神宮寺エリカと肉の祭典【肉マッスルフェス2用短編】
「エリカさんがお通りになられるわ!」
「相変わらず可憐で素敵だわ!」
「きゃああ! エリカさんがコッチ見たわ!」
聖マチュピピュ女学園。その校門前に黄色い歓声が上がる。もはや聞き慣れたその声に私――神宮寺エリカは優しく微笑んで応えた。手を振るこちらに、脳震盪でも起こしたようにバタバタと倒れていく生徒たち。彼らの反応に私は内心でほくそ笑む。
(まあ当然でしょう。この神宮寺エリカに挨拶を受ければビックフットだって失神するに違いありませんもの)
私は自分の魅力を理解している。謙遜などしない。する必要もない。美しいもの己の美しさには自覚しなければならない。それが神宮寺エリカである私の考え方。
(しかし……なんでしょうか)
もはや日常と化した黄色い歓声。これまでどおり気分は悪くない。だが最近どこか物足りなさを感じる。
(みな私の美しさを褒め湛えている。一体何が不服だというのでしょうか?)
そんなことを考えながら私は下校道を歩いていた。するとここで――
「ぬわあああああああああ!」
ドンッと曲がり角で誰かと衝突した。堪らず倒れ込んだ私は、すぐにぶつかってきた不届き者を睨みつけた。目の前に尻もちを付いて痛そうにする女。どうやら私にぶつかってきたのはこの女らしい。
「ちょっと――気を付けて下さらない!?」
声を荒げる。だがその声は私のものではなく妙に野太い声だった。まるで男のようだ。怪訝に思いふと気付く。目の前で尻もちをついた女。その女の姿は――
私と瓜二つだった。
「どうして私がそこに――」
目の前の自分を指差そうとして、ここでまたハッと気づく。前にかざした自身の指。それがゴツゴツとした男のものだった。私は慌てて立ち上がり自身の姿を見下ろした。そして愕然とする。その私の体が――
ゴリゴリムキムキのマッチョ男になっていたのだ。
「……え? どうして俺がそこに……」
尻もちを付いていた女が私を見て呆然としていた。自分と同じ姿の女。その彼女としばし見つめ合い、私たち二人は唐突に気付いた。
「私たち入れ替わってる!?」
まさか映画のようなことが現実に起こるとは。私は驚きよりも絶望感に体を震わせた。体が入れ替わる。最高の美を与えられた私がその美を失った。これほど不幸なことはない。だがその不幸さえも上回る恐怖。数十万歩譲って入れ替わるのは耐えるとして――
(どうして――ゴリマッチョの体なのです!?)
節操もなくブクブクに膨れた筋肉。なんと醜い体だろうか。至高の美女たる神宮寺エリカがこんな不気味な体になるなど――
(あってはならないことです!)
思わず頭を抱える。するとここで尻もちを付いていた女――否。世界でトップレベルの美貌を備えた美少女――がガバリと立ち上がり、とんでもないことを言ってきた。
「すみません! どうか俺の代わりにボディビル選手権に出場してください!」
「……はい?」
話が見えず首を傾げる。目の前の女――否。一目見ただけで眼球があまりの神々しさに焼きただれるだろう美少女――が祈るように手を組んで言う。
「俺、山田邦夫って言うんですけど、これからボディビルの大会に出場する予定だったんです。だから俺の代わりに俺の体で大会に出場してほしいんです!」
面白味も何もない名前の山田なる人物の懇願に、私はぎょっと目を剥いた。
「じょ……冗談じゃありません! どうして私がそんな悍ましい大会に!?」
「悍ましくありません! 俺、この日のために必死で体を作り上げてきたんです! この大会にかけてたんです! お願いです! 俺の代わりに出場してください!」
「絶対にイヤです! そんなことより体を元に戻すことが先でしょう!」
「大会が先です! 俺……俺この大会を最後に引退するつもりなんです! この大会を逃したら俺……俺一生後悔します……お願いです……どうか……どうかお願いします!」
エグエグと泣き出す山田。通りがかった人々から白い目を向けられる。可憐な美少女をゴリマッチョな男が泣かしていると思われたのだろう。私は焼けくそ気味に叫んだ。
「わ、分かりました! 大会には出場します!」
「ホントですか! ありがとうございます!」
「その代わり、大会が終わりましたらすぐ体を元に戻す方法を探すのですよ!」
「もちろんです! 俺もこんなヒョロヒョロの体なんてイヤですから!」
殺してやろうか。自分の体を何気にディスられて私は山田に殺意をたぎらせた。
**************
「レディースエーンドジェントルマン! 皆様ながらくお待たせしました! それではこれより、地域活性を目的とした町内会主催『肉の祭典』を執り行いたいと思います!」
近くの公園に設けられた特設ステージにて、実況者である禿げたオッサンが高らかにそう宣言する。空席が目立つ観客席からパラパラと鳴らされる拍手。それを舞台袖で聞きながら私は山田に堪らず声を荒げた。
「大会って町内会のイベントなのですか!?」
「はい! 俺はこの大会に出場するために一ヶ月かけて体を仕上げてきたんです!」
「こんな小さな大会だとは聞いてません! こんな大会なら欠席すればいいでしょう!」
「大会に小さいも大きいもありません! どうか俺の体に有終の美を飾らせてください」
山田がウルウルと涙目になる。自身の体ながらなんと美しい涙か。こんな美少女に懇願されてNOといえる人間など言えるはずもない。私は大きく溜息を吐いた。
「……分かりました。しかし私はボディビルというものを良く知りません。私は具体的に何をすれば宜しいのでしょうか?」
「舞台に上がりポージングを決めて頂ければいいだけです。ポージングはこのワイヤレスイヤホンで私が指示しますから、貴女はそれに従ってくれればいいので」
山田からワイヤレスイヤホンを受け取る。舞台袖には私と山田の姿しかない。どうやら出場者は私一人だけらしい。するとここで山田がとんでもないことを言ってきた。
「そろそろ出番ですね。それじゃあ上着とズボンを脱いでパンツ一枚になってください」
「……は!? パンツ一枚って――舞台上で胸を出せと仰っているのですか!?」
さっと自分の胸筋を上腕二頭筋で隠す。顔を赤くする私に山田が当然のごとく言う。
「ボディビル大会ですから。筋肉を見せないと意味がないじゃないですか」
「じょ、冗談じゃありません! 胸を出すなど淑女として在り得ませんよ!」
「今の貴女は淑女ではなくボディビルダーです! 筋肉の戦士なんですよ!」
「筋肉の戦士って何です!? なんで戦士が胸を出すんです!?」
「ああほら、もう出番です! 脱ぐ時間も勿体ないので舞台上で引き千切ってください!」
「引き千切るって――」
「出番です! 早く行ってください!」
山田に無理やり舞台上に押し出される。つんのめるように舞台上に立つ私に、観客たちの視線が注がれる。しばし呆然とする。だが私はついに観念して――
「ぬぅおりゃあああああああああ!」
Tシャツとズボンを力づくで引き裂いた。
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「ここでダブルバイセップスだ!」
「決めろラットスプレット!」
「意表をついてサイドトライセップス!」
イヤホンから聞こえる山田の指示。だが何を言っているのかまるで理解できない。とりあえず手取り足取りというように、細かい指示を聞き返してはポーズを決めていく。
私のそのぎこちないポージングに、観客も初めは戸惑い気味であった。だがステージも中ほどに差し掛かった頃には、観客も熱を帯びて声援を送り始める。
「ナイスバルク! その肩に乗っかっている陸亀は何年ものだい!?」
「キレてるキレてる! その胸筋かい!? それともお尻なのかい!?」
「上腕二頭筋がスカイツリー! ソラカラちゃんによろしくね!」
観客たちの声援に思わず顔が熱くなる。なんと稚拙で品のない声援だろうか。私は究極の美を手にした神宮寺エリカだ。ゆえに幼少期からその美に対する称賛の声は何度も耳にしてきた。その上品な言葉と比べれば彼らのそれはまさに野蛮だと言えた。
だが――
そのはずなのにどうして――
こんなにも胸が高鳴るのだろうか。
(私は今……高揚しているのですか?)
自分の変化に戸惑う。鳴らされるアップテンポのBGM。それにあわせてまたポーズを変える。観客たちから飛ぶ粗雑な声援。それは口にするのもはばかられる、知性の欠片もない言葉であった。だがそのはずなのに、彼らから言葉を掛けられる度に――
胸がどうしようもなく熱くなる。
(賛美の声ならば聞き慣れているはず……なのにどうしてこんなにも私は)
疑問を抱いて観客を見やる。キラキラと瞳を輝かせている観客たち。彼らは喉を傷めることも顧みず、額に汗を浮かべながら声を張り上げていた。彼らの懸命な姿を見て――
(ああ……そういうことなのですね)
私は何となく理解した。
私は究極の美を手にした神宮寺エリカ。幼少期より数多くの賛美の声を聞いてきた。だがその声は所詮外見の美しさだけ。上っ面のものに過ぎなかった。
だが今は違う。観客たちから投げられる声援。それは私の筋肉美に対するものだ。だがそれは決して外見を褒めているだけでも、上っ面のものでもない。彼ら稚拙ながらも頭を捻り考えたその声援には――
この肉体を作り上げるために費やした努力や時間を称える気持ちが込められているのだ。
だからこそこんなにも胸に響くのだろう。だからこそこんなにも心が熱くなるのだろう。生まれながらに得た肉体。それは生きるための器に過ぎない。衣服のようなものだ。それをいかに褒められようと心は充足しない。私が本当に褒めてもらいたかったのは――
その器の内にある自分自身だったのだ。
(どうりで……最近皆から褒められても虚しさを覚えるはずですね)
BGMがさらにテンポを速くする。イヤホンから聞こえる山田の指示。次のポージングを支持しているのだ。だけど私はイヤホンをそっと手にすると――
イヤホンを耳から外して放り投げた。
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(どういうつもりなんだ……彼女は?)
舞台袖から彼女を眺めていた俺は、彼女の取った行動に驚愕していた。彼女はイヤホンを外して、突然好き勝手にポージングをきめ出したのだ。そのポージングはあまりに素人じみていて決してうまくない。だがどういうわけか――
心に迫るものがあった。
(なんて……綺麗なんだ)
素人のポージング。だがそのポーズには彼女の魂が込められている気がした。観客を心から楽しませたいとする、ボディビルダーの本質があるような気がした。俺は一瞬にして彼女の姿に心を奪われた。
そして俺は気付かされた。
(ああ……そうだった。俺がボディビルダーを始めた理由はそうだったはずだ)
幼いころ。俺は体が弱かった。まるでモヤシみたいな俺にオヤジが見るに見かねて、俺をボディビル大会に連れて行った。そして俺は衝撃を受けた。同じ人間でありながら重厚な肉体を持った彼らに。だがそれ以上に、彼らの自信に満ち溢れた輝かしい姿に――
俺は憧れを抱いた。
(俺はそんな彼らになりたくて、ボディビルダーを目指したはずだ。それなのに――)
いつのまにか大会で勝利することに執着していた。今回の大会を最後にしようと思ったのも、公式の大会に敗れて自棄になっていただけだ。俺が目指したボディビルダーはそうではなかったはずだ。観客をただ楽しませたくて。幼い頃の俺のようにボディビルダーを愛してくれる人を増やしたくて。ただそれだけでボディビルダーを目指したはずだ。
(もう一度……もう一度初心に帰ってボディビルダーを続けてみよう)
俺はそう決意を新たにして、舞台上で輝いている彼女をキラキラと見つめた。
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後日、寝て起きたら体が戻ってました。