2-3 海浜警備隊
「Try again 大切なひとを~」
どこか調子の外れた後輩の歌声を聞きながら、伊勢ソウリは腕の時計を見た。現在の時刻は1803。都市防衛システム"サイノカミ"の異常が検知されてから、既に90分近くが経過している。日頃の訓練の賜物と言うべきか。市民の避難はスムーズに行われているようではあった。しかし水没地域が多く且つ広いシンジュク市、トヨシマ市では避難が間に合わず、既に界獣―D類特種害獣によって市民に犠牲者が出ているとの報告が上がっている。
どうしてこんなに出動が遅れた? ネリマ市に向かう傀体装備輸送車両の中で、ソウリは声を出さずに問いかける。きっと理由は一つではないのだろう。トウキョウ圏における防衛システムの稼働から18年、システムが完全に停止した状況など一度もなく、海浜警備隊も自治体も、想定はしていても対策を怠った。トウキョウ圏各市の防衛システムの同時完全停止を、あらゆる状況証拠が示していても、管区の管理官を始め、上部組織の護国庁の人間まで信じようとしなかった。責任の所在を巡って判断のたらい回し…… やめよう、考えると憂鬱になってくる。
それもこれも、瑞元隊長のせいだ。あの人、遺伝子調整者の二等警正のなのに、なんでか俺にあれこれ愚痴るんだよなあ。年上美人の隊長指揮下に配属されて、最初は嬉しかったものの、毎度ネガティブな発言ばかり聞かされ続けると流石に嫌になってくる。今日も「なんで上はあんなに愚かで無責任なの。最悪よ」とかなんとか。上の方のあれこれなんて、汎人の下士官に聞かせてどうなるものでもないだろうに。そんなだから婚期を逃すんですよ、とは口が裂けても言えないが。
「Try again 守り抜くために~、君よ立て~ Again and again~」
遺伝子調整者と言えば、さっきから調子はずれの歌を口ずさむこの後輩女子警士、田和良トウカ二等警士もそうだ。方術甲冑の繰傀技術、戦闘センスが第三管区でもトップレベルなのは、バディを組むソウリ自身が良く知っている。しかし歌のセンスだけは、遺伝子調整でもどうにもならなかったらしい。当人曰く「センパイ、幻想持ち過ぎ。遺伝子調整者って言ったって、ただの人間。やりたいことと、できることが違うのは一緒っす」だそうだ。
窓の外の暗がりに目を遣れば、幸い人々の気配はない。自身の担当する地域の避難が完了していることに、ソウリは胸を撫でおろす。市民を守りながらの面倒な戦闘など、できる限りやりたくない。
ソウリの所属する海浜警備隊第三管区第三防衛隊第一小隊は、コンゴウ改とヒエイの二傀体の甲種方術甲冑を中核として、主にネリマ市周辺に接近する海棲型界獣ことD類特種害獣の撃退を担っていた。
『伊勢君、トウカちゃん、そろそろ使鬼がD類を確認した地点に着きます。準備して』
車内のスピーカーから、瑞元隊長からの指示が飛ぶ。
「了解っす、隊長。センパイ、自分が前衛でいいっすよね?」
「ああ、いつもどおりで行こう」
ソウリとトウカは抱えていたヘルメットを装着し、互いのストラップをチェックする。そして座席のシートベルトを外すと、足元に置いた強化樹脂製のケースから円筒、方術甲冑の巻物を引き出した。
すぐに傀体装備輸送車両が停まる。ベルト付きの円筒を肩にかけ、二人はドアを開けて車両を出た。訓練を含め、幾度も繰り返して得た無駄のない動作で円筒を地面に設置し、方術甲冑を展開。巻物が回転し、全長4.8メートルの、二体の甲冑武者が屈んだ姿で顕現する。
「そろそろ自分みたいにヒエイに乗り換えた方がいいんじゃないっすか?」二つの巨大な武者像を見上げて、トウカが訊いた。「傀体のレスポンスは、こっちの方がはるかにいいっす。センパイのスコアなら十分、申請も通るっすよ」
「慣れた傀体の方が安心なんだ」星図を装填し、方術甲冑に乗り込みながらソウリは答える。「コンゴウ改は何年も乗ってきたからね。頑健さはピカ一だから無理もさせやすい。何処がどう壊れるかもすぐにわかるから、色々対処もしやすいしね」
ソウリとしては、新型の方術甲冑を使うことに些か抵抗があった。今、自分は二七歳。海浜警備隊の方術甲冑を動かす繰傀士は危険な仕事だ。毎年、片手の指で足りる程度だが殉職者も出ている。なので三〇歳を過ぎたら退官して、既に退官済みの元上官のいる運送会社に勤めて、見合いでもしようかと考えていた。もういい歳だし、親も安心させたい。そんな俺が新型乗っても、税金の無駄遣いだよなあ。トウカに言った理由も、決して嘘ではなかったが。
「古強者の言葉って感じっすね」トウカも方術甲冑に乗り込んだ。「なんかちょっとカッコいいっす」
本当はそう格好いい理由でもないんだけどな。ソウリは言葉を内心に留めてコンゴウ改を立ち上げる。傀体装備輸送車両の後部コンテナから武装を取り出し、装備していく。薙刀を担ぎ、交換用刀身の入ったケースを腰部に装着。投網銃と弾倉、接近戦用のナイフも。トウカの操るヒエイも同様の装備だが、加えて方術甲冑サイズの巨大な刀、月山刀を左腰に佩く。
『二人とも、準備はいい?』
前方、指揮車両の瑞元隊長から、ヘルメットのインカムに通信が入る。
「伊勢、方術甲冑機構全箇所異常なし、安全確認完了」
「田和良、同じく方術甲冑機構全箇所異常なし、安全確認完了っす」
ソウリとトウカが報告すると、続いて第一小隊所属の戦術陰陽士、占部ユミ一等警士からの通信が入った。
『今、放っている使鬼からの情報だと、当初の観測よりも数は少ないようです。でも油断しないでください』
ソウリは方術甲冑の視界に現在位置、ネリマ市東部の周辺地図を呼び出した。そこにユミから送られてきた観測情報を重ねる。基地を出る際に確認したD類の数は20を超えていたはずが、今、更新された情報を見ると10にも満たない。去ったのか、それとも移動しただけか。前者であれば良いのだが。
『怪物の習性なんて、考えるのは研究者の仕事よ。私たちは特種害獣を駆除、災厄を退けるだけ』瑞元隊長の言葉がソウリの思考を打ち切った。『第三防衛隊第一小隊、状況開始』
「前衛、田和良、突入するっす」
言うが早いか、ヒエイに乗ったトウカが駆け出す。
「後衛、伊勢、突入します」
ソウリはコンゴウ改を繰り、ヒエイの後に続いて駆け出した。