まれている今の状況を考えれば、戸惑いを見せるのが普通だろうに。
それこそ、光華学園のお嬢様だったら、尚のこと。
「あ、あのー、聞いてますかー?」
小林先輩はそれから頑張って声をかけているのだが、まったく相手にされていない。
なんだか、可哀想になってきた。
小林先輩のことを勝手に同情していると、不意に少女がこちらの方に視線を向けてきた。
そして、目が合う。
その時、少女は健一に対して、にっこりと笑みを見せた。
「ようやく見つけた」
少女は静かな足取りで健一の目の前に立った。
「こんにちは」
「え?」
なぜか自分に声をかけてきた。
健一は混乱した。
彼女が自分に声をかけてくる理由がわからないからだ。
「あなたが、真田健一さん?」
「え、そ、そうだけど。――ていうか、なんで僕の名前を知ってるの?」
そんな健一の質問に答えることなく、少女は続ける。
「よかったです。――では、行きましょうか」
「へ? 行くって……どこへ?」
「……ごめんなさい。急ぎすぎました。では」
と少女は改めて健一に向き直った。
そして、告げる。
「よろしければ、わたしとお茶しませんか? 良い喫茶店を知っているので」
「はぁ?」
突然の少女の誘いに呆けた返事をしてしまう健一だった。
「ちょっと待って、どういうこと……」
呆然とした顔でこちらを見ている小林先輩が言った。
周囲にいた野次馬もざわついている。
そして、健一も戸惑っている。
「……ダメ……ですか?」
「ダメというかなんというか、突然のことでなにがなにやら……」
「では、良いと言うことよろしいですか?」
「……まあ、ダメじゃないけど……」
「では、行きましょう」
「う、うん……」
そして、少女に付いていく形で、健一も歩いて行く。
歩きながらちらりと後ろを見やる。
野次馬連中が好奇の視線でこちらを見ていた。
健一のような冴えない男子生徒が、光華学園のお嬢様からお茶を誘われていると言う事実に驚いているのだろう。
――僕も驚いているしね……
だが、戸惑いつつも健一は浮かれてなどいなかった。
少女が、健一のことが男性として気になっていて声をかけてきた――などとは微塵も思っていなかった。
歩く速度を速め、少し前を歩く少女に追いついた。
「あのー」
「なんでしょう?」
「それで、僕を誘ったのはどういう理由ですか?」
「……真田さんのことが気になったから、ではダメですか?」
「それはないですよ。自分が初対面の女性から気に入られるタイプだとは思ってませんから」
「……それはあまりに卑屈では?」
「事実ですから。――だいたい、僕の名前を知っていると言うことを考えればなんらかの思惑があったの声かけということは間違いないでしょうし」
「…………」
少女は少し驚いた表情でこちらを見ている。
――ふん、これまで陰キャ人生を歩んできた僕を馬鹿にしないでもらうか。
そんな情けないことを独りごちていると――
「はははっ」
少女は笑った。
先程まで見せていた、光華学園のお嬢様らしい淑やかさとはまるで違う、明るい、からっとした笑いだった。
「え……?」
「ごめんなさい。ちょっとからかいたかったんですよ。――玲香のお義兄さんがどういうリアクションをするのか知りたかったから」
「え? え?」
玲香の名前が出て、さらに混乱する。
「御巫詩穂美です。神楽坂――じゃなかった。真田玲香の親友やってます。よろしく、お義兄さん」
*
「そんな! このイケメンの僕が断られるなんて……。信じられない。どうやら彼女には僕の魅力をわかってもらえなかったみたいだ……」
小林裕太は悲しそうな顔で俯いている。
だが、そんな表情もわずかな時間だった。
すぐに顔を上げ、いつもの爽やかな笑顔に戻った。
「ようし、もっと魅力を高めて再挑戦だ!」
このあっさりフラれてもめげないポジティブさが小林裕太の魅力――なのかも知れない。




