匿名希望の某関係者(新米警官デボラ・ゼーバルト)【後編】
結論から言うと、小柄な人物から渡されたその証拠品は事実だった。自ら裏取りもしたので間違いない。信じられないことだが、誠実で有名なキルヒホフ上院議員は不正選挙を働き、反社会的勢力とも強い繋がりがあったのだ。
自身の手に余る事態。私はそれら情報の全てを上司に報告して委託した。上司は適切に処理するとだけ私に話した。キルヒホフ上院議員も今なお政治活動を続けている。水面下で警察が動いているのか。それとも証拠が握りつぶされたのか。それはまだ不透明だ。
それから半月。私はとある人物と待ち合わせていた。服装は着慣れないドレス。待ち合わせた相手の希望だ。やや落ち着かない気持ちながら待つことしばらく、待ち合わせの時間丁度にその人物は現れた。
「本当に来るとは思わなかったよ」
開口一番にその人物はそう話した。小柄な体格にスーツを着込んだ青年――少年だ。黒い髪に黒い瞳。中性的な顔立ち。ともすれば少女のようにも思えるその少年が屈託のない微笑みを浮かべる。
「来るとは思わなかったのはこちらの方よ」
私は呆れ半分、驚き半分に口を開く。
「私は少し前にアナタを捕まえようと追いかけていたのよ。その私の前によくも無防備に姿を現せたものね」
そう。この一見少女にも思える少年こそがキルヒホフ上院議員の不正情報を雑誌に売り渡していた情報屋――記事に掲載されていた某関係者その人であった。こちらの言葉に少年が小動物のような笑顔を浮かべる。
「君が例の情報をどう扱ったのか。それは把握していたからね。君にもう敵意がないことは分かっていたよ。それに僕に対する逮捕命令もすでに解かれている」
「……どうしてそこまで知っているの? 警察に内通者がいるの?」
「それは内緒」
「……この待ち合わせの日時を書いた手紙をどうやって私のデスクに置いたの?」
「それも内緒」
「……何も答える気がないなら、どうして私をここに呼びつけたのよ」
「もちろんデートさ」
私はぽかんと目を丸くした。少年がゆっくりとお辞儀して可愛らしくウィンクする。
「ミス・デボラ。君のためにとっておきのお店を予約しているんだ」
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「……どこがとっておきのお店よ」
少年に連れてこられたのは入り組んだ路地にあるラーメン屋であった。不満から半眼になるこちらに、少年が「あれ?」とおどけるように首を傾げる。
「君はこういう店が嫌いなの?」
「そういうことじゃなくて……こんな格好で入るような店じゃないって言ってるの」
ドレスアップした自身の姿を指差して言う。すると少年が意外だとばかりに目を見開く。
「とんでもない。どうしてそう思うのか僕には理解できないな」
「理解できないって……こういう恰好はもっと高級なお店とかでするものでしょ? 男のアナタはスーツだからさほど違和感ないかもだけど、ドレスの私はひどく場違いよ」
「それは違うよ、ミス・デボラ」
こちらの反論を少年がきっぱりと否定する。
「衣服とはもとより防寒及び体を守るためのものだ。だが今はその役割のほかにも、他者への敬意を示すための道具としても用いられている。つまり店の格式など関係なく、そこに大きな敬意があるならば服装もそれに見合うものでなければならないんだ」
「……その敬意がこのラーメン屋にはあるっていうの?」
「この店が提供してくれるラーメンは有象無象の高級レストランよりよほど味がいい。敬意を払って当然だろ? 僕はこの店の常連だけど来店するときは常に正装をしている。それとも君はこのような小汚い店には敬意を払うべきではないと考えているのかな?」
「……そんなこと言ってないけど」
「それなら、その恰好に何の問題があるの?」
言いくるめられて沈黙する。ここで注文していたラーメンがテーブルに届けられた。どこか冷たい店員の視線を感じつつ、私はラーメンを一口すする。確かに少年が言うように味は格別に良かった。
「……デートって言うのは何なの?」
おもむろに尋ねたその問いに、少年があっけらかんと答える。
「君とぜひとも話がしたくてね」
「……私と?」
「正確には――君のほうが僕と話したいんじゃないかと思ってね」
図星を突かれて押し黙る。しばしの沈黙。私は嘆息してから渋々口を開いた。
「……アナタを最低だって言ったこと……訂正するわ。ごめんなさい」
「それはどうしてかな?」
少年がわざとらしく聞いてくる。なかなか嫌味な性格だ。私は仏頂面になりながらも少年の問いに答えた。
「アナタの情報は全て真実だった。間違っていたのは私だったのよ」
「なるほど、そう言う認識だね。そんなデボラにとびきりの情報を教えてあげる」
少年がとても楽しそうにそう話して、続けてとんでもないことを口にした。
「キルヒホフ上院議員の不正疑惑。あの情報ね――実は全部デタラメなんだ」
「……え?」
唖然とする。言葉を失くしたこちらに少年が嬉々として話を続けた。
「君は一生懸命裏取りしたようだけどね。君が聞き込みした人間の全てが偽りの発言をしていたんだ。そうするよう金を握らせた。つまりキルヒホフ上院議員はきっぱりと無実であり、彼に対する不正疑惑はただの冤罪に過ぎないということだ」
「ちょ――それ本当なの!?」
「嘘だよ」
間を空けずそう話した少年にまたも唖然とする。間の抜けた顔をしたこちらを面白がるように少年がクスクスと肩を揺らした。
「そんな意味不明なことしないよ。僕に何のメリットもないじゃないか」
「……アナタ……ふざけてるの?」
少年の下らない嘘に腹を立てたところ――
少年が瞳を細めてさらりとこう言った。
「だけど――そうじゃないという証明もできないだろ?」
どきんと心臓が鳴る。こちらの動揺を見てとり少年がラーメンをすすりながら語る。
「君に提供した情報は今のところ否定されるものではない。だけどね、それが事実であるかなんて誰にも証明できないことなんだ。もしかしたら僕は誰かに踊らされているだけで、キルヒホフ上院議員が本当に無実だということも十分に考えられる」
「……そんなの……それならどうやって真実を見極めればいいって言うのよ」
「真実なんてものはない」
少年が淀みなく言う。
「或いは真実とは無数にあるとも言える。一つの事実を例にしても角度によってその見え方はさまざまだ。僕たちが定めている真実なんて、それほどに曖昧なものなんだよ。だけどそれを理解できていない人間は、真実が唯一に定まるものと誤認している」
少年がコップにある水を一口飲んでニヤリと唇を曲げた。
「純粋な君に忠告しておくよ。これこそが真実だの正しいだのと、そんなことを軽々しく口にするような人間は、ただの嘘つきか馬鹿の二通りしかいない。真実なんて神でもない限り誰にも分からない。だからこそ全てを信じず全てを疑わずに生きなければならない」
「全てを信じず……全てを疑わず?」
「一辺倒になるなってことさ。情報とは常に曖昧でなければならない」
少年がここで席を立つ。
「今日はそれが言いたくて君をデートに誘ったんだ。君はどうやら素直すぎるみたいだからね。そのうち痛い目に見るんじゃないかと心配になったんだ」
「心配って……どうして他人のアナタが私の心配なんてするのよ?」
「君に一目ぼれしたんだ。だから君が傷付くところを僕は見たくないのさ」
少年の言葉に思わず顔を赤くする。綺麗な顔をした少年がクスクスと笑う。恐らくからかわれたのだろう。顔のほてりを無理やり無視して少年に対して口調を強くする。
「よ、余計なお世話よ。それに私はそんな単純じゃないわ」
「本当に? それじゃあもちろん、僕がラーメン屋に正装してくるなんて話が嘘であることは当然気付いているんだよね?」
少年の発言に「は?」と目を丸くする。さらに続けて少年がこう言った。
「ドレスやスーツを着てラーメン屋なんかに来るわけがないじゃないか。さっきから店員の視線が恥ずかしくてしょうがなかったよ」
「だ、だってアナタ……ラーメン屋への敬意がどうのって……」
「敬意も何も――僕はこのラーメン屋に来たのは初めてだよ」
「常連って言ってたじゃない!?」
思わず絶叫するこちらに、少年が肩をすくめながら軽い口調で言う。
「それも嘘。こんな見え見えの情報まで信じ込んじゃうんだもの。可愛らしいことだけど気を付けた方がいいよ。それじゃあラーメンも食べ終わったし僕は帰らせてもらうね」
一方的にそう告げて少年が店の出口へと歩いていく。何が偽りで何が真実なのか。私はすっかり困惑していた。いや……そうではない。少年の言葉曰く――
そもそも真実など存在しない。
ラーメン屋への敬意。それらを少年は嘘とした。だがその言葉さも嘘の可能性がある。信じず疑わず。常に曖昧であること。つまりはそう言うことなのだろう。
「ああ、そうそう言い忘れてた」
店の出口で立ち止まり少年がポツリと言う。
「勘違いしているみたいだから言っておくけど――僕は男じゃなくて女の子だよ」
少年――もとい少女がそう微笑んで店を出ていった。




