あなたのうたになりたい 10
その日を境に私の人生が一変するなんてことは、無かった。相変わらず毎日仕事に追われて残業をして土日は友だちと会ったり会わなかったりして、相変わらずシルビーの曲を聴いていた。
ただ一つ変わったことと言えば、また昔のように佳貴と連絡を取るようになったことくらいだ。彼のバンドのライブを見に行く約束もしたけれど、佳貴と再会した日、彼と別れたあとで起こった出来事については一切話さなかった。別段秘密にしようと思ったわけではないけれど、わざわざ語るようなことでもないと思った。
ヨウイチさんから連絡が来ることもなかったけれど、そこまで期待していたわけじゃなかったから別に傷ついたりはしなかった。それ以降があるなんて、一ミリだって思っていなかったのだから。
だからある日突然、彼から呼び出されたときには喜びよりも驚きや不安を覚えた。真夏が終わって、夜の風が冷え始めた頃だった。
会社が終わるとすぐに電車に飛び乗って、電話口で言われた駅に向かった。改札を抜けた先に立っているヨウイチさんの姿を見つけた瞬間、私はもう駄目になった。そこは最寄り駅から電車で三十分ほどの場所。どうしてこんなところに彼がいるのか理解できなかった。
「どうしたんですか……」
「ちょっと遠出してみたくなって」
「遠出って……」
「どっか飲みに行こう」
私の戸惑いを他所にヨウイチさんは静かに笑って歩き出した。私に背を向ける前の一瞬、ちらりと見えた寂し気な表情が狡い。彼の寂しさを目の当たりにすると、自分の寂しさなんかどうでもよくなってしまう。
オープンテラスのあるカフェバーを選んで入った。前回と言い、ヨウイチさんは居酒屋よりこういう雰囲気のある店のほうが好きなのだろうか。それとも私に気を使ってくれているのだろうか。
テラス席に座っても蔓性の植物が生い茂るヨーロピアン風のフェンスのおかげで、敷地の外ははっきりとは見えなかった。テーブルの上のワイングラスには少しだけ水が入っていて、キャンドルが浮かんでいる。
「きれい」
見たままの感想が思わず口をついて出た。ヨウイチさんもそうだね、と心が籠っているのかそうじゃないのかわからない温度で相槌を打った。
オーダーを取りに来た店員に赤ワインとサラダ、パスタを注文した。乾杯をしてグラスに口を付けると、アルコールがふわっと鼻に抜けた。それだけでもう酔っぱらってしまいそうだった。運ばれてきた料理を食べながら、私たちはまた取り留めも無い話をした。
ヨウイチさんは春先から回っていたツアーと夏フェスラッシュで、この夏は忙しくしていたらしい。ありがたいことにね、とその表情に優しい笑みを湛えた。
「少しライブの予定が落ち着いたから、これから新曲作るぞって言うところ。というか正確にはもう始まってるんだよね」
そう言いながらワインを口に含んで、視線が外された。もしかしたら曲作りで行き詰って、気分転換をするために東京を出てきたのかもしれないと推測できたけれど、何も言わなかった。プロに素人の私が言えることなんて何もない。
「……忙しいんですね」
さっきも言ったようなことばを繰り返した。
黒いシャツに黒いスキニー。黒いスニーカー。ハット。そしていつもの眼鏡。その辺の少しファッションに拘る大学生だってしそうな恰好なのに、妙に雰囲気がある。それに比べて私はいかにも疲れたOLという雰囲気を醸し出していて、その差が恥ずかしい。私は視線を反らして静かにワインを嗜んだ。ヨウイチさんも口数が少なくて、何度となく沈黙が流れた。こういうときは煩いくらいに話をされたほうが気が紛れるものだろうか。
だけど私は昔から冗談を言ったり人を笑わせたりすることが苦手だった。