緊急事態
1536年 5月 信孝22歳 信秀26歳
【三河国 合歓木城 見本村】
[康孝サイド]
あれから一ヶ月、私と信秀殿は度々見本村を訪れ、苗代の様子を確認し兄上に報告した。
苗代は茎の長さが四分ほどになること、葉が三枚に分かれることなど、兄上の提示した田植えの条件を満たしてきている。そろそろ植え付けなければならない。
あまり苗のまま伸びさせては、植え付け後の成長が悪くなるらしいのだ。
そういうわけで私と信秀殿は、正条植えの指導をするため見本村を訪れている。兄上の話によると、正条植えとは稲同士が水や栄養を取り合わないよう、一定の間隔を空けてまっすぐ植えていく方法だ。
これにより、それぞれの稲が最も効率よく育つことができる。また、きっちり敷き詰めることになるので、同じ範囲に植えられる数自体も多い。
「このようにして、等間隔で植えていくんだ。そうすれば土地を有効利用し、取れ高を最大まで増やせるだろ?」
農民たちが深く頷く。苗代を作り管理していく上で、こちらのやり方にも慣れてきてくれたようで、想像の範囲外のことを言われても、理解し従ってくれるようになった。
「それじゃあ植え始めよう。もちろん俺も手伝うが、今回は田植えの手間を大幅に減らすため助っ人を連れてきたぜ」
信秀殿が連れてきた助っ人とは猿や熊など、四足歩行ではあるが信秀殿の能力を使って教えれば、前足で田植えができると判断した動物達だ。
米作りをしていく上で田植えは腰にきつい重労働だ。これを村の人間だけでするのではなく、動物たちに手伝わせることで負担が減る。
兄上と信秀殿と3人で話し合い、信秀殿の能力を石高倍増に役立てられないかと話し合って結果、生まれた作戦だ。
「こ、こいつらに手伝わせるんですかい?」
農民たちも信秀殿の噂は利いたことがあるはずなのだが、さすがに熊や猿に農作業をさせるとなると、混乱したようだ。
牛や馬に田を耕させるぐらいは、したことがあるのだろうが田植えを猿や熊に任せるというのは聞いたことがない。普通の人間は動物にそこまで綿密な指示ができないからだ。
「もちろんそうだ!お前らも聞いたことがあるだろ?俺は動物使い。人と話すみてえに、動物と話すことができるんだ。だから仲良くなりさえすりゃあ、手伝ってもらえるってわけだ。」
「へええ!そりゃ便利ですなあ!」
「まあそれでもさすがに動物だけじゃ、人手が足りねえ。やはり人間が中心になって植えねえとな」
「へえ!そりゃもちろんです!」
こうして田植えは効率よく、進んでいった。そしてそれからさらに二か月ほどが経ち、稲もそろそろ穂が出ようかというときだった。
1536年 7月 信孝22歳 信秀26歳
【三河国 合歓木城 評定の間】
[康孝サイド]
「本願寺が動いたじゃと?」
伊勢に忍ばせてある服部の手の者から報告があった。半蔵は兄上とともに百間滝へ修行に向かっているが、地方にも何人か諜報役が送ってある。
忍びの報告によれば、本願寺は紀伊・伊勢方面の海賊に輸送させ、願正寺に連発銃と連発銃の扱いに長けた専門兵を運び込んだらしい。
兄上が修行に出てから、そろそろ一ヶ月ほどだ。そろそろ帰ってくると思うが、本願寺の侵攻には間に合わぬかも知れぬ。
「さすがにまずいぜ。俺達だけじゃ連発銃への対処法がねえ」
本願寺への対処は兄上が帰ってきてから、修行の結果を見て決めるつもりであった。
しかし、本願寺は兄上がいないことに気づいたのか、農業改革を嗅ぎつけたのか”農繁期である”この時期に動いてきた。
本願寺の門徒兵は基本的には農民だが、連発銃を扱わせる専門兵だけは銭で雇っているという。故に農繁期でも侵攻できるというのだ。
ただ、そうは言っても農民兵ほどの数は雇えていないはずだ。連発銃の訓練にも時間がかかるだろう。だとすれば軍自体はそこまで大規模ではないのかも知れない。
「願正寺には、どのくらいの兵が入っておるのだ?」
「はっ…。およそ一万ほど。少なくとも全員分の連発銃と新火薬による弾薬があるようです。」
「一万!!」
私と信秀殿は声を上げた。
今合歓木にいる洗脳兵は200人ほど、今年の収穫と椎茸・清酒・石鹸による収入が出てから、大規模に雇い入れる予定であったが…。
尾張の農民兵を動員するという手もあるが、それすれば今年の収穫は望めなくなるかも知れない。加えて、伊勢に近い地域は本願寺軍に青田刈りされる可能性も高い。
本来なら青田刈りなどすれば農民の反感を買い、後の支配の障害となるが、本願寺は農民も兵士も皆殺しにする故、民の反感など関係ないはずだ。
「連発銃の専門兵が一万……」
信秀殿と私は唖然とした表情で言葉を失っている。兄上が修行に行く前に連発銃の恐ろしさは聞かされている。
種子島の数倍の速度で、数十発の弾丸が刹那の間に飛んでくるという。避けることは考えられないし、その速度から身を守る防具もない。
もしかしたら本願寺では防具も開発しているのかも知れないが…。
「そうだな。まず本願寺が願正寺に集めた兵をどう動かすかだ」
私より早く立ち直った信秀殿が戦略を練り始める。
「そうですな。恐らくは伊勢に近い海東郡・海西郡を攻めるでしょうな」
海東郡・海西郡を守ろうとすれば野戦になるだろう。城に守られてない状態で連発銃と戦うのは自殺行為だ。
「海東郡と海西郡か…」
海東郡の勝幡城は信秀殿が産まれた城だそうだ。しかし信秀殿は山で馬に育てられたため、城に思い入れはないらしい。
「そうだな。やはり海東郡・海西郡は捨てて聖王城に籠るべきだろう」
聖王城は11年前の戦いで、信秀殿が日輪を落としたとされる聖山に建てられた城だ。
城の周りは幾重にも城壁で囲まれており、それぞれの城門は鉄でできている。外側には深い堀もある。そして聖天守と呼ばれる中心部は四層からなる壮大な城だ。
本来、信秀殿の本拠地は聖王城なのだが、今は見本村の指導のために合歓木城に留まってもらっている。尾張の仕置きは重臣たちに任せてあるようだ。
「聖王城ならば、連発銃がどんなに恐ろしいものだとしても守り抜けるでしょう」
「それにやつらは皆殺し政策で石高が減ってるから、常に兵糧に不安があるはずだ。戦いが長引けば引き上げるだろう。」
確かに本願寺の兵站はギリギリのはずだ。恐らく一ヶ月持ちこたえれば、どうにか引いてくれるだろう。それに二日か三日もすれば兄上が帰ってくるはずだ。
「それしかないでしょうな。それならば一刻も早く聖王城に向かいましょう」
「まあ、聖王城に行くと見本村の収穫指導ができねえが…。事態が事態だからしょうがねえな」
私達は小姓に、”兄上が合歓木城に戻ってきたら聖王城に向かうように伝えてくれ”と頼んだ後、信秀殿の使役する馬に乗って聖王城へと向かった。




