≪2≫ ディシュル様とは気が合わない
ディシュルとの一件以降、アシュガの城内での生活は非常に居心地が悪くなった。
あんなケンカをされては堪らないと思われたか、まずアシュガに礼儀作法の先生、風儀師が着いた。
頭のてっぺんから足先まで、神経質だと言わんばかりの風儀師だった。
アシュガの動作や言葉遣いを逐一指摘し、貴人の振る舞いを叩き込もうとした。
アシュガには何が正解で何が間違いなのかすらわからない。
風儀師といる時間がただただ辛かった。
しかしそれよりも辛いものがあった。
食事のマナーである。
これは風儀師の情熱か、昼食と夕飯時には必ず側に立ち、あれこれと指摘するのだ。
見張られて、怒られて、涙目のアシュガの食欲はどんどん低下した。
居心地が悪くなる原因がもうひとつある。
ディシュルは嫌なヤツだ。
アシュガの彼に対するここ数日間での心証である。
ディシュルとケンカしてから、アシュガはディシュルを避けたのだが、この広い城内で何故か何度も出くわしてしまうのだ。
そうすると彼は憚りもなくアシュガの事を下賎野郎と罵しったり、アシュガのお尻を蹴ってくる。
アシュガはいつも不意を突かれ、顔から地面に屈し、くの字になった姿勢でさらに突き出たお尻を蹴らるのだ。
およそ貴人らしからぬ振る舞いではないかと思ったが、アシュガはケンカに強くはないのでいつも反撃する前に返り討ちに合ってしまう。
「いやー」
と敗者の叫びをあげて逃げ帰るしかなかった。
後ろでいつも満足げに笑うディシュルの声が聞こえた。
ある昼食時でのこと。
最近は昼食を外で食べるようになった。
城内には大きな湖とそれに添うような大きな厨房がある。
厨房の前には寛げる上品なソファーとテーブルが置かれ、湖を見ながら食事ができるのだ。
爽やかな風に吹かれ、陽射しが美しい景色を映しだす。穏やかな日々に鳥のさえずりが女神に感謝の讃美歌を歌っているような午後。
「何度申し上げたら理解できますかな?」
キーキーと金切り声を上げる風儀師。
「ふーふー」
息を吐き出すしかできないアシュガ。
「そんなにカチャカチャと音をたてない!」
「フォークにそんな刺してどうするのです?」
「ふぁい」既に涙目のアシュガは唸る。
「口にものを入れたまま話をしない!!」
また風儀師の金切り声。
アシュガは風儀師の前で挙動不審になっていた。コップから水を飲む、この動作だけでも嫌というくらい指摘を受けるので通常できる事すらできなくなる。
食べる事よりも横目で風儀師を見たりしていると、水をこぼす、皿をひっくり返す、食べ物が口から飛びでる、というようなおよそ信じられない事がおこった。
なので掃除の楽な外で昼食を食べる事が日常になってしまっていた。
今のアシュガに湖や鳥や太陽なんて見えてはいない。
目の前の食事を早く終わらせたい。
その一心だった。
途中フゴフゴと鼻がなり、ふーふーとアシュガが唸りながら食事をしていると
「ご機嫌よう、風儀師殿」
優雅な声が聞こえた。
「ご機嫌ようございます、王子」
金切り声は鳴りを潜め答える。
「いやいや、御師の忍耐力、尊敬いたします。この家畜に人の術を賜らんとするや」
ディシュルは穏やかな陽射しを受け、御幸を受けた者のように笑う。
澄んだ青い瞳は奥で獲物を獲たかのように光った気がした。
アシュガは恥ずかしさと惨めさで胸が張り裂けそうだ。
ディシュルはアシュガの目の前に座り
「先ほど偶然にこの光景を見た時、驚きました。自分はドラゴンの餌さ場に来たのかと勘違いしたくらいです。」
と風儀師に無邪気に話しかけている。
アシュガはディシュルを睨み付けた。
「おっと」
わざと驚いたふりをしたディシュルは
「君をドラゴンに例えたと勘違いされては困るな。ドラゴンは神聖な生き物だから。
でも僕は豚の餌さ場になど行ったことがなくてね。」
そしてまた優雅に笑ったかと思うと
「豚野郎」
とアシュガを罵しった。
悔しさと恥ずかしさと怒りのドロドロとした感情が沸き上がり、気づけばディシュルにフォークを投げつけていた。
真顔になったディシュルがフォークを避けた。
お付きの従者が駆け寄る。
ディシュルは立ち上がり
「今の行為は王子たる僕に謀反の意志ありと取られるぞ」
と言うとアシュガの胸をどんと押した。
ふらついた隙にまたお尻に大きな蹴りを入れられて、アシュガは顔から地面にくの字に倒れ込んだ。
お作法の先生はケンカの時の作法など知る余地もない。
風儀師がオロオロしている内に、ディシュルは
「非常に不愉快だ」
とアシュガの突き出たお尻をまた蹴って、満足げに去って行った。
もちろん昼食も半分以上残したまま終わった。
アシュガは強くなりたいと思った。
思えば姉のマガは強い人で、いつもアシュガを守ってくれた。
強くて優しい人だった。
アシュガは魔女ではないので魔法が使えないのが悔しかったほどだ。
「アシュには祝福されたロザと血がある。誰でも貰えるものではないよ。」
姉は魔法を使いたがる妹にいつもそういってきかせた。
ディシュルは部屋の窓から外にいるアシュガを見ていた。
「前に話した西搭の部屋はどうだった?」
振り向きもせずに後ろの従者に問いかける。
「問題ありません。少し改装すれば良い程度でございます。」
ディシュルはずっとアシュガを見ている。
「そうか。では始めてくれ。」
そういって甘美に笑う。
「楽しみで仕方がない」
アシュガは何も知らずに外を走り回っていた。
ある日の午後、アシュガは城の探索をしていると蒼光竜騎士団の訓練所に着いた。
剣と剣を付き合わせる音や、奥ではドラゴンの声もする。
城内にこういう場所もあるのか!
アシュガは覗いてみたくなった。
「おい坊主、中を覗いてみたいのか?」
男性に呼び止められた。
振り替えると男性は驚いた顔をした。
「申し訳ありません。サークラ様とは知らず」
深々と礼をされた。
「あ、いえ。ここは、あの、ひょっとして剣の練習ができますか?」
アシュガはしどろもどろに聞いてみた。
「もちろんでございます。サークラ様のお望みであれば」
というと、闘技場へと案内してくれた。
中は思う以上に大きくて立派だった。
中央では騎士たちが思い思いに剣の腕を磨いている。
アシュガたちは危なくないように隅のスペースで訓練することにした。
ドニゴという男は早速剣の使い方について教えてくれた。
アシュガは大剣では危ないからと小振りだが柄の長い剣を握らせてくれた。
最近はディシュルやマナーについて悩まされていたアシュガにとって、剣を振るうのは楽しい運動だった。
何度か素振りの練習をしていると
「ディシュル様!」
と騎士たちの声がした。
アシュガは嫌な気持ちになった。
「ディシュル様がまた訓練所にお越しになるなんて」
ドニゴが驚いた口調で言った。
「ディシュルは訓練所によく来ていたの?」
と尋ねると
「ディシュル様は蒼光竜騎士団の騎士長になられる方ですよ。」と当然と言わんがばかりに力強く答える。
王であり蒼光の騎士長なんて、政と軍を両方手中に収めることだ。
「お亡くなりになられた騎士長の忘れ形見で、唯一の御嫡男ですから。」とドニゴは悲しい目をして教えてくれた。
しかしディシュルは半年程前から部屋に籠るようになってしまい、今日まで訓練所に来ることはなかったという。
ディシュルは竜と剣術が好きで、それまでは1日も欠かすことなく、この場所に通いつめていたらしい。
「半年間も何があったのかな?」
アシュガの質問に答えてくれる人はいなかった。
中央でディシュルが剣を握る、剣さばきはまるで舞いを舞っているかのようだ。
体が少し重たそうではあるが、一目みて強い剣士だと分かった。
「すごいな。あのご様子だと、すぐに以前のようになりますよ」
ドニゴが笑顔になった。
「さあ、アシュガ様も頑張りましょう」
と、また剣術を教えてくれる。
さっきのディシュルの動きを想像してみた。姉の太刀筋と重なったように感じる。
アシュガは剣を振りかざした。
ドニゴは何か掴んだようだと感じた。さらに踏み込めるとみて、ドニゴはアシュガの背後から手を回し、柄を一緒に掴み、太刀筋の動きを教えた。
「そうか」とアシュガが思い着いた矢先
「そこで何をしている!」
何故かディシュルが横に立っていた。
「ディシュル様!」ドニゴが喜んだのもつかの間
「ドニ!!ここは神聖な場所だ。なぜ下賎の豚野郎を入れた!!」
すごい剣幕で叱りつける。
美顔の怒り顔は破壊力が違う。
アシュガもたじろいだ。
「アシュガ様はサーク」
まで言いかけてディシュルは前のめりに食らいつく
「その豚野郎は先日僕に刃物を投げつけた」
「フォークだよ」
アシュガが思わず口走ってしまう。
「一緒だ!豚!」
「ドニ、この豚の相手をしなければならないほど騎士団は落ちぶれたのか?そんな暇があるなら訓練しろ!!騎士団に尽くせ!二度と豚を入れるな!!」
麗人の迫りくる怒りの切っ先に、ドニゴは何も言えずに困り果てた。
それをみたディシュルは今度はアシュガに
「早く出ていけ!お前のような者が入れる場所ではない!二度と来るな!」
と吐き捨てると、急に優雅な笑顔に戻り
「体を動かしたいならこれをやる」
と細い木の枝を渡した。
「今度は猿真似でもしていろ!豚猿!」
やはりアシュガは為す術なく、お尻を蹴られ、転び、またお尻を蹴られて追い出された。渡された枝はその際にすぐ折れた。




