すれ違う想い
王が若く美しい未亡人と親しく交流しているという噂は、すぐにリリアーヌの耳に届いた。
「……と言うわけで、陛下が王太后さまのサロンに足繁く通っていらっしゃるのは、子爵未亡人がお目当てだってもっぱらの噂ですの。何でも王太后さまが、お二人の間を取り持ったとか」
「そう、王太后さまが……」
伯爵夫人は独りよがりな正義感から、王の愛人の噂を伝えなければと、勢い込んで王妃の元にやって来た。
そして王妃から思ったような反応が返って来なかったので、さらに言い募った。
「もちろん私は、王妃さまの味方ですわ! 教会だって愛妾を置くことなど、絶対に許しませんもの」
「ありがとう、伯爵夫人」
リリアーヌは皮肉な思いを隠して微笑んだ。
果たして目の前にいる伯爵夫人や教会が、いざという時に本当に自分の味方をしてくれるのだろうか。
かつて祖国を追われた時、教会も親交のあった貴族も自分たちに類が及ぶことを怖れ、何もしてくれなかったというのに。
伯爵夫人が退出すると、壁際に控えていたニコラが王妃にすっと寄って「すぐに手を打つべきだ」と忠告した。
ニコラは成長して精悍な聖騎士となり、リリアーヌの護衛をしている。
短髪の黒髪にすこし吊り上がり気味の黒い瞳、男性的なきりりとした眉。たくましい身体に、白に金の縁取りとボタンのある騎士服がよく似合う青年になっていた。
「愛人とその後ろにいる者たちが、大それたことを考える前にその芽を摘もう。教会の高位聖職者に手を回し、圧力をかけて――」
この大陸の中原の国々に絶大な力を持つフレイア教会。
その教義の中で結婚は、神の前に一組の男女が結ばれる神聖なものとされている。
表向きは例え王と言えども、側室や愛妾を置くことを許さず、庶子も認めていなかった。
「ニコラ、心配してくれるのはありがたいけれど、そんなことをしたら大事になってしまうわ。夫婦の問題なのに」
「だけど――!」
「ジェレミーと話し合ってみる。彼には王の後継者、王子が必要なの。子爵未亡人のことが本当に王太后さまの意向なら、私が身を引くことも考えなければいけないかも」
「リリィ!」
「そんな顔しないで。私の初めての赤ちゃんがダメになってから、ずっと心の片隅で考えていたの」
ニコラはその時のことを思い出し、唇を噛み締めた。
プロヴァリー王家は聖女リリアーヌを特使として同盟国に派遣し、穢れた地を浄化させたことがあった。
その時に長旅と無理が祟ってリリアーヌは倒れ、お腹の子も流れてしまったのだ。
「それは、リリィのせいではない!」
「……陛下に私が話をしたいと、今夜遅くなっても構わないから、王妃の部屋に来て欲しいと、伝えてくれる?」
「――分かった」
ニコラはリリアーヌに気づかれぬようそっとため息を吐いて、部屋を出て行った。
王はここしばらく政務が忙しいことを理由に、リリアーヌと二人きりになることを避けているかのようだった。
けれど今日はニコラの伝言を聞いて、夜更けに公務服のままリリアーヌの部屋にやって来た。
王妃の部屋は居間と寝室、それに夫婦共有の寝室を挟んで王の部屋へ続いている。夫婦の寝室へは互いの部屋のドアから直接、行き来できるようになっていた。
最近は、それぞれの部屋の寝室で別々に眠る日が続いていたが……。
「遅くまでお疲れさま。来てくださって、ありがとう」
「ああ。――それで、話ってなに?」
リリアーヌはゆったりとした部屋着でジェレミーを迎えた。
温かいハーブティを入れて、夫に勧める。
「ジェレミー。最近親しくされているお友達は、いつ私に紹介して下さるの?」
何でもない風を装い、笑顔で切り出したリリアーヌに、ジェレミーはハッとして顔色を変えた。
「――彼女はっ。君が心配するような、関係じゃない。エレオニーは純粋で貞節な、とても信仰深い女性なんだ」
ジェレミーは警戒するように身を固くし、顔を背けた。
「ええ、でも……噂になっているから。このままだと、子爵未亡人の評判にもかかわるでしょう?」
「エレオニーは、国のために尽くして亡くなった臣下の夫人だぞ! それを、君はくだらぬ噂を信じて、僕が王の立場を利用し彼女をモノにしたとでも邪推しているのか。いったい僕を、何だと思っている?」
「ごめんなさい、そういうつもりではなくて。ただ、まだ随分とお若い方だと聞いたので、再婚先を紹介してあげるとか、何かして差し上げられることもあるでしょう?」
リリアーヌの提案に、ジェレミーはあからさまに嫌な顔をして彼女を睨んだ。
そんな夫に、リリアーヌは少なからずショックを受ける。
「彼女は――エレオニーは、君とは違う。ごく普通の、心根の優しい繊細な人だ。喪が明けても夫を想い、喪服を着続けているような。
そんな彼女に、再婚話だと? 僕から持ちかけられたら、いやでも断れないだろうに。これだから、君は――。
あの人を傷つけるような真似をしたら、許さない」
「落ち着いて、ジェレミー。ちゃんと話し合いましょう。私は」
「話しても無駄だ! 人から崇められ、ちやほやされている聖女の君には、僕と彼女の友情など、到底理解できないだろう」
憤慨して肘掛椅子から立ち上ったジェレミーを引き止めようと、リリアーヌは夫の腕を取る。
すると、ジェレミーは妻の手を乱暴に振り払い、一瞥もせずに部屋を出て行った。
「ジェレミー……」
呆然とするリリアーヌの瞳から、涙が零れた。
「――私だって祖国と両親を失い、この国とあなたのために尽くして来たのに。夫であるあなたしか、この宮廷で頼れる人は居ないのに」