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あなたのうたになりたい 06


 唐突に個室のドアが開いた。驚きながらも咄嗟に出かけたおかえり、のことばが止まった。私はその瞬間の光景を、生涯忘れられないかもしれない。


開けられたドアの前に立っていたのは佳貴だけじゃなかった。袖口が広く開いている白いTシャツに黒のスキニーパンツ。黒縁眼鏡。人は信じられない光景を目の当たりにすると、動けなくなるらしいというのを実感した。瞬きも呼吸さえも忘れた。


「とりあえず入ってください」


佳貴に促されて私の前に座るそのひとを、今更見間違えるとも思えなかった。ドアを閉めた佳貴が続いて腰を下ろす。そしていたずらが成功して喜ぶ少年のような笑みを浮かべた。


「美月、言わなくてもわかってると思うけど」

「嘘でしょ……」

「シルビーのヨウイチさん」

「うそ……」


あのヨウイチが今、目の前にいる。佳貴に紹介をされてヨウイチです、なんて言いながら私に向かってぺこりと小さく頭を下げた。反射的に私も頭を下げたけれど、脳みそは相変わらず思考を放棄したままだった。


「なんで……」

「これが俺の友だちの美月っす」

「突然ごめんね。よろしくね、美月ちゃん」

「いや……」


全然、と首を横に振った。わけがわからず、ヨウイチさんの顔を見ることすらできずに、説明を求めて佳貴の目を凝視した。


「この前の電話のときは言えなかったけど、俺実は大学辞めてから一時期東京に行ってて。そのときにヨウイチさんと知り合って、お世話になってたんだ。今日久しぶりに会うのに美月を驚かせたくて、めちゃくちゃお願いした」


佳貴が朗らかに笑う。


「東京にいたときからケイキがあまりにもよく美月ちゃんの話するもんだからさ、俺もこれは会っておかないとと思って。来ちゃった」


ヨウイチさんも笑う。さっきまでは戸惑いもあったようだったけれど、この際だからと割り切ったようだった。


「東京に戻らなくて良いんですか?」


やっとのことで口から出たのはそんなことだった。それでもようやく私がまともなことばを発したことに安心したのか、ヨウイチさんは人当たりの良い笑顔を浮かべながら答えてくれた。


「明日の午後出発だから大丈夫」


こんなことが果たして現実に起こりうるのだろうか。中学時代から十年近くも憧れ続けたひとが今目の前にいて、会話をしている。もうライブは終わってしまった。現実に戻らなくてはいけないのに。


ヨウイチさんの分のお酒と食事をいくつか頼んで、改めて乾杯をした。ジョッキを持ち上げる手が情けないほどに震えていた。半分以上残っていたレモンサワーをほとんど一気に飲み干した。


「良い飲みっぷりだね」


と微笑まれるとなおさらどうしていいのか分からなくなって、おかわりをした。


佳貴がひたすら私がどれだけシルビーのことが好きかを熱弁しているのを、シャンディガフを飲みながら他人事のように聞いていた。


「初めてシルビーのライブに行ったとき、一曲目が始まった瞬間から号泣してたんすよ」

「そんなこと良いよ。言わなくても……」

「いや、それ普通にすげぇ嬉しいけどなー」


ヨウイチさんが何かを言って私が頬を染めるたびに佳貴はいたずらっぽく笑った。私はなんだか二人にからかわれているような気がして、少しだけ気に入らなかった。


「新曲はいっつも予約してフラゲして、あの詞が良いとかここの歌い方いいとか、音の広がり方が良いとか、そんなことをずっと言ってたんすよ」

「辞めてよ。本人に聞かれるの恥ずかしいって」

「嬉しいよ。だって全然世間に知られてない頃から今までずっと応援しててくれてるんでしょ。バンドマン冥利に尽きるよ……」


そういってヨウイチさんはお手拭きで目じりを拭う真似をした。心臓が浅はかに高鳴って、誤魔化すためにシャンディガフを呷った。


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