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ひとときの憩いに

「つまらないわ」

 紅茶の香りを胸いっぱい吸い込むと、セラは溜息とともにそんな言葉を吐き出した。

「せっかくのお茶の時間なのに、着席しているのが私一人だなんて」

 恨みがましく目を細めてみせる主に、二人の臣――侍女のニーナと、王女付きの騎士であるリオは顔を見合わせた。


「セラ様、私は貴女のお世話をする身。席についてはお茶を注ぐ者がいなくなります」

「俺も、万が一のときにすぐ剣を抜けないようでは、ここに控えている意味がない」

 ほとんど同時の諫言に、セラはまた小さく息をつく。

「貴方たち、勤勉が過ぎるのではありません?」

 口調こそある程度砕けたものながら、自分の忠臣たちは身の程を弁えすぎる嫌いがある、とセラは感じていた。セラの居室にはこの三人きり。いつも通りともいえる、公の視線を気にしないでよいこの状況であれば、王女の頼みを無碍にできる存在などいようはずもない。


「ニーナ。貴女は元々、私の友人を兼ねて部屋に入れられたのですよ。それに子爵令嬢がお茶の席に着いて、なんの問題がありましょう」

「申し訳ありません、セラ様。本日が私の休日であったならば、喜んでお供をさせていただくのですが」

 それを、職務への矜持ゆえに容赦なく無碍にするのが、彼女の侍女であった。


「……リオ。主の心の健康にも気を配ってこその護衛ではありませんか? 貴方の王女は今にも寂しさで参ってしまいそうですよ」

 対して、幼馴染の騎士の方は自分に弱いことをセラはよく知っていた。一度護衛の任務に着けば驚くほど我慢強く、また足音ひとつ聞き逃さないよう寡黙になるのがこの頃の彼の常であったものの、こういうところは未だ年相応なのだ。


 案の定、リオは少し眉を下げて口を噤む。彼は少し間を置いてからセラを見て、ニーナを見た。

「リオ様」

 目に見えて迷ったリオに、諌めるようなニーナの声がかかる。

「いけません」

 王女の部屋を預かる侍女は手強かった。リオはさっきまでの迷いがなかったかのようにただ頷く。


「もう。本当、勤勉な家臣たちです。今くらいいいでしょう? 時間になったら、きちんと執務室に戻ります」

 肩を竦めて、セラは笑った。今年に入り、父がようやくセラに王位を渡す算段をつけ、大手を振って執務に参加できるようになったばかりだ。もちろん帳簿や書類を見る勉強自体はしていたし、非公式ながらも公務に同行したことはある。それでも王太子として研鑽を積むにはやはり及ばない。だからこそ、セラの父フェリクス王自身はずっと、彼の娘の立場を確立したがっていた。


「せめて、私の話し相手くらいにはなってくださいな」

 セラにとっても、父の助けとなれることは喜ばしい。だが、今までと一変した生活に肩が凝るのも確かだった。そこに来て、幼い頃から共にいる二人も、今まで以上に主従の距離を保とうとするとあっては。


「……それでしたら、ええ。承知いたしました」

 セラの顔色でも読み取ったのだろうか、ニーナは声の調子を和らげ、セラの持つカップへと視線を向ける。

「お茶のおかわりはいかがですか。セラ様のお好きなものをお持ちいたします」

「ええ、お願いできるかしら」

 ニーナの気配りにセラは笑顔を向けた。ニーナは一礼を残し、薬缶が置かれた暖炉の方へと向かう。それを見送り、セラは椅子に座ったまま上体ごと振り返った。


「リオ。もう少し近くに寄ってくださいな」

 その頼みは護衛の仕事と緩衝するものではなかったらしく、リオは素直にセラの座る椅子へと歩み寄ると彼女の左側に跪いた。随分、騎士然としてきた幼馴染に、セラはただ笑って手を差し伸べた。

「……セラ、それは良くない」

 そのまま彼の柔らかい黒髪を優しく撫ぜると、セラの近衛騎士は少し顔をしかめてみせる。

「まあ、可愛げのない。弟のように可愛がってきた貴方を、今までと同じように可愛がっているだけだというのに、何が駄目だというのでしょう」

 頬杖をつき、更に手を伸ばす。諫言を呈することはできても、セラの手を跳ねのけるのだけはリオにはできないだろう――そういう打算込みでだ。

「良くない。……我が身は王太子殿下の弟ではないのですから」

 なおも言い募るリオは、セラの目論見通り避けようとはしない。ただし、撫でようとしたセラの手は彼に捕まえられ、彼の胸のあたりまで下げられる。

「そうであれば、光栄だったのですが」

 敢えてか口調を臣下のものに変えるリオの顔を、セラは目を細めて見つめた。

「ではどのようにするのが良いというのでしょう? 騎士と王太子との触れ合いで好ましいものとは?」

 セラの問いに、リオは想定していなかったとばかりにセラの顔を見上げる。


「許しますから、私に示してみせなさい、リオール?」

 逃げるのは許さない。言外の部分にそんな意味でも見出したのか、リオは少し眉を下げ、顔に苦笑を浮かべる。


「……親交を深めること自体を否定しているわけじゃない」

「ええ、分かっています。私だって、貴方を困らせるやり方を強いたいわけではないということです」

 口調を戻したリオに、セラは視線を和らげて頷いてみせた。

 リオはそれに微かに笑みを返すと、捕らえたままだったセラの手を両手で持ち上げる。恭しくも見えるその動作をセラが目で追うと、リオはただセラのその手にくちづけた。

 手袋越しの、触れたかどうかもほとんど伝わってこない臣下の礼。セラはそれに目を瞬かせ、あっという間に解放された手を見つめる。


「……笑うな」

 リオの言葉に、セラは自分が浮かべている表情がどのようなものか知覚した。


「ふふ、だって、貴方」

 不慣れにも見えた礼。しかし、リオが慣れていないわけがないのを、セラは知っていた。幼いころからセラやその父母と親交があり、何より厳しい近衛騎士の許で育った、生粋の城育ちなのだから。

「まあ、ええ、そうですね。笑うのは失礼でした」

 居心地悪そうなリオを見て笑いを治めてなお、セラの声は華やいだ。リオが意図していたかどうかは、勿論セラには分からない。

「そうですね、貴方は私の弟ではない。本当に、そうです」

 セラが重ねて口にした言葉には、リオは返事をよこさなかった。

 ちょうど近くへ戻ってきていたニーナは、先ほどまでの会話が聞こえていなかったと見えて、黙り込むリオに目線を向ける。

「リオ様?」

「ニーナ、お茶をありがとう」

 リオと視線が合わないことに怪訝な声を上げるニーナの注意を、セラは自分へと引き戻す。ニーナは案の定顔をほころばせ、セラの目の前に淹れたてのお茶を用意した。


「夕方の執務も頑張れそうです」

 カップを手に取り、セラは笑った。

「それは、何よりでございます」

 そう答えるニーナは、理由は分かっていないのだろうとセラは思った。あるいはニーナの気遣いのおかげだと思っていても良かった、それは半分当たっているのだから。

 いつの間にかリオは立ち上がり、無言でセラの後ろへと戻っていた。ニーナの目の動きでそれを悟ったものの、今度はセラも呼び止めない。王女はただ機嫌良さげに微笑むと、手に持ったカップへと口をつけた。

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