1-2 神秘の種族
雲一つない晴天の下、SWAS(Salem Witch Air Sirvice)の護衛飛箒艇が空へと浮上した。そのハリエニシダの尾を生やした船体を追うように、貨物機が滑走路を飛び立つ。
新イタミ空港のタラップを降りる23名の一行を、12騎の甲種方術甲冑が出迎えた。
儀仗としての槍を、全高5メートルの鎧武者たちが一糸乱れぬ連携で縦横に振るう。滑らか且つ重厚なその様は、騎手の高い能力と練度を伺わせる。異国の使者に対する示威的側面もあるのだろう。我らはこの島国ヒノモトの守護者。外つ国の者に引けは取らぬ、と。
ニホンの新鋭騎種、確かショウキタイプだったかしら。フィオナは右手を挙げて返礼しながら一行の先頭を行く。上から横から光る報道カメラのレンズも意識に入れつつ、笑顔を振りまき友好を示す。これも仕事だ。己の容姿が、周囲に与える影響など知り尽くしている。この身はハイランドの地精。ブリテン島のミスティックレイス。編み込みアップにした黄金色の髪と、そこから覗く笹穂のような長く尖った耳。人の造形では届かぬ美しく整った面立ちに、大きな虹色のアースアイ。近現代の文芸を発端に、各種ゲームやアニメーションといったコンテンツ文化の中で持て囃された妖精種族、エルフの姿そのものなのだ。コンテンツ文化の中心とも言える国だったニホンにおいては、その姿を見せるだけでもポジティブなイメージを期待できる。これから臨む会合において、笑顔一つで好意的な反応が得られるなら安いものだ。予想される危機を乗り越えるために、最低でもこのニホンと、USAの協力だけは取り付けたい。
21年前、ブリタニア連合王国とニホン国の間で結ばれた特種生物災害情報保護協定。この協定に基づいて、情報と課題の共有のため年一回開催される神秘の種族を含めた会合。それが、今日よりニホンの首都キョウトで5日間の予定で行われる。
この会合は両国間の友好PRと社会不安の払拭のため、大々的に報道された。
フィオナは、会合に参加するメンバーの様子を見ようと振り返る。その成員のほとんどが、ブリタニア連合王国対伝承存在機関(Anti Legendary Being Organisation)"アルビオン"のメンバーだ。まず戦術情報の交換を担当する武官ら。彼らは星辰装甲の騎手でもあり、この使節団の警護も兼ねる。次に特種生物、通称"界獣"の研究者たち、占星学者、通訳その他の担当者、そしてミスティックレイスたちが続く。ミスティックレイスは往々にして母国を遠く離れることを好まず、今回同行したのはフィオナ自身を除けば二名のみだ。フィオナより頭二つ分ほど背が低いが、横幅が倍はある髭面は、星辰装甲開発者の一人、コーンウォールの鉱工妖精クレイノン。そしてもう一人、同じく星辰装甲開発者にして〈湖の貴婦人〉ウルスラ……が、いなかった。
強張りかけた顔を、フィオナは咄嗟に笑顔の仮面で覆う。専用旅客機を出るまでいたはずの、赤毛の小娘が列にない。列の最後尾を歩む黒ひげ蓬髪のノッカーと目が合う。その灰色の目が、軽く上を向いて差し出された両手のひらが言っていた。オレは仔熊の嬢ちゃんの行方なんざ知らねぇよ、と。
これだからカムリの連中は……喉元まで出かかる言葉を飲み込みながら、フィオナは捜索に割ける人員について頭を巡らせ始めた。
* * * * *
自動改札を跳び越えて、まばらな人の合間を縫って、新幹線のホームを駆け抜ける。閉まる間際の車両の表示は"TO TOKYO"。ウルスラはダイブするように車両に乗り込むと、姿隠しの魔法を解いた。
「ふぅ……」
間一髪だった、と大きく安堵の息をつく。姿隠しの魔法は、かなり高度な集中力を必要とする。ウルスラは飛行場から新オオサカ駅まで、水上バスに隠れ潜んだ40分ほどの間、全力疾走を続けたかのような疲労感に襲われていた。
ルーンドが指輪を貸してくれれば、もっと楽ができたのに。でもまあこれで、当分は時間を稼げる。汗をブラウスの袖で拭いながら、ウルスラは一人笑みを浮かべた。袖で汗を拭うなんてはしたない、と叱る姉さまは遠い海の向こうの結界の中だ。
いずれ追手はかかるだろうけど、それまでに見ておきたい場所がある。望みは薄いけれど、見つけたいものもある。
ウルスラは自身の服を軽く撫ぜ、その構造を変化させた。湖の貴婦人とも称される彼女にとって、装いの魔法はお手の物だ。スーツとブラウスを白いパーカーとデニムパンツに、パンプスをスニーカーに変える。フードをかぶって尖った耳を隠す。ミスティックレイスが素の姿のままでいれば、目立って仕方がない。
空調の効いた車両内に入ると、幸いなことに座席は三分の一程度しか埋まっていなかった。ウルスラは適当な窓際の空席に座ると、流れる風景に目を遣る。初めて訪れる異国の風景なのに、どこか既視感が拭えない。駅周辺のビル群は立派なものだが、車両が都市部から離れるに従って目に見える人の構造物は減ってゆき、アスファルトの大地と行き交う人々は見えなくなった。今はもう、見える建築物と言えば、海原から覗く僅かなビルの上層だけ。動いて見えるのは、そこに住まう海鳥だけ。晴れか曇りがちかの違いを除けば、ウルスラが見慣れた今のロンディニウムと同じ風景だ。
今から30年前、人類にとっては何の前触れもなく、地球規模の海面上昇現象が発生した。後に"大海嘯"と称されるこの現象によって、世界の主要沿岸都市のことごとくが海の底に沈んだ。国土の半分はおろか、全土が海に消えた国もある。更にはこの混乱に乗じたかのように現れた敵性体、人を殺し、喰らう生物らしきものが人類を追いつめた。体長4メートルから大きいもので30メートルにも達するこの敵性体は、あるものは鰭を持ち海から群れを成して現れ、またあるものは翼膜を持ち空から現れた。この敵を前に、銃火器を中心とする近現代の兵器は用を為さなかった。炸薬や電磁気で発射された弾体は、その巨体と接触する前にその運動エネルギーを失った。また爆発物は、核でさえもその熱を無くした。この世界の物理法則が通じず、またどんな近縁種の存在も不明な未知の存在。いつの頃からか、それらは異世界・異次元から来たものだとする説が多勢を占め、やがて"異世界より来たる害獣"、通称"界獣"と呼ばれるようになった。
この不条理と理不尽の化身たる敵を前に、人類は為す術もなく半減。絶滅を待つだけの、哀れな生態的下位者となるかに見えた。
それを救ったのは、世界の人類誰しもが、予想だにしえなかった存在たち。妖精や妖怪、半神として神話や伝説、おとぎ話に語られてきたものたちだった。歴史の霧の果てから帰還した彼ら"神秘の種族"が人類に伝えたのは、星々の運行を読み取る知識と、その力の流れを借り受ける術。占星術、宿曜道などと呼ばれ、かつては人類も有していたはずの知識と技術だった。
当初、人類側の誰もが疑い一笑に付した。そんな迷信の産物で、あの不条理を打倒できるのかと。
しかしそんな迷信の産物は、条理を外れた怪物を打倒して見せた。
"星辰装甲"と名付けられた、迷信の産物。人が乗り込み操る、全高4.5メートルほどの人型武装祭器。その形状は、過ぎし時代に、剣と鎧で武装した戦士たちの姿を模していた。ミスティックレイスより譲渡された試作騎が振るう剣は、それまで人類が触れることも叶わなかった敵を斬り裂いた。繰り出される鎚鉾は敵を貫き、打ち砕いた。
その時より、疑念と嘲弄は歓迎と友好に変わり、人類とミスティックレイスの反転攻勢が開始された。
「あの時の手のひら返しっぷりは、もう呆れを通り越して笑えたよなあ」当時のブリタニアの民を思い出して、ウルスラは一人ごち、苦笑する。「手首にモーターでも仕込んでるのかっての」
コスプレ集団かカルト教団かと書き立て煽っていたマスメディアが、揃って『妖精と人間の共存するかつてのブリタニアを取り戻そう』とか書き出すのだからもう笑うしかない。
しかしその一方で、未だミスティックレイスに疑念を抱く人々も少なくはない。ウルスラは飛行場を出る際に見た、デモ隊と思しきニホン人たちを思い出す。彼らの掲げる横断幕やプラカードに書かれた文字は、ブリタニア語とニホン語の両方で『ミスティックレイスこそが、大海嘯を引き起こし界獣をこの世界に呼び込んだのだ!』だの『界獣はガイアの意志だ。地球生命の均衡のために、人類は裁きを受けねばならない』だの書き殴られていた。
主張が色々矛盾していることに気づいているのかいないのか。まあ、いないんだろうなとウルスラは思う。大方、今の世界に不満を持つ愚物を、騒乱を望む者が煽っているのだろう。ブリタニアにもそんな連中が山といる。有象無象の組織で、アジ演説をぶったりテロを起こしたり。新聞雑誌の紙面は、毎日そんな事件の記事でいっぱいだ。いつの時代も、ジャーナリストは飯の種に事欠かない。
「いつの世も何処の国でも、吟唱詩人どもってやつは厄介なもんだよねぇ」
溜息混じりに呟くと、ウルスラはパーカーの懐からタブレットを取り出した。エーテルリンクをオンにしてニホン地図を呼び出し、目的地と経路を設定しチェックする。封鎖地区の多い新トウキョウ湾沿岸で、最もアレの出現地点に近づける街へ行きたい。
タブレットの地図上で、緑の光点が明滅する。そこは、新トウキョウ駅のあるシンジュク市から水陸両用バスで50分ほどの場所。
ネリマ市、と結果が出力された。