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もう一人の救世主

1525年 8月 信秀15歳

【摂津石山・石山本願寺】


世の中が乱れれば人は英雄を求める。これを英雄待望論という。


戦乱のせいで、金も食べ物も奪われ、戦死・餓死で家族が死んでいくたびに人々はそれらの災厄を打ち破る突出した能力を持った人物を求めるのだ。


戦乱を止める救世主がいるかも知れないという情報は人々に希望を抱かせた。


尾張には蓮如が予言した救世主がいる。信秀の誕生から15年、この噂は一向門徒の間にじわじわと広がっていった。


門徒達は救世主に祈り、奪われ殺されることのない太平の世を願った。


一方で、その祈りは救世主を独り占めしているらしい尾張の大名家、斯波家・織田家への強い怒りを生み出していた。


この考え方は時代が下るたびに、全国の門徒に広まっていき石山本願寺の中にも、石山への救世主誘致をうたう僧侶が出始めた。


救世主の力であらゆる衆生を救おうという論理だが、実際には救世主を祭り上げることで宗教的権威を高め、”太平”という大義名分のもとで加賀のような門徒国を増やし天下統一をすることが目的だった。


「尾張に一揆を起こすじゃと?」


下間頼慶の提案に対して、証如は困惑した声で答えた。


ここは石山本願寺の本堂である。法主の座には11歳の少年が座っており、その隣には60代の老人がいた。


そして本堂内には、幹部を始めとして数十人の僧たちが控えている。


少年の名は本願寺証如、父を早くに無くし祖父の死とともに若くして本願寺の法主となった。

老人は願証寺蓮淳、証如の外祖父(母の父)で幼い証如を補佐する、本願寺の実質的代表者である。


幹部は下間頼慶・頼秀・頼盛などがいる。

一揆の件を申し出たのは下間頼慶だ。


困惑する証如に対して、頼慶はゆっくりと答えた。


「ええ。まず本願寺から斯波家に対し、正式に救世主の引き渡しを要請します」


頼慶は、さらにまくしたてるように話していく。


「素直に引き渡せば、救世主を旗印にして各地で門徒を増やすことができましょう。

渡さない、もしくは救世主がいないならば、救世主の独り占めを弾劾し尾張の門徒を立ち上がらせれば、美濃・三河・伊勢の門徒も呼応し、尾張を門徒国にできましょう」


これほど救世主信仰が広がっているならば、石山で救世主を確保し彼の名前を使い、救世主の御力によって、より確実に極楽浄土へ向かえると喧伝すれば、これまでとは比べ物にならない数の門徒が得られるはずだ。と頼慶は考えていた。


そして各地で”太平を創る戦”をうたった一揆を起こし門徒国を増やしていけば天下統一も夢ではない。


もし仮に救世主がまゆつばでも尾張を門徒国にできれば、本願寺の勢力がまた一つ増えることになる。


証如は頼慶のプランを吟味するが、少年である彼には内容がよく理解できない。


「のう、爺はどう思う?」


証如から尋ねられた蓮淳は少し考えて答えた。


「救世主を迎えることに否は有りませぬが…。気になるのは、その救世主が本物だった場合ですな。我々の想像が及ばぬ力を持った聖人君主など、手に余りましょう」


救世主は門徒集め、国盗りに利用する分には役に立つ。だが蓮如の予言からすると、救世主は衆生を救うため、特別な力を持つという。もしその力が腐敗した本願寺の中枢を崩し、まともな政治体制を作り得るものだったら…


苦労して作り上げてきた、蓮淳たちの金と権力は失われてしまう。


その言葉に納得して、下間頼慶が答える。


「なるほど。制御可能な救世主なら良し、不可能ならいらぬというわけですな」


そこまで言って頼慶は少し、考えた後でこう続けた。


「されど、本当に制御不能ならば放っておくわけにはいきますまい。本願寺の害となる前に殺してしまわねば。」


頼慶の言葉に蓮淳はなるほどと頷いて、尾張一揆が必要であることに納得した。


「なるほど。そしてお連れするにしろ殺すにしろ、斯波や織田の妨害はあるじゃろう。

だから尾張の民を動かす必要があるわけじゃな」


そう発言しながら、蓮淳は具体的なプランを頭の中で練り上げていった。


「ならば忍びどもを動かし、尾張と周辺国の衆生に”斯波家が救世主の御力を悪用して、天魔と取引しようとしているとの噂を流すのじゃ」


第六天魔王波旬は人々の欲望を叶え、堕落させることで悟りの道を邪魔する悪魔と言われている。


斯波家が自らの欲望を叶えるため”天魔”と取引したと本願寺が認めたならば、尾張の門徒は強く反発するだろう。


「天魔と取引し阿弥陀仏の力を弱めて、念仏を唱える者を地獄に堕とそうとしているとな」


一向門徒にとって”念仏を唱えれば極楽に行ける”というのは生きる上で心の拠り所になっている。

それを斯波家が天魔との取引で台無しにしようとしているとなれば、全国の門徒が黙っていない。


「それだけで、尾張はもちろん周辺国の門徒も立ち上がるはずじゃ」


蓮淳のえげつない策を聞いた頼慶は、その有効性に舌をまいた。


「なるほど。了解いたしました。そのように下知しましょう」


こうして信秀のあずかり知らぬところで、信秀捕獲作戦が進行していた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


【石山本願寺・廊下】

法主の間を辞した蓮淳は、怒りと焦りの混じった顔で愚痴を言っていた。


「何が救世主だ…!”これ以上”化け物に出てこられてたまるか…!!なんとしても始末せねば…」


5年前ある日突然、まだ6歳だった証如の姿が忽然と消えた。誘拐だ、神隠しだと大騒ぎになったものだ。


その数日後、証如はフラっと帰ってきた。


「あの時からじゃ…。証如が”あれ”を身に着けたのは…」


「”あれ”は持っているのが一人なら領土拡大に役立つが、二人もいては必ず双方の破滅に繋がる」


尾張の救世主にどんな能力があるか、蓮淳にはわからなかったが、証如に匹敵する能力があると考えていた。それらがぶつけりあえば被害は甚大なものになる。


「部下になど任せておけん。ワシ自ら尾張に向かい、一揆の指揮をとらねば」


蓮淳は、救世主を消すべく決意を新たにした。


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