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◆Woman blues◆  作者: 友崎沙咲
vol.2
4/12

気になる人は

◆◆◆◆◆◆◆


「やるわね、あんた」


麻美はビールをゴクリと飲むと私を見てニヤリと笑った。


いつもの居酒屋『れん』で、私の話を聞いた麻美はさも楽しいと言ったように私を見た。


「で、どうだった?!ワイルドな同僚、美味しかった?!」

「ちょっとっ!」


私は眉を寄せて抗議しようとしたものの何と言っていいか分からずに、梁を剥き出しにしたデザインの天井を見上げた。


「まあね、そうよ。たまにはあるわよ、同僚とヤる場合も」

「ないでしょ普通は。私、最低」


麻美がフフッと笑った。


「傷ついたもの同士、分かり合える気がしたんでしょ。心のどこかで彼と恋愛出来るかもって期待したんでしょ」


図星だった。


「……うん……」


隆太の逞しい腕に抱かれた時、確かに私は思った。隆太となら、恋愛出来るかもって。

でも徐々に落ち着いていく心と身体を感じながら、私は罪の意識に苛まれた。傷付いた者同士、痛みを共有したかっただけなんじゃないだろうか。長く生きてきた分、多少なりとも恋をしてきた分、冷静になればこんな方法は良くないと分かる筈なのに、私は初めて味わう強い孤独感と仕事の不本意な結果からくる焦燥感で、眼が霞んでいたのではないか。

隆太に対する罪悪感が、矢のように胸に刺さる。

そんな私を察してか、麻美がさりげなく言った。


「ワイルドな工場長だって分かってるって!また話し合いな!」

「……うん、近々話すよ」

「それよりさ、気になるのはその歳下君よね」


ドキッと鼓動が跳ねた私を、麻美は見逃さなかった。


「惚れちゃった?その歳下君に」


私はビールジョッキを無意識に両手でギュッと持つと、そこに視線を落とした。


「好きっていうか……その……急に何だか気になり出したというか……」


慌ててジョッキを傾ける私を見て、麻美は箸を止める。私はそれを眼の端で捉えると、ゆっくりと続けた。


「……正直、あんなに秋人を好きだったのに、その気持ちはもうないんだよね。裏切られて悲しくて、私だけが貧乏クジを引いちゃったみたいな思いはまだ存在してるけど」


麻美が私を見て頷いた。


「当たり前。簡単に許せるわけないわ」

「太一は……最初に出会った時から凄く優しくて……なんか彼といたら和むんだよね。彼の笑顔って温かくて癒される感じ。それに凄くしっかりしてるし。秋人とエレベーターで鉢合わせた時も私の恋人みたいに接してくれて、秋人から守ってくれた感じだったし。その上あの日、隆太の家から戻った私を待っててくれた彼を目の当たりにして、それだけじゃなくなった。正直グラッときちゃって」


麻美が大きく頷いた。


「そりゃ、グラッとくるわ」

「でもね、彼って可愛いのにふとした顔が男っぽくてさ、年齢だってまだ30歳だよ?なんで私に優しいのかな。可哀想な独身アラフォー女だからかな」

「んー、分かんないね、正直」

「誰にでも優しいのを勘違いしたくない。だから怖くて私からはアクション出来ないよ」


私がそう言うと、麻美がニタッと笑った。


「誘うんじゃなくて仕掛けたら?」

「は?」

「あんたはね、凄く綺麗なんだよ?ちゃんと筋トレもして身体のケアもしてるし、性格だっていいし。婚約破棄もされちゃったことだしさ、新しい恋を見付けるために少し頑張ってみるのもいいんじゃない?」


褒められて血圧が上がりそうになった。いや多分急上昇したに違いない。

誘うんじゃなく、仕掛ける……。

麻美のその言葉のせいで、いくら飲んでも私は酔えなかった。


◆◆◆◆


帰ってシャワーを浴びると私はソファにドサッと座り、頭を拭きながらテレビを見つめた。

……誘うんじゃなく、仕掛けるって具体的にどうすればいいんだろう。

仕掛ける……。

……思わず脳裏に、蟻地獄に入り込んだ蟻がもがいている画が浮かび、ブンブンと頭を振った。

……どっちも無理。恋愛に関して『誘う』も『仕掛ける』も私には出来そうじゃない。……じゃあ、待ってるだけ?待ってるだけで男が寄ってくるなんて……二十代でもあるまいし。

その時インターフォンが鳴って、振り向くとモニターに小さく人が見えた。

……嘘、なんで?


「隆太……?」

「おう」


私がモニターから呼ぶと、隆太は軽く手を上げた。


「待って、開けるから」


急ぎ足で玄関に行くとガチャリとドアを開けて私は隆太を見上げた。


「どうしたの、びっくりしたじゃん」

「下で連絡しようと思ったんだけど、ちょうど住人が帰ってきたからついでに入れて貰ったんだ」

「そう。取り敢えず上がって」

「ああ」


お邪魔しますと小さく呟くと、隆太は私の後を付いて廊下を進んだ。リビングのソファを指差して隆太を座らせると、私は彼に尋ねた。


「どうしたの?なんか飲む?」

「いや、いい」


私の問いに隆太が首を振る。

途端に二人の間に沈黙が流れて、隆太は気まずそうに咳払いをした。


「あのさ、夢」

「……うん」


隆太があの日の事を言いたいのは分かっている。


「悪かった」

「……え?」


心臓がギュッと音を立てたから、私はそれ以上の言葉が出ず隆太を見つめた。隆太は僅かに眉を寄せて、視線を落とした。


「あんな風にお前を抱いて」


私は慌てて首を横に振った。


「やだ、謝らないでよ隆太。私こそごめん。なんか隆太に迷惑かけちゃったね」

「違うんだ」


ズキッと胸が痛んだ。隆太は同情して私を抱いたんだ。謝られたら私は余計惨めになる。だから私は何でもないと言ったように少し笑った。


「やだなあ。隆太と私は同期で気心の知れてる友達じゃん。少し道が外れたけど、私達は」


私がそこまで言った時、隆太が立ち上がり、大股で歩を進めて私の前に立った。


「嫌なんだ」

「……隆太?」


突然隆太に抱き締められて、私は息を飲んだ。


「もっと大事にしたいんだ、お前の事。けどあの日、あの時のお前を見て俺は我慢できなかった。今にも折れそうで心細そうなお前を見て、俺は自分を止めることが出来なかったんだ。だから卑怯だと分かりながらお前にああ言ったんだ」




『 分かってんのかお前、この意味』




あの時の隆太の艶っぽい眼差し。




『 なあ、分かってんのかよ。お互いガキじゃねーんだぞ』




……わかってた。私はちゃんと分かってた。だから、私は正直にあのときの心境を告げた。


「私はあの時、自分から隆太の胸に飛び込んだんだよ。隆太が欲しかったの。だから謝らなきゃならないのは私だよ。……隆太、悩ませてごめん」

「多分……俺、ずっと好きだったんだと思う、夢の事」


信じられない言葉が聞こえた。それまで聞こえていたテレビの音声も、僅かに聞こえる電車の音も、すべてが消え失せた。

ただ感じるのは、逞しい隆太の腕と固い胸の感触。

やだ、どうしよう。こんなの想像もしてなかった。……好きだったって、隆太が私を?!いつから?!

けど彼は離婚したてで……。

まるで考えがまとまらず、私は硬直したまま隆太に身を預けていた。

その時隆太が震える声で続けた。


「関係が悪化していくある日の夜、酔った佳菜子に言われたんだ。『あなたの中には、ずっと誰か私以外の誰かがいる』って」


嘘でしょ、まさか。

隆太は続けた。


「お前なんだと思う」


ドキンと一際鼓動が跳ねて、私は苦しくて思わず隆太から離れようとした。なんで隆太がこんなことを言うのかまるで分からない。


「な、んで、隆太」


隆太が身を起こして私を真正面から見つめた。


「好きだと告げるには不確かだったのか、勇気がなかったのか、簡単な方を選んだのか……今となってはどれも間違いじゃない言い訳だと思う」

「隆太、意味わかんない」


隆太が私の瞳を覗き込んだ。端正な頬が傾いていて、通った隆太の鼻筋が間近に見える。


「お前、いつか俺に言ったよな?本当はジュエリーデザイナーじゃなく、靴のデザインがしたいって」


身体がヒヤリとした。

私以外の誰かが、自分の夢を覚えていてくれた事実。嬉しくもあり、罪悪感も生まれる。だって、靴のデザインをしたいと隆太に告白したのはもうずっと前だ。そう、十年以上前。

本当は靴のデザインがやりたかったけど日々の忙しさから、私のその夢は目の前の日常に埋もれてしまっていたのだ。

隆太が寂しそうに笑った。


「確かなのは、お前の夢の邪魔をしたくなかったって事なんだ。だから自分の気持ちに蓋をして見ないふりをしていたんだと思う。踏み出せば結婚したくなる。子供だって欲しくなる。結果的にそれらがお前の夢の邪魔をするのが嫌でもあったんだ。途中で道を変えるということは、時間も努力も多く必要になるから。それに、友達ならずっとお前の側にいられるしバカも言えて飲みにも行けて、お前の近いところにいられると思ったんだ」


早鐘のような心臓を制御出来なくて、私はクラッとよろけた。


「佳菜子とは妥協で結婚した訳じゃないと思ってたけど、俺はどこかでお前の代わりにしていたのかも知れない。だからあいつはあんなことを言ったんだと思う」


なんと言えばいいのか分からない。


「隆太……私、混乱してる。何て言っていいのか」


隆太が再び私を優しく抱き締めた。


「……今の俺ならもしもお前が夢に突き進んでも邪魔せずに見守ってやれる自信があるんだ。だから徐々にでいいから、俺との事考えてくれないか」


頷くしかなかった。切々と語る隆太が、真剣だったから。

その後私は暫くの間、隆太が去った玄関を見つめて動けなかった。


◆◆◆◆◆


「柴崎」

「はい」


株式会社ブライダルヴィーナスからの依頼のティアラ製作で皆がデザインルームに出払った午後、私は課長に呼ばれた。


「企画部から新案だ。『孫から祖母へ感謝を込めて』がコンセプトで、これをクリスマスから正月のウェブ限定販売の目玉商品にする予定だ。我がデザイン一課は指輪、二課はブレスレット、三課はネックレス担当だ」


私は課長を見つめた。


「それは良い企画ですね。社会人となった孫が、クリスマスやお正月にお祖母ちゃんにジュエリーをプレゼントするなんて素敵です」


課長は頷いて続けた。


「ああ。今までお年玉をもらってきた分、祖母にジュエリーをプレゼントというのもいいもんだろ」

「はい」

「その指輪をお前に任せたい」


課長は真っ直ぐに私を見た。


「皆はブライダルヴィーナスのティアラのデザインがあるからな。それにこれは、祖母へのプレゼントだ。絶対的な自信の溢れるデザインが求められる」


課長は一旦言葉を切って、再び続けた。


「俺はお前しかいないと思っている」


課長のデスクの前で、私はコクンと喉を鳴らした。


「……私でいいんですか、課長」

「お前じゃなきゃダメだ。思いきりやれ」

「はい!ありがとうございます!」


私は課長に頭を下げると、ドキドキする心臓に手を当てながら席に戻った。

久々に期待される喜びを味わい、胸が踊った。


◆◆◆◆◆◆◆


翌日。


「夢輝さん、まだ行かないんですか?みんな先に行っちゃいましたよ」 


今日は月一で開催されるデザイン一課の飲み会だ。


私は太一の言葉にチラリと腕時計を見た。


「もう少しだけ。鮎川君、先に行ってて」


私が方眼紙に視線を落としながらそう言うと、太一は私の隣に椅子を持ってきて腰かけた。甘い香りがフワリと漂い、太一との距離の近さにドキッとする。


「二人だけなんだから太一って呼んでください」


私はチラリと太一を見てからツンとややオーバーに顔をそむけた。


「……意味分かんない」

「分かんないんですか?鈍……」


フフッと太一は笑うと、私の髪を一房指ですくい取った。

ゾワッと皮膚が粟立って、ドキンと再び鼓動が跳ねる。


「な、なに」


声が上ずってしまって、私は焦って太一を見た。

ああやだ、私!ドギマギしてるのが丸バレじゃん。

太一はそんな私を見て、瞳を甘く光らせた。


「そういうリアクションがダメなんですよ、夢輝さん」


意味が分からず、私はぎこちなく横を向いた。


「邪魔するなら先に行って。あともう少し考えたいの」


すると太一は私にピタリと寄り添い、方眼紙を覗き込んだ。


「れいの、課長が言ってた件ですか?」


私はさりげなく太一と距離をあけながら頷いた。


「そう。今空いてるの私だけだからさ、課長が任せてくれたの。今日中に二十パターンはおおよそのデザインを考えておきたいの。少しでも早く形にしたくて。でもまだイメージが掴めなくて、正直憂鬱」


私がそう言って溜め息をつくと、太一がニッコリ微笑んだ。


「定時も過ぎたことですし、気分が乗らないならまた来週でいいんじゃないですか?」


私は首を横に振った。


「それは『プロ』のすることじゃないわ」


太一が首をかしげたのが眼の端にうつる。


「私はプロよ。アーティストならそれも許されるかも知れない。でもね、気分が乗らないからってやらないのはプロじゃない。プロはね、いつなん時でも『やると言ったらやる』のよ」


六十代以上の女性をターゲットとするこの商品は、きっと高級感、素材の良さが肝になるはずだ。それプラス欠かせないのは上品さ。

どんな場面でもシックリきて、『孫からのプレゼント』だと思わずお友達に自慢したくなるデザインを考えなきゃならない。

……もし私が歳を取って孫からプレゼントされたら嬉しい指輪は……。

尚且つ、二十代女性が『祖母に贈りたい』と思うようなデザインじゃなきゃらならない。

左手でこねていた練り消しの感覚が無くなる頃、私の耳には何の音も届かなくなっていた。

脳裏に浮かぶ靄のような人影が、徐々に自分のターゲットへと変化していく。

私はゆっくりと眼を閉じて想像し始めた。



◆◆◆◆◆◆



……うん、この辺までイメージ出来ると今日は上出来だ。

私はウーンと両肩を肩甲骨へ引き付けるように伸ばすと大きく深呼吸をした。ふと隣を見ると、いつの間にか太一はいなくなっていた。腕時計を確認し、思わず青ざめる。もう二時間が過ぎていた。

慌ててスマホを取りだし、この度の幹事である宮川怜奈ちゃんに電話をする。


『はいはーい、夢ちゃーん!』


……かなり酔ってるわね……。

私は冷や汗の出る思いで怜奈ちゃんに謝った。


「ごめん、怜奈ちゃん!指輪のデザインしてたらいつの間にか時間が」


怜奈ちゃんの盛大な溜め息が響く。


『そんな事だろうと思ってましたよーだ。もう今、カラオケに移動中です。一緒にどうです?いつものとこです』


「ごめん!もう九時だし帰って寝るよ。ほんとごめんね!」

『了解!あ、鮎川さん知りませんか?』


私は眉をあげた。


「鮎川君なら、定時後少し話したよ。てっきり先に行ったと思ったけど」


……どこ行ったんだろ。

私はスマホを鞄に入れて帰り支度を終えるとオフィスを出ようと席を立った。

その時、


「僕ならいますよ」

「きゃああっ!」


誰もいないと思い込んでいた後ろのデスクから急に太一が立ち上がったものだから、私は驚いて悲鳴をあげた。


「はははは!夢輝さん、驚きすぎ」


ビックリするやら恥ずかしいやらでカアッと顔が熱くなり、私は焦って言い訳をした。


「だ、だって、太一が急に立ち上がるから!もう誰もいないと思ってたし、それで」


その時急に腕を引かれて、私は太一の固い胸にトンとぶつかった。何が何だか分からず、思わず眼を見開く。


「え、あ、あの」

「可愛い」


は?はあっ!?

太一が俯いて、私の頬に唇を寄せた。触れるか触れないかの、ギリギリのライン。

彼の甘い息が掛かかり、私の心臓は次第にバクバクと荒く脈打ち出した。


「夢輝さん、今から僕の部屋で飲みませんか?明日は休みだし」 


茶色の大きな瞳が私を見つめて甘く誘う。ダメだ、死ぬ。この距離と、甘い太一の眼差しに、死ぬ。

いや、ダメだ、死んじゃダメ。なに硬直してんの、私!

と、と、年上の威厳にかけてここは上手くあしらわなきゃでしょ!

けれど焦れば焦るほどどうしていいか分からず、私はただただ太一の整った顔を見上げた。


「はい、決まり」

「え」

「だってまだ貸しがあるし」


貸しとは、マンションのエレベーターで秋人と鉢合わせたあの時の事だ。あの時私をかばい、恋人のふりをしてくれたのがすごく嬉しかったっけ。私は平静を装いながら、一瞬だけ太一を見てすぐに眼をそらした。


「じゃあ……なにか買いに行こう」

「はい。僕のお勧めのツマミがあるんです!ビールにもワインにも合いますよ」


太一はようやく私から離れたけど私の胸はうるさいままで、何だか少し悔しかった。

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