聖王の誕生
1525年10月 信秀15歳
【尾張・洞窟内】
本願寺との戦いのあと、信秀は故郷の山を離れ、別の山で住みやすそうな洞窟を見つけ住みついていた。
下手にあの山近くでうろうろしていては本願寺の残党に見つかる恐れがあると思ったからだ。
そもそも、自分がどうやって勝ったのか覚えていない。目覚めたときには門徒兵と動物達の死体がただ、転がっていた。
ただ本願寺の親分らしい少年の死体や、軍を指揮していた老人の死体は見つからなかった。
「死んでねえからには、逃げたんだろうが…何がどうなったんだろうな。向こうが優勢だったと思うんだが」
信秀には咆哮を上げる直前からの記憶が無かった。虎鉄を殺されてカッとなった辺りからだ。頭の中で妙な音がして、その先は覚えていない。
信秀は一人、あのとき自分が放った言葉を思い出していた。
「天下…かぁ…。」
確かに、あの瞬間 あのガキとなら天下に手が届くと思った。戦を止められる、もう誰も死ななくて済むと。
「しかし…俺一人じゃな。どうすりゃいいんだ」
いくら天下を夢見ても、今の信秀はただの浮浪者だ。兵も権力もない。動物達を使役して人間の城を襲えばいいのだろうか。
だが、人間は武器を使う。本願寺以外の勢力なら鉄砲ほど恐ろしい武器は持っていないだろうが、弓や槍だけでも動物達にとっては脅威だ。
特に信秀は自分が咆哮してからのことを知らないので、人間と戦って勝てる気がしなかった。第一、定八達が死んだ以上、人間と戦うなら動物の仲間を集めなおさないといけない。
「それに、そもそも俺には政治とか財政とかわかんねえんだよな」
もし人間の城を占領できたとしても、農民を使役して年貢を納めさせ、経済を発展させて税を納めさせなければ、次の所を攻めることはできない。
こればかりは動物に頼るわけにいかない。自分で学ぶか、人間の協力者が必要だ。
正直、信秀の考えは行き詰ってしまった。
ガサッ
その時、洞窟の外で物音がした。
まずい、油断した。ここは山の奥の方で、猛獣がたくさん住んでいるため、猟師もあまり入ってこない場所だ。あの戦い以降、信秀は熊や猪とは対話が可能になったため、彼らと交渉して住ませてもらっているのだ。
だから、ここに人間が入ってくるとは思っていなかった。
ぐおふっ
洞窟に入ってきたのは、ここの辺りを縄張りにしている熊だ。体長が他の熊達の数倍もある。縄張りに住ませてくれているので、信秀は”大家”と呼んでいる。
信秀は人間の気配を感じたのは勘違いだったかと思ったが、大家は背中に4人の人間を乗せて連れてきていた。
「なんだ?そいつら」
がうあうが
「そいつらが俺に用があるって?それで連れてきてくれたのか」
大家の話では、人間が勝手に縄張りに入ってきたので配下の熊たちに命令して様子を探らせていたらしい。
彼らの会話を盗み聞きした限り、彼らはこの山に”聖王”がいると聞いて尋ねてきたらしい。そして聖王というのは、先月まで救世主と呼ばれていた…つまり信秀のことらしいということがわかったというのだ。
よって信秀に対して害意がないこと、餌場を荒らす恐れがないことを確認した上で、ここまで連れてきたらしい。
もちろん大家は人間の言葉を喋れないから、連れてきたというよりも襲い掛かって捕まえてきたというのが正しい。
信秀は、人間たちを大家の背から降ろし、話を聞いてみることにした。
「お前たちは何者だ?どうして聖王とやらを探してる?」
とりあえず、相手がどこの誰か、目的は何かを知らなければ話は始まらない。
それによって信秀=聖王をどんな形で利用しようとしているのかがわかるはずだ。
「我々は、ここ尾張の領主を務めているものです」
「領主だと?尾張には領主が4人もいるのか?」
彼らの話によると、尾張には幕府から認められた領主である守護の他に、守護の家臣で一番偉い守護代というのがいるそうだ。
彼らは守護と守護代、そしてもう一人は最近力を付けてきた小領主…で信秀の父だということだ。
「俺の親父だと?そんなことどうやってわかるんだ」
信秀が馬の定八に拾われたとき、身分を証明するようなものは持っていなかった。
15年前、信秀を攫った本願寺の諜報員と、蜂須賀党がもみ合っているうちに証拠になりそうなものは紛失してしまったのだ。
信秀の質問に父・信定が答えた。
「今となっちゃ証明するものもねえんだが…一応、民衆の間では、聖王は織田・弾正忠家の子だと噂されてるな」
5年前、異星人に白虎の印を刻まれた頃から、救世主の噂はぼちぼち出始めた。その頃から、弾正忠家の子らしいという噂はあったのだ。
弾正忠家としては保護したかったのだが、救世主を保護して尾張のパワーバランスが崩れれば信友・信安と同時に戦うことになる。それはまだしも本願寺と本格的に敵対する恐れもあった。
だから弾正忠家の子らしいと聞いていながら放置していたのだ。
「ふうん……」
信定の答えに、信秀はどうでもよさそうに返事をした。
証明しようがないなら、実の父などどうでもよかった。信秀の父はやはり定八だけだ。
信秀は話を戻すことにした。
「それで?結局、あんたらは俺に何の用なんだ?」
信定が信秀の父ということで、話がそれてしまったが元々彼らが来た目的を聞いていたはずだ。
信秀の質問に、今度は信安が答えた。
「そうでした。話せば長くなるのですが…」
信安はこの1か月で尾張に起きている聖王信仰・聖戦について話した。
「なんだそれ………」
信秀からすれば、それしか言いようがなかった。本願寺との戦いの前にも自分が信仰されていることは知っていたが、戦いの後の流れが異常すぎる。
「冗談じゃねえ!なんでそんな話になってるんだ!」
確かに動物を使役して戦ったのは事実だけど、山に火を放ったのは本願寺だし、法力については意味不明だ!
それに…信者たちが信秀を領主に仕立て上げるために、聖戦と称して今の領主に戦を仕掛けようとしているという。
「にわかには信じがたい話だな……」
信秀は混乱する頭を必死に鎮め、腕を組み静かに頷いてから、これまで聞いた話を頭の中でまとめ始めた。
そして静かにため息をついた後、話し始めた。
「つまりお前らは聖戦とやらで殺される前に、先手を取って俺に降伏しに来たってわけか」
信秀が王になってしまえば、信者達は暴動を起こす必要がなくなる。
それに聖王自身が信安達の身の安全を保障すれば、無理に殺そうとはしないだろう。それは聖王の評判に関わる。
信秀の言葉に、信安が暗い表情で答えた。
「ええ…。はっきり言って、我々は追い詰められています。どうか聖王の御力でお救い頂きたいと願っております」
信秀は悩んでいた。彼らの話は信秀にとっては願ったりかなったりだ。何せ今まで権力と兵力、そして武器がないことで悩んでいたのだ。
聖王になれば、それらを手に入れ天下泰平の戦いを始めることができる。
だが同時に多くの人間の命を預かることでもある。だから悩んでいた。
信秀には信者たちが言うような超能力などないのだ。
太陽も落とせないし、法力で人を石山まで飛ばせるわけがない。
そんな信秀が人々を天下泰平に導けるのか…?
「いや、悩むなんて俺らしくねえよな」
何を悩むことがある。千載一遇の好機じゃねえか。
(あの時、証如というガキに会ったとき、確かに天下統一が可能だと思った。
二人の力を合わせれば…。現にあのガキは鉄砲とかいうありえない武器を開発してる。
俺の動物使役にも、まだ上があるのかも知れねえ。)
そう考えた信秀は、静かに立ち上がった。
「お前たちの降伏を受け入れよう。俺は聖王になるぞ」
「天下泰平のためこの日ノ本の土地、悉くを征服する」
信秀の瞳は、証如がいるであろうはるか西の空を見つめていた。




