あなたのうたになりたい 03
佳貴はその後、県内の大学へ進学した。名前を書けば誰でも受かるとさえ言われるようなランクの学校だったから、先生たちからも猛抗議を受けたようだったけれど、それでも譲らなかった。新しいバンドを組んで、私は何度か彼らの練習やライブを見に行った。相変わらずの仲が続いて、県外のライブやフェスに出かけることも増えた。けれど一年生の冬、佳貴は唐突に大学を辞めた。それ以来、高校の集まりにも参加しなくなった。
それからすぐにバンドを解散していたことを風の噂で知った。連絡が取れなくなったのもその頃だった。
私は佳貴とは別の県内の私立大学を卒業して、生命保険会社に営業として入社した。けれど続かなくて半年で退職して、派遣として事務を始めた。
新卒で入社した会社を三年どころか一年足らずで辞めてしまったことが後ろめたくて、友だちともなんとなく疎遠になっていた。そんなときだった。
仕事が終わってロッカールームでスマホを確認すると佳貴からの着信が残っていた。高校を卒業してから二回携帯を変えていたけれど、電話番号をそのままにしておいて良かったと心底思った。
会社を出ると同時に発信した。一回、二回とコール音が耳元で響くたびに胸が高鳴った。まさかどこかで死んでいるわけは無いだろうとは思っていたけれど、連絡があったことで改めて安心していた。早く声が聴きたい。話がしたい。
「もしもし」
その声がふと聞こえた瞬間、七センチのヒールを履いていた足が止まった。自然と、だけどそこに縫い付けられたかのように。
「……佳貴」
「美月? 久しぶり」
両目からぼろぼろと涙が零れて落ちた。近くを通り過ぎるサラリーマンやOLたちがぎょっとした顔をする。私は泣いていることを気づかれないように、深呼吸をしてから声を発した。
「久しぶり。どうしたの?」
「いや、お前って、まだシルビー好きだよな?」
「好きだけど……。なに、急に?」
「ちょっとさ。いろいろと話したいこともあるし、久しぶりに会わない?」
「うん。いいけど」
「来月のシルビーのライブ、行くでしょ?」
佳貴の言わんとしていることや急に電話を掛けてきた意図が読めないまま、曖昧に返事をした。
「うん」
「じゃあそのときに会お」
電話口の向こうで切ろうという気配がして私は慌てて、待って、と声を上げた。
「最近どうしてるの?」
佳貴は躊躇う様子も戸惑う様子もなく、近況を語り始めた。私はひとまずこのまま再び彼が音信不通になることはないだろうと結論付けて、やっと駅へと歩き始めた。
佳貴は大学を辞めてから、アルバイトをしながらバンド活動を続けていたらしい。新しいバンドではキーボードとピアノを担当していて、自主製作ながらもCDを数枚出していた。ライブやフェスにも少しずつ出演できるようになり、ファンも増えてきたらしい。
「……すごいじゃん」
心の底からのことばに、佳貴は電話の向こうで照れたように笑った。
「まだまだ全然だよ。フェスって言っても前座の前座の前座ぐらいだし」
「すごいよ。充分、……すごい」
たくさんのひとの反対も馬鹿にしたような視線も全て跳ね除けて、今でも夢を追っている。そんなことが簡単にできるわけがない。高校時代に感じていたことは正しかった。佳貴はいつか、私が追い付けない場所に行ってしまう。
「とりあえず今度会ったときにゆっくり話そ。俺もチケット取れたからさ」
県内で来月開催されるシルビーのワンマンライブの後で飲みに行く約束をして、その日の電話は切れた。
帰宅するなりパソコンを立ち上げて、検索バーにさっき聞いたばかりの佳貴のバンド名を入力した。表示された検索結果を追っていくと、九番目にバンドのホームページが出てきた。クリックして息を飲んだ。白い背景に黒い文字のシンプルなサイト。中央上部にはロゴ。そしてその下には写真があった。普段私が追いかけているバンドとなんら変わらないような、アーティスト写真。夜空のような背景の前に立っている五人。その左から二番目。黒髪に緩いパーマを当てて、シャツを着ている。カメラから視線を外している。紛れもなく、佳貴だった。Movieの文字をクリックすると、youtubeにアップロードされたミュージックビデオが出てくる。夕食も摂らずに部屋に籠った私を心配した母親がドアをノックして声を掛けてきたけれど、それどころではない。あとで行く、と返事をして三角の再生ボタンを押した。
グランドピアノの切なげな音が印象的だった。なんとも言えない気持ちになって、気が付いたら止まったはずの涙が流れていた。