第1話 何を言ってるか分からねえと思うが
転生するまでの前置きです。晴美の言葉は後々…おや、こんな時間に誰か来たようだ。
ーー事は16時間前に遡る。
2020年8月4日、蝉時雨が鼓膜をつつく真夏の昼下がり。植樹が列をなして並び、その列と列の間隔3メートル程の間に舗装された歩道。少年がその歩道を歩く100メートル先は植樹の列が円形に開き、広場になっている。広場の中央には噴水が設置されており、その周りで無邪気に遊ぶ子供と、それを優しく見守る親。微笑ましく、穏やかで、それが今日この国ならどこでも見れる世の中になったとはいえ、この様な景色こそ自分が生まれてきた時代を尊ぶ最たる理由だと、少年、雨宮 涼は得心している。
高校二年生である雨宮は現在、夏休みに入ったばかりで暇を持て余していた、しかし、本日当の本人の形相はかなり強張ったものだった。今日は予備校の夏期講習も、バイトもない。「だからこそ」この日に万全な体制を敷いて勝負を仕掛けるつもりだった。
(まずい。ここにきて頭が真っ白だ)
平和な世界を守る為、雨宮は高鳴る鼓動を抑えて足取りばかりを早める。頭の中は回転するものなぞ何処にも見当たらない程すっからかんである。
「あっ、涼くん」
「ごめん晴美、待った?」
「ううん、今来たところだから大丈夫」
特にそんな大仰な物でもないのだ。
雨宮が歩いてやって来た噴水の前でやり取りしているのは、晴美と呼ばれた可憐な少女だ。
真珠のように白い肌、ぱちりとした目、黄金比であると疑わない比率で顔に付いた、高すぎるとも、低すぎるとも言えない鼻、色気を感じるふっくらとした唇。純白のワンピースと日本人特有の黒く、そして長い髪がよく似合う晴美は、緊張で岩のように強張った雨宮の表情とは裏腹に、花のような笑みを浮かべていた。その笑みを一度見てしまえば、顔面に張り付いた岩など砂礫のごとくボロボロと崩れ落ち、たちまちその表情は緩み切ったものとなった、と彼自身は思っている。
「この笑顔、守りたい」
「何か言った?」
「いや、何でもない」
思わず零した独り言を雨宮は誤魔化す様にあはは、とすかすかの笑い声を上げ、意を決して、
「それじゃあ、行こう。晴美」
雨宮は晴美の左手を、右手で取った。
彼は相当な決心で、緊張感丸出しでぎこちなく動いていると自覚している、が、晴美からして見ればまるで迷いなく、流麗な所作でエスコートされているようにしか見えなかった。晴美の頬は少し紅潮している様だった。無論、ここまでの動きを動揺とは裏腹に完璧にこなす雨宮はその様子を見逃さない。上手くいった、晴美はこの手の少し強引な所に憧れを感じている気がある。幼馴染をなめるなよ、と。
同じ釜の飯どころか、幼少の頃ではあるが同じ浴槽の湯を浴びた仲である雨宮と晴美はお互いの成長の過程から、何もかもをよく知っている。2人の異性の好みが昔から変わっていない事も含めて。
(凄く緊張してるのが分かる、でも涼くんは凄い手慣れた風な感じで私の手を取った、昔みたいに。流石だね、でも、この服装を褒めてくれなかったのは減点かなぁ、なんて)
雨宮と晴美の通っている高校は、同じではない。彼女達が12歳の時、雨宮は親の都合で引っ越した。とはいえ然程遠い所でもなく、隣町に越しただけであったが。それでも近所付き合いの一環で遊んでいた2人はしばらく会う事が無くなっていった。その3年後、雨宮の両親は交通事故に遭い亡くなった。飲酒運転で暴走した乗用車が横から衝突し、凄惨な事故だったという。親戚もおらず、祖父母も他界し身寄りのない彼は天涯孤独の身となった。
この日本という国は福祉が充実している。1990年代後半、この国の消費税は25%という倍率に引き上げられた。当時の国民は凶行とも言える政策にデモすら起こす者がおらず、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして立ち尽くした。しかし、現在ではその消費税は当然のように支払われ、その税金によって福祉が充実し、現在の雨宮が何不自由なく、他の家庭環境と遜色なく(金銭的な面においてだが)暮らせているのである。
そのような環境で、雨宮は両親が他界する前も、後も、何1つ変わる様子を見せなかった、幼馴染の晴美でさえしばらく気付けなかった程にだ。彼は器用だった。手先も、対人コミュニケーションも、全てそつなくこなしやってのける。まるで万能のようだが、彼はそのような聞こえのいい恵まれ方をしていない。彼には弱点が無い、故に得意な事もない。どこまで行っても全てにおいて、その人格において、おまけに容姿すら「普通」なのである。
弱点がない事こそ万能だと、悩みも無いのだと、それに気付けない者が多い中、両親の葬式で3年越しに晴美と再会し、紆余曲折を経て今に至る、という事である。
雨宮は振り返っていた、自分の過去を。あの時晴美がいなかったら、確実に「ヤバかった」と、彼自身当時の心境は相当荒んでいたのだと考えている。そんな雨宮を支えてくれた大切な彼女に、今日こそは想いを伝えるのである。
一世一代、大勝負。高校生の恋愛沙汰に大袈裟ではあるが、彼にとって晴美とはそういう存在だった。
それから、雨宮と晴美はごく一般的なデートをした。
好みが被る2人は、何処へ行っても話が合う。映画を観ても、買い物に行っても、食事をしても。盛り上がりながらも日が暮れていき、ビルの明かりが街灯と共に夜の街を彩る中、雨宮は切り出した。
「晴美、見せたいものがあるんだ」
穏やかに笑みを浮かべた雨宮の裏に隠れる緊張を晴美は見逃さなかった、とうとう来るか、と分かっていてもとくん、と彼女の心臓が脈を打つ。
「うん、何?」
「ちょっと、こっちに来て」
見計らったように、御誂え向きと言うように、雨宮は近くの雑居ビルの中に入り、階段を登っていく、晴美の手を取って。
屋上に辿り着いた彼等は、対して高さのないそのビルからまるで道を開けたかのごとく高層ビルが避けて、少し遠くに見える電波塔の全貌をはっきりと覗かせているのを見た。その景色は都会のありふれた風景の一部であるはずなのに、切り取った写真を持って来たように美しいと、2人は感じていた。
「ここからが凄いんだぜ」
雨宮が得意げに口を開いた瞬間、破裂音が響く。電飾された電波塔の背景に大きな花火が打ち上げられた、1発、2発と破裂音を響かせて、夜の空を鮮やかに染め上げていく。今日は近くで花火大会が行われていたのだ。
「凄い…」
晴美の大きな瞳に、美しい夜景が映り込んで離さない。
(ここを見つけられたのは運が良かった、この時間帯以降は誰もいないのに、屋上の扉は喫煙用に解放されたまま、管理もずさんで戸締りにも来ない奇跡のような場所だ。神様有難う、これで舞台は整った。決めてやる)
「晴美」
「ひゃ、はいっ」
雨宮は、今までの緊張が嘘のように鎮まり、言葉を紡ぐ。対照に晴美の返事は声が裏返っていた。
「俺はずっとお前の事」
しかし瞬間、晴美の足元に円形の光が現れたのが彼の目に入った。本来、この世界の、この国の常識では有り得ないが、それが攻撃であると雨宮は確信した。彼自身それが何故なのかまるで分からない、だが、あれは確実に「やばい代物」だと信じて疑わなかった。雨宮は身体中にがんがんと響く警報に絶句した。
「涼くー」
晴美が口を開きかけて、刹那、雨宮は目の前の晴美を突き飛ばし、自らがその円形の光の輪に入った。
大きな爆発音だった。爆発というよりそれは一筋の光線に見えた。円形の光の輪から拳大の太さで放たれた光線は、雨宮の左胸を貫いていた。
どう足掻いても致命傷だ。
(何が起こって…意識が、遠のいていく。死ぬのか、こんなところで、俺は。まだやる事があるのに。何も伝えられてないのに。晴美…まだ、父さんと母さんのところには…)
雨宮の意識はそこでぷつりと切れ、視界が真っ暗になった。
「まさかこんな事になるなんて…君がそっちに行っても、私は君を支えるよ。涼くん」
彼女の言葉は、誰にも聞こえない。