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紙杯の騎士  作者: 信野木常
第1話 君の選択、僕の選択
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1-3 方術甲冑

 六限の終了を告げるチャイムが鳴る。今日の一年二組の日直、竹科さんの起立、礼の号令の後、教室内はすぐに気の抜けた空気に変わった。

「中間考査近いんだからな。遊んでないで勉強しろよー」

 去り際の教師の言葉など何処吹く風と受け流し、生徒たちは「今日どこ寄ってくー」「カラオケ行かない?」「いや俺バンドの練習あるし」「部活禁止期間だろ?」「いやでも外で場所借りると高いし」等々と話に興じ、校舎の内外へと各々勝手に散ってゆく。

 ケイも教科書とノートをバックパックに詰める。店の手伝いに帰らねばならない。今日は本屋でも寄って、乙種方術甲冑繰傀技能試験と危険生物取扱者乙種資格の参考書、ついでに趣味の小説本でも物色しようと考えていたのだけれど。

 ま、明日でもいいかと考えながら、ケイがバックパックを左肩にかけて席を後にすると

「お、ケーやんも帰りか?」同じく帰り支度を整えたタケヤが声をかけてきた。「ついでにうちの近くまで乗せてってくれんかの。今度、鮮度のいいアジ融通するさかいに」

「いいけど、ヘルメット持ってる?」

「もちろんや!」

 タケヤはバックパックから自転車、バイク、ヨロイ兼用のコンパクトヘルメットを取り出して見せた。

 教室を出てリノリウムの廊下を歩きながら、ケイも同じコンパクトヘルメットを取り出す。弁当箱ほどのサイズのそれは、展開すると頭全体を覆う防護ヘルメットとなる。ヨロイ、即ち方術甲冑に搭乗して公道・水上を移動する際は、繰傀者も同乗者もヘルメットを装着することが、道交法で定められていた。

「タケヤも丁種ヨロイの免許、取ればいいのに」

「繰傀はともかく、法規憶えるの面倒でなー」

 教室のある三階から、階段を下りて一階へ。玄関へ向かう途中、向かいから四人組の女子の集団が歩いてきた。緑のタイは中等部女子の、襟の双葉のバッヂは二年生の証だ。内二人は、ケイのよく見知った人物で。

「お、やっぱりケーやんだったわ」

 ポニーテールを跳ねるように動かす元気娘は、タケヤの妹のカコだ。そしてもう一人。

「兄さん」

 安堵したような声音で口を開くのは、メイハの妹で、ケイにとっても妹のような少女。アヤハだ。

 編み下ろしにした長い黒髪が腰の辺りでかすかに揺れ、その姉と似た美貌が少しだけ曇る。瞳の色は薄い褐色で、角度によっては、特に今のように午後の陽射しを受けると紅に見えることがある。

「すみません。姉さんが……」

「いいからいいから。メイハやアヤハのせいじゃないしさ」

 ケイは殊更安心させるように言った。アヤハは生まれついて視力が極端に低く、今も恐らくケイの顔の表情などほとんど見えていない。その分、彼女は耳の感覚が鋭く、声音で人の態度や感情を推し量ることができた。

「アーやんもメーやんもようモテるし、ケーやんも大変やな」

 事情を知っているのか、にししとからかってくるカコの面立ちは、兄妹だけあって兄のタケヤとよく似ている。

 メイハとアヤハが男子にモテても、健全なお付き合いをしてくれれば別に……と、ケイは思う、兄のような者としては。まあ確かに近頃は二人とも出るところも出てきて、夕食時や風呂上がりの時などにラフな格好をされると、目のやり場に困ることも多々あって、不埒な輩にかどわかされやしないかと心配になることもよくあって。

「大丈夫ですよ、兄さん。ちゃんと姉さんと帰りますから」アヤハが言った。ケイの思いを知ってか知らずか。「兄さんもですよ? 安全繰傀を心がけてください」

「ん、わかった」

 心配の相手に逆に心を砕かれてしまい、ケイは内心ちょっと情けなくなる。僕ももっとしっかりしないとなあ。

「なんやアーやん、嬉しそうやの。声弾んどるし」

 からかうカコに、つんと上向き、アヤハが答える。

「別に、ふつうです」

「これからみんなで勉強会するんや」カコがケイに向かって言った。「アーやんのことはウチらが守ったるさかい、安心してええで。野郎どもは近寄らせへん」

 仲の良い友人なのだろう。カコと二人の女子が任せろとばかりにうんうんと頷く。

 幼馴染の少女が順調に友人関係を築いていることがわかって、ケイは嬉しいような安心したような、ほんの少しだけ寂しいような、なんとも言えない気持ちになる。初めて見たときはボロボロの毛布にくるまって小さくやせ細ってて、今にも死んでしまいそうだったから。

「僕は先に帰って店に出るから。あまり遅くならないようにね。メイハにも言っておいて」

「はい。ケイ兄さん」

 アヤハの返事を聞きながら、ケイはヘルメットを展開し、被る。

「カコも気ぃつけて帰るんやで。バスに乗り遅れんようにな」

「なんや兄ちゃん。おったんか?」

 タケヤの言葉に、カコが初めて気づいたとばかりに驚いて見せた。

「最初からずっとおったわ!」

 いいなあカンサイのボケとツッコミ。そんなことを思いつつ、ケイはヘルメットのストラップを調整しながら第一校舎玄関へと歩き出した。まあタケヤも漫才を早々に切り上げて来るだろう。

 下足箱でスニーカーに履き替えて、玄関を出て学生用の駐輪場を抜けると、ヨロイ、即ち方術甲冑で通学・通勤する学生と教員用の発着場に出る。発着場とは言っても、駐輪場のようなレーンや屋根があったりはしない。アスファルトに白線が枠として引かれただけの、ただの広場だ。

 ケイは空いた白枠で区切られたスペースに入ると、バックパックから70センチほどの円筒を取り出した。円筒の鈍い銀色の表面には、大きく"丁"の黒字が楷書体で彫り込まれている。ケイは円筒を仕切られた枠の中央に立てると、円筒の端から出た組紐を引く。途端にギュルンと円筒の芯軸が回転を開始し、筒の中央から上に向かって円柱が昇る。その長さはおおよそ2メートル。伸びた円柱は脊椎状にたわみ、枝分かれして四肢と頭部を形作り始める。その後を追うように円筒からびっしりと文字と図形の書かれた巻物が飛び出し、先行した円柱と枝柱にぐるぐると巻き付いてゆく。巻物は幾重にも重なり腕、脚、頭を形成し、ものの二分ほどで全長4メートルほどの、跪く巨人の姿となった。その様を見て、ケイは思う。武者然とした甲種や乙種と比べると貧相で、敗残の足軽というか落ち武者みたいなんだよなあ。

 頭部や肩、膝、胸と腹といった要所に申し訳程度に装甲が付いているものの、大きく空いた隙間から、重なった巻物の文字と図形が覗き見える。少しでも攻撃を受けたらすぐにバラバラに砕け散ってしまいそうだった。そう思って見ると、重なった巻物の部分も負傷に巻かれた包帯のように見えて、ますます弱々しく見える。このヨロイは運送や軽作業を主な用途とする丁種なので、強い必要など全くないのだけれど。

 二階級上の乙種、三階級上の甲種は武装祭器として今もニホンの人々を護っている。丁種とはいえ、本来は界獣を殲滅、撃退するために、ニホンのミスティックレイス"キシン"の技術から造られたモノだと思うと、もう少しどうにかしてほしいなと思ってしまう。いつ何があるかなんて、誰にもわからないのだから。

 ケイはふと自問する。どうにかしてほしいって、何をさ?

 思考の沼に落ちかけた時、タケヤがやってきた。

「お、発進準備おーけーやな」

「まだだよ。星図を入れてない」

 ケイはバックパックから、今度は40センチほどの円柱を取り出すと、ヨロイの腰部にある挿入口に差し入れ、留め具を下した。小さな回転音が鳴り始め、ヨロイの頭部、面頬の目庇に当たる部分に青い明かりが灯る。

 星図は、方術甲冑に動力を伝えるその時々の星辰の座標を宿曜文で記した巻物だ。装着された星図に記された期間のみ、方術甲冑は稼働できる。方術甲冑、あるいはその元となった星辰装甲の動力、あるいはその構成物質すらも、星々の力を源とするのだと言う。星々の力は刻一刻と流れを変える川のようなもので、その時々に合わせた正確な星々の座標を宿曜転換炉―エンジンのようなものに設定してやらないと、方術甲冑は動かない……と、ケイとメイハは丁種方術甲冑繰傀技能資格試験の勉強中、アヤハから教えてもらったことがあった。

 この星図は国家資格"宿曜書士"の資格取得者のみが書き、販売することができる。界獣の出現により海上輸送が高リスクなものとなり、火力や電力といったエネルギーの枯渇が問題となっているニホンにおいて、新たな動力源と目される星図を書ける者は重用され高額な報酬が見込める。そのため人気の資格だったが、合格率八パーセント以下の超難関資格でもあった。

 アヤハはこの宿曜書士資格取得を目指して勉強中である。彼女が試しに書いた星図をヨロイに入れたら問題なく動いたので、ケイは年下の妹分の合格を確信していた。ちなみに無資格者の書いた星図を使う行為は違法であり、罪に問われる。二年以下の懲役または50万円以下の罰金。自身の書いた星図で動くヨロイを前にした時、「これ、試験に出ます」と言って、アヤハは視力矯正ゴーグルを外して微笑んだ。

 更にもう一本、ケイは円柱を取り出しヨロイの腰部にある小型スリットに入れる。するとヨロイの背面に枝柱が突き出し、展開して二座席分の簡易シートになった。丁種と乙種の方術甲冑は汎用傀体の側面を持ち、アタッチメントの宿曜文を入れて機能を拡張できる。この追加の簡易シートもその一つだ。

 ケイはヨロイの背中によじ登ると、そこに空いた空洞に体を入れる。内部構造がすぐに四肢と体幹にフィットし、ヨロイの手足を己が手足のように感じられるようになる。背面の装甲を閉じれば、ヨロイの中に全身が収まった形になる。

「タケヤ、乗って」

「おうよ」

 ケイがスピーカー越しに言うと、タケヤがヨロイをよじ登る。タケヤが簡易座席に腰を落ち着けたことを確認すると、ケイはヨロイを立ち上がらせて歩き出した。公的施設の敷地内は歩行が定められているのだ。発着場を、まだまだ多い生徒たちに注意しながら通り抜け、校門を出るとゆっくり速度を上げてゆく。

 公道を走るのは、ケイたちのような通勤通学者の駆る丁種ヨロイが二割、より大型の貨物車両を引く運送用乙種ヨロイが三割程度で、残りは水上航行も可能なフロート付き電気自動車、バス、トラックだった。

 5分ほども駆けると、車もヨロイも少なくなってくる。首都キョウトを遠く離れたトウキョウ圏のネリマ市は田舎だ。首都がトウキョウだった頃のベッドタウンとしての面影は、半ばまで水没し、いまだに撤去の目途の立たないマンションや団地の廃墟だけだ。

 道路のアスファルトが途切れ、海水に没する。自動車はフロート航行に切り替えるが、ケイはそのまま突き進む。方術甲冑はその特性として、水面を沈むことなく、あたかもそこが不動の大地であるかのように歩行・走行することができる。大海嘯によって多くの街が水没した今のニホンで、ヨロイの需要が急速に上がった理由のひとつがこれだった。

 水没した道路のラインの替わりにコースロープが浮き、速度制限の標識は水面に浮いたブイの上に立っている。

 警官などの目がないことを確認して、ケイはヨロイの頭部を除装した。ヘルメットのゴーグルを下ろして風を浴びる。汗ばんだ肌に、潮をかすかに含んだ風が心地よい。

 新トウキョウ湾沿いの激しく蛇行する道も、ケイにとっては昔からなじんだ道だ。慣れた繰縦でよろけることもなく、家を目指してヨロイで駆ける。右を見れば、かつて盛況を極めたトウキョウの街を沈めた海がある。既に漁のピークは過ぎており、数隻の漁船が浮かんでいるだけ。左に目を遣れば、天を衝いて並ぶ五本の巨塔が徐々に近づいてくるのが見える。塔の高さはおおよそ40から60メートル程度のものまでバラバラで、並びと角度にも規則性がない。見る度に巨塔の並びと高さが変化しているように感じられるそれは、海と空より来たる敵、界獣を退ける都市防衛機構の根幹を成す重要施設"サイノカミ"だ。

 昔は、あれは月から来る宇宙人を迎撃する大砲だなんて思ってたっけ。ケイは幼い頃を思い出す。両親と姉と共にネリマ市にやってきたときはまだ九歳で、新たな生活に馴染めず友だちもできず、よく荒唐無稽な空想に耽っていたものだった。

「時にケーやん。夏休み、なんか予定あるんか?」

 簡易シートのタケヤから訊かれ、ケイは振り向かずに答える。

「気が早くない? 中間考査もまだ終わってないのに」

「テストが憂鬱やからのー。夢くらい見ようやないか」

「今のところ、これといった予定は特にないかなあ」

 ケイは頭の中のカレンダーをめくる。御幡家と玖成姉妹の恒例行事として、お盆に母の墓参りを兼ねた日帰りの遠出があるくらいか。父が、今年は帰りにどこか温泉で一泊くらいするか? とか言っていたような気もしたが。言うとまた冷やかされそうなので黙っていることにした。

「まあ店でバイトかな。ヨロイのアタッチメントでいくつか買いたいのあるし」

「なんや花がないのう。いつもと変わらんやないか」

 ケイには、背後でタケヤがにニヤリと笑ったのがわかった。

「そないなケーやんに朗報や。シンジュク海浜リゾートに行く計画があるんや」

「え!?」ケイは驚きに目を丸くした。「チケットどうすんのさ?」

 シンジュク海浜リゾートと言えば、かつての海水浴場を模した人工海浜施設だ。大海嘯で消えた"安全に遊べる海"をコンセプトに造られたそれは、海を模した巨大プールを中心に、遊具とショッピングモールを完備し、今のトウキョウ圏の数少ない観光・デートスポットとして関東で非常に人気が高い。夏休み期間のチケットの入手など、困難を極めるはずだ。

「三組のソウタがな、市役所勤めのおとん経由で手に入れたんや。3枚。ソウタとワイとケーやんで行かへんか?」

「何が悲しくて、野郎だけでリゾート行くのさ」

 ケイは想像した。男子高校生3人だけで、カップルと家族連れが楽しむ中に突入する様を。彼女がほしいほしくないはとりあえず置いておいても、絵面が悲しすぎる。

「もちろん、童貞を捨てるためや!」タケヤは高らかに宣誓するように言った。宣誓、我々は正々堂々と童貞を捨てることを誓う。誓いを違えて邪に童貞を捨てんとしたならば、神々よ七難八苦を与え給え、とでも言わんばかりの勢いだ。「ナンパやナンパ。目的はただそれ一つのみ! 彼女作って脱童貞や。カコが言うとったが、女子から見てケーやんかわいい感じらしいんや。ケーやんおれば年上お姉さま方からの逆ナンも見込める!!」

「僕は釣りのエサかよ……って、そもそも僕がモテるわけないだろ? 女子から誘われたことなんて、生まれてこのかた一度もないよ」

「ケーやんそれ、本気で言うとるか? 毎日両手に花の生活送っておいて、殴ってええか?」

「いいわけないだろ! だからメイハとアヤハは――」

 言いながら、ケイはヨロイで跳躍する。急上昇する簡易シートで、タケヤが「おわぁあっ」と叫んで仰け反った。

 夕刻間際の日射しを浴びて、古び水没した街を横目に少年たちは駆けてゆく。

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[良い点] 面白そうでブックマークさせていただきました。 楽しく読ませていただきます!
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