表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
◆Woman blues◆  作者: 友崎沙咲
vol.2
3/12

傷の舐め合い

◆◆◆◆


「なあ」

「んー?」

「またこうやって飲みに行けるか?」


私は首をかしげた。


「どゆこと?」


新しく越した隆太のアパートは、私のマンションの近くだった。

街路樹に巻き付けられたLEDライトが、何のイベントもないのに街を美しく彩っている。風は生ぬるいけど不快感はそれほどない。酔っているからかも知れないけど。

背の高い隆太を見上げると、彼は決まり悪そうに咳払いをした。


「だから、二人でだよ」

「当たり前じゃん!昔はしょっちゅう行ってたよねー」


私がそう言いながら空を仰ぐと、隆太は頷いた。


「最後に行った時……あん時は悪かったな」


私は隆太を見て笑った。


「分かってるよ」


その時、


「夢輝さん」


反射的に振り返ると、私達が通り過ぎたコンビニの前に鮎川太一が立っていた。


「た……鮎川君」


太一は隆太に眼を向けると少し頭を下げた。


「今日はお世話になりました」

「鮎川君は、この近く?」


隆太の問いに、太一は頷いた。


「はい」


そう言ってチラリと私を見る。

交差点を指差すと、隆太は私を見下ろして言った。


「俺、ここ渡った先なんだ。夢はもうマンション見えてるから平気だよな」

「あ、じゃあ代わりに僕が送ります。方向一緒なんで」


…………。


「じゃあまたね、隆太」

「おう」


隆太が交差点を渡っていくのを見てから、私は太一を見上げた。


「なんとなく、言わない方がいいかなー、なんて」

「同じマンションだって事?」

「はい。ていうか大分飲みました?飲み足りないなら一緒にどうですか?」

「めちゃくちゃ飲んだから、今日は遠慮しとくよ。ありがと」


私がそう言うと、太一は少し残念そうに笑った。


「今から家で独り飲み?」


私が尋ねると、太一はニコニコと笑った。


「夢輝さんと二人が良かったけどなあ」


……またアラフォーをからかうんだから。


「帰るよ」

「はい」


◆◆◆


マンションに到着してエレベーターを待っている時、太一が私を見て口を開いた。


「あの……遠藤さんって……」


その時、反射的に私は硬直した。だって、扉の開いたエレベーターから秋人が降りてきたから。

秋人は私を見てから表情を変えずにポケットを探った。


「夢輝の部屋にCD忘れてて……貰ってた合鍵は返したけど、無くした時のために作ったスペアキーを今になって思い出してさ。悪いなとは思たんだけど、部屋に上がらせてもらったんだ」


秋人はそう言うと、私に鍵を差し出した。


「…………」


僅かに頷くことしか出来ない私に、秋人は鍵を差し出したまま唇を引き結んだ。

その眼が、早く鍵を受け取れと語っている。

あんなに優しく見つめてくれていた眼差しは、もうどこにもない。照れたように『結婚してください』と言ったあの時の声も。

手が、上がらない。やだ、こんなの。まるで未練タラタラで、女々しく別れを嘆いているみたいじゃん。

しっかりしろ、私。スッと手を伸ばし、鍵を受け取ったら余裕の笑みで『あらそう。じゃあ元気でね』って、一言……。しっかりしろ、しっかりしろ、私!

その時、フワリと空気が動いた。眼の前に太一の背中が見えたその瞬間、


「すみません。では鍵は僕がいただきます」


……え……?

太一は秋人の差し出した鍵を手に取りジーンズのポケットにしまうと、私を振り返ってニッコリと微笑んだ。


「さあ夢輝、行くよ。早く部屋で二人きりになりたい」


そう言って私の肩を抱くと、彼は私の髪に唇を寄せた。形の良い太一の唇が髪に押し付けられた感覚と、彼の香り。胸が震えた。

ああ今太一は、私を秋人という名の冷たく吹き付ける風から守ってくれたのだ。これ以上惨めな思いをしなくていいように。

少し眼をあげると、驚いたように息を飲む秋人と眼が合った。いいよね、これくらい。婚約していた私を裏切った彼への、ささやかな復讐。

私は太一にギュッとしがみついて、その瞳を見上げた。


「うん、太一、私も早く二人きりになりたい。朝まで一緒にいて」


太一がクスリと笑いながら私を見つめた。


「可愛すぎる、夢輝。当たり前だろ?俺達はずっと一緒だよ」


エレベーターの扉がゆっくりと閉まった。もういいのに、もう秋人からは見えないのに、私は太一から離れることが出来なかった。

太一の優しさと、秋人と破局した事実。別れ話をした時、私は泣かなかった。きっと秋人は私に泣いてすがられたくなかったから、あのバー、alexandriteを選んだのだ。

小さくブルースが流れる静かな店内と、秋人の低くて小さい『ごめん』の言葉。それからは忘れたくて、泣きたくなくて、ひたすら仕事に打ち込んだ。

でも、もう限界。


「ご、めん、太一。涙が止まんなくて」


太一が私の腰に両腕を回して一層引き寄せた。


「いいよ夢輝さん、大丈夫だから」

「だ、だけど、太一のシャツが、涙と鼻水と、お化粧で汚れて、」

「鼻血よりマシ」

「うっ、うわああん!」

「わっ、夢輝さん、ごめん、冗談だよ」


太一はそう言うと、本当にシャツで私の涙を拭いた。


「ごめんね、太一。それから、ありがと」


太一が私の濡れた瞳を覗き込んで柔らかく微笑んだ。


「可愛い人だなぁ、夢輝さんは」


私は涙を手の甲で拭いながら、太一から視線を反らした。


「可愛くないもん、アラフォーだし」

「関係ないよ、そんなの。それに夢輝さんは凄く若く見えるし」


私は少しだけ笑った。


「ありがと」

「あ、この件は『貸し』ですよ」


私はギクリとした。


「貸しって?若く見えるっていう、リップサービスの事?」


太一がニッコリ笑って首を振った。


「違いますよ。……僕とも飲みに行ってください、二人きりで」


思わずドキンとする。それって……?いやいや、勘違いするな、私。二人きりでっていう事は深く考えない方がいい。


「うん、借りは必ず返すよ」

「じゃあ、部屋の前まで送ります」


太一はそう言うと私の頭をクシャリと撫でて笑った。


◆◆◆◆◆◆◆


朝。


「夢輝さん、おはよう」

「おはよ、鮎川君」


マンションを出て駅までの道のりで、太一が後ろから走ってきた。私の隣に並ぶや否や、男性にしては甘い香りがフワリと漂う。チラリと見上げると、茶色い大きな瞳がこちらを見ていた。


「昨日は……ごめんね」

「いえ、全然」


その時、


「夢!」


キッ!とマウンテンバイクが道路の端で停まり、運転手が私の名前を呼んだ。サングラスをずらして私を見つめる勝ち気な眼。


「隆太!おはよ!」

「なあ夢、週末デートしようぜ」

「はあっ?!」

「じゃあ、決まりな!」


白い歯を見せて手をあげると、隆太は颯爽とマウンテンバイクをこいで車と人の間に消えていった。

……デート……。アイツ、何考えてんのかな。私が呆れて前方を眺めていると、


「するんですか、デート」


太一が同じく隆太の消えていった方向を見つめたままで問い掛けてきた。私は笑いながら答えた。


「デートじゃないよ。隆太の冗談でしょ」

「そうでしょうか。狙ってるんじゃないですか、夢輝さんの事」


私は驚いて太一を見上げた。


「はあ?!こんなアラフォー、誰も狙わないよ」


眉をあげた私を一瞬だけ見て、太一は眼を反らした。


「夢輝さんって、ガードが甘いですよね」


私は太一を見て笑った。


「甘くていいんだよ。私、もう歳だし。じゃないと誰も寄ってきてくれないもん」


ダメだ、若い男といると自虐的になる。


「遠藤さんって、ワイルドな感じでイイ男ですよね」

「そうだね。会社でもめちゃくちゃモテてたよ。結婚するまでは」

「じゃあ、離婚したからまたモテまくるのかな」

「そーなんじゃないー?」

「……その中に夢輝さんも入ってるんですか?」

「は?なんで?」

「だって、なんか凄く仲いいみたいだし」

「そーだねー、参戦するかどーか、考えるよ。さ、電車乗るよ」

「はい」


電車の中では二人とも無言だった。


◆◆◆◆◆◆


「柴崎。みんなも集まってくれ。トラブル発生だ」


課長が眉間にシワを寄せて皆を呼んだ。徐々にオフィス内の空気が張り詰めていく。


「……はい」

「天然ピンクパールが確保出来なくなった。人工でいく事が決定した。PK18はそのままだ。デザインも変えない。工場長はお前の同期だよな。会議には出てたがお前からも話しといてくれ。材料搬入が遅れるから生産は三日延期だ」


嘘でしょ。


「課長……この商品は二十代女性がターゲットで『ボーナスで自分へプレゼント』がコンセプトですよ?天然のピンクパールを売りにする予定なのに……。人工パールなんてあり得ません。だって、カラット数もそう大きくないのにそれが人工だなんて。そんなの特別じゃありません。それならせめてデザインを変えさせてください」


「ダメだ。今から試作、トライ、撮影、秋には製本にウェブページ追加。間に合わない。だが安心しろ。人工にはかわりないが、極めて質の良いピンクパールが確保出来た」

「嫌です。これは冬の一押し商品なのに……」


「柴崎。分かるだろ?うちのピンクパールネックレスは冬のボーナス企画から外れたんだよ。デザイン二課のピアスにとってかわったんだ。けど冬の新作で売り出すことには代わりないから、気を落とすな」


ひときわ強い口調で名前を呼ばれて私は課長を見つめた。


「俺だって掛け合ったんだ。けど、俺達デザイナーは、仕入れ段階のトラブルに口は挟めない」


わかっている。ここは会社だから。唇を噛み締めたものの、上が決めた事項を私が覆せる訳がない。


「……工場長に会ってきます」

「……ああ。頼んだ」


バッグを掴んで身を翻すと、私はオフィスを後にした。エレベーターホールで足を止めるとスマホを操作し、直接隆太に電話をする。


「……夢?どうした?」

「隆太……今から時間作って。30分で行くから」


私のその声で隆太は事態を予測したのか、


「ああ、分かった」


低い声で一言彼はそう言った。


◆◆◆◆◆


午後九時。

シャワーを浴びて夕食を作りながらワインを飲む。

秋人と別れてからというもの、家では食事をテーブルに並べ、ちゃんと座ってから食べることがなくなってしまった。だって、思い出してしまうから。秋人と向かい合わせに座っていたテーブルで、独りで食事なんかしたくない。今頃彼は、あのスレンダー美人と二人で過ごしているのだろうか。


どうしても考えてしまって、自分が酷く汚くてしつこい、ドロドロな性格だと思わずにはいられない。けど……やっぱり憎い。私を捨てて若い女に乗り換えた秋人が、たまらなく憎い。

仕方がないと分かっているのに、私は一体いつまでこんな風に悩まなきゃならないんだろう。


今日は散々だった。

ピンクパールのネックレスは冬のボーナス企画から外されてしまうし、その事ばかりが頭に浮かび、うまく気持ちの切り替えが出来なかった。

だから株式会社ブライダルヴィーナスからティアラの製作依頼がきているのに、私だけデザインチームから外された。


『最近どうしたんだよ、柴崎。プライベートで何があったのか知らないが、とてもじゃないがブライダル関係のジュエリーをお前に任せられない』


課長にそう言われた時、血が出るくらい唇を噛み締めた。じゃないと泣いてしまいそうだったから。課長の言いたいことは分かっている。けれど、今の私はもがけばもがくほど泥沼から出られなくなっている。

明日は、きっと明日は上手くいくと夢を描いて眠るのに、毎日がやりきれない。こんな私は……デザイン一課の皆の足を引っ張っているんじゃないだろうか。


けどそれって、私のせいなの?!秋人のせいじゃないの?!いや、若くない私のせい?25歳のスレンダー美人に秋人を奪われたのに、もしかして私は、彼女のためにティアラのデザインを考えようとしていたの?

だとしたら、なんて残酷なのよ。どうしてよっ!!

苛立ちが徐々に大きくなる。

私には何もない。世間から、なんの価値もないと見放された気がする。

いやだ、そんなの怖い。私はここにいる。

気が付いた時にはスマホをタップしていた。


『……夢?どうした』

「隆太、会いたい。今から会いたい」


涙声の私に隆太は一瞬沈黙したけど、直ぐに低い声でこう言った。


「俺ん家、来るか?」

「うん行く、待ってて」


流れる涙を手で拭い、私は手早くメイクをすると部屋着を脱ぎ捨てた。分かってくれるのはきっと、隆太しかいない。同期で気心が知れていて、婚約破棄された私と離婚した隆太。

何でだろう。こんなに胸がはやるのは何故なんだろう。早く独りじゃないと実感したいから?めちゃくちゃに泣けるのはきっと、隆太の前だけだから?これ以上、どす黒くて醜い感情を抱えたくないから?

服を着替えてスマホと鍵を手にすると、私は部屋を飛び出した。


「夢輝さん?」


マンションのエントランスでスラリとした人影が眼に飛び込む。


……太一だった。

フワリと私を見て微笑んでいた太一が、次第に真顔に変わる。ギクリとして、私は思わず視線を反らした。


「……どこ行くんですか?眼がとても赤い」


静かで艶やかな太一の声はちゃんと聞こえている。だけど私は返事を返さなかった。


「夢輝さん……泣いてたんですか?」


小さな風が頬を撫でた瞬間、太一が近付いてきて至近距離から私を見下ろした。大きな茶色い太一の瞳が、心配そうに私を見つめている。


「夢輝さん?」


嫌だ、そんな眼で見ないで。ギュッと心臓を鷲掴みにされたような痛み。

私は大きく息を吸うと、震える声を必死で抑えながら返事を返した。


「……ちょっとコンビニに」

「遠藤さんに会いに行くんですか?」


切り返すようにそう言った太一の声は相変わらず柔らかくて優しくて、それが逆に私の胸を締め付けた。

ビクンとして反射的に息を飲む私に、太一はもう一度問いかけた。


「彼に会うんですか?」

「太一に関係ないよ」

「夢輝さん」

「太一には分かんないよっ!」


私は身を翻すと駆け出した。正しい全てのものが、今は辛すぎる。心臓が破裂しそうになるほど私は走り続けた。信号で漸く足を止めると、必死で息を整える。青信号に変わった交差点を私は隆太のアパートの方向に歩き出した。渡りきった時、自動販売機の隣に立つの隆太が見えた。


「……隆太」


私の姿を見付けた隆太は少しホッとしたように表情を緩め、手を伸ばした。迷いなく私はその腕にしがみついた。


「夢」

「隆太……」

「分かってんのかお前、この意味」


私の後頭部に手を回すと、隆太は身を屈めた。


「なあ、分かってんのかよ。お互いガキじゃねえんだぞ」


隆太が精悍な頬を傾けて、僅かに眼を細める。

この意味。


「分かってる」

「じゃあ来いよ、俺の部屋」



◆◆◆◆


「ん……っ!あっ……」

「夢っ……!」


うす暗い隆太の部屋で、私達はきつく抱き合った。隆太のがっしりとした熱い身体が私の欲情を激しく煽り、逞しい腕に抱き締められると荒くなる息を抑えられない。


「……夢……もっと脚、開け」

「隆……っ」


隆太の節だった長い指が器用に動き、私の反応を見ては絡み付くように遊ぶ。


「感じて、忘れろよ。俺以外忘れろ」

「あっ」


その直後圧迫感が強くなり、私は思わず隆太にしがみついた。

グッと密着した隆太が徐々に動きを早めて、打ち付けられる腰に身体の芯が疼く。徐々に高まっていくのを知ってもらいたくて、彼の背中に爪を立てるとその行為に自分自身がひどく乱れる。


「もっと奥、いくぞ」

「っ……」


言い終えた隆太に強く肌を吸われ、私は大きく仰け反り身体を強ばらせた。


「ダメだ夢、こっち来い」


隆太が腕一本で私を抱き起こす。


「隆太っ」

「……夢……」


乱れた息を吐き出しながら隆太は私を呼ぶと、唇にキスをした。深いキスはまるで私を必要としてくれているようで、私は夢中で口を開けた。

そんな私を倒し、上でしなやかに動きながら隆太は囁いた。


「俺が……いるから」

「……うん、うん。あああっ」


息が苦しい。

このときの私は全てを忘れたくて、必死で隆太に集中した。


「夢……夢っ」


隆太の下で、せり上がってきた熱い感覚に私は強く眼を閉じた。


◆◆◆◆


眠る隆太の整った顔を暫く見つめた。隆太は……隆太はこれで良かったんだろうか。暫く二人で抱き合っていたけれど、隆太も私も口を開く事はなかった。お互いに傷を舐め合っただけで、私達はそこに何も見付ける事が出来ないのではないか。結局私は、隆太を巻き込んでしまっただけなのではないだろうか。

肌を合わせた束の間の依存。そのほんの少しの時間を共有し、孤独を紛らした私と隆太。

眠りに落ちていった隆太の頬に、私はそっとキスをして立ち上がった。

ごめんね、隆太。私の闇に付き合わせちゃって、本当にごめん。

拾い集めた服を着ると、私はそっと隆太のアパートを後にした。あれほど息を切らして走ってきた道のりを、ボロ布のような身体を引きずりトボトボと歩く。


幅の広い横断歩道には私以外に歩く人はまばらだった。

孤独は重い。歩く速度が上がらない。明日は、どうなるんだろう。こんな私でも明日はいい日だと夢みたい。

やっと辿り着いたマンションの自動ドアの前に立つと、私は大きく息を吐き出した。

セキュリティーボックスの前に立ち、部屋番号を押して中に入ると、右手のエレベーターの床に長い脚が見えた。

観葉植物を避けるように覗くと、片膝を曲げて壁にもたれたまま眼を閉じている太一が眼に飛び込む。たちまちのうちに鼻の奥がツンと痛み、涙が湧き上がった。

……彼はきっと待ってくれていたのだ、私を。あの時の、太一の静かな声と真っ直ぐ私を見た瞳。

私は太一の真正面にペタンと座ると、震える声で彼の名を呼んだ。


「……太一……」


長い睫毛が影を落として、彼は眼を閉じている。私は膝に置かれている太一の手をそっと握った。


「太一、ごめんね。本当にごめん。それから、ありがと」

「もっかい言って」


急に眼を開けた太一に息を飲むと、彼は寂しそうに笑った。


「夢輝さんが戻ってきて安心した」


その笑顔は本当に優しかったけど、同時に凄く傷ついて見えた。

ああ、と思った。

彼は……分かっているのだ、何もかも。


胸がギシギシと今にも壊れそうだった。痛くて痛くてたまらなかった。


「ご、めんっ……太一っ、私、なんて」


次の瞬間、太一が膝で立ち上がると私をギュッと胸に抱いた。


「大丈夫だよ、夢輝さん」


ああ、私はなんてダメな女なのだろう。七歳も歳下の男性に、いつも子供のように。


「私、今日ほど自分を嫌いになった日はない。太一、私、最低なんだ」

「夢輝さん、大丈夫だよ」

「やだ、太一、怒ってよっ!叱ってよっ!じゃないと私、苦しい」


太一が私の頬を両手で包んだ。


「じゃあ、僕が罰してあげる。それで、あなたの罪を許してあげる」


私は泣きながら太一を見上げた。


「それで貴方の気がすむなら」

「太一、それってなに?」


太一がふわりと笑った。


「あなたは綺麗だし素敵です。だからもっと自分に期待してください。それを僕に誓ってくれたら、許してあげます」


私が綺麗だし素敵?自分に、期待する事?

それから太一は真顔になって少しだけ厳しい顔をした。


「で、これは、罰」

「痛っ」


言い終えるなり、太一は私の額をビシッ!と指で弾いた。


「友達が言うには僕のデコピン、すっごく痛いらしいですけど、夢輝さんだから特別にメチャクチャ手加減しました」


手加減してくれたの?痛いけど、凄く……。


「部屋まで送ります」

「……うん」


太一が立ち上がって私に手を伸ばした。伸ばされた手に若干戸惑う私を見て、太一は呆れたように笑った。


「手、かして」

「…………」


ドキドキしてるのを知られたくなかったけど、きっと彼は分かっているだろう。太一は私の手を握りしめると優しく微笑んだ。


「ほら、おいで。夢輝さん」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ