異世界転移して悍ましい世界に堕とされた女性の話
ふと目覚めるとそこは異質な世界であった。
天高くそびえる石造りの建物に
金属の箱が猛スピードで横切っている大通り。
道には奇抜な衣服に身を包んだ大勢の人が行き通い
その大半の者が板状の何かに視線を向けて歩いている。
「ここは・・・一体・・・」
確か私は買い物の途中であったはずだ。
だが通りを歩いている時、
子供が不注意に馬車の前に飛び出した。
私は子供を助けようと子供に駆け寄り――
(馬車に・・・はねられた?)
そして気付いたらこの奇妙な景色だ。
私はひどく頭が混乱していた。
だが動かなければ状況は変わらない。
まずはここがどこなのか知るのが先決だろう。
私は緊張しながら、
顔に奇怪な化粧をしている女性に話し掛けた。
「あ、あのすみません・・・?」
「は? 何アンタ?」
「私? えっと○×△◇王国の人間です」
「なんちゃら王国・・・なにそれ?」
○×△◇王国を知らない?
そんなことあり得ないのだが。
「ああ、何かの設定? こんな平日の真昼間に
コスプレなんかして。気合入ってんねアンタ」
「コス・・・なんです?」
「コスプレでしょ? アタシはよく分かんないけど
チュウセイヨーロッパとかそんなん?」
「えっと・・・ごめんなさい分からないです」
女性の言葉がさっぱり分からず頭を下げる。
すると女性がカラカラと笑った。
「おっとゴメン。設定とか言っちゃまずいよね。
メタ的発言は禁止ー」
「・・・あの・・・ここはどこでしょうか?」
「え? ここ? ここは渋谷だけど・・・」
「シブヤ? えっと・・・それは国名です?」
「あれ? ここは魔王城とか言ったほうが良かった?」
魔王城?
魔王など存在するはずがない。
彼女は私を馬鹿にしているのだろうか?
ここで女性が手に持っている板状の何かに
視線を落として「あっ」と声を出す。
「悪い。アタシこれからバイトなんだよね。
早く行かねえと店長にどやされちまうんだ」
「バイト・・・?」
「ファンタジー的に言うと仕事・・・は普通か?
ギルド・・・は違うし。とにかく食堂で働いてんの」
食堂と聞いて思わずお腹が鳴る。
そう言えば朝から何も口にしていない。
「なに? アンタ腹減ってんの? ならうちに来なよ。
サービスすっからさ」
ふと悩む。この国の通貨などもちろん持ち合わせていない。
だが金貨はある。金の値打ちはどこの国でも
それほど変わらないはずだ。
「それじゃあお言葉に甘えさせていただきます」
「おう、じゃあついてきなよ」
女性が笑顔で手招きをする。
その口調から怖い印象のあった女性だが
どうやら優しい人のようだ。
私はそう安堵してとりあえず女性の後をついて行った。
「おお、ここだ。ボロいけど味は確かだよ」
案内された店は周りの天を突くような建物と比較すると
こじんまりしたものだった。
だがむしろその方が落ち着くというものだ。
「いいにおいがしますね」
「だろ? んでこれがメニューな」
「えっと・・・すみません。なんて書いてあるんでしょう?」
「設定が徹底してるね。だけどそれなら日本語しゃべるのは変じゃね?」
「はい?」
「まあいいや。一番人気は焼肉定食かな」
「ヤキニク?」
「それもか? えっと・・・ファンタジー的には・・・
ああつまり、豚とか牛の肉を甘辛のタレで焼いたものだよ」
女性のその言葉に――
私は背筋が凍った。
「な・・・なんの冗談ですか?」
「は? 冗談って何が?」
「何を言っているんですか!?」
思わず声を荒げる。
女性がポカンと目を丸くする。
困惑しているのか?困惑?
困惑すること自体がおかしい。
私は気味の悪さを覚えながらまた声を荒げる。
「豚とか牛の肉!?
動物のお肉を食べるって・・・冗談にしても悪趣味です!
そんな気持ち悪いこと言わないでください!」
「気持ち悪いって・・・どういうこと?」
「どうって・・・動物を食べるなんて普通じゃないでしょ!?」
「普通って・・・よく分かんないけど・・・えっと
意味が通じてない? つまり焼肉ってこんなやつだよ」
女性が首を傾げながら
建物に貼られていた紙を指差す。
それを見て――
私はあまりの悍ましさに吐き気をもよおした。
「うそ・・・こんな・・・本当に・・・?」
「本当にって?」
「本当に・・・肉を・・・たべ・・・う・・・」
堪らずその場から駆け出した。
背後で女性が何かを言っている。
だが聞きたくない。
あんな動物の肉を食べるような
薄気味悪い人間の言葉など聞きたくない。
私は込み上げる胃酸を堪えながら
通りを全力で駆けて行った。
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細い路地に座り込んで
私は呆然としていた。
「信じられない・・・嘘でしょ・・・?」
女性と別れてから
いくつか食堂と思しき場所を見て回った。
だがそのほとんどに、
動物の肉と思しき料理がおかれていた。
あまりの恐怖に頭が混乱している。
だが分かったこともある。
この世界は私が住んでいた世界ではないこと。
そしてもうひとつ――
この世界は狂っている。
「信じられない・・・肉を・・・たべ・・・」
言葉にするのも悍ましい。
生き物をなんだと思っているのか。
可哀想だとは思わないのか。
命をあまりに軽視している。
そんな世界がまともであるはずがない。
「・・・お腹空いたな・・・」
お腹がまたぐうッと音を立てる。
どれだけ恐ろしい世界だろうと
お腹は減るものだ。
だが当然、肉を食べるなどもってのほかだ。
というか食べることなどできない。
食べる前に吐いてしまうだろう。
肉を食べるなど狂人だからこそできる。
するとここで――
「もしかして貴女・・・ヴィーガンだったりする?」
突然話しかけられた。
びくっと肩を揺らして振り返る。
するとそこには一人の黒髪の女性がいた。
「そうでしょ? さっきレストランの前で
お肉なんて信じられないとか言ってたし」
「・・・ヴィーガン?」
警戒しながら尋ねると
女性がにっこりと笑って答えた。
「植物性の食品だけを食べる人。実はわたしもそうなのよね。
お肉を食べるなんて信じられないわ」
「あ、あなたも?」
「お腹空いてるんでしょ? 私行きつけのお店があるの。
一緒に来ない? もちろんおごってあげるから」
女性のその言葉に
私は思わずうなずいていた。
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女性に案内されたお店は
色鮮やかなサラダがたくさん置かれていた。
私はお腹が空いていたことと
ようやくまともな人と出会えた安心もあり
サラダを目いっぱいに食べてしまう。
「私ね・・・こんな活動しているの」
お腹が満たされたところで
女性がそう言いながら一枚のチラシを差し出してきた。
「あの・・・すみません。字が読めなくて」
「あ、そうなの? 日本人じゃないだろうなって思ってたけど
・・・けどそうね。やっぱり外国の方が進んでいるっていうし」
「はい?」
「ああいいの。それじゃあ代わりに読むわね。
『尊い命を守ろう。ヴィーガンこそ世界平和への道』
細かい内容は省略するけど、いわゆる
お肉を食べずに植物性食品だけを食べていく
生活に切り替えようっていう普及活動ね」
「すごい! とてもいい考えだと思います!」
私はつい声を上げてしまう。
この世界では
当たり前のように肉を食べる
残忍な人間ばかりを見てきた。
だがこの世界にも
このような常識人がいたのだ。
女性が嬉しそうにニコリと笑う。
「貴女ならそう言ってくれると思ったわ。
でも普及活動は芳しくはないの。
私なんか周りから変人あつかいよ」
「変人? おかしいのは他の人です!
お肉を食べて心を痛めないなんて
もう同じ人間とは思えません!」
「私もそう思うわ。ああよかった。
こんなに話が通じる人と出会えるなんて。
どう? 貴女がよければこのチラシの
集会に参加してみない?
私もこれから行くところなんだけど」
「集会?」
「街の中で大勢の人に訴えるの。
お肉を食べることがどれだけ恐ろしいか。
命がどれだけ大切なのか。貴女ならきっと
真に迫った説得ができると思うのよ」
ふと悩む。
この世界は自身とは異なる世界であり
肉を食べるという恐ろしい世界だ。
当然ながら長居などしたくない。
集会などやっている暇などないのだが・・・
(でも・・・そうね・・・)
この女性はようやく出会えたまともな人だ。
そして恐らくその集会には彼女と同じ志――
つまり常識人が集まっているのだろう。
元の世界にすぐ帰れる保証がないのなら
そういった常識人と知り合っておくのは悪いことではない。
「わかりました! 私もその集会に参加します!」
「嬉しいわ。それじゃあ早速行きましょうか」
女性と一緒に意気揚々と店を出る。
ようやくこの悍ましい世界にも自分の居場所を見つけた。
そう考えていたところ――
ふと路地に人影を見つけた。
怪訝に思いながらその人影を観察する。
それは十代と思しき少年であった。
この世界の住民とは異なる服装で
どちらかというと自分の世界のものに近い。
何かに怯えるように体を震わせて
ブツブツと独りごちている。
「信じられない・・・あれを・・・食べるなんて」
この言葉でピンとくる。
この少年は自分と同じで
お肉を食べるこの世界に怯えているのだと。
「すみません。ちょっとこの子と話をさせてください」
「え? ええ、別に構わないわよ」
女性の了解を得て
私は少年に近づいた。
少年がびくりと肩を震わせる。
私は少年を安心させるよう優しく声を掛けた。
「大丈夫。怖がらないで。
貴方の気持ち、私もすごくよく分かるの」
「ぼ、ぼくの・・・気持ち?」
「私も信じられない。あれを食べるなんて」
少年がはっと目を丸くする。
「お姉ちゃんも・・・そうなの?」
「ええ、私も驚いた。でも大丈夫。
この世界にもちゃんとまともな人はいるんだから」
「う・・・ううう・・・怖かったよ」
涙をポロポロと流す少年に
私はそっと寄り添い優しく言う。
「もう大丈夫よ。ほらお姉さんと一緒に居よ」
「うん・・・うん・・・」
「お腹空いてる? まともな料理を
出してくれるお店があるから行こうか?」
「まともな・・・本当? それじゃあ・・・
あれは・・・ないよね?」
口に出すのも嫌なのだろう。
曖昧に言うその少年に
私は「もちろん」と頷いた。
「そこは植物性食品しか出さないお店だから。
あんな気味の悪いお肉なんて――」
ここで少年がぎょっと目を丸くして――
こちらの手を振り払った。
「え?」
少年の行動に呆然とする。
少年が顔を蒼白にしてこちらを見つめている。
まるで化物でも見るような目だ。
訳が分からず首を傾げていると――
「おんなじだ・・・なんだよ・・・おんなじじゃないか!」
「え? 同じって・・・?」
「アンタも植物を食べるんだろ!」
ぽかんと目を丸くする。
意味が分からない。
少年が堰を切ったように声を荒げた。
「植物は世界を創り上げる偉大な存在だぞ!
その偉大な存在を食べるなんてどうかしてる!
普通じゃない!狂ってる!」
「狂って・・・何言ってるの?だって・・・
植物よ? 別に動物のように生きているわけじゃ・・・」
「は!? 何言ってるの!? 植物だって生きているし
動物よりも偉大な命だろ!? それを軽視するなんて
頭おかしいよアンタたち!」
「ちょ・・・じゃあ貴方は何を食べてるのよ?」
「動物の肉に決まってるだろ!
僕たち動物は互いの肉を食べることで
これまで命を繋いできた!それで問題なかったんだ!
それなのにこの世界では植物を平気でムシャムシャと・・・
気持ち悪いったらない!アンタも同じだ!
気持ち悪い!近寄るなこのクソ野郎!」
そう言って少年が路地の奥へと去っていた。
少年にひとしきり怒鳴られて――
私はぽかんとその場に立ち尽くした。