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紙杯の騎士  作者: 信野木常
第1話 君の選択、僕の選択
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1-5 ヒルコ

 窓際の空き座席で、メイハは頬杖をつきつつ何の気なしに外を眺めていた。テスト前期間なので部活に励む生徒の姿もなく、沈みゆく西日が校庭の白いトラックを橙色に照らしている。

 午後4時30分に、二年一組の教室で待っている。

 朝の下駄箱に入っていた手紙は、そんな一行で結ばれていた。

 前倒しにできるものならして、さっさと終わらせたかった。なのでメイハは四時過ぎからこの校舎三階、誰もいない二年一組の教室で、手紙の主を待っていた。確か署名に石崎、とか書いてあった気がする。下の名前は憶えてなかった。顔も特に知らない。名前は男のもの、だった気がする。

 御幡家で暮らし始めて、まともに学校に通えるようになったのは2年以上経ってからだった。あの頃は読み書きはおろか、言葉もまともに話せなかったのだから無理もない。辛抱強く教えてくれたシグ姉さんや施設の山城先生には、今でも頭が上がらない。通い始めた小学校はすぐに卒業の年齢になり、ケイと一緒に一般校中等部に上がった頃からだろうか。たまに下駄箱や机に呼び出しの手紙が入っていたり、あるいは直接どこかに呼び出されたりするようになったのは。

 呼び出しの主に会ってみて、皆一様に口にするのは「好きだ」「好きです」あるいは「付き合ってほしい」とかそんな感じの言葉だ。

 初めて呼び出されて「好きだ」と言われた時、言葉の意味がわからずどう対応したら良いのかわからず、「返答まで時間をくれ」と言って帰宅しシグ姉さんに相談した。「あの男子の言う『好き』とはどういうことか?」と。

 シグ姉さんはひとしきり頭を抱えて悩んだ後、答えてくれた。「誰かを『好き』にもいろいろあるけれど、まずはずっと一緒にいたいと思うことよ」と。

 なるほど、それならよくわかる。さすがはシグ姉さんだと感心した。ケイとアヤハ、ハル母さんとコウ父さんとシグ姉さんとはずっと一緒にいたい。それが好きということか。すごく納得して、居合わせたケイに向かって好きだと言ったら、耳を赤くして慌てふためいていた。その姿を見て、なんだかちょっと胸の辺りがふわふわと暖かくなったことを憶えている。

 ということは、特に一緒にいたくない相手は、好きではないということだ。なので翌日「ワタシは好きではないから、オマエと付き合うとかしない」と言ってやったら、その男子は膝から崩れ落ちた。何がそれほどショックだったのか、よくわからない。確かにケイに「好きではない」と言われたらと思うと、胸に氷が差し込まれたような嫌な感じになる。それはわかる。しかし、この男子はそれまで、顔も名前も知らなかったニンゲンだ。

 そんなことが幾度かあって、結局わかったのは、自分の見た目は人に好意を持たれやすいということ。同じような状況の妹、アヤハに言わせれば「彼らは、わたしたちの外見に欲情している。要するに交尾、生殖活動をしたがっているんです」ということらしい。全くもって面倒なことだ。雌など他にも、他にいくらでもいるだろうに。

 今度も同じ類だろう。メイハが断りの文言を考えていると、教室の扉が開いて男子が一人、入ってきた。

「ああ、来てくれたんだな。嬉しいよ」扉を閉めた男子は壇上に立つと、座席のメイハを見下ろして言った。「俺は石崎シンゴ。単刀直入に言おう。俺のパートナーにならないか?」

 これは初めてのパターンだな、メイハは席から立ち上がりながら男子を観察する。自分よりもやや高い身長に、ほどよく鍛えられた筋肉が学生服の上からでもわかる。顔は、テレビで見かける男の俳優のような感じで、まあ女子受けするのだろうとは思う。見覚えは全くない。中等部からの友人マキに「ほんっとにゴメン。義理のある先輩の伝手の頼み事でさ。会うだけ会ってくんない? 即、断って構わないし。つーか断れ。あたしもメイとミハタっちの同い年おねショタ見てる方が捗るしさー」と拝み倒されて来たのだが、なんだか思っていたより面倒なことになりそうだ。次に会ったら、ひらの屋のクレープ奢らせてやる。

「パートナー、とは?」

 メイハが疑問を口にすると、石崎何某は自信に満ちた言葉で答える。

「公私ともに、勉学に励み切磋琢磨し、共に都立学校を目指そう。そしてゆくゆくは俺と生涯を共にしてほしい」

「何でワタシが、オ……」オマエなんかと、と言いかけてメイハは言葉を直す。初対面の相手には丁寧に話せ、と随分教えられてきた。「石崎、サンと? そもそもワタシは成績は良くない。相応しくなかろう」

 メイハの学業成績は、体育を除く全科目が毎回平均点前後をうろうろしているレベルだ。普通に勉強してそのレベルなのだから、取り立てて頭は良くない。穏便に諦めてくれるなら、それに越したことはない。そう思っての発言だったが、石崎何某の答えはメイハの想像の上を行っていた。

「しかるべき教育を受ければ、君はもっと羽ばたける。だって、"君も、遺伝子調整者"なんだろう?」

 予想外の言葉にメイハは一瞬、顔を強張らせる。無意識に右手をブレザーのポケットに入れ、中のくしゃくしゃになった紙カップを握っていた。刹那で緊張は解ける。何を知っているのだ? この男は。

 険しい視線から疑念を感じ取ったのか。石崎何某は説明するように言葉を続ける。

「そう恐い顔をしないでくれ。見ればわかるさ。君は、俺と同じ遺伝子調整者だと」

 ああ、そういうことかとメイハは理解する。確かに、見る者が見ればわかるのだ。遺伝子調整を受けた者は、えてして飛びぬけて整った容姿を持つ。遺伝子提供者、即ち親がそのように望み、設計を依頼するからだ。容姿だけではない、知能、身体能力、運動センスから性格に至るまで、発現限界の範囲内であれば、生まれる子の身体と能力を自由にデザインできる。親に資金と、ある種の賭けに臨む意志があれば。

「ならオマエもわかるだろう」メイハは言った。「ここにいる時点でただの失敗作、なり損ない、不完全発現者ヒルコだ。ワタシも、オマエも」

 遺伝子調整は、受けた者全てに設計された形質が発現するわけではなかった。設計が全て発現する確率は70パーセント前後だと言われている。残りの30パーセントほどは一部の発現に留まったり、あるいは重篤な障碍を伴って生まれる。この30パーセントに入った者はいつの頃からか、ヒルコと呼ばれた。

「俺はヒルコなんかじゃない!」"ヒルコ"の単語が心の地雷を踏みぬいたのか。石崎何某が激昂した。「まだ発現してないだけだ。成長期が終わるまでは、要観察対象のはずだ。だから俺は……」

 そんなことを、メイハも聞いたことはあった。以前シグ姉さんが似たようなことを言っていた。四歳時の発現確認審査以降も、遺伝子調整者の能力を測るチェックが、一般校でのテストや体力測定、健康診断に密かに組み込まれていると。シグ姉さんは隣の学区で史学の教員として勤めている。そのため、そんなことも知っていた。教育関係者の間では、公然の秘密らしい。

 メイハにとっては、心底どうでもいいことだった。少々体が丈夫なだけで、他に何も発現しなかったワタシはまだマシだ。妹のアヤハは遺伝子調整のせいで、視力に大きな障碍と変形を負った。遺伝子調整技術なぞを生み出し、持て囃し、望む者など苦しみぬいてくたばれとしか思わない。

 少々動揺はさせられたものの、この石崎何某も結局のところ、これまで自分を呼び出した男子と大して変わらない。見た目に惹かれて寄ってきただけだ。別にこちらは興味もない。ならば言うべきことは決まっている。

 メイハが口を開こうとしたその時、窓の外からけたたましいサイレンの音が飛び込んできた。続けて、無線放送塔の音声が地域一帯に鳴り響く。


 緊急放送です。本日、午後4時30分頃、都市防衛システムの異常が検知されました。住民の方々は、所定の避難経路に従って速やかに近隣のシェルターへ避難してください。繰り返します。本日、午後……


 放送の内容からすると、どうやら避難訓練ではないらしい。ネリマ市の防衛システムも完全ではないため、半年に一度くらいは界獣の接近があり住民の避難が起こる。メイハも幾度となく、御幡の家族とシェルターへ避難したものだった。幸い海浜警備隊によって界獣は常に撃退されてきたため、いい実地訓練にもなってるよねと皆で笑ったものだ。

 今回もそんなところだろう。しかし万一のこともある。アヤハを回収して早くケイたちと合流せねば。

「ワタシに、そのパートナーとやらになるつもりはない」口早に言って、メイハは机に置いたバックパックを左肩にかけた。「もう用はないな。ワタシは帰る」

「待ってくれ、俺は……」

 石崎何某が壇上から大股に歩み寄ってくる。非常事態なのに何を言っているんだコレは。苛ついたメイハは手前の机の縁に右手をかけると、手首のスナップで宙に放り上げた。


 石崎シンゴの視界が机の天板で覆い尽くされる。次の瞬間ガタンと大きな音を立てて机は落ち、視界はすぐに取り戻された。が

「……え?」

 見回しても、教室のどこにもメイハの姿はなかった。前後の扉は開いた様子もなく閉まったままだ。

 開いた窓からの風を受けて、白いカーテンだけが揺れている。

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