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石物語  作者: 遥風 悠
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天の宙(そら)にて

 第5章 ~ 天界へ

【第八宮にて】


 ここは天界、真っ白な世界。白だけの世界。天人族のティモシーに連れられたエル、オルガ、セシリア、クリアンカの4人が、天界を荒らすドラゴンを誅伐すべく降り立った。正しくは昇り立ったというべきか。この辺りはまだ竜族、絶望竜エアドーハスの襲撃を受けてはいないようで、話に聞いていたような被害は見られなかった。その点についてはほっと一息つくことができた。ただ白い、白過ぎる空間に、白色の宮殿が建つ。ちらほら姿を見せる天人族が身につけるローブに施された極小の彩色以外はすべてが白に統一されていた。足元も目の前も見上げても白。場違いなのは下界の4人。色に酔ってしまったのだろうか、慣れぬ下界の民達は少々気分が悪くなってしまった。


 ここは天界に全部で十三ある宮殿の、第八の宮。天界の最南端に位置する第一の宮殿を足掛かりに第二、第三と宮殿を次々と破壊しながら北上を続けるエアドーハス。既に第七宮殿までを潰し、さらなる進撃を継続していた。ティモシーによればおおよそ1時間後にはこの第八宮に姿を現すということだった。

 「しっかし、本当に何も無ェ所だな、天界っていうのはよ。」遠慮のない無礼な感想を吐き出すオルガをセシリアが小突く。笑みを浮かべながらその様子を伺うエル。

「天人族には必要なものがほとんどありませんから。物も自然も、色も争いも。」静寂を通り越して切なさを感じさせるまでに平和で落ち着き払った空間だった。普段はこの静謐(せいひつ)な世界に天人族の姿が混ざり合い、それはもう賑やかで、異世界の民たちが一様に羨む天国なのですよ。ティモシーがクッと唇を噛んだ。この第八宮で何としても食い止めなければならない。下界の者の力を借りて、たとえ犠牲を出しても、何をもってしても、罪を被ったとしても。それでも駄目な時は、天界の終局です。ただし、絶対に諦めない。

「ティモシー、何か作戦のようなものはあるのですか?」クリアンカの問いにはっと我に返るティモシー。

「あ、はい。作戦と呼べるほどのものではないかもしれませんが。」


 静かな時が流れていた。嵐の前の何とやらということなのだろうか。第八宮殿から少し離れた所でげかいの民4名と天界人ティモシーが戦いに備えていた。

「何も気配を感じませんね。」クリアンカが独り言のように現状を吐き出した。

「至るところに結界が張られていますので。その内に出でるでしょう、邪悪な気配が。」丁寧でゆったりとした口調、感情を表さないティモシー。握る拳が揺れるのは武者震いか、悲運か、それとも恐怖か。

「何てこたぁねェ、黙って待ってりゃいいんだよ。アチラさんから来てくれるっていうんだろう。宜しくお迎えしてやろうじゃねェか。竜族と()りあえる機会なんて滅多に無ェからな。」

「相変わらずだね、オルガは。俺は1度アディリスにぶっ飛ばされてるからちょっとビビってるかな。」というエルの顔もオルガ同様、期待に胸を膨らませていると言えた。

「えっ、アディリス?アディリスって、あのアディリス殿ですか?」ティモシーが食いついてきたことに注目が集まる。

「んっ、えーと、多分そのアディリスだと思うけれど・・・」どう答えて良いか分からないエル。

「六神竜のアディリス殿とお知り合いなのですか?」

「六神竜?六神・・・竜、なのかな。ごめん、六神竜って何?。」

「ごめんなさいね、ティモシー。こいつらは常識がないというか、何も知らないというか。後で説明しておくから。それと、エルの言うアディリスは、六神竜のアディリスで間違いないわ。」



 例えば、矢庭に音を立てて硝子が割れば誰しも驚き、皆が振り向く。何事かと探りを入れてその発生源を追いかけるだろう。募る不安の中で身の安全を確保するよう努める。

 天界でまた結界が割れた。ひび割れた結界から邪悪かつ強大かつ気色の悪い気配が煙のように漏れたかと思うと、薄っぺらいガラス戸の如くあっさりと結界が粉砕した。第八宮殿にて待機する天界人に緊張が走る。当然エアドーハスを待ち構える5人にも。

 ただし、事前に硝子が割れることを予知できていれば驚きは微細で済む。じっと構えていればなおさらのこと。さらには音も衝撃もなく、只々静かに砕け散る結界は同様をもたらすことなく戦いの序曲を奏でた。


 エルが屈伸を始める。オルガはギュルギュルと肩を回し、クリアンカは翼を広げた。ティモシーはその幼い表情に鋭い目つきを携えて、破れた結界の方角を凝視する。最後の戦い、勝っても負けても。その様子を見守るセシリア。絶望竜エアドーハス、現る。

 

 驚き戸惑う天人族。第八宮殿にて待機する天人族の選択肢。戦うのか、第九宮殿へ逃げるのか、逃げてどうなるのか、戦って勝てるのか。無策。慌てふためく天人族に解決の糸口は見出せなかった。エアドーハスがどこかへ消えてしまうことを願うしかできなかった。一部の天人族は既に次の宮へ避難を開始する。女、子供を優先する中で我先にという戦士もいる。しかし誰もそれを止められない。咎められない。天人族の力だけではどうしようもないということだけは皆の共通理解だった。統制された行動など存在しない。会話は皆無、ただ雑音とも騒音ともとれる喋り声、叫び声が宮殿中を駆け巡るのだった。

 対照的に下界の民は落ち着いたもの。一緒にいるティモシーからすれば、本当に竜族の気配を察知できているのか不安になるほど。エアドーハスの恐ろしさを知っているだけに、下界の民の余裕に頼もしさを感じることはできなかった。

「あまり宮殿の近くで戦わない方が良さそうだね。」

「ああ、そうだな。んじゃ、行くとするか。」エルの提案にオルガが同意した時だった。遠方に見える、とは言っても今はまだ点にしか見えないが、竜の姿が瞬いた。その小さな星のような光はみるみる大きくなり、否、放たれた闇属性のエネルギー球が一体何kmあると思っているんだ、5人の30メートル手前に落下した。無論微傷だに負うことはなかったが衝撃波は第八宮殿まで伝わったために宮殿内の混乱に拍車をかけた。

「クックック・・・おもしれェ。ヤルじゃねェか、クソドラゴン。よし、お返ししてやれ、セシリア!」

「相も変わらず単細胞・・・届くわけ無いでしょッ!!そもそも竜の姿だってほとんど見えないじゃないの!」

「何で~、情け無ェな~。仕方ねェ、こっちから出向いてやるとするか。」

 エル、オルガ、セシリア、クリアンカにティモシーの5人は特に走りもせず、歩いて絶望竜に近付いた。ティモシーからすれば実にのんびりと。絶望竜からもこの小さな5人が認識できているのだろうか。無色の背景に映えすぎる黒き閻球(えんきゅう)が時々飛んでくるが、距離もあってさすがに命中とはいかない。それでも天界の破片と爆発音が飛来する。そこに交じるのは足音のみ。オルガを先頭にエルが続く。2人から5メートルの距離を置いてティモシーを庇うようにクリアンカとセシリアが天人族の前を征く。戦いの時が迫ってきた。

 実に穏やかな道のり、順調な路程。というのも、何故か接近するにつれてエアドーハスの攻撃が鳴りを潜めたのだ。5人が絶望竜の真下へ到着する頃には辺りが不思議な沈黙に包まれていた。白に無音に真っ黒なドラゴン。灰色の腹部を除いて真っ黒な絶望竜は、天界にとって明らかな異物だった。文字通り汚点である。

 「本当に翼は必要ないのですか。正直な所、私に協力できることはこれぐらいしか・・・」ティモシーが不安気に問うた。できれば自分の手で天界を守りたい、己の技で絶望竜を討ちとりたい。けれども自分の力では及ばない。決して弱気になったつもりはないのだが、攻撃補助に回ることが戦いを終わらせる最善策だと悟っていた。

「とりあえず俺とオルガはしゃぼん玉でやってみるよ。もしもダメそうなら、その時は頼むよ。」

「ま、そういういうこった。」エルとオルガ、クリアンカが上空20メートルに視線を向け、セシリアは法術の準備を始めた。『名も無き木陰からの胞子』・・・駄目ね、あいつらじゃとても覚えられそうにない名前だわ。しゃぼん玉でいいわ。輝く魔導石は2つ。森の属性を持つ『エルフの祈り』、そして水を属性とする『水鏡(ミカガミ)』。

 ティモシーの特殊能力、それは羽を持たぬ者に翼を授けること。空を飛ぶことのできない者に宙舞う力を与えることだった。慣れるまでにはやはり時間を要するが、天使の羽によって思いのままに天を翔けることができよう。蛇型の竜族と一線を交えるには必須であるとティモシーは考えていた。それを拒んだ下界の民。彼らはにこやかに自分たちの意思を伝えてきた。

 「本当に宜しいのですか、みなさん。エアドーハスが地上に降りてくることはまずありません。蛇型のドラゴンは皆そうなのですが。ですから皆さんも空中で戦わなくてはなりません。法術を使うセシリアさんはともかく、エルさんとオルガさんが剣で切りかかるには翼が必要なのです。ですから私の能力でお2人の背中に翼を―慣れるまで多少の時間はかかってしまいますが・・・その・・・他力本願で申し訳ないのですが・・・」

「な~に、気にするな。こっちが勝手に首根っこを突っ込んだんだからよ。だからってわけじゃねェが、まずはこっちのやり方でやってみるわ。駄目ならそん時考えりゃあいい。」珍しくうまく総括し、思いをひとつにまとめたオルガをエルが茶化す。

「オルガに羽が生えたところを想像すると、ちょっと気持ち悪いもんね。」笑い声が上がり、エルを捕まえたオルガがエルの首にスリーパーを決めていた。竜族との戦いを前にした空気には感じられないティモシー独りが蚊帳の外にいるように感じられた。






 第5章 ~ 天界へ

【天の(そら)にて】


 オルガには悪いけど、今回は休んでいてもらおうかな。

 エルには悪ィが、今回は出番なしだ。

 お2人には申し訳ありませんが、今回は私が。地上戦に持ち込むことはできない。そして空中戦は他ならぬ私、クリアンカの土俵。姫には法術による援護をお願いするとして、エルとオルガには休憩してもらうしかありませんね。空での戦は分が悪く荷が重い。ましてや敵は竜族。私がやるしかないでしょう。

 『フォルテなの槍』を構え、清き翼を翻し、三本の指で眼鏡の位置を調整した。魔導石『ルークス・ルーナエの(いかづち)』が目映く発光する。純白の背景の為により眩しく感じる。

「さて、いきますか。」真っ白な大地を蹴って、真っ白な空へ飛び立つクリアンカ。天界に浮く唯一の汚点、絶望竜エアドーハスの待つただ白き宙へ。

 その下では法術を唱えるセシリア。森属性『名もなき木陰からの胞子』、俗称しゃぼん玉。エルとオルガが飛行法術のしゃぼんに包まれた。


 空での攻防に長けているクリアンカの攻撃が果たしてどこまで通用するものか。まずは一槍、食らわしてみますか。エアドーハスまでゆったりと飛んでいくクリアンカを追い越していく光芒(こうぼう)が2つ。思わず空中で立ち止まるクリアンカ。けれども驚いたのは我先にとリリト族を追い越したエルとオルガも同じだった。

「えっ?」

「なっ?」どちらも相方が自分と互角に飛べるとは考えていなかった。自分を末頼(すえたの)しむ相方を想像していた。

どちらも秘密にしていたから。

「エルよ。お前ェ、何でそんなに速く飛べるんだ?」

「オルガこそ、随分としゃぼんに慣れているじゃないか。俺はてっきり尻餅でもつくんじゃないかと――」

「やかましいわ。それが嫌なもんで、セシリアに頼んで最低限は動けるようにしたんだよ。」

「そっか。実は俺の村にも似たような法術を使える人がいてさ。ちょっと練習したんだ。」エルとオルガは子供みたいに、楽しそうに話をしていた。

 似た者同士のお二人さん、どうして秘密にするんだか。何はともあれ、お手並み拝見といきましょうか。


 仕切り直し。でもその前に・・・



 「さてクリアンカ、例えば空飛ぶ古代獣や竜族と戦うことになったとしよう。自分の10倍、100倍の大きさをもつ敵にどうやって挑もうか。」

「逃げる!」

「クリアンカが逃げてしまったら、残された儂等はみ~んな喰われてしまうのぉ。」

「う~ん・・・大っきいんだったらスピードは遅いと思うんだよな。だから、あっちこっち飛び回ってみる。」

「ふむ。お利口さんじゃ。ではどの辺を飛び回ろうかのぉ?」

「えーっとね、顔の回りは噛まれたり火を吐いたりするから、尻尾の方かな。」

「クァッ、クァッ、クァッ、甘いの~、クリアンカ。(はた)かれて終まいじゃよ。」

「う~~~・・・僕はそんなの避けちゃうもんね。」

「フム。胴回りや尻尾の動きは不規則。クネクネウネウネしとるからなかなか難しいんじゃよ。動きが非常に読みにくい。」

「そっかー。でも噛み付かれたら嫌だな。」

「大丈夫。大抵のドラゴンよりもクリアンカの方がずっと速いぞ。自信を持って良い。」



 まずは敵を撹乱すること。その中でエルとオルガがどこまで動けるのか、戦えるのかを見極める。そうすれば自ずと自分の役割が見えてくるだろう。空は私の土俵です。そんなクリアンカの思惑は冒頭から崩れ去り、そして思考まで凍てついてしまった。

「水(aqua)―儚き結晶の弾丸!」突如エアドーハスを囲んだ氷の鉄球。ご丁寧にトゲまで付いている。大きさは絶望竜の目玉くらいだろうか、そこまで大きい印象はないが数量はかなりのものだった。ひと時で百余の弾を具現化し、絶望竜を包囲し、その氷の弾丸を叩きつけた。

「すぐに突っ込む単細胞三人組。最近はクリアンカまで感化されちゃって―まずは落ち着きなさい。」もちろんセシリアの小言は当人達に届きはしない。近くのティモシーの耳にだけ、優しく伝わった。

 相手は巨大な竜族であり、隙間なく至る所に次々と、という風にはいかなかった。フレイム・オーケストラの炎撃のように逃げる間も与えず繰り返し攻撃する法術も選択肢にあったが、セシリアの狙いは別の所にあった。ただ我武者羅に近接攻撃を繰り出しても効果は薄いし、反撃を受けるリスクが高まるだけ。単細胞なだけでは竜族には勝てないのだ。そんなメッセージは誰にも伝わりはしないが、絶望竜を囲うように発動された水属性の氷の弾丸がエル、オルガ、クリアンカのお籠を奪って先制攻撃を仕掛けた。強大な竜族への数少ない対抗策、撃破する為の突破口。それは瑕瑾(かきん)と呼ばれる弱点、鱗の柔い箇所、皮膚のさくい部分、それを見極め突くこと。

 ん~・・・やっぱりあの程度の法撃じゃダメージなしか。ま、仕方ないわね。どっかに瑕瑾があるはずなんだけれど、ま、その内に暴いてやるわ、エアドーハスさん。何はともあれ―

「さっ、いってらっしゃい!!」地上からこれでもかと人差し指に力を込めて、爪の先まで緊張させて天を指した。それがドラゴンを指しているのか3人を指したものかは分からないが、何かが一本の糸で繋がった。空中から視線を送っていた3人は、大声で指示を出すセシリアに導かれるように意識をドラゴンへ向けた。エル、オルガ、クリアンカが仕切り直す。

「全くお気楽というか、人使いが荒いというか。言われんでも行くっつーの。」オルガが大剣片手に軽く毒づいた。エルは既に細剣と小太刀を抜いている。

「エル、オルガ―」クリアンカが呼びかける。

「空の戦いでは私に一日の長があります。ですから私が指揮をとります。宜しいですか。」笑みと共に頷く2人。

「まずはお2人が空でどれだけ動けるかを見せて頂きましょうか。」



 絶望竜エアドーハスの巨体からすれば周辺を飛び回る三匹は(はえ)薮蚊(やぶか)にでも見えるのだろうか。ウザったそうに全身を動かしながら時折噛みつこうとする。角で突こうとしたり、短い手で払おうとしたり。そう簡単に攻撃を受けたりはしない3人ではあるが、そう、それ程までに空中での動きは見事なものだった。気高き翼で宙を舞うリリトの戦士クリアンカはともかくとして、エルと何よりオルガがしゃぼんを乗りこなしているのである。かつてハナキリンの崖で真っ逆さまになっていた頃が(しの)ばれる。

 その勢いに乗って皆どうにか竜族の体に武器を当てることはできるのだが、手応えに乏しかった。いや、逆か。手応えがありすぎるのだ。まるで金属でも弾いているかのようにケーンという場違いな音が鳴り響く。手が痺れるだけで歯が立たない。鱗一枚剥がすことができなかった。それでも焦りはない。なにせ竜族を相手に戦いを繰り広げているのだから。ましてや慣れぬ空中で。敵はまともな攻撃など仕掛けてきていないのだ。それでも、それでもだ。エアドーハスの巨大な口に挟まれては致命的という邪念が意識下に刷り込まれていた。飛び交う位置が頭部周辺から胴及び尻尾に近くなってきた。集中力が切れなければ食われることなどまずない。それ程までにエルとオルガを含め、3人の飛行速度は目を見張るものがあったのに。負けたのだ、圧力と恐怖心に。


 「顔の回りを飛びなさい!!」セシリアの一喝をエアドーハスの一撃はほぼ同時だった。くねる胴及び尻尾の動きは見極めづらく、オルガを背後から急襲した。割れるしゃぼん。墜落するオルガ。それに逸早く反応し、落下していくオルガを受け止めたのはクリアンカだった。ゆっくりと飛行しながら話しかける。

「オルガ、大丈夫ですか。」

「ああ、問題無ェ。ちょっと掠っただけだ。ったく、細長ェクソドラゴンがっ。切り刻んでタタキにしてやる。」

「フフ・・・元気そうですね。」そう言うと、クリアンカは法術の解けたオルガをセシリアに託して空へ戻っていった。

 まずは『大樹の天恵』で傷の回復を行い、すぐにしゃぼん玉を膨らまし始めた。その間にプクプクと大きくなるオルガのイライラ。

「クソが!油断した!」安心と呆気が共存するまでに打たれ強いオルガの肉体的ダメージは大したことなかったが、冠を曲げてしまった元王様。そちらを癒すことが姫の本当の仕事のようで。

「尻尾の動きなんて読めるわけないじゃない。ましてや動きにくい空中にいるのよ。顔の回りを飛びなさいな。それとももしかして、食べられちゃうのが怖かったりして――」セシリアが悪戯な笑顔を見せる。

「バカヤロー、んなことあるか。目ん玉抉(えぐ)り出してやらぁ。」

「はいはい、それだけ元気なら平気ね。お気を付けて。完成よ。」トンと背中を叩く。

「ああ、行ってくる。」そう言ってしゃぼんを再び身に纏ったオルガは大剣を2本構えるのだった。



 まずはクリアンカ。さすがは有翼人リリト族の戦士といえよう。空中での身のこなし、移動速度、槍撃と雷撃。いずれをとっても地上におけるそれと同等かそれ以上だった。これで口が悪くなったらと思うと、クリアンカの強さは計り知れない。対竜族の主軸である。切り札であり、希望。

 続いてエル。地上における瞬発力が図抜けている分、引き継がれないその力が愛おしい。それでも速い。速さだけであれば互角かもしれないと謙虚なクリアンカが呆れるのも納得してしまう。ただし細剣の破壊力は心許ない。絶望竜のデカさとプレッシャーに対してあまりに貧弱だった。象に楊枝は通用しない。しゃぼんの中でも『朔風の足袋』を履くことはできるのだろうか。

 そしてオルガ。確かにいつしかと比べて動きは見違えたが、それでもその速さはエルと比べても随分見劣りした。空中において、地上よりもその差が広がったようだ。今は大剣を2本掴んでいるが、果たして不安定な空中で十分な剣撃を繰り出すことは可能なのだろうか。


 両の手に一本ずつの大剣を握り、巨大な影を落とす竜族を見上げるオルガ。その戦列復帰を待っていたわけではあるまいが、オルガの態勢が整うや否や、絶望竜が雄叫びを上げた。胴間声(どうまごえ)とでも言うのだろうか、誰もいない真っ白な天空へ向かって真っ黒な円球を吐き出した。一体どこに攻撃しているのか、何を考えているのかと思ったのも束の間、とりわけ戦いに関しては勘の働くオルガが警報を発した。

「雨だ!黒い雨が降ってくるぞ!!」エアドーハスの口から雄叫びと共に吐き出された邪悪な玉は遥か上空で霧散し、黒き水滴となって勢いよく展開の地上へ降り注いできた。音と気配は下界の通り雨と同様だったが。エアドーハスを中心に隙間なく。避けることは不可能。もちろんエアドーハス自身にも降り注いでいるのだが、まぁ予想通り問題ないらしい。濡れて黒光りする絶望竜はどこか凄みを増していた。

「クリアンカ!こっちへ来て!!」セシリアがリリトの戦士を呼び寄せ、法術を唱える。森を属性とする魔導石『エルフの祈り』が輝く。紡ぎ出された『玲瓏の木漏れ日』。その穏やかな名称とは裏腹に非常に強固なバリア。法術を唱えながら移動したり他の法術を唱えられないという欠点はあるもののその壁が破られることはそうそうあるまい。さて、残されたエルとオルガ。小さい方が大きい方に駆け寄り小太刀を頭上にかざした。魔導石『土精の暗涙』が光を帯び、土属性の障壁が2人を保護した。一寸(ちょっと)の間だけ。


 雨音に身を委ねながら時が流れる中でのこと。

「あっはっはっ・・・ごめん、オルガ。バリアがもちそうにないや。」すぐに止むだろうと思われた黒い霧雨は降り始めてもう直3分。エルがコロリと漏らした。

「思ったよりも長く降るな。仕方無ェ、セシリアの所まで移動するぞ。」小太刀から発せられる障壁で黒い雨をどうにか防ぎながらエルとオルガは、セシリア、クリアンカとティモシーの3人と合流した。

「ごめんセシリア、俺のバリアじゃ防ぎきれなくて。」

「結構な長雨になっちゃったわね。」三人用だったセシリアの法術が音もなく広がり、雨宿りに駆けてきたエルとオルガを優しく包み込んだ。しばらくして、黒い雨は止んだ。

 「厄介な技だね。」エルが呟く。

「そうだな。傘も無ェし、結界無しで避けるのはちと難しいか。どうするよ。」ふと、オルガがセシリアに視線を向ける。

「そうねぇ。うまくいっていれば雪解け水がエアドーハスの血で染まっているはずなんだけど。」

「ん、どういうことだ?」

「最初の法術がうまく瑕瑾(かきん)に当たっていれば水が血染めされているはずよ。」

「カキー・・・ン・・・?」何か金属で白球でも打ったかのような響きでエルを見つめるオルガ。その視線を受け止めたエルは俺も分からんと首を横に振った。

「そこがエアドーハスの弱点ということですね。」クリアンカのフォローにセシリアが明るく反応する。話の通じるものがいてほっとしたのだろう。

「そういうこと。」

「よしっ。」エル、オルガ、クリアンカの声が揃った。反撃開始と意気込むが、その様子をじっと待っていてくれるほど竜族は優しくなかった。むしろ雨が降りしきる中黙っていてくれたことが幸運だったのか。絶望竜も動き出していた。

 

 エアドーハスの口が開き、黒き波動が塊状になり始めた。

「チッ、動き出したか。雨か?直球か?」オルガが言い終える前、答えが出る前にクリアンカが地面を強く蹴って飛び出した。エルとオルガもすぐに続いたものの、2人がどれだけ空の舞に慣れたとしても、リリト族の背中に追いつけるはずはなかった。クリアンカの背中が遠ざかっていく。

 体当たりや噛みつきを除けばエアドーハスの主な攻撃方法は2種。口の中で生成された真っ黒なエネルギー球を対象に向けて直接吐き出す『黒玉(くろだま)』。威力は絶大、たった一発でとは言わなくとも二発、三発でこれまで7つの天界宮殿を壊滅させてきた。いとも簡単に、至極あっさりと、天人族を恐怖の渦中に沈めたのだ。

 もうひとつは『黒雨(くろさめ)』。黒玉を上空へ吐き出し、雨のように降らせるので回避することはほぼ不可能。逃げ道はない。絶望竜の絶望竜たる故由(ゆえよし)。殊に天人族にとっては希望を絶つ雨に他ならなかった。


 飛行しながらエアドーハスの鼻っ面を目掛けて放たれた雷属性の法術『飛雷針』は、雷鳴を残して竜族の口へ吸い込まれていった。絶望竜の口内で生成される黒き波動球に黄金色の雷撃は抗う術なく吸収され消滅した。何事もなく不気味な色を深めていく閻球。攻撃の準備を滞らせることはなかった。

「やらせませんよ。」クリアンカは怯まず、槍を構えて突進する。エアドーハスの真正面から突っ込むつもりなのか、『黒玉』目掛けて風を切った。が、エアドーハスの目の前で急上昇、一気にドラゴンの視界から消えた。ドラゴンの頭上で一時停止、そして重力の力も借りて急降下した。確かオルガの剣技にそっくりなものがあったはずだ。絶望竜の右目目掛けてフォルテナの槍を突き立てにいった。狙いは眼球、鱗無き所。その大きな目玉は狙い易いことこの上ない。阻むものは何もない。片目を奪うべくクリアンカが槍を突き刺した。

・・・

・・・

・・・

 流血はない。蛮声(ばんせい)も聞こえない。曇りゆくクリアンカの表情。閉じられた瞼によって槍撃は防がれ、眼球まで届くことはなかった。

「瞼すら傷つけられませんか。」黒玉が完成しつつあった。

 一体何でできているのだ。どういう構造をしているのだ。これが竜族。神族と同列に扱われる種族。本来であれば下界の民が(まみ)えることすらない。鱗一枚、瞼一枚傷つけられない現状にクリアンカは歯噛みした。

「まだだー!」追いついたエルがクリアンカと同じように上空から攻撃を繰り出す。数歩退くクリアンカ。エルの選んだ武器は小太刀。同じ竜族のアディリスから譲られた得物であればどうにかなるかもしれないという願掛けにも近い理由だったが、その思惑は無残に崩れ去った。エアドーハスの瞼には傷一つ残らなかった。かわりに残存する痺れ、生まれる迷い、消えていく余裕と笑み。それでもまだ諦めるには早かった。

「どけー!!」声の主を確認するまでもなく素直に場所を空け、道を譲るエル。一歩退き追撃を待った。そこを何の遠慮もなく、我が道を征くオルガ。やはり腕力はナンバーワン。こういう仕事は俺に任せておけばいい、と言わんばかりの一撃だった。結果は絶望竜が何事もなかったように天を仰ぎ、黒き塊を吐き出した。『黒雨』が発動される。

「来るぞ、畜生が!!」転がりながらセシリアとティモシーにも届く大声で叫んだ。


 竜眼への一撃×3発が瞼一枚によって失敗したショックというわけではなかろうが、エアドーハスが黒雨を放つべく頭を動かした拍子にエル、オルガ、クリアンカの3人はドラゴンの頭から転げ落ちてしまった。黒い鱗の首筋をクルクル、コロコロ、ゴロゴロと。プチプチ、サクサク鱗が少し痛い。クル、グル、ゴロと転がる中でエルとクリアンカの視界を横切った、灰色に染まる白雪が。後頭部から首筋にかけての一点、大きさにして人間族の拳大の瑕瑾が存在した。そして、糠雨(ぬかあめ)が降りだした。

 「見つけました!ありましたよっ!」

「クリアンカ、こっちへ!」エルがクリアンカを呼びながらオルガを探す。すぐに見つける。三人一緒に仲良く竜の背から飛び降り、エルが小太刀を用いて土を属性とする障壁を作り出した。雨が勢いを増していく。先のものより強い、邪悪なる豪雨。水滴の色も深く暗い。今度はエルが冗談を飛ばす間も与えずに魔導石の力を掻き消した。あっさりと。これにて雨を防ぐ手立てがなくなった、傘がないのだから。うずくまる三人。声も出せない。全身を打ち付ける雨が鉛のように重く、針のように鋭く、泡のように弾けた。考えていた以上に重い、そう、重いのだ。痛いとかダメージがとかいう問題ではなく、その雫の重さによって3人は身動きが取れなくなってしまった。全く不思議な雨だった。結果、頭を防ぐ腕から血が流れ、背中にもあざができ始めた。

「結構・・・まずいんじゃねェか――」オルガが呟く。やがて雨が止むのだった。



 「ご無事ですか?」ティモシーの声が雨の代わりに落ちてきた。周囲はまだまだどしゃ降りだ。うずくまったまま異変に気付いた3人が顔を上げると、幼い天使ティモシーと法術で皆を守るセシリアが立っていた。この雨の中を駆けてきたのだろうか。戦闘員三名でも動けないこの雨の中をか弱い天使と女性が?セシリアの法術『玲瓏の木漏れ日』は強力な防御壁には違いないのだが、結界を張ったままでは攻撃は愚か移動することもできない。そこでティモシー。その翼を精一杯羽ばたかせてフラヒラクラハラ、どうにか辿り着いたというわけだった。

 「どうやら見つけたみたいね、瑕瑾を。」セシリアの問いかけに立ち上がったオルガ。しかし傷だらけの姿が恥ずかしかったのだろうか、素直に応じない。

「平気かティモシー、重かっただろう。」女性を前にして何とも失礼極まりない質問ではあるが、そんなことを気にするのは下界の民だけのようで、

「いえいえ、身長がありますのでもう少し重いかと思いましたが、52kgでしたのでどうにかここまで運ぶことが――」

「!!!」

「!!!」

 器用に杖を宙に放り投げてゲンコツを同時に2発繰り出した法術士。エルは笑いクリアンカは頭を掻いた。オルガとティモシーは頭を抱えてしゃがみこんでいた。

「馬鹿なことを言っている場合じゃないでしょう!本当に単細胞なんだから。」

「お前ェ、瑕瑾ってあんなに小せェのか。こんなモンだぞ、こんなモン。あんだけデカイ図体(なり)してよ~。」片手拳を挙げてセシリアに八ッ当たりをするオルガ。

「大きさなんて分からないわよ、竜族各々違うんだから。位置も大きさも色々よ。」

「何だよ、お得意のクリーチャーウンタラカンタラはどうしたんだよ。」

「載ってなかったの。もう、何よオルガ、こんな霧雨程度で音を上げちゃってるわけ?情けないわね~。」

「誰が音を上げてるって!フンッ、これからだ。弱点か分かりゃこっちのもんだ。今すぐにでもぶっ潰してやる。」

「もう少しお待ちなさいな。もうすぐ雨が止むわ。それと、傷としゃぼんを治さなくちゃ。」セシリアはオルガの扱いが本当にうまくなった。


 皆さん ―― 唐突にティモシーが口を開き4人の注目が集まったのだが、その右手がエメエラルドグリーンの美妙な光を発しているものだから思わず見とれてしまった。そしてその輝きを放つ右手でエル、オルガ、クリアンカの武器にそっと触れていった。優しく愛でるように。すると、エルの『スノウブレイカー』と『アディリスの爪』、オルガの『ダインスレイブ』と『ドラグヴェンデル』、クリアンカの『フォルテナの槍』に光が伝播した。各々の武器がエメラルドを帯びるのだった。

 なんじゃこりゃ、というオルガの疑問に対するティモシーの答弁が武器所有者たちへの説明になったわけだが、彼の解説によれば神々しい見た目ほどの効果は期待できないが、多少の攻撃力上乗せくらいはどうにかこうにかという、天人族からの贈りものだった。

 

 雨が止んだ。


 真っ白な、白だけの世界に現れた黒き絶望竜。真っ白な大地に黒い瓦礫(がれき)の山を七つ造り上げた。挙句、黒い雨まで降らせて。そこに現れた小さな光たち。希望の光が闇に向けて動き出した。


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