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あなたのうたになりたい 11


「詞も曲も書くのは好きだけど……、いや、好きっていうよりは書いて吐き出さないと……って感じなんだけどさ、いつでも納得いくものが作れるわけじゃないんだよ」


ヨウイチさんが俯き加減で小さな音で零したことばを、聴くべきなのかと逡巡した。私なんかが彼の、そしてシルビーの根幹であるような部分に触れてもいいのだろうか。


「プロとしてどうなのって話なんだけどね」


ふっと頬に浮かんだ笑みに恐怖に似た感情を覚えた。瞬きをしたら次の瞬間には、目の前のこのひとはこの世のどこにもいなくなってしまうんじゃないか。


「自分の感情とか状況とかって言うのが、俺は凄く大事で。いくらでも書けるときもあれば、どれだけ書いて修正を繰り返してもメンバーに聴かせる価値もないってのしかできないときもある。でも今は気分じゃないんで書けません、なんて言ってられないんだよ」


私はグラスに手を伸ばすこともできずに、静かに続きを待つことしかできなかった。


「たまによくわからなくなる。好きで始めた音楽なのに、バンドなのに……、俺が今やってるのってただのビジネスなんじゃないかって思えてくる。音楽も小説も映画も世の中有り余ってるからさ、受け取り手だってゆっくり一つ一つの作品に浸っている時間も感情の余白も無いんだよ。やっとの思いで新曲をリリースしてもしっかり心を留めて聴いてもらえるのなんて最初の一回かせいぜい数回ぐらいで、次の水曜日には新しいCDを買ってる」


私は唾を飲んだ。そう意識した。


「単に聴き手をずっと夢中にさせられるほどの曲を作れない、俺の力不足のせいかもしれない。……だけどときどきどうしようもなく虚しくなる。俺は作り手として、発信する側として一番深いところまで降りていきたい。そうじゃないと足を踏み外して、転げ落ちてきたやつらを受け止めてやれない。そういう音楽が作りたいのに、なんか、もう、求められているものは違うのかなって、たまに思う」


どうしてヨウイチさんは私にこんな話をするのだろうと、ずっと考えていた。きっと彼は私のことを信用していないのだ。シルビーの曲が好きだと公言する私のことを。リリースされたCDを全部持っていてもライブに足を運んでも、数えきれないほど彼らの曲に救われたことがあっても、まだ信用してはもらえないのだ。


今の私たちを隔てるのはテーブル一つ分の距離なのに、まるでライブハウスの一番後ろから遠いステージ上を必死で背伸びをしながら覗こうとしている気分だ。それどころかもっともっと遠く感じる。ステージの上の私の憧れの人は、汗を流しながら必死で想いをことばや音にして伝えようとしてくるけれど、フロアの人込みのなかのたった一人でしかない私の想いは、どうやったら伝わるのだろう。


「……なんかごめんね。こんなこと、美月ちゃんに話すべきじゃないのに。話すつもりもなかったのに。幻滅させちゃうね」

「そんなこと……」


そんなことないのに。私にはそんな気を遣わなくたっていいのに。例えば私がそう口にしたって、目の前のこのひとは信じてはくれないのだろう。


私が閉口していると、ヨウイチさんは不意に顔を上げて子どものようなくしゃっとした笑顔を浮かべた。


「そういえばさ」


それから続いたのは、MCで話すようなメンバーの小話だった。かつてフェスへ出演する日に寝坊をして集合時間に遅れて置いて行かれ、会場までタクシーを使ったらそれだけでギャラが飛んだという話。私はいつもより相槌の数を増やしながら聴いた。


 デザートまで食べて、お腹いっぱいだね、と顔を見合わせて笑った。


「欲張りすぎたね」

「ほんとですね」

「こっち来れる機会もそんなに無いから、どうせなら食べておかないとって思えてさ」

「ヨウイチさんは大丈夫ですよ。細いから。食べても食べても太らなそう」

「そんなことないよ。気を付けないとすぐ腹が出る」

「えー」


私たちはまるで何も話さなかったかのように、何も聴かなかったかのように無邪気に笑った。ヨウイチさんがちらりと腕時計を確認する。


「美月ちゃん、この後時間ある?」

「……あります」


二人でタクシーに乗った。到着したのがラブホテルでも、もう言い訳は利かない。


キスをしながら、服を脱ぎながら、身体を触りながら、抱きしめ合いながら、つくづく馬鹿な女だと思った。だけど大丈夫。自分で馬鹿だと分かっているから。


うたた寝をしていたようだった。目を覚ましてもまだ隣に体温があることに安堵した。身体を起こして暗闇のなかで薄く開かれた唇を眺めた。このまま朝を迎えたい。広いベッドで微睡みたい。寝癖を見つけたい。欲望がぬるぬると這い上がってくる。私は立ち上がって、脱ぎ捨てた衣類を身に付けた。適当に髪を直して、最後にもう一度だけ振り返った。私がいなくなったベッドですやすやと眠っている。年齢の割にあどけなさすぎる寝顔に心が痛んで、バッグからノートを取り出して走り書きをした。音を立てないように破って、テーブルに置く。深呼吸をして、部屋を出た。昨日と同じ服を着て出勤したら、なんと言われるかわからない。廊下を歩きながら呼んだタクシーに自宅の住所を告げると、シートに深く腰掛けた。


ずっとスマホを握りしめていたけれど、連絡は無かった。



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