婚約破棄という波にのまれそうな私達の話
巷では婚約破棄が流行っているらしい。
なんて馬鹿馬鹿しい流行。でも、私がその波に飲み込まれるのも時間の問題なんだろうな。
だって最近の彼はいつもあの子と一緒にいる。まるで、姫を守る騎士みたいに。
「なんでお前こんなところにいるんだ。次の実技は講堂のはずだろ」
魔法学園の上り階段。忘れ物をした私は、急いで近道を行こうとした結果、踊り場で寄り添う彼らの姿を見つけた。
急がば回れと言う言葉があるけれど、ほんと、こんな光景を見るんだったら遅れてでもあっちの階段を使えばよかった。
「おい、早く行けよ。遅刻するぞ」
眉を釣り上げ、語気を荒げているのは私の幼なじみであり、婚約者でもあるフラルだ。燃え上がる炎のような濃い赤毛に、おそろいの色の切れ長の瞳。黙っていれば見た目はいいのに、喋ると嫌味ばっかりでものすごく生意気な奴だ。
そんな彼は、仮にも婚約者である私に見られたのが気まずいのか、それとも二人きりの時間を邪魔されたせいなのか、かなり不機嫌だった。――もっとも、私と話す時はいつもそんな感じだけれど。
「……そんなに怒らなくてもすぐ行きます。お二人も、授業は出たほうがいいと思いますけど」
「行くさ。必要だと思えばな」
そう言う彼の顔は余裕にあふれていた。実際、こう見えてフラルは私よりもずっと成績優秀な魔法使いで、授業の一つや二つ、出なくても全く問題なかったりする。
腹立たしくてなってきて、私はさっさとこの場から離れることにした。すれ違いざまにフラルに寄り添うあの子――柔らかなピンクブロンドを持つロゥクーラ嬢が、童顔にはやや不釣り合いな厚くて色っぽい唇の端を上げて、くすりと笑った。
まるで勝ち誇っているかのような笑みにカチンとくる。でも、そんな人につっかかっていったら私も同類になってしまう。唇を噛み締めて無視をつらぬくのが、私にできる唯一の抵抗だった。
◆
「ねえミゼリー様。フラル様とロゥクーラ様、本当にあのままにしておいていいんですの?」
お昼時。混み合う食堂でそう囁きかけてきたのは友達のマリーツァ嬢だ。同じ子爵家の令嬢ということもあり、入学してからずっと仲良くしてもらっている。彼女の視線は、今も食堂の端でいちゃつく二人に注がれていた。
「勝手にすればいいんです。もしフラルが流行の婚約破棄とやらに乗るのなら、それまでの器ということ」
「まあ、手厳しい。それにしても本当変な流行ですわよね……。ここ一年くらいじゃない? 急に『真実の愛に目覚めた!』なんて言って、婚約破棄が相次いだのは」
頬に手を当て、マリーツァはおっとりと言った。私は食べようとしてたパンを置いて口を開く。
「みんな頭がおかしいんです。私たち貴族の婚約は家同士の結びつき。なのに真実の愛だなんて……。若気の至りで済ませられないことなのに、どうして男性はそんなものに飛びついてしまうんでしょう」
「本当、真実の愛を見つけるのって決まって男性の方ですものね。皆さんその後はどうしてるのかしら? 気まずいのか、不思議と姿を見かけないんですのよね」
言われてみれば、婚約破棄した側の姿は見かけない。退学したという話も聞かないし……と考え始めた私に、「やあ」という声とともに影が降ってくる。
振り向くと、この国の第一王子、サルバメント王太子殿下が立っていた。マリーツァがパッと顔を輝かせる。
「まあ王太子殿下! ご機嫌いかがですか?」
「僕は元気だよ。お二人はいかがかな? それにしても本当、彼らはどこ行っちゃったんだろうねぇ」
神秘的な銀髪をさらさらと揺らせ、殿下が首をかしげてみせる。
サルバメント殿下は王太子とは思えないほど気さくな方で、子爵令嬢に過ぎない私たちにもこうしてよく話しかけてくださる。加えて婚約者がまだいないため、令嬢たちの熱い視線を一身に集めていた。今こうして話している間にも、あちこちからじりじりと焼けつくような視線を感じるくらいだ。
そんな視線に全く気後れすることなく、マリーツァがうーんと唸った。
「殿下もご存じありませんの? 婚約破棄された側の令嬢達なら見かけるんですけれど……」
「僕も最近はこの学園にかかりきりだからね……おっと」
どん、と誰かが殿下にぶつかり、殿下がフラリとよろけた。
「……悪い」
見れば、ぶつかって来た相手はフラルだった。相変わらず片腕にはロゥクーラ嬢がぶら下がっていて、愛らしい顔に可憐な笑みを浮かべている。
「フラル! あなた王太子殿下になんて態度なの!」
「いいんだ、ミゼリー嬢。僕とフラルの仲だからね」
よくわからないが、フラルはサルバメント殿下にいたく気に入られているらしい。見ているこちらがひやひやするくらい不遜な態度をとっても、全くおとがめなしだった。もっとも、殿下は優しい人だからそういうこと自体全然気にしないのかもしれない。
「……まだ何か言いたいことがあるのかい? フラル」
謝った後も立ち去ろうとしないフラルに、殿下が探るように聞き返す。
「……いや」
「それとも、僕がミザリー嬢と仲良くしているのが気に入らない?」
途端、フラルの顔が険しくなった。怒りをこらえるような、何かを我慢するかのような表情に私は驚いた。そんな顔、見たことなかったからだ。
「そんなわけないだろ。勝手に仲良くしていればいい。むしろ殿下に乗り換えた方が、ミザリーの家は喜ぶんじゃないの」
吐き捨てるように言われた言葉に、私の心が黒く塗りつぶされていく。一瞬でも嫉妬を期待した私が馬鹿だった。フラルからしてみれば、私と殿下がくっついた方が、婚約破棄しやすくなって都合がいいのだろう。
泣きたい気持ちをこらえて、私は席を立った。
「フラルと話すと不愉快だわ。私はお先に失礼します」
「あ、まってミザリー! ごめんあそばせ、またお話してくださいませね」
最近、こうして逃げるように立ち去ってばかりいる。本当はもっと堂々と歩いていたいのに……。悔しさを胸に、私はぐっと唇を噛んだ。
◆
そんな出来事から数日も経たないある日の夕暮れ。すべての授業を終え、自習のために魔道具を取りに来た私は、またもや最悪の場面に遭遇した。
魔道具室からくぐもった声がするなと思ってドアをあけたら、なんと古いソファの上でフラルとロゥクーラが折り重なっていたのだ。
「な、何やってるの……!?」
魔法学校の制服であるローブはどこへやら。ソファの上に仰向けで寝転がっているフラルの白シャツは胸元から大きくはだけ、そこに下着一枚のロゥクーラがのしかかっている。
「きゃっ! やだ、見つかっちゃった」
そういって恥じらうロゥクーラの顔はこんな時でも可憐で愛らしく、乱れた髪も相まってむせ返りそうな色気を放っている。下着から覗く胸も驚くほど豊かで、私はとっさに自分の胸を隠した。気圧されて思わず後ずさりしそうになるのをこらえ、キッとフラルを睨む。
「フラル! 今まで見過ごしてきたけど、さすがにこれはあんまりよ! ロゥクーラ様も、少しは慎みというものを持って――」
けれど私の言葉は、すばやく立ち上がったフラルの大きな手によってふさがれた。モゴッと変な声が出る。
「……うるさい。口出しするな。お前のでしゃばる場面じゃないんだよ」
口出しするわよ! あなたの婚約者は私なんだからね!? と言いたかったが、大きな手でふさがれているせいでモゴモゴとしか音が出ない。
けれどいつもは余裕に溢れ、茶目っ気に輝いている瞳が、今は険しく細められているのに気づいて私は黙った。情事の最中にしてはずいぶん冷めた目だと思い、ちらっと視線を下に移すと――フラルのズボンは、一切乱れていなかった。ボタンひとつ外れていない。
よかった、事が始まる前だった……ということにホッとしかけてから、私は慌ててフラルの手をはがす。
「いや、大丈夫じゃない。フラル、一度ちゃんと話を――」
「しない!」
大きな声に、私の体がびくっと震えた。よく嫌味を言われたりからかわれることはあっても、今までこんな大声で怒鳴られたことはない。
「いいからとっとと行け。――いいかミザリー、お前は邪魔なんだよ。大人しく殿下と仲良くしていればいいんだ」
それは、憎悪すら感じさせる瞳だった。
悪いことをしているのはそっちなのに、どうして私がこんな思いをしなくちゃいけないの。そう考えた途端涙があふれてきて、私は慌てて身をひるがえした。
「ミザ……」
フラルは一瞬動揺したようだったが、それきりだった。走り出した私を追いかけてくるようなことは、決してなかった。
◆
一度あふれ出した涙はなかなか止まらない。学園の庭にあるガゼボで流れる涙をそのままに鼻をすすっていると、不意にハンカチが目の前に差し出された。
「……殿下」
ハンカチの主は、サルバメント王太子殿下だ。彼は困ったように微笑んでいる。
「……もしかして、フラルと喧嘩でもしたのかな?」
「喧嘩なんてものじゃないんです。ただ、あんまりにもフラルが馬鹿だからっ……」
フラルの名を言った途端、またぶわっと涙が込み上げてくる。喋るのも難しくなった私の手に、殿下が優しくハンカチを握らせてて背中をさする。私はハンカチに顔を押し付けて、ひたすら泣いた。
「……落ち着いた?」
やがて、ひとしきり泣いてスッキリした私に、殿下が優しく声をかけてくれる。
「ごめんなさい、見苦しい所を見せて……」
ズッと鼻をすすって、私は殿下に詫びた。
「いいんだよ。……フラルもね、苦しい立場にいるんだ」
「婚約者と、真実の愛とやらに揺れているからですか? ……ごめんなさい、嫌な言い方でした」
フラルをかばうような口ぶりに、思わず突っかかってしまう。本当、涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだし、殿下相手に不遜な口をきいてしまうし、最低最悪だ。
けれど殿下は私を責めなかった。すべてを見透かすような澄んだ水色の瞳で、ゆっくり問いかけてくる。
「もうフラルのことは嫌いになった? それとも、元々嫌いだったのかな」
「それ、は……」
私は言い淀んだ。
確かに、フラルは嫌なやつだ。勉強も訓練もしてないくせに、なんでも軽々とこなして、どんくさい私のことをしょっちゅう馬鹿にして。ようやく習得できた水魔法を披露して見せれば、姿勢がだめだの、流れが澱んでるだの好き放題言って。それに対して私が怒って無視を決め込めば、「意地っぱりだな!」ってからかってくるようなやつで。
「それでも、私は……」
止まったはずの涙が、ハラハラと流れ落ちた。
――過去、フラルに言われた言葉がよみがえる。
『もーほんとお前、そんなに意地っ張りでどうするんだよ。そんな奴を奥さんにもらってやれるの、俺ぐらいしかいないだろうなー』
馬鹿にしたような、それでいてどこか誇らしげに胸を反らしたフラルの言葉。あの時私は恥ずかしくて「そもそも親同士が決めた婚約ですし! 選択権なんてないですし!」なんて可愛くない返事をしたけれど、本当は――。
「……すごく、嬉しかったんです。フラルが私の婚約者になってくれたことが」
嫌味なやつ、と思いながら、ちょっかいを出されるのが嬉しかった。
文句言いながら、魔法を見てくれるのが嬉しかった。
何よりフラルのそばで、あのくしゃっとした笑顔を見るのが、大好きだった。
「でももう駄目かもしれません。彼はロゥクーラ様を好きになったみたいだし、私のことをしょっちゅう殿下に押し付けようとして……」
ああもう本当に。またもや出てきた涙のうっとうしいことと言ったら。私が慌てて涙を拭っていると、殿下がポツリと言った。
「……そろそろ頃合いかもね。君にとっても、彼にとっても」
それが何を指しているのか考えて、私はうつむいた。
「わかった、僕の方から言ってみよう。このつらい状況を長引かせるのは、お互いにとってよくない」
いよいよ見えてきた終わりの予感に、私の胸がずきんと痛む。でも、これでいいかもしれない。フラルがはっきり言ってこないのなら、殿下の手を借りて蹴りをつけた方が、お互いのためなのだ。
「ご迷惑おかけしてごめんなさい。……よろしくお願いします、殿下」
絞りだした精いっぱいの返事に、殿下は優しくうなずいた。
◆
その夜。
皆が寝静まった真夜中に、私は手紙で学園の庭に呼び出された。本当はこの時間に寮から抜け出すのは禁止されているのだが、なぜかこの日は門番の姿がなく、簡単に抜け出せた。もしかして殿下の配慮だろうか?
普段皆が休憩をとるだだっ広い庭には、先客が来ていた。
「あら、来てくれましたのね」
「……ロゥクーラ様?」
立っていたのは、フラルではなくロゥクーラだった。呼び出しの手紙は簡潔で名前も書いていなかったけど、流れ的に完全にフラルかと思っていたのだ。思わぬ人物に、なぜ彼女が? と頭の中が疑問でいっぱいになる。
ロゥクーラはにっこりと微笑んだ。
「ごきげんよう、ミザリー様。よかったわ来てくれて。さすがにあなたの部屋にまで押しかけるわけにもいかないから、来てくれないとちょっとめんどくさいなって思ってたの」
「あの……私に何の用なんです?」
意図が掴めなくて尋ねると、ロゥクーラの唇の端が上がる。なんだかその笑みが不気味に見えて、私は腕をさすった。微笑みをたたえたままロゥクーラ嬢が言う。
「あと一歩……だと思ってたんだけれど、変なことに数週間前も同じことを思ったのよね。ずっとあと一歩なのに、そのあと一歩が進まない感じ、あなたにわかる?」
「ええと……?」
何を言っているのだろう。回りくどいことはやめて単刀直入に言って欲しい。そんな私の気持ちを察したのか、ロゥクーラ嬢は微笑むのをやめた。普段どんな時でもにこやかな瞳が、氷のような冷たさを帯びて私を見る。
「はっきり言うとね、あなた邪魔なの」
――邪魔。私は言われた言葉を頭の中で反芻した。
「あなたがいるせいでフラルが堕ちてくれなかったの。だから消えてくれないかしら?」
ああ、そういうことか。ようやく腑に落ちて、私はため息をついた。
「邪魔も何も、フラルは既にロゥクーラ様に夢中みたいですけれど」
「あなた本当にそう思う? フラルの心がアタシにあると?」
ロゥクーラが一歩、前に進み出た。その瞳は見開かれているというのに、何の感情も浮かんでない。怖くなって、私は逃げるように後ずさりした。
「はじめはアタシもそう思ったわよ。でもね、違うの。フラルの心はずっと別の人にあるのよ。――あなたよ」
突然伸びてきた手が、トンッと私を押した。
その力は思いのほか強く、私はバランスを崩して尻餅をつく。そんな私をロゥクーラが上から見下ろした。月明りを背にし、顔は暗くて見えないはずにも関わらず、彼女の金の瞳はギラギラと輝いていた。
「むかつくわ、あの男。アタシの正体を知った上で、ずぅーっと堕ちたフリをしていたのよ。この間だってそう。アタシが脱いだのにずっと瞳は冷静で。なんだかんだ言い訳されて、逃げられたわ。今まで全部成功してたのに。本当にむかつく男」
今まで……? 何の話をしているのだろう。私は混乱した。
ロゥクーラ嬢は可愛らしい見た目をしているものの、今まで目立ったことのない男爵令嬢だった。誰かと色恋沙汰になったり、揉め事になった話など聞いたことない。最近流行の婚約破棄も、略奪した側の令嬢は全員別の人だったはずだ。
「本当はさっさと逃げたいところだけど、やられっぱなしじゃ癪だわ。最後にあの男の大事なものをめちゃくちゃにしちゃえば、アタシをコケにしたこと、死ぬまで後悔するでしょう?」
長く伸びた爪が、ツ、と私の頬を撫でる。鋭い痛みが走って、私は頬に傷をつけられたことを知った。
――この人は一体誰?
ドッドッと激しく脈打つ胸を押さえながら、後ずさりした。目の前にいるのは、私の知るロゥクーラではない。見た目は全く一緒だが、醸し出される雰囲気はまるで別人だ。
「そういうわけだから……あなたはここで消えてね」
そう言ってロゥクーラが腕を振り上げた瞬間――ゴッ! と横から炎の濁流がほとばしり、彼女の姿をかき消した。
「ミザリー! 大丈夫か! 怪我は!?」
「フラル……!」
息を切らせながら、駆け寄ってきたフラルが私の肩を掴む。それから彼は私の頬の傷を見て、キッと目を細めた。
「くそっ……! できるだけお前を巻き込みたくなかったのに……悪い」
それだけ言うと、フラルは私に背を向けた。その向こうでは、炎に焼かれたはずのロゥクーラが、何食わぬ顔で立っている。うっとうしそうに前髪を書き上げ、じっとりとした目でフラルを見つめた。
「やめてよフラル、熱いじゃない。あなただって気付いているんでしょう? あなた一人じゃわたしに勝てないってこと。年季が違うのよ。わたしがどれだけの魔力を吸収してきたと思ってるの?」
だがそんな言葉にもフラルは動じなかった。表情は見えないものの、彼がクッと低く笑う声が聞こえる。
「……確かに、俺とアンタじゃ年季が違う。しょうがないだろババア、あんたは黒の魔女なんだから」
「なっ! ババアって言い方はやめて!」
「ババアはババアだよ。ただ年齢が上なだけならレディと呼ぶが、アンタは違う。若い男の魔力と心を食べまくってるようなやつはババアで十分――いや、化け物だな。年老いた醜い化け物だ」
ここから見ていても、ロゥクーラ――もとい、黒の魔女の顔が憎悪で歪んでいくのが分かった。私はとっさにフラルの服の端を掴んで囁く。
『私にできること、ある?』
『俺の後ろに隠れてろ。絶対に出てくるな』
私は頷いた。自分がどんくさくて、力になれないことはわかっている。それならせめて、足手まといにはなりたくない。
目の前では、もはやロゥクーラの名残もない程醜く顔をゆがませた魔女が、せせら笑うように言った。
「だからなんだって言うのよ。せいぜい吠えてなさい。あんた一人じゃアタシに勝てないんだから」
「一人なら、な。でも、一人じゃないって言ったらどうする?」
「なっ……!?」
その言葉に魔女が周りを見渡した瞬間、包囲するようにたくさんの魔法使いが姿を見せた。
「もう遅い。あんたは慢心したんだ」
慌てて逃げようとする魔女に、幾筋もの鋭い白い光が襲いかかる。それは、裁きの光のようだった。
「ギャアアア!!!」
断末魔が響き渡り、フラルが私の耳をふさぐ。
――やがて辺りが静かになり、全てが終わったと思えた頃、フラルが押さえていた手を離した。
「……終わったぞ」
黒の魔女が立っていた場所には、消し炭のような黒い痕以外、何も残っていない。
「何……? 一体、何だったの……?」
「それは、えーっと」
「僕が説明してあげよう」
いつの間にやってきたのか、気付けばサルバメント王太子殿下がすぐそばに立っていた。
「殿下!?」
「ああ、怪我している。かわいそうに。あとで治療してもらおうね」
のんびりと言う殿下に、フラルが食って掛かる。
「怪我している、じゃないですよ! 万が一俺が間に合わなかったらミザリーがどんな目にあっていたか!」
「でも間に合っただろう?」
フラルを制して、殿下はおっとり微笑んで見せた。
「間に合うよう、僕が調整したんだから」
「まさか……黒の魔女がミザリーを呼び出したのも、全部殿下の仕業です!?」
「そろそろ頃合いだと思ってね。おかげで黒の魔女も綺麗さっぱり、消し炭になったというわけだ。いやあ~よかったよ。もうずいぶん長い間頭を悩ませていた事件だったからねえ」
あっけらかんと笑う殿下に、頭を抱えて唸るフラルを見ながら、私は目を白黒させていた。
「あの……つまり……?」
私の言葉に、殿下が満面の笑みを浮かべる。
「実は数年前から若い男性が行方不明になる事件が相次いでいてね。最初は平民だったせいでなかなか発覚もしなかったんだけど、近年では貴族男性が標的に変わっていったんだ。それが最終的に、この魔法学園の男子生徒が狙われるようになってねぇ」
言って、殿下の瞳がギラリと光った。
「恐らく、魔力がある男性の方がおいしかったんだろうね。でも魔女が欲張ってくれたおかげで、ようやく尻尾を掴めた。ちょうどフラルが狙われたこともあって、彼にはずっと囮をやってもらっていたんだ。時間を稼いでくれたおかげで隠れ家も特定できて生存者たちも無事見つけられたし……ほんとよかったよ、彼が魔女の魅力にやられなくて。これも君への愛のおかげかな?」
言いながらバシバシとフラルの背中を叩く殿下は、いつになくご機嫌だった。対してフラルがむっつりと言い返す。
「お手柄、じゃないですよ。最初に言ったでしょう、協力する代わりにミザリーを保護して欲しいって。それが保護どころか危険に巻き込んで……!」
「下手に匿うと魔女に感づかれる可能性があったから、これが限界だったんだ。それよりフラル、君、ミザリー嬢に言うことがあるんじゃないの?」
ちら、と殿下が私の方を見ると、フラルが気まずそうに頭をかいた。それから、バッ! と勢いよく頭を下げた。
「悪かった! その、色々嫌な思いをさせた上に、結局危ないことに巻き込んじまって……」
私は黙って彼を見つめた。言ってやりたいことは山ほどある。せめて私には打ち明けて欲しかったとか、本当にたくさん悩んだし悲しんだんだからとか――これは恥ずかしいから言わないけど。
けれど普段勝気で生意気な彼が、許しを得るまで必死に頭を下げ続けているのを見て、私はフーッと長い息を吐いた。それから小さな声で言う。
「……もういいよ。それより、婚約破棄は、しなくていいんだよね?」
「え? それは……そりゃ、黒の魔女ももういないし」
「そうじゃなくて。……改めて私でいいかって聞いてるのよ。その……可愛げがないってのは一応、自分でわかってるから……」
最後の方は、かなり声が小さくなってしまった。恥ずかしさで顔が真っ赤になっているのが自分でもわかり、こらえて返事を待つ。――が、いつまで経ってもフラルは何も言わない。
怪訝に思って顔を上げると、目の前には見たことないぐらい満面の笑みを浮かべたフラルがいた。
「そっかそっか、いやあ、ミザリーにもそんな所あるんだなあ」
「な、何よ! 何なのよ! もういいわよ知らない!」
恥ずかしくなって逃げだそうとした私の腕を、フラルががしっと掴む。
「婚約破棄なんてしないよ。言っただろう、お前みたいな意地っ張り、もらってやれるのは俺ぐらいだって」
それから素早く顔を寄せてきたかと思うと、唇に柔らかいものが触れた。固まる私を前に、フラルがニヤッと笑う。
「――これぐらいはいいよな? 俺、結構我慢してきた方だと思うんだよな」
そばにいる殿下が「やるねえ、フラル」と目を丸くして言う。
私は右手を持ち上げると、フラルの頬めがけて思い切り振り下ろした。
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