あなたのうたになりたい 13
月曜日の朝、気だるさを全身に背負ったまま出勤した。頭が働かず、何事も無いまま一日が終わることだけを願いながらパソコンと向き合っていた。だけどそういう日に限って、何も無いわけがないのだった。
「ちょっと」
派遣社員時代から今まで直属の先輩である女性社員に呼び出された。彼女は私より一回り上で、独身。大変な気分屋で仕事のスピードにもムラがあるせいで、新人の頃からずっと悩まされていた。悪い予感を覚えながら、はい、と返事をして席を立った。
「これなんだけど」
先輩が手にしていた書類は、二週間ほど前に私が処理し彼女の承認を貰って上長に回したものだった。
「はい」
「この数量に対してさ、この納期は間に合わないでしょ」
来た、と頭の中で声がした。彼女は私を叱り付けたくてしょうがなくて、常に粗探しをしている。例外はときどきあるやけに機嫌が良い日だけだ。そういえばそんな滅多に起きない奇跡がちょうど二週間ぐらい前にあったような気がする。私は何がそうさせているのか知らないけれど、とにかく彼女のご機嫌を取ってくれる何かか誰かに感謝をしながら、資料を持って行って確認をしてもらったのだ。そうだ、短納期になってしまうことを相談したのだった。そして彼女は鼻歌でも歌いださんほどの陽気さで、仕入れ先に電話して確認してみる、と答えたのだった。その後、書類を受け取った記憶が無いことに気づく。急に胃の辺りが重くなった。電話をすることを忘れていたのだろう。電話をすると言ったことさえ忘れていたのかもしれない。自分でやるべきだった。派遣の頃は彼女の害をできるだけ被らないように、そういう些細なことにも細心の注意を払っていたと言うのに。油断していた。
「すみませんでした」
「今から発注しても、次の船にもエアーにも間に合わないよ」
「はい。すみません」
こうなったらもう頭を下げるしかなかった。そんな時間があるなら仕入先と顧客にすぐにでも連絡をしたほうがいいのにと毎度思うのだが、彼女は徹底的に私を詰らないと気が済まないらしいのだった。
「だいたいいつも言ってるじゃん」
話はどんどんと飛躍して広がっていく。最終的には配属直後にやらかしたミスのことまで掘り起こされるのがいつもの流れだった。
神妙な表情で謝罪を繰り返しながら、心のなかで悪態の限りを尽くした。
そんなんだからその歳になっても結婚できないんだよ。
口にはしなくとも今までに数えきれないほど湧き上がってきていたワードなのに、出し抜けにその矛先が自分に向いたような気がした。先日の女子会で少しだけ恥ずかしそうに、それでも誇らしげに左手薬指の指輪を見せてくれた友人の顔を思い出して、鼻の奥がつんとした。やばい、と思ったころにはもう視界が滲んでいた。
それを見て彼女は何か勘違いをしたらしく、急に慌てて声の調子を変えた。
「でも済んだことはしょうがないから。ね。とりあえず連絡してみてさ、どんな感じか聞いてみなよ」
そんなことは言われなくともあなたの無駄に長い説教が済み次第、即やるつもりでした。そう言う代わりに、本当にすみませんでした。ありがとうございます。と短いことばを残して自分の席に戻った。仕入先と顧客の電話番号を探している間も、ずっと細い指に光る指輪のことを思っていた。そして不意に黒縁の眼鏡の奥にある、底知れぬ深さを持った瞳を思い出した。
ああ、と声が漏れそうになった。
ヨウイチさんと出会ってから四年目の初夏、ニューアルバムがリリースされた。十曲収録の通常版と、ライブ映像のDVDが付いた初回限定版。発売日に仕事終わりにCDショップに寄って、迷わず初回限定版を購入した。スキップしたいほどの高揚感を必死に身体の中に閉じ込めながら家路に着き、すぐにパソコンでCDを再生した。最初の一回はパソコンに落とさずにCDを再生して、歌詞カードを見ながら聴く。十曲分を聴き終えて、しばらく動けずにいた。心の中を流れて、通り抜けていってしまった。もう一度再生をする。itunesに落としてスマホに同期させる。もう一度。もう一度。けれど何度繰り返しても私のなかを通って、流れ出ていってしまう。
どうして。ほとんど泣き出しそうだった。
こんなことは初めてだった。シルビーの作品にがっかりしてしまった。