序章【世界の裏側の会話】
表現するならば、そこは『深淵』だろうか。
どこに視線を向けても光すら差さない、平衡感覚を狂わせる闇の中。他人の呼吸さえも認知できない静謐に満たされた空間に、パッと小さな明かりが灯る。
明かりの正体はスマートフォンだった。深い闇を照らすように人工的な光を漏らす液晶画面には、どこかのニュース番組が映っている。今まさにテレビカメラが高速道路を映し出し、物凄い速度で走り去っていくタクシーを追いかけていた。
そのタクシーが急ブレーキを踏み、中から人が降りてくる。片方は金髪の男、もう1人は黒いレインコートを着た青年だ。
『ご覧ください、あれが【OD】です。あ、武器も携帯している模様です』
アナウンサーの焦ったような声が、スマートフォンのスピーカーから流れてくる。
画面に映る金髪の男が、長大な白い狙撃銃を構えていた。狙撃銃をわざわざ純白にカラーリングするとは特殊である。狙撃銃を用いるならば明細するべきだろうに。
いいや、それよりも。注目すべきは彼の隣にいる黒いレインコートの青年だ。何をする訳でもなく純白の狙撃銃を扱う男の隣に控えているが、その姿に見覚えがあった。
ニィ、と闇に白い歯が浮かぶ。
「見つけたぞ」
かつて、組織から抜けた諜報官。
行方を眩ませ、同胞を何人も殺害し、今もなおぬけぬけと生きている生粋の狂人。その優秀さには目をかけていたのだが、気分屋な部分は許容できなかった。
その元諜報官が、今ここにいる。
「織部理央、今度こそ殺してやる」