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紙杯の騎士  作者: 信野木常
第6話 不可触領域
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6-7 誓約

 ケイがその意志を告げた時、父は驚き、嘆き、怒り、ありとあらゆる激しい感情が混じって噴き出したような顔をした。

「な、許すわけないだろうそんなこと!」父、コウはケイの左手首を掴む。「すぐに帰るぞ! おまえはまだ学生だ。界獣のことは海浜警備隊に任せるんだ」

 ネリマ保安部施設の病室で、父と息子は対面した。緊急事態下において、父は当然、息子を連れて安全な場所へと逃げようとする。

 掴まれた左手の力強さが、ケイには嬉しい。でも、と思う。

「ウルスラの話を聞いてただろ、父さん。海浜警備隊だけじゃ、あの界獣、怪物は倒せないって」

「ご子息の言葉どおりです。父君ちちぎみ」ケイの横で、ウルスラは言った。「迫る災禍の源、クトゥルーの〈落とし仔〉は、ご子息の剣でなければ届かぬ敵です」

「だからと言って……」苦みを堪えるような表情を浮かべて、父は尚も言い募る。「その剣とやらを扱うのは、ケイでなければならないのか? もっと、そう、大人の適任者はいないのか?」

「いません」ウルスラは即答した。冷然と。「私が選び、彼が選んだ。剣は選択の元にある。"選ばれる者"の元にはない。では逆に問いましょう父君。いったいどれだけ歳月を重ねれば、その命の価値は変わるのか」

 それは暗に告げていた。家族以外の者が戦いに赴くのは構わないのか、と。

「少し意地の悪い問いでしたね」言葉に詰まる父と姉を前に、ウルスラは少し目を伏せる。「謝罪しましょう。ご家族ならば、抱いて当然の思いです」

「できることが、あるんだ」父と姉を交互に見つめて、ケイは告げる。自らの選択を。上手い言葉が見つからなくて、もどかしいけれど。「だからやる。できることの最大限を。幾度もやってくる理不尽を、ただ受け入れ続けるのはもう嫌だ。選べるなら、選ぶのなら」

 母が病に倒れた時から、ずっと胸にあるこれを、八つ当たりじみたそれを、言い表すならきっと怒りが最も近い。

「理不尽を切り拓く道を、僕は選ぶ」

 激しさを含んだ沈黙が病室を支配する。上手く伝わっただろうか、とケイがもう一度口を開こうとしたその時

「メイハとアヤハはどうするの?」思いがけないことを、姉が問うた。「あの子たち、怒るわよきっと」

 瓦礫の山で、何もできない自分が嫌で、逃げ込んだ先で出会った二人。あの時だって結局、父が海浜警備隊に通報していてくれなかったら、三人まとめて死んでいた。もっと早く、父に姉に相談すべきだったのだ。

 今はもう、二人には父さん姉さんも、山城先生もカコちゃんもタケヤも大倉さんもいる。だから、きっと大丈夫だ。

「メイハにはちゃんと勉強しなって、アヤハにはピーマンとかセロリとか苦いものも食べるように言っておいて」

 ケイが言伝を頼むと、姉は深い深い溜息をついてから言った。

「諦めましょう、父さん」

「シグネ?」

「これはダメだわ」姉はケイに近寄ると、手首を掴む父の手に触れる。「きっとこの子、手足を失くしても這って行ってしまう。思いきったら何をされても止まらない。母さんと一緒よ」

 父が目を閉じて、開けた。激しい感情はなりを潜めて、替わりにひどく苦し気な表情が浮かぶ。まるで自身の身体の一部を、今まさにもぎ取られてでもいるかのような。

 ケイはその表情をかつて見たことがあった。それは二度。医師に母の病名を告げられた時と、母の心音が止まった時だ。

「勘違いするなよケイ」言う父の手が、静かに解かれてゆく。「戻ったら半年は無給で店を手伝わせるからな。それとウルスラさん、だったか」

「はい」

「ケイのことを、頼みます」父はウルスラに向かって深く頭を下げた。「あなたはミスティックレイスだ。人知を超えた知識と力をお持ちのはずだ。だからどうか、どうか、この子のことを助けてやってください」

「頭を上げてください、父君」ウルスラは父が頭を上げたのを見とめると、天を仰いで朗々と、歌い上げるように言葉を紡ぐ。「今ここに、アーサラ・アウレリアナは蒼天にかけて誓う。〈星に届く手〉のケイを、持ちうるすべてをかけて助力することを。もし、われこの誓いを破ることあらば、大地よ裂けてわれを呑み込め。海よ押しよせてわれを溺れさせよ。天の星よわれに落ちてわが命を絶て」

 何かの誓い、なのだろう。ケイには後に続いた言葉の意図がわからなかった。何かとても重大なことを言っているらしいことしか、わからない。

 ただこの場で、姉のシグネだけはウルスラの意図を察したようで。

誓約ゲッシュね……」姉が問いかける。「本当にいいの?」

「もちろん!」

 答えたウルスラは、ケイがこれまで見たこともないほど、とびっきりの笑顔だ。




* * * * *




 ケイとウルスラが、再突入の準備のために病室を去った。次はメイハとアヤハを引き取りに行かねばなならない。さて、ケイがいないことを何と説明したらいいのやら。シグネは頭を悩ませながら、父と二人で病室の扉を抜けた。すると

「御幡さんですね?」

 勢いこんで、海浜警備隊員の一人が駆けつけてくる。相当急いで来たのか、大きく肩で息をしているのがわかる。果たして何事があったのか。今さら、弟が妖精と怪物退治に向かうこと以上に、驚くことなんてない。

「はい、御幡ですけど」生半可なことでは動揺しないつもりで、シグネは訊いた。 「どうしました?」

「その、大変申し上げ難いことなんですが」海浜警備隊員は息を継いで、言った。「玖成メイハさんとアヤハさんが、この建物を脱走しました」

「「は?」」

 父と二人、シグネは素っ頓狂な声を出していた。




* * * * *




 天井の崩れた箇所から、月あかりがこぼれてくる。

 左肩に刺さった針を抜いて放り捨てると、メイハは周囲を見渡した。目が慣れてくると、月と星の僅かな光の下に浮かび上がってくる。瓦礫の小山に、かつてアヤハを抱えて眠った巣穴が。何度訪れても、時が止まったように、ここはあの日から変わっていない。

 危険物の除去が終わらず、再開発からも見放されたネリマ市第六封鎖地区。ここの開発が進められないのは、この街の防衛システム、結界の、消せない綻びがここに常に発生しているからだと、アヤハは言っていた。また、だからこそ都合がよかった、とも。



『止まらないんですね、ケイ兄さん』収監室で、人知を超えた感覚でケイの言葉を聴き取ったアヤハは姉妹のことばで言った。『あの界獣を滅ぼすまで……』

 明日、ケイはアヤハの言う〈大きく、強く、底知れぬほど深く、臨めぬほど高いモノ〉を滅ぼしに向かう。あのこまっしゃくれた赤毛の小娘とともに。

 させるものか、とメイハは収監室の扉を破壊した。そのままアヤハの誘導でケイの元に向かおうとしたところで

『姉さん、行先は兄さんのところじゃありません』

 袖を引かれて止められた。

『何故だアヤハ!』鳴り響くサイレンに負けじとメイハは叫ぶ。『ケイを連れ戻すんじゃないのか!?』

『連れ戻しますよ! 決まってます!』アヤハも叫ぶように答えた。『でもそれは今じゃない。今、連れ戻しても、きっと兄さんは行ってしまう。あの女に、妖精に仕向けられてるとわかってても。そういう人だって、姉さんだって知ってるじゃないですか』

「む……」

 メイハは唸る。ケイはそういうやつだと、ワタシはきっと誰よりも知っている。ケイがそういうやつでなかったら、きっと汚いけだもの二匹など、飢えて凍えて死ぬまで放っておかれたことだろう。

 遠く駆け足の音が聞こえてくる。恐らく警備の人間がここに向かっている。焦るメイハに、アヤハは告げた。

「滅ぼしましょう、姉さん」ニホン語で発されたその言葉は、深く冷たい音がした。「兄さんが立ち向かうもの全てを。兄さんが戦う必要がないように。もちろん簡単なことじゃないです。でも、今のわたしたちならできる」

 アヤハは目を閉じ、開けた。その眼窩に眼球はなく、替わりに暗黒の虚空と煌めく紅い宝石のような星々が在る。メイハだけが知っている、アヤハが全力で星辰の力をみる時の姿だ。妹に普通の人間の目はない。普段は星々の紅い光を捻じ曲げて、瞳のように見せかけているだけだった。

「……そうか」メイハは頷くと、アヤハの身を左腕に抱えた。「そうだな。やろう」

 発現したこの身の力は、遺伝子提供者の意図と引き換えに与えられたものなのか。けれど使い方を選べば、きっとケイを、あのあたたかなカップの手を護る力になる。いや、力にするのだ。

『いったん下がって、右へ向かってください』

 アヤハのことばに従って、メイハは後ろに、元の収監室に跳ぶ。目の前を小さな何かが二つ、高速で飛んでいった。見送ってすぐ、扉を抜けて右へ駆け出す。タンと乾いた音に続いて、何かが左肩にチクリと刺さった。その瞬間、左腕が痺れてアヤハを離しかける。なんとか堪え、右手で肩とつながるワイヤーを掴むと、手首を回して捩じり切った。

 妹を抱え直して、また走り出す。その指示に従い右、右、直進して左へ。非常口を抜け外の階段に出る。見下ろす地上は二階層下。メイハはアヤハを抱えたまま、迷わずその身を宙に躍らせ壁面を駆け降った。



 封鎖された遊園地跡には、かつての戦い、失地回復戦で使われた兵器、祭器の残骸が無数に落ちていた。

 宿曜書士資格の勉強に必要なのだとせがまれて、メイハは放課後に幾度となくアヤハを連れてこの場所に足を運んだ。フェンスさえ抜ければ監視の目もなく、大きな音を立てても誰も来ない。おまけに参考資料や材料はそこら中に散らばっている。宿曜文や星図の自習にはうってつけの場所とも言えた。界獣に襲われる可能性にさえ目をつぶれば。

「宿曜炉さえ生きてれば」アヤハは家から持ち込んだノートPCのキーを、目にも止まらぬ速さで叩く。「復元できます。わたしなら」

 ノートPCにつながるケーブルの一端は、瓦礫の小山に突っ込まれていた。

 カラン、と瓦礫の一片が小山を転がり落ちる。またカランと落ちて、また落ちて。次々に瓦礫の欠片が落ち、やがてガラガラと大きな音を立てて小山が崩れ去った。

 舞い上がる粉塵に、メイハは腕を目前にかざす。徐々に粉塵の煙は落ち着いて、月明りの視界が戻ってくる。

「!?」

 腕を下ろしたメイハの前に、巨大な鎧武者が屈んでいた。普段使いの丁種ヨロイと異なる武骨なフォルムから、これが純粋に界獣との戦闘に特化した傀体なのだとわかる。黒一色の全身の中で、左肩の装甲にのみ白く"伍"の字が刻まれていた。

「方術甲冑コンゴウ。20年前、失地回復戦に投入された、ニホンで最初の甲種方術甲冑です……おや?」

 アヤハが何かに気づく。すぐに、りぃん、と小さくも綺麗な鈴の音のような音が空間を満たした。粉塵が鎮まってくると、その音の源が見えてくる。ぃいん…りぃぃいん……と、それはほんのわずかな、埃ほどの大きさの塵を受けて鳴る。

 コンゴウの足元に、方術甲冑のサイズをしてなお巨大な緋色の大剣が、その刀身半ばまでを地面に埋めて突き立っていた。

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