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騎士叙任

 自分はずっとこのときを待っていたのだろう、と、ただそれだけを少年は思っていた。肩にかかった天鵞絨の外套は真新しい。それは彼の新しい身分を表すもの。ようやく掴んだ、幼馴染の傍ら(かたわら)に立つための証だった。


「王女殿下。リオール・フェルセンが参りました」

 廊下の行き止まりで立ち止まり、重厚な扉をゆっくり叩く。

「どうぞ、入って」

 華やいだ声が答え、ほぼ同時に扉が開いた。扉を開けたのは声の主とは別だ。王女の忠実な侍女は、扉を押さえたまま恭しく礼をしてみせる。


「騎士叙任、おめでとうございます。リオール・フェルセン卿」

「ありがとう。ニーナ」

 凡そニーナらしくない態度だ、と、新任の騎士は思った。この侍女は主である王女以外には殊の外厳しく、手放しの賞賛など滅多にしない。勿論、王女の部屋を預かる者が他人に甘くては困る。

 だからこそ、少年――リオールにとってはニーナの厳しささえ好ましいものだった。だが、らしくないからこそ、本音で祝ってくれていることも分かった。

 ニーナに導かれ、部屋の中に歩を進める。目当ての人物は、部屋の真ん中でゆったりと椅子に腰掛けていた。


「リオ。貴方の叙任は是非、私が行いたかったのですけれど。とはいえ、これは嬉しい誤算でした」

 声の主はリオールを愛称で呼ぶと、読んでいた本を閉じ、その長い金髪を肩の後ろへと払う。美しい緑色の眼をリオと呼んだ騎士に向け、陶器人形のように整った顔を喜びにほころばせた。

「まさか、私が十五の誕生日を迎えるより前に、こんな素敵な贈り物をくださるだなんて。もっと時間がかかるものと思っていましたもの」

 上機嫌な声の後ろで、ニーナがしっかりと部屋の戸を閉める。

「短く見積っても、あと一年。貴方が今の私の年の頃になるまでは難しいと思っていましたのに。叙任の平均年齢は、確かもう少し上でしょう」

「……まだセラの正規の護衛になれると決まったわけじゃない」

 三人だけの場になるや否や、リオの返答は端的になる。それに対してセラと呼ばれた王女はただ微笑みをもって応じた。

 セラフィーナ・ルイーゼ・ラティア。ラティア聖国の第一王女にして、王位継承順位は推定一位。文句無しに貴い身分のはずの少女は、リオの身内の如き振る舞いに一層機嫌をよくする。


「なれるわ。私のお父様を守るリュイスのように」

 リュイスというのはリオの父の名だ。国王陛下を守る近衛騎士の息子。それがリオールだった。その縁で王女であるセラとは幼馴染同然に育ち、セラはリオを弟のように可愛がり、騎士にと望んだ。だから、リオは騎士となった。何年もの時間を見習いに費やして。

「それとも、登用試験を受けてはくれないのでしょうか」

「受けるさ。突破する。……でも叙任式だってあと一週間は後だぞ。少し、気が早い」

 一片の疑いもないセラの言葉に、リオは苦笑混じりに返す。

「ええ、知っています。けれど気が早いのはリオも同じではなくて? 正式な叙任を受けるより先に、真っ先に私の元に報告に来てくれたのですもの」

 しかし、悪戯っぽいセラの言葉にはひとつも反論が出てこなかった。事実だからだ。

 リオがただ肩をすくめてみせると、セラはくすくすと笑う。


「……約束だったからだ」

 呟きつつ、リオは腰に帯びていた剣を外し、柄と鞘とを持ってセラに差し出す。剣先の丸い訓練用の剣。叙任を終えれば、これを携えることはなくなる。

「ええ、そうでした。父が貴方に騎士の名誉を与えてくださる、それはとても喜ばしいことですが」

 剣を受け取ったセラは、さながら叙任に臨む君主のように、その柄を両手で持った。

「貴方は未来の私の騎士。他ならぬ私に忠誠を誓うと言ったことを、覚えていてくれたのですね」

 セラの微笑みを見たリオは、ただその場に跪いて頭を垂れる。


「王太子殿下」

 外戚や貴族の横槍のせいで、父王すら未だに勲章を与えあぐねている少女に、敢えてそう呼びかけた。目を瞬かせるセラはしかし否定はせず、ニーナも当然とばかりに黙っている。

「……言ってごらんなさい」

「我が剣は貴女の為に。どんな未来が待ち受けていようとも、この身は殿下と共に」

 叙任式のような形式張ったリオの誓いに、セラはただ微笑みを返す。それを空気だけで感じ取り、リオは一言だけ笑って付け加えた。

「きっと、ニーナも」

 頭を下げたままのリオには見えないが、呼ばれた侍女がきっと背筋を伸ばしただろうことが想像できた。

「勿論です」

 ニーナの声がそれに応える。

「まあ。私は幸運に恵まれた王女ですね」

 華やいだ声と共に、今しがたセラに渡したばかりの剣の切っ先が、リオの肩に置かれた。叙任の儀式の真似事でしかないそれは、セラとリオにとっては特別なものだった。


「お父様は、王になる前の私に賭けてくれた臣下をこそ、重用するようにと仰いました」

 それは王位に目が眩む者たちを退けるための教え。畏れ多くも王を傀儡にしようと目論む文官たち、王族の縁戚となりたい貴族たちを見分けるための知恵だった。あるいは、忠実なふりをして近づき、その実セラの命を狙うような不届き者をも。


「私に期待をかけるばかりではなく、私が落ちぶれるならば共にと臨む家臣が既に幾人もいる。この上ない宝なのでしょう。リオに、ニーナや部屋付きの侍女たち……ああ、それからアルムスター先生も」

 指折り数えて、最後にセラは彼女自身の家庭教師の名を挙げた。

「従騎士や魔道士見習いにも、セラ様を慕う者たちが多くおります」

ニーナが付け加えた言葉に、リオも頷く。

「……父の従騎士であったソフィア・ラスペード卿はもちろん、俺と共に学んだ者の多くが望んでいる。未来のラティアを背負うのが、セラであることを」

 やや置いて、リオは目線だけを上げ、彼を見ている緑の瞳と視線を合わせた。


「では、私は必ずその期待に応えましょう。王権を勝ち取り、父や祖父たちが築いてきた栄えあるラティアに更なる恵みをもたらしましょう」

 セラが微笑んだ瞬間、部屋の中に光が差し込む。つい先ほどまで空を覆っていたはずの雲に切れ間ができ、微かに青空が覗いていた。


 偶然などではない。それこそが、セラがその身に宿す神権そのものなのだから。


 ラティアの王族に代々伝わるのは、神から授けられたとされる奇跡。笑えば恵みを、涙を流せば嵐をもたらし、その気になれば城下すべてを見通せる目を持つ彼女は、他のどの王族よりもその奇跡の影響が大きいと言えた。

 才能も、為政者の素質も持ち合わせた王の直系。だというのに、才能の大きさ故に畏怖する者たちがセラを中央から遠ざけようとする。こんな馬鹿なこともないだろう、とリオは思う。

 王に対する畏敬の念は大切だ。未知のものへの恐怖だって悪いことではない。しかしセラの怒りを買うことがあるとしたら、原因は明白だ。国のために出たものならば、どんなに厳しい言葉をかけられようと、雷で打ち据えるようなことは彼女はしない。事実、セラの家庭教師の厳しさなど、言葉を尽くしても言い表せるものではない。


「リオ。私の代になったそのときは、私の身を守る強靭な盾が必要です。磐石たる治世のために」

 一部の貴族はセラを蛇蝎のごとく嫌うだろうことを、既に彼女も知っていた。彼女の父が、改革のために疎まれたのと同じように。

「名誉ある仕事を与えます、リオール。貴方がその盾になりなさい。貴方がこの国の未来を守るの」

 リオの肩に剣を置いたまま、セラは当然のことのように告げた。全幅の信頼にリオは笑う。待ち望んで、血の滲むような努力の末に手に入れたものにただ跪く。


「謹んで、拝命いたします」

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