4-10 星に伸ばす手
左脚に喰いついた界獣の頭を、左手の短剣で刺し貫く。崩れるその様を見届けることなく、ケイは振り向きざまの大剣で背後の界獣を横薙ぎに斬った。
どれほどの間、戦っているのか。夕陽はいまだ赤く燃えている。どれだけ界獣を討ったのか。12匹目までは数えていたけど、もうわからない。乱戦では二刀が有利、なんてこと言っていたのは父さんか。南洋の武術を使うタケヤだった気もする。それも今は納得だ。押し寄せてくる無数の界獣を相手に、気づくと右手に大剣、左手に短剣を使って戦っていたから。
それでも対処しきれない界獣の接近はある。その大半は、ウルスラが巨大な戦鎚で叩き伏せた。あの小柄な体躯のどこにそんな力があるのか。宙で回転する彼女の一撃は、界獣の巨体をやすやすと揺るがした。
寄ってきた界獣は、すべて屠ってきた。ケイはそう思いたかったものの、界獣の中には〈夜明けの風〉を無視するものもいた。その数は決して多くはなかったけれど。これをヘタに追えば、戦線が下がり市街の危険が更に増す。今は、1秒でも早く海浜警備隊方術甲冑部隊が到着することを願うしかない。
ふと、界獣を討つ間隔が長くなっているような気がした。次々に襲いかかるその数が、減っている? ケイが俯瞰映像を確認すると、明らかに〈夜明けの風〉に近づく青い光球はその数を減らし、陸に向かう光球の数が増していた。
同じことに気づいたのか。ウルスラが沈む界獣を蹴飛ばして〈夜明けの風〉の肩に舞い戻る。
「敵のフリの効果が、薄くなってる」荒い息に言葉を切って、ケイが言った。こうして話す余裕ができているのが、その証だ。「どういうことさ?」
「前にも言ったけど、奉仕種族にとって何より優先されるのは、支配者の、主神の意志だ」ウルスラは面頬を上げ、海の向こうを臨んで目を細める。「ボクらが敵対者の紛いものだと気づいたか。どうやらアレは、ボクが考えていたよりも……ぐぶっ」
話の途中でウルスラが口を押さえる。同時に、ケイはそれを"聞いた"。耳に聞こえたわけではなく、最も近い感覚が音声だったから、脳がそのように認識しただけだ。頭の芯が直接ゆさぶられるような、不快で奇怪なその感覚は生まれて初めて味わうもので。
倒れかけるウルスラを〈夜明けの風〉の右手で支えながら、ケイは見た。
超大な、千年樹の幹ほどの太さのある触手が幾本も、ロケットのように海面から立ち昇るのを。
高層ビルほどもある触手の森が、海上に顕現した。はるか上空に吹き上げられた海水が、辺り一帯に雨のように降り注ぐ。海棲型界獣が、次々に海面から大顎を覗かせ奇怪な咆哮を迸らせる。
PhhhhHhhhHhh'nnnnNnNnnnNNNnnnngggGgGGGGgggLLuuulllLLLluuuluiiiIII mmmGgGggGggGGgllllllwwWwww'naAfhhhhH……
偉大な王を迎えるように。高みの主を讃えるように。
立ち昇った超大な触手が倒れてくる。重力に従って徐々に速度を増しながら。〈夜明けの風〉の頭上へと。
「ぐっ…」
耳から脳をこね回すような、不快な合唱に顔をしかめながら、ケイは〈夜明けの風〉で駆ける。次の瞬間〈夜明けの風〉があった場所を、超大な触手が叩いた。爆音とともに水飛沫が上がって降り注ぐ。豪雨のようなその渦中。落日の赤い光を背にソレは現れた。
無数の超大な触手を蠢かせ、海を割って歪で広大な曲線が盛り上がる。海水の豪雨はすぐに止み、現れたソレは小山のような大きさの蛸のごとき頭部と、巨樹の根の束のような触手を持っていた。
その映像に一瞬、ケイは自身が狂ったかのように感じた。あんな大きさの異常な形状の存在が、目の前にいる事実に現実感が湧かない。目の当たりにしているだけで、ひどく恐ろしい夢を見た後のように、嫌な汗が止まらない。
「これはチャンスだ、我が騎士」べっと口中のものを吐き棄てながら、ウルスラは海中から現れつつあるモノに戦鎚を向けた。「首魁が姿を現した。アレを討てば〈深きものども〉の、界獣どもの顕現は止まる。〈星に伸ばす手〉なら、〈夜明けの風〉の剣なら届くはず。行ける?」
「ああ」ケイは頷いた。アレが皆を脅かす元凶だというのなら是非もない。多少気分は悪くとも、この体はまだ動くから。「行けるよ。要は、アレを叩き斬ればいんだろ?」
「そうとも、Sir Cai。行こう!」
ケイは海上に現れた蛸状の巨体に向かって〈夜明けの風〉を駆った。ウルスラの送ってくる最短ルートを辿って海面を蹴る。時に進路を阻む界獣を斬り捨て、時に迫りくる巨樹のような触手をかわしながら駆ける。
〈夜明けの風〉左肩上で、ウルスラがいつもの光る文字を手繰る。時折俯くのはいまだ気分が悪いためか。
「星辰コード"HYADES"を"ALDEBARAN"へ。深淵発動機潜行、限界深度まで突っ込む」ウルスラが言った。「少し影響がいくと思うけど、我慢してね、ケイ」
影響? と思うのも束の間、ケイを猛烈な吐き気と眩暈が襲った。こらえ切れず、口の端に胃液がこぼれ出る。脳の芯を強く揺らされたような不快の中、ケイは奇怪な光景を"みた"。高く高く聳え立つ尖塔群、黒い液体で満たされた湖と、その深奥に座す―
「ケイ!」
名を呼ばれ、ケイは視界を取り戻す。眩さに右を見ると、右手の〈夜明けの風〉の大剣が、巨大な黄色い炎の柱と化していた。黄色い光が刃に沿って濃く大きく膨れ上がり、狂乱する踊り子の衣のように激しく躍って翻る。
「ケイ、大丈夫?」
「ああ」頭の奥に鈍く痺れるような感覚はあるものの、他は問題ない。ケイは大剣を、踊る黄衣をまとう柱を〈夜明けの風〉の右肩に寄せた。「少し、気持ち悪くなっただけだよ」
「いい意味でも鈍感なんだね、キミは」半ば感心半ば呆れたように言いながら、ウルスラは手元のタブレットに目を落とす。「もうすぐ剣の効果範囲に入る。全力で―」
その時、高速で伸びてきた触手が〈夜明けの風〉の左肩甲をかすめた。
バランスを崩し、ウルスラは宙に放り出される。ケイは咄嗟に〈夜明けの風〉の左手を伸ばすも、その手はむなしく空を掴む。
「ウルスラっ!」
不意を突かれたせいなのか。ウルスラは脚から翅を出す間もなく海に落ちた。
救助のため、ケイは〈夜明けの風〉の足を停めようとする。しかし
「ボクのことはいい!」海面から顔を出したウルスラが、制止の声を張り上げた。海水を振り払いながら彼女は叫ぶ。「だからっ、一刻も早くアレを、〈クトゥルーの落とし仔〉を殺すんだ!」
くと、何? 束の間、耳慣れない奇怪な発音に思考が留まりかけるも、近づくにつれて巨大になる威容がケイの思考を埋め尽くす。的は大きい。これまで見た何よりも。黄炎の衣の柱と化したこの大剣なら、向かって振れば必ずどこかに当てられる。
頭上に降りかかる触手を左にかわし、ケイは弾ける飛沫を振り切って〈夜明けの風〉を駆る。横薙ぎの触手をくぐり抜け、更に前へ。次々に降りかかる超大な触手の林を突進する。
そしてほんの一瞬、触手が途切れた。顕わになる触手の源。山のように聳える、いびつに膨れ上がった軟体の頭部。ケイがソレを頭と判じたのは、青く濁った蛸のような一対の眼があったからだ。
「ぶっとばせ! Sir Cai!」
「破っ!」ケイは発声と同時に剣を振り下ろした。黄色い炎の衣で伸びた刃が、山のような頭部に触れる。「っ!?」
途端に、粘るような抵抗に刃が押し戻された。界獣を斬るようにはいかないのか。でも手応えはある。そう判じたケイは、剣に体を乗せて更に斬りこむ。黄の衣の刃はじりじりと少しずつ進み、ブヨブヨと膨れた丸い頭部に触れた。瞬間
―――――!
認識できない奇怪な音声が轟き、ケイの耳から意識を穿ち抜いた。
「あ、がっ……」
意識が飛びそうになりながらも、ケイが剣を手放さなかったのは奇跡に近い。
黄の衣の刃が折れ曲がる。曲がった刃は巨大な軟体の頭部を逸れ、二本の触手を斬り飛ばした。
――――――――!
ウルスラが〈落とし仔〉と呼んだそれが、超大な触手を〈夜明けの風〉に向かって振るう。
何とか意識を保とうと、頭を振っていたケイに為す術はなく。〈夜明けの風〉もろとも触手に弾き飛ばされた。衝撃に、白く塗りつぶされていく視界に思い出す。ああ、前もこんなことあったっけな……
* * * * *
〈クトゥルーの落とし仔〉は己が触手を抱えるように丸めて引っ込めると、元来た道を戻るように海へと沈んでいった。〈深きもの〉たちもまた、付き随うように退いてゆく。
その様を廃ビルの傾いた屋上で眺めながら、ウルスラは海水に濡れたその身を震わせていた。寒さでも恐怖のためでもなく、身の深奥から汲めども尽きぬ泉のごとく湧きだす歓喜に。
「届く、届く、届いた、届いたよケイ。ボクとキミの剣は確かにアレに、〈古く忘れられた統治者〉の一柱、その座す階梯の一段に確かに届いた」
ウルスラはタブレットを出すと、すぐさまケイの生命維持を確認する。心拍、呼吸とも異常なし。脳震盪を起こして意識を失っているだけだ。若干の打撲と挫傷はあるものの、概ね健康体だ。
ほっと安堵の息をつきながら、ウルスラは思索を開始する。ゴファノンと鍛ち上げた剣は、相応しい騎手を得て〈落とし仔〉の触手を斬り飛ばし撃退するまでになった。惜しむらくは〈落とし仔〉の神蝕空間を突き破るまでに至らなかったことだ。〈落とし仔〉は末端とはいえ神の眷属、現状の星辰出力ではまだまだ足りないということか。深淵発動機の限界深度を更に上げるか、あるいは剣の星辰伝導率を上げるかすれば、次こそは〈クトゥルーの落とし仔〉を撃滅、この次元から完全に放逐できるかもしれない。
翅翔妖精がウルスラの意識に周辺の状況を報告する。海浜警備隊の方術甲冑部隊が、沿岸部に展開を開始していた。
間もなく方術甲冑部隊による〈深きものども〉の追撃、掃討が始まるだろう。ケイと〈夜明けの風〉が捕捉される前に回収し、この場を離脱せねばならない。
「さて、と」ウルスラは〈夜明けの風〉が着水したポイントを確認。跳躍の魔法を脚にかけようとして「……はぁ」
と、大きくため息をついた。両足を、水の女たちが抱え込むように封じている。ハイランドの水妖、メロウだ。
「意外と時間がかかったね、フィオナ」
ウルスラが振り向くと、海上に一騎、大剣クレイモアを背負う青い鎧の騎士がいた。その左肩に一人の女を載せて。
潮風が女の黄金色の髪を揺らす。ウルスラを見下ろすその瞳は、幻惑的な虹の色。ウルスラ以上に長く尖った耳は、人ではありえぬ出自を示す。
「手間をとらせてくれたわね、ウルスラ」
静かな声音は、憤懣を隠しきれず。




