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◆Woman blues◆  作者: 友崎沙咲
vol.4
8/12

裂ける心

◆◆◆◆◆◆◆


数日後。

太一が次期社長だという事は、当然の事ながら他言無用だ。

今はまだ。

就任予定は現社長の退任が決まり次第だが、どうやら彼女は60歳の誕生日を引き際にしようと思っているらしい。


「約一年後のその日まで、僕は一生懸命A&Eというこの会社について学んでおこうと思っています」


そう言って微笑んだ太一は今までとなにも代わりがなくて、私は何だか不思議な気分だった。

穏やかで柔らかい雰囲気をまとい、私をいつも温かい眼差しで見つめる太一。

その時、急に怖くなった。

……私は……いいんだろうか、このままで。何もない私のままで。

この先も太一は私を、今と代わりのない愛に満ちた眼差しで見つめてくれるのだろうか。

いや、そんなうまい話があるわけない。だって、私は彼より七歳も年下だもの。

ネガティブな感情が胸に芽生え、根を張る。胸が苦しい。……太一が遠くなっていく感じがしてならない。

見た目も恵まれてて頭も良い次期社長の太一が、近い未来私から離れていく気がする。


「いっ……!」

「夢輝さん、大丈夫ですか」


夕食の仕度をする中、うっかり指を切ってしまい、キッと鋭い痛みが胸にまで走る。

慌ててソファから立ち上がる太一と眼が合い、私はぎこちなく笑った。


「ビックリさせてごめん。大丈夫だよ」

「見せて」


もう本当に、どこまでも優しい。

リビングからキッチンへとやって来て私の目の前に立つ太一は、先に視線を私の指先へと落とした。伏せられた眼が、通った鼻筋が、わずかに開いた唇が愛しい。


「……太一」

「少しだけ血が……ん?」


私の指をとる太一に、思いきり抱き付く。


「わ、夢輝さん?」

「暫くこうしてて」


本当は……このままじゃ嫌だった。……抱いてもらいたい。でも、自分からは言えない。それを分かってもらいたい。

太一の首筋にチュッとキスをして、私は彼の胸に頬を寄せた。


「…………」

「…………」


ダメだろうか、こんな誘い方じゃ。

その時太一がクスッと笑った。


「……したい?」


ドキンと鼓動が跳ねる。聞かれているのに頷けない。


「ねえ、夢輝さん。僕に抱かれたい?」


恥ずかしくてずっと隠していたい顔を、優しい手で上向かされる。


「いい加減に僕にちゃんと自分を見せてください。僕と夢輝さんとの間で遠慮なんて嫌なんです。もちろんこういうコトだけじゃなくて……どんな事でも」


太一は一旦そこで言葉を切ると、適度に節だった指で私の唇をスルリと撫でて続けた。


「ちゃんと言わないと、凄く恥ずかしいめにあわせますけど……」


言い終えると悪戯っぽい笑みを浮かべて、太一は頬を傾けた。


「この間は随分手加減しましたけど、いつもああだと思わないでください」

「……!」


先日太一とセックスした記憶が蘇った。あの時の太一は……優しくてそれでいて激しくて、でも甘くて……。

こくんと喉を鳴らして、私は太一を見上げた。


「言ってみ、夢輝さん」


私は太一を見つめた。身体中が熱くなる中、口を開けて太一の唇を奪い、キスの合間に殆んど息だけの声で彼に呟く。眼下に広がる谷底を飛び越えるような気持ちだった。


「して、太一」


太一がいつになく妖艶な笑みを浮かべて熱っぽく私を見た。


「いいよ。……泣かせちゃうかも」


◆◆◆◆◆



「太一、買い物行こ」

「夢輝さん……待って。僕、今起きたとこ……」


抱き締めてくれている太一の腕を柔らかく解きながら、私は彼に向かってこう言った。


「起きて。もう9時だよ。ご飯食べて支度して出掛けようよ」

「んー……」

「置いてっちゃうよ」


私がそう言いながら太一の頬を指で弾くと、


「って。こら」


太一が私に再び腕を絡めた。彼の体温と香りが、私の心を温かくする。ああ、幸せ。


「太一、大好き」


私が太一の腕に唇を寄せると、彼は眼を閉じたままフウッと笑った。


「……一回だけ、していい?」


太一の甘い息が耳にかかる。


「……ダメ。昨日もしたし」

「……夢輝さん」


その時太一のスマホが鳴り、諦めたように息をついた彼を見て、私は笑った。


「じゃね。シャワー浴びてくる」

「ちぇ。……はい、鮎川です」


私はスマホを耳に当てる太一に微笑むと寝室を出た。

シャワーを浴びて昨夜の幸せを噛み締めていると、無意識に笑みがこぼれる。

身体を重ねる度に私自身の中で燻っていた負の感情が取り払われて、太一と自然体で向き合えるようになってきたように思えて嬉しい。

それを求めるがために人は肌を合わせるのかも知れないと、漠然と思った。

ここに来てやっと私の中の、歳の差に対するネガティブな思考がとけてきたみたいだった。

……太一となら、やっていけるかも知れない。太一となら……。

バスルームから出て寝室の方を窺うと、太一はまだ電話中だった。


「……もっと早く言えよ」


……友達?

太一が誰かとこんな口調で話しているのを聞いたことがなかったから、私は少し興味が湧いた。


「……分かった!分かったっ!じゃあ来週の土曜、6時な」


太一は笑みを残した顔でスマホを置くと、立ち上がってこちらを見た。


「っ……!」


開けっぱなしだったドアのすぐ外に立っていた私の姿に、太一がギクリと息を飲んだ。


「ビックリした!」

「電話終わったの?」

「はい、同じ大学に留学していた友人でした」

「そう。シャワー浴びてきて。朝御飯作るから」

「はい」


太一は私をキュッと抱き締めてからバスルームへと向かった。

その後ろ姿を見ながら私の心臓は次第に早くなり、両の手のひらにはじんわりと嫌な汗が浮かび上がった。


……変だった。さっきの太一はどこか変だった。

あの、私に気付いた時の動揺した瞳と、みるみる固くなった笑顔。それにぎこちないハグ。

……勘違いだと思いたいけど、私の直感は間違っていない気がする。

太一が次期社長だという事実が発覚した時、彼は私に友人と飲み会だと説明して先に退社した。その時とはまるで顔つきや口調や声のトーンが違う。

何だか嫌な予感がする。

瞬く間に、胸の中に鉛を流し込まれたような重く苦しい感覚が広がる。

これは……秋人の浮気を勘ぐることになった、あの時と同じ感覚だ。

まさか、太一が?嫌だ、そんなの耐えられない。

今すぐ問いただしたい。無理だと分かっていながら、そう考えずにはいられない。ダメ、落ち着かなきゃ。

私は何度か深呼吸をすると眼を閉じ、出来る限り落ち着いてからキッチンへと向かった。


◆◆◆◆◆◆


いつもの居酒屋『えん』で、麻美の綺麗な瞳が力強く光った。


「確かめるわよ!」


店内の喧騒に、私たちの声も大きくなる。


「……また?!」

「またよ」

「……でも……」

「でも、なに!?」

「いやなんか、自分が嫌な女に思えてしかたない」


「はあ?!東郷秋人の時はビンゴだったじゃん。自己防衛のどこが悪いのよ。悪い男にダラダラと人生無駄にしないための策よ。時間と体力と愛情の無駄を省く事のどこが悪いのよ!?」

「……だって……疑ってるって事なんだよ?なんか、恋人を疑うって、最悪じゃん」


ひどく落ち込んだあまり、居酒屋のテーブルにガツンと額を打ち付けて、私は力なくため息をついた。麻美はそんな私を見て、


「そんなこと言ってたら探偵社は廃業だね!しっかりしなさい!彼、いつだって言ってたの?尾行するわよ、秋人の時と同じ要領でね」

「…次の土曜日、6時」

「つけるわよ、分かったわね」

「はあ」


ああ、こんなの本当にいいのだろうか。だけど、さっき麻美が言ったみたいに時間を無駄にはしたくない。

もう、分かんない。でも、確かに太一は変だったもの。『女の勘』としかい言い様がなかった。

グジグジと湿っぽい私に、麻美は畳み掛けるように言い放った。


「何もなかったらそれでいいじゃん。彼に飛び切りの愛をあげなさい」


私は小さく息をつくとコクンと頷いた。


◆◆◆◆◆◆


土曜日、午後六時。

私と麻美は、マンションの出入り口の見えるカフェの窓際を陣取り、その時に備えた。緊張のあまり、大好きなモカも味気なく感じる。


「週末はいつも二人で過ごしてるんでしょ?彼、なんて?」


私はカップを両手で包み込みながらそこに視線を落とした。


「……案の定、大学時代の親友と会うって」

「……来たわよ」


弾かれたように顔をあげると、私はマンションの入り口を凝視した。遠目からでも、太一のスラリとした身体はよく目立った。

パーティスーツに身を包んだ太一は、雑誌から抜け出てきたように素敵だった。


「センスいいわね。ネクタイとラペルの幅が絶妙。色もよく似合ってるわ」


本当に素敵で、私は太一から眼が離せなかった。


「行くわよ」


いいのだろうか、麻美のこの声に頷いて。このまま彼を尾行した先に、何が待っているのだろう。

秋人の時のように決定的瞬間を目撃してしまったら、私は一体どうするのだろう。

太一との間に起こった今までの出来事が、たちどころに胸に浮かぶ。私に向けるフワリとした温かい彼の笑顔も。


「麻美」


私は立ち上がろうとした麻美の手首を掴んだ。


「麻美、ごめん。やっぱり私、尾行はできない」

「夢輝……」

「太一に会って直接きくよ」


麻美は私を少しだけ見つめていたけれど、すぐに頷いた。


「行きなさい。頑張って」


しっかり頷いて、私は身を翻した。

店を出て思いきり走ると、太一は大通りの交差点の手前で腕時計を見ていた。


「太一!」


思いきり呼んだ私の声に、太一が振り返る。


「太一っ」


近づくにつれて、太一の驚いた顔がはっきりと見えてきた。


「夢輝さん……」


明らかに戸惑いの表情で、太一は私を見つめた。その顔が、私の胸を引っ掻く。痛い。痛いけれど問わなきゃならない。

精一杯息を整えて、私は太一を真正面から見上げた。


「太一、どこにいくの?」

「……夢輝さん……」


気まずそうな太一の視線に挫けそうになる。


「……聞いちゃダメかな」

「……ちょっと、理由があって」

「……うん」

「……心配かけたくなくて」


太一がそこまで言った時、一台の高級車が私達の脇の路肩に停車した。

その車を見て、更に太一の表情が強ばる。車のドアはすぐに開いた。


「太一」


表情が強張ったのは、太一だけじゃなかった。

だって、派手なスポーツカーから姿を現した女性に、私は見覚えがあったんだもの。


「太一、行こう。遅れちゃうわ」


ああ、この背の高いスレンダー美女を、私は知っている。

あの日、秋人をつけたあの日、東京駅で秋人と抱き合ってキスをした女性だ。


「……太一?」


訝しげな顔をした彼女が、太一の視線を追って私を見た。それから信じられない言葉を発して、彼女は私と太一を交互に見る。


「あなたを知ってるわ。確か……秋人のスマホに写ってた……そうでしょ?」


目眩がした。

嫌だ、こんなのは。太一に知られてしまう。秋人をこの女性に奪われたって。

なんて事なんだろう。太一がよりによって、私から秋人を奪った女性と会う約束をしていたなんて。

それも、私に黙って。私は二度までも、この女性に愛する人を奪われるの?

耐えられない。


「夢輝さん……」


太一が息を飲んで私を見た。もう、ダメだ。

私は身を翻すと元来た道を引き返した。どこまでもどこまでも、私は惨めな女だ。同じ女性に恋人を二度も奪われるなんて。いや、二度目はまだ確信じゃない。この状況からして、もう間違いないだろうけど。

その時、私の脳裏に秋人の言葉が蘇った。


『 俺をその気にさせるだけさせておいて、『婚約破棄したの!?私はそんな重い関係望んでない。親が決めたんだけど、お見合いも控えてるし』なんて言いやがって 』


お見合い。

それって、太一となんじゃないだろうか。

確か彼女……リアナさんは秋人の勤めている会社『SLCF』の社長令嬢だって。うちの会社とは取引があるし、次期社長である太一とSLCFの社長令嬢であるリアナさんがお見合いをするのは、不自然なことじゃない。いや、逆に凄く自然なことのように思えてきた。


『太一』


正装した二人は凄くお似合いだったし、彼女は太一を親しげに呼んでいた。

と言うことは、もうお見合いだって済ました後なのかも。

私の知らない間に。


「待って、夢輝さん!」


その時後ろから腕を掴まれ、私はビクッとして立ち止まった。

太一だった。

私の前に回り込み、目の高さを合わせるように屈む太一を、私は表情の無い顔で見つめた。


「これ以上惨めにしないで」

「夢輝さん、話を聞いてください」


パンッと太一の腕を振り払うと、私は歩き出した。


「もう二度と私に触らないで」

「夢輝さん!」


この期に及んで何故追いかけてくるんだろう。もういいじゃん。

何かが、私の中でパツンと音をたてて弾けたような感覚。

涙も出ないのは二度目だから?

それとも、私よりもリアナさんの方が太一とお似合いだから?

再び太一が私に触れた。


「触らないで」

「話を聞いてくだ」

「話すことなんか無い。彼女とお見合いしたんでしょ?浮気してるんでしょ?それとも私が浮気相手?おかしいとは思ってたよ。七歳も年下のイケメン次期社長が、私なんかと」


涙の代わりに首をもたげたのは、自己嫌悪だった。

自分のバカさ加減に呆れ、一瞬でも太一とならこの先も幸せに生きていけると思った自分に、浅はかだと罵倒したかった。

吐き気がした。バカな私に。

己を知れ。身の程をわきまえろ。心の中の私が、私に向かってそう罵る。


「彼女とはなにもない」


私は立ち止まると太一を見上げた。


「そんな格好をして彼女と待ち合わせて、よくも……」


言いかけて、口をつぐむ。やめた。バカみたいだ。その代わり、ありったけの笑顔を太一に向ける。


「私達の間にも、なにもない。これから先も」


太一の眼が大きくなり、僅かに唇が開いた。それを見ながら私は続けた。


「もう終わりにしましょう。今後は一切私に話しかけないで。さよなら」


私は太一を一瞥してそう言い放つと、マンションへと歩を進めた。太一はもう追っては来なかった。

部屋に帰ってシャワーを浴び、着替えると、私はソファに座って目を閉じた。

……彼の話を聞いていたら、この状況は変わったのだろうか。……いや。もう、期待はしないでおこう。悲しくなるだけだから。

私は大きく息をついた後、スマホを手に取りタップした。

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