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石物語  作者: 遥風 悠
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想い

第2章 ~ 想い

         

【過去の遺物】

 

 今も昔もこの地ヴィルガイアには3つの大陸が存在する。北部に位置するヴェルハウゼン、西方のメルヴィル、南東に浮かぶヴィンタートゥール。付け加えれば、この3大陸に囲まれる孤島ヴェルフ・ヴァン・リンスヴィル。この内、エル、オルガ、セシリアの3人が巡りあった場所はメルヴィルの一角。ヴィルガイアにおいて最も人間の多い、換言すれば最も人の住み易い大陸がメルヴィルであると言われている。それは人間にとっての外敵が相対的に少ないことを意味する。一方でこのメルヴィルを人間にとっての牢獄と考える者もいる。人間の戦力を極力抑制する為に適度なレベルの魔族と魔獣が送り込まれた大陸、それがメルヴィルであると。必要以上の戦力を人間は必要としない。強さを求めはしない。平和に憧れ平和を夢見る限り、人間はいつ滅んでもおかしくない道程を歩んでいるのだ。


 オルガの足音が遠ざかって間もなく、沈黙を破ったのはエルだった。洞窟でセシリアが開いた魔族の情報に特化したクリーチャーエンサイクロペディア、それを見せて欲しいと。斜交いに座るセシリアは無言で本を出すと、エルへ差し出した。エルがゆっくりと、しかし滞ることなくページをめくっていく。書かれている情報に目は通していない。魔族の容姿だけを確認しては先へ進む。セシリアは黙って、どこに焦点を合わせる訳でもなく見つめている。そんなセシリアが暫くしてエルへと視線を上げる。エルが指を止めたからだ。こいつだ、エルは自分の目的を改めて胸に誓う。自分の意思を捻じ曲げられないように。


 

 小さいながらも緑が豊かで、四季の移ろいが美しい村だった。その村の中心部、百合と桜の木々に囲まれた広場でが子供達が駆け回り、老人が憩い、犬猫が微睡み、小鳥が囀り、若者が微笑み、草花が揺らめく。太陽を受け入れ、風が流れ、小川が煌き、男の子が笑い、女の子も笑う。冠婚葬祭には村中の人間が集い、喜怒哀楽を共にする。経済的には決して豊かではない、その年の収穫に恵まれなければ確実に辛く苦しい冬を迎える辺境の地ではあるが、村中が家族とも言える程に皆の距離が近しい世界だった。しかしながらこの村でも魔獣との接触を避けることはできない。村の外で魔獣を見つけることも珍しいことではなかった。ご他聞に漏れず村には結界が張られ、結界師の育成にも余念がない。男子には武術の鍛錬が課され、当然エルもその1人である。そんな村に魔族が飛来する。空舞う魔獣を従え、低レベルな結界などガラス戸の如く一瞬で粉砕した。

 エルの育ての親であり、剣の師でもあるカイツ。かなりの歳を重ねてはいたが、エルの師というだけあって剣の腕は見事、現役のエルを優に凌いでいた。エルに魔導石の使い方を教えたのもカイツだった。突然襲来した魔族を前に、最前線で剣を振るうカイツとエル。そこでエルは老成された師の強さを改めて知ることとなった。カイツは魔族の突然の襲来に対して全く戸惑うことなく、まるで予期していたかの如く戦いに身を投じる。エルが考えていたよりも、生活を共にし鍛錬を共にし、ほとんどの時間を共有してきたにもかかわらず、カイツはエルが感じていたよりも遥かな力を秘めていた。エルもこの村ではカイツに次いで腕の立つ戦士。同年代の若者よりも、カイツより若い熟練の剣士よりも強かった。そのエルが足元にも及ばなかった。味方、それも最も身近な人間の描く剣技に恐怖すら抱いていた。

 カイツは人的被害を少しでも食い止める為、魔族らを広場へと誘導した。魔獣達の親玉である、遠めに見てもその神々しいオーラを纏う魔族は笑みを浮かべながら誘われるがままに導かれた。もちろんエルらも広場へと従う。しかしながら、カイツにとっての十分な戦力補強にはなり得なかった。そしてその必要もなかった。カイツは降り注ぐ有翼の魔獣を次々と撃破していった。傍から見ているといとも簡単に。次々、次々と太刀を浴びせては絶命を与え続けた。一方、魔獣同様、空に位置する魔族。下僕の魔獣共に命令を下し、村の壊滅を謀るものからは直に笑顔が消え失せた。その表情が人間の勇者へ向けた怒りと憎しみに埋め尽くされていく。魔獣の数はおよそ300体。絶望的な数字ではなかった。むしろカイツの赫々たる強さに希望の光が輝きを増していた。そんな時だった。短兵急に放たれた光芒と爆音。幾重にも綴られた青白く、微かに美しい閃光と空嘔を催すほどの残響によって、戦士達の表情が一変する。戦火に耐えて茂っていた緑は消失し、魔族の周囲を浮遊していたガーゴイル、ハーピー、ワイバーンの類までも殆どは絶命していた。それら魔獣の死骸、というよりもその破片、身体の一部が地上へと降り注ぐ。気色の悪い降雨を避けることもせずに、呆然とその力の差を認め始めたエル。そんなエルの肩にふと手が掛けられた。はっと振り返ったエルの目に飛び込んできたのは幼馴染で、エルよりも2つ年上の女性シンシア。シンシアはエルに向けて 萎れた精一杯の笑顔を手向け、すぐにやや遠方のカイツと視線を合わせた。頷くカイツに、涙を堪えた微笑で頷き返し、エルの手を引き後方へ逃げる様に走り出した。動じるエルからの質問には一切答えない。耐え兼ねて手を振り解こうとしたエルに対して一言だけ、お願いと伝えるのだった。

 連れて行かれたのは普段使用されず、幼い頃から近寄ることも禁止され、固く閉ざされた古井戸だった。地下へと梯子も下ろされていて、まるでこの日のことを予言していたみたいに周到な準備が施されていた。梯子を伝い、そこから続く短い地下道の終点には転送装置が据えてあった。ほぼ無言でエルを機械の麓に立たせるシンシア。2人は何一つ別れの言葉を交わせなかった。エルが何かを言おうとした時、シンシアは既に装置を起動させていた。そしてエルの体が空高く浮かび上がったかと思うと、次に気が付いた時には全く知らない土地に立っていた。その残酷な転送。空を舞った一瞬、エルの目に焼き付けられた光景は魔族の姿と、血に塗れてひれ伏すカイツの姿だった。この時点で魔族を追い返せる勝算は皆無となった。


 駆け足、一瞬、刹那の間にエルは昔を思い出し、振り返った。


 

 オルガとセシリアに詳細は話さなかったが、クリーチャー・エンサイクロペディアからターゲットの名前は知ることができた。『シュクリスを殺す』。これがエルの目的であり、自分には打倒とする魔族がいると話すと、3人の目的として共有された。エルに話を聞かされたオルガは二つ返事で承諾したが、セシリアは散々にごねていた。シュクリスとは随分有名な魔族のようで、オルガもその名を知っていた。セシリアはシュクリスの名も知らなかったエルに文句を言い、知っているにもかかわらず容易に戦いを挑むとしたオルガを弁難した。男2人の思いは決して覆らないと分かっていながら。セシリアはシュクリスの居城を教える代わりの交換条件を突き付け、エルとオルガから了承を勝ち取った。ちなみにオルガは、セシリアから執拗に咎められている際にひたすら押し黙って聞いていた。一言も反抗しなかった。抵抗しなかった。お前がついて来なければいいじゃねェか、とは言わなかった。それは、シュクリスの居城を知っているのがセシリアしかいないから、だったのかもしれない。 

 「地図も持っていないなんてどういう神経しているの。信じられないわ。どうやって今まで旅してきたの。勘、勘なのかしら。そう、きっとドタバタとした出発だったのね。でもね、いくら準備する時間がなくたって地図くらい用意できるわよね。だって地図がなくちゃどこに向かっているか分からないものね。ああ、そうか、元々目的地の場所もはっきりしていないんだっけ・・・」セシリアが自分の問いに自らテキパキ答えていくのをオルガはタバコをふかしながら、エルは一点を見つめながら聞き流していた。

「ここがクルヴィの森があった場所。」トンと指で地図を叩き、クルルと赤印で囲む。エルとオルガが初めてセシリアの説明に耳を貸す。

「山を越えて南下するのが1番早いんだけど・・・モノには順序ってものがあるんだから。聞いてる、エル。」エルはクルヴィの森を南下した一点から視線を逸らさないままコクリと頷いた。それを確認したセシリアが続ける。

「まずはここから南東へ進んで、リンツの塔を目指す。ここはゴーレムの住処とされている所。とりあえずはこれくらいクリアできないとお話にならないわ。そのあと街道を通ってグラーツ城へ。ここで一息つけるでしょう。装備品も整えられるかもしれないし。随分と立派なお城って話だしね。そこからさらに南下してザイアースベルグに向かう。ここがどういう所か、オルガなら知っているんじゃないかしら。」

「まぁな。嘘か本当かは分からんが、妙な噂は聞いている。この辺りじゃ有名だからな。アンデッドの住む町ってのは。」2本目のタバコに火をつけるオルガ。

「腕試しには持って来いでしょ。そこを抜けて西に向かえばシュクリスの居城よ。分かったかしら。」

エルは再び頷いたが、オルガは1つ条件を申し出た。グラーツ城で時間が欲しいと。エルもセシリアも反対はしなかったが、セシリアが提案する。何ならガレオス城に立ち寄ることもできると、グラーツ城からは決して遠くない距離だと。しかしながらオルガは、この提言に首を振るのだった。


 

 オルガを先頭にエルが続く。少し距離を置いてセシリアが道無き道を歩いていく。小さな村では馬匹を手に入れることもできず、一歩ずつリンツの塔を目指すことになった。セシリアは2人の歩行スピードについていくことはできなかったが、文句や嫌味を持ち込むことはなく、ペースを落とすよう依頼することもなかった。一方のエルとオルガも気持ち歩度を緩めていたかもしれないが、それでも、黙々と目的地を目指した。優しい素振りを欠片も現さないと同時に、足でまといだという感情も一切表さなかった。セシリアはその心遣いに感謝しながら、歯を食いしばって必死に食らいついていった。

 中途数える程の魔獣を男二人で蹴散らし、一行はリンツの塔へ到着した。野宿や宿営地で宿を取りながらではあったので疲労が皆無とは言えないまでも、戦えない状態ではなかった。

 「さてと、さっさとゴーレムさんをぶっ倒してグラーツ城へ向かうとしようぜ。酒も飲みたいし、煙草も切れそうだ。」意気揚々と突き進むオルガとそれに続くエルをセシリアが慌てて呼び戻す。

「ちょっと、ちょっと。ゴーレムは聖獣よ、守護獣、ガーディアン。退治してどうするのよ。」

「へっ?」振り返る野郎2名。

「ったく、何にも分かってないんだから。いい、よく聞きなさいよ。」セシリアは腰に両手を当てて説明を始めた。


 「要はゴーレムの(デコ)の石を壊せばいいんだろう。結果的にぶっ倒すのと変わらんじゃねェか。」

「気持ちの問題よ、気持ちの!」2人のやりとりを聞きながらエルはにやにやと笑っていた。

 本来は魔獣や魔族に対抗する手段として、人間の手によって造られた聖獣。物質に魔導石を埋め込み、できる限り人的被害を抑えようとした兵器。革新的対抗手段として期待されたが、幾星霜も昔に聖獣を作り出す技術は廃れ、聖獣の多くが封印されてしまったと言われている。

「いいのかよ、そんな神様みたいのにケンカ売っちまって。」

「ケンカじゃなくて試練よ、シ・レ・ン!言ったでしょう。ゴーレムに勝てないようじゃ、シュクリスにケンカを売るなんてできないからね。」エルは分かったと頷き、リンツの塔へと足を踏入れた。

 神徳と聖光を感じながら塔を昇り行くセシリア。聖獣に関してはエアルから話を聞いていた。エアル達が現役で戦っていた頃よりもずっと前に作られ、魔族に対抗しうる秘密兵器として期待されながらも今では守護神。守護神と言えば聞こえは良いが御守り程の役にしかたっていない。多くの聖獣は魔族、もしくは人自らの手によって破壊され、活動を停止した。残された数少ない聖獣は勇者に加護と試練を与える存在として奉られていた。謎は多く調査すべき点は多々あったが、力になってくれるべき存在である。ちなみにエルとオルガは、神徳と聖光とやらを一握りも感じ取ることはなかった。

 石で作られたリンツの塔。その色は灰や茶、黒ではなく白に近かった。ただし醇正な白に溜息ほどの黒インクを混ぜ合わせた新聞紙の様。永い間人の立ち入った面影も、魔獣の棲みついている跡もなかった。今度は一緒に歩を進める3人は、間もなく、最上階に安置されて聖獣を、その巨大な石の怪物を見上げた。塔の天井に頭がぶつかりそうな大きさなのだから、もしもこのゴーレムが五体満足の状態であればこんな小さい塔の、小さな一角には収まりきらないだろう。ましてや動き回れば塔自体が無事に済むわけもないが。周囲よりも黒み掛かった全身、否、上半身と2本の腕が、岩を繋ぎ合わせてできたゴーレムが、3人の気配に反応して2つの瞳を開けた。少しの前触れもない、突発的な開戦の合図だった。

 聖獣ゴーレム。冒険者の勇気と戦闘能力を試すもの。残忍非道な魔族と対峙しても命を接ぐ可能性はあるかどうか。魔族へ戦いを挑む資格があるかどうか。命を落とす前に身を以て推し量るべし。

 破壊された両足の為にゴーレムは移動できない。だから攻撃の届かない距離を保って安全地帯に位置すれば、石の拳骨を受けることはなかった。突然に開戦してからもじっくり作戦を練ることができた。焦ることはない。間合いをとって隙を伺い、額の、いわゆる第三の目があると言われている場所の浅紅石を壊せばゴーレムの活動は停止する。予定通り事が進めば危なげなく試練を終えられるはずだった。しかし残念なことにそんな思惑は外れ、石飛礫が次々と放り投げられるのだった。エルは攪乱の意味も含めて動き回り、オルガはセシリアの前に立ち、盾の役割を果たした。もはや手順も作戦もへったくれもなかった。石を放り投げるというよりは、振り回す両腕からどんどん石が剥がれ落ちていく感覚だったが、スピードは速く、狙いも定められていた。

「エル、飛び込めそうか!?」オルガが飛び回るエルに問いかける。

「やってみる。」エルが徐々にゴーレムとの距離を詰めていった。ゴーレムはエルのスピードについていけず翻弄される。両の腕は空を切り、石飛礫は見当違いの方向へ放たれている。エルが聖獣ゴーレムの挙措進退を見切っていることはセシリアの目にも明らかだった。そしてエルの攻撃がゴーレムの額の石を直撃したことも目視できた。オルガの目にはエルの突きが十三発、ゴーレムの朱い第三の瞳を連撃したのが見えていた。刹那、広々とした水面に小石を静かに落とした時に広がる波紋が幾重にも空間を通り抜けた。思わず手で払いの退けるか、身を縮めてしまう輪っかはエルを通り抜け、オルガとセシリアを通過し、背後の石壁にて弾け飛んだ。しかし誰も背面を振り返らない。細剣を正視するエル。野分のレイピアは刀身が砕け、ゴーレムの瞳は無傷だった。

 やや険しい表情で聖獣と散った細剣を交互に見遣り、ドラグヴェンデルへ持ち替えようとするエルを静止するオルガ。代わろう、と。オルガ自身も既にゴーレムの動きは見切っていてエルほど華麗にとはいかないが、踏み込める目処はついていた。エルとオルガの位置が静かに交錯する。オルガは躱しきれない石飛礫を大剣で弾きながらゴーレムに接近し、振り下ろされた巨腕を避けて飛び上がった。天井に足を着き、浅紅石に向けて突撃するオルガ。‘the lightning to a mole’。響き輝く閃光と轟音。セシリアは大きく揺れる髪の毛を片手で抑えながら戦況を見届けた。エルは乱れる髪もそのままに、複雑な心境で待機する。ゴーレムの額の石は音もなく、いとも簡単に砕け散り、間髪入れることなく本体は大量の砂と化していった。お見事と、口元を緩めて腕組みをするセシリアを置いてエルは、そのカラクリを探るべくオルガに近付いていった。確かにパワーは自分よりも圧倒的にオルガの方が上。それに異を唱えるつもりはないが、それでもあまりに容易に石を破壊したように見えたのだ。

 エルの腑に落ちないといった表情に気が付いたオルガはニカッと頑丈そうな歯を見せながら種を明かした。目には目をってな、と。ヒョイと持ち上げた大剣の先には先程まで散乱していた石飛礫の砂が、文字通り粉々になって付着していた。ダイアモンドを削るにはダイアモンドを使う。聖獣の石を壊すには聖獣の石を利用するのが最も確実。オルガは言葉を発することなく、エルに伝えた。

 オルガとエルでは経験値に差があった。セシリアは言わずもがな。ゴーレムが唯の石で作られていないことは理解していなければならなかった。レイピアが砕けるまでに一三発。その前に剣を止めるべきだったのかもしれない。そもそも聖獣として崇められ、魔導石の力を付与されていた。飛んでくる弾岩を退避して満足している場合ではなかった。触れて、感じて、探り、見定め、考え、決断、実行する。全てとは言わないまでも、その多くを怠っていたエル。その代償に愛刀は使い物にならなくなってしまった。


 

 カイツから「野分のレイピア」を授かった時は嬉しさよりも恐怖が勝った。ようやく一人前として認められたという優越感、達成感、満足感、幸福感、充足感、そして自尊心。しかしこれらを一蹴するように、カイツは命の話を延々と続けた。その晩、まだ幼かったエルは大きく、重た過ぎるその細剣と一晩中向き合っていた。

 これは魔族の命を奪うもの。魔獣の命を奪うもの。動植物の命を奪うもの。命の遣り取りを仲介する道具。それを携えているということは、自らの命を賭けて相手の命を奪う意思があるということ。己の全てを尽くして大切な人間、仲間の命を守ろうとする。たとえ他人の命を削り取る結末に至っても。他人の命を奪うということは、その者の時間を砕くだけでは終わらない。その者を慕っていた者、頼っていた者、可愛がっていた者、信じていた者、育てていた者、嫌っていた者、憧れていた者、目指していた者、愛していた者の一部を殺すということに他ならない。加えて肝に銘じるべきこと。それは決して死んではならぬということ。自分が死ぬということは、自分を支えてくれてきた人間を裏切り、欺き、悲しみに時間を浪費させる。殺す覚悟と生き残る勇気。奪う覚悟と守りぬく勇気。剣を握る覚悟と再び収める勇気。

 剣に慣れ、戦いに慣れ、残念ながら命を狩り獲ることに慣れてしまったエルは、久しくその日の事を忘れていた。カイツからの片言隻語を忘れていた。結果として慢心を生み、警戒を怠り、愛刀を失う羽目になった。エルは折れた細剣を鞘に収め、セシリアはゴーレムに埋め込まれていた石、「聖護符の魔導石」を目敏く拾い上げた。エルは2人に落胆を悟られないよう努めて普段通りを装い、グラーツ城へ向かうのだった。


 

 結界を抜けると噂通り、賑やかな城下町が広がっていた。3人がグラーツに着いたのは夕刻、慌ただしい時間帯ということもあったが、心地の良い華やかさに3人は胸を撫で下ろした。旅と戦いの疲れを癒す為にまずは宿を目指す。中途、どんな店があるのか探りを入れながら、活気に満ちた城下町を、殊更セシリアはキョロキョロ・うそうそしながら闊歩した。そしてそのまま宿へ安着かと思われたが、何事もなく到着することを期待していたのだが、男2人が目を丸くする出来事が展開された。

 道中で手に入れた幾つかの魔導石。魔獣を倒すと希に手に入るものだから片手で数えられる程の数量だし、魔族を倒した訳ではないので質も決して高くない。唯一、ゴーレムから手に入れた「聖護符の魔導石」がそれなりの力を秘めているようだが、相性が芳しくなかったからだろうか。セシリアは不要な魔導石を全て売り捌いてしまった。その際、店主との交渉に一切の妥協は無し。極限まで売値を高めていた。見事な交渉力、強引さ、時に色気まで駆使しながら男主人をメロメロのヘロヘロにしていた。エルとオルガは距離を置いて他人のふりをしていた。

「なぁ、他の石ころはともかくとして、聖獣の魔導石まで売っちまって良かったのか?」オルガがセシリアに尋ねる。

「エルも私も相性悪いんじゃ、持っていても仕方ないわ。それに低級魔族の魔導石だけじゃほとんどお金にならないしね。締めて300,000ピゲスか。まぁ、こんなもんかしらね。」ついこの間まで森の木々に囲まれ、大樹と心を通わせて生活していたとは思えない慣れた手つきでペリ・ペリ・ペリと金勘定を行うセシリア。そして50,000ピゲスづつ小分けし、はい、とエルとオルガにそれぞれ手渡した。オルガが間髪いれずに不満を口にする。

「ちょっと待て、随分と少なくねェか。」

「デカイ図体して小さいこと気にしないでよ。どうせ男共にお金を渡したってギャンブルに注ぎ込むか、下らない玩具(おもちゃ)収集(コレクション)するかでしょう。武器とか防具とか、必要な物以外はお小遣いの中で遣り繰りしてよね。私だって大変なのよ。・・・残り200,000ピゲスだと、一ヶ月もつかしら。まだまだ貧乏ね。やだやだ・・・」ブツブツ言いながら札束を収め、宿を目指すセシリア。

「こ、小遣いって、ガキじゃあるまいし。っつうか、魔獣も聖獣もぶっ倒したのはほとんど俺とエルなんだぞ。」ぼやくオルガが横目でエルを見遣ると、エルは素直にお小遣いをしまい込んでいた。

「俺、小遣いって、もらうの初めてなんだ。」と~っても嬉しそうなエルの表情を見て、オルガは自身の完敗を悟るのだった。


 積み重なる皿、皿、殻、空、皿。言わずもがな、その大半をセシリアが築き上げ続けていた。エルは食後のお茶を飲みながら、オルガは宿について6本目の煙草に火を付けながら、麗人の箸が止まるのを待った。もうかなりの時間、待ちぼうけを食っていた。

「オルガ・・・」珍しくエルから話し掛けた。

「グラーツで時間が欲しいって言ってたけど。」

「ほ~ひへぱ(そういえば)-」セシリアもオルガへと視線を移した。

「ああ、そうだったな。それは明日、多分話せると思う。明日まで待ってくれ。」

「はひほ(なによ)・・・ング。もったいぶらずに言えばいいじゃない。」セシリアは口に頬張った肉の塊を飲み込みつつ、次の更に手を伸ばしながら言い放った。

「まぁ、焦るんじゃねェよ。ゆっくりいこうや、いろんな意味で・・・」セシリアは耳を貸しているのかいないのか、あっという間に次の皿を空へと近づけていた。


 その晩遅く、エルはこっそり部屋を出た。折れた細剣を携えて。宿の裏手に人気の無いちょっとした岩山があり、エルはそこを弔いの場所に選んでいた。小走りにかけていくエル。目的の所までは5分とかからない。夕方とは違って大通りにも人通りは無し。圧力を感じる静けさの中、岩山の最も高い位置に立つエル。岩と岩の間の土の部分に刃の折れた「野分のレイピア」を差し込む。柄にはセシリアに剣から外してもらった「涼風の魔導石」が紐を通して引っ掛けられていた。膝をついたり手を組んで祈ることはなく、黙って剣を見下ろした。長い間世話になったと。

 エルが部屋を抜け出し、扉から忍ばせた靴音が遠ざかると、同室のオルガも身を起こし、窓からエルの向かう先を確認していた。大きめの徳利を片手に立ち、エルの足取りを辿る。ゆっくりと。人気の消えた暗い夜道を、小さな街灯といつもより頼り甲斐を感じる月明かりを頼みに進んでいく。虫の音も消えた闇夜だったが、少しだけ風が出てきた。しかし揺れる草木が無い為か、夜の静寂(しじま)が破られることはなかった。無音は時として恐怖を沸き上がらせる。恐怖の対象がある訳ではない、理由無き恐怖。オルガに対してもそんな恐怖が容赦なく襲う。そしてオルガはふと笑う。声は出さず、こみ上げる笑いを殺すように鼻を擦る。いつの間にやらエルに追付いた。祈りを捧げるエルに。いつからだったか、エルもオルガの存在に心付いていた。

 「俺も挨拶させてもらうぜ。」オルガは細剣に近付くと左胸に掌を当て、静かに目を閉じる。何も語らず、深閑とした夜に溶けようとしていた。その姿は以前ガレオスで見せた、服装こそ異なるが、死者へ祈りと捧げ、現在(いま)を生きる者を見守ることを願う姿だった。やがて持参した酒を剣に注ぐ。コツ・コツと地面にも雫が垂れる。酒の音は優しく遠くまで響き、月明かりに共鳴する様に光を放っていた。白い光を発し、2人を照らしながら別れの時を惜しんでいた。

「エル、お前もやるか?」いつの間にかオルガは座して、自分も飲み始めていた。 

「うん。」エルも微笑みながら座り込み、共に酒を飲み始めた。少し、慰められて心が楽になった。


 




 第2章 ~ 想い

         

【持たざる国の騎士団長】



 翌朝、オルガは食事を済ませるとさっさと仕度を始めた。エルも反応して準備を進めるが、セシリアは動けなかった。疲労が抜けず、朝食もとらず自室でひたすらに眠り込んでいた。元より荷物の少ないエルとオルガではあるが、必要最低限の装備と道具を持って宿を発った。目的地は魔獣に覆われたガルネード鉱山。ここで採掘されていたガルネード鉱石は比較的安価で取引され、流通量は多かった。武器や防具、装飾品と幅広く活用され、グラーツ近辺では馴染みのある資源の1つだった。王国の財政にも潤いを与え、急速な経済成長を支える主要な原資材、それがガルネード鉱石だった。しかし近年は魔獣が巣食い始め、瞬く間にグラーツでは手に負えなくなってしまった。今では人の出入りが見られない、閉ざされた領域と化していた。それでも依然としてグラーツの領土。可能性を秘めた鉱山を手放すことなくいつしか魔獣が離れれば再び有益な土地へ転化する。その時を待ち望んでいた。

 

 「改めて見ると、宝の山だな。」セシリアみたいだね、とエルにからかわれながらガルネード鉱山を進むオルガ。エルに詳細はわからなかったが、恐らくはオルガの見立て通りこの洞窟内はお宝が一杯ということになるのだろう。エルにとって明らかだったのは沢山の魔獣が巣食っていることだけ。そしてこの、ガルネード鉱山に彷徨く外敵を蹴散らすことが目的ということだった。がルネード鉱石を安全に採掘するには魔獣が大きな阻害要因であること、その阻害要因を除去することでどこかしらヘ果実が流れるのだろう。ただし、その果実がオルガに流れるとは考えにくかった。低級のスライム、ウルフ、翼種目系の魔獣は数が多いだけで、エルとオルガの敵ではなかった。魔獣達は力の差を認識し始めると、次第に2人へ戦いを挑まなくなった。鉱山内の敵を全滅させることが目的かとエルは考えていたが、戸惑う魔獣に対してオルガから仕掛けることはなかった。エルもそれに倣って最低限の戦闘で済ませていく。時折オルガは手近なガルネード鉱石を手に取り何かを確かめるように覗き込むと、フムと納得して投げ捨てた。投げ捨てられた鉱石がカチャリと音を奏でると、周囲の魔獣の視線が一斉に2人を取り囲むのだが、2人は気にしない。エルとオルガが意識を手向ける先、それは、最深部に居着いている、厄介な気配を纏っている魔獣。その辺を屯している雑魚とは明確に異なる輩。そいつがガルネード鉱山の今の主なのだろう。

 偶然と言うべきか、運命の悪戯と言うべきか。随分と性質(たち)の悪いものではあるが、実はこういった偶然は人が考えている以上にしばしば生じている。最深部で不穏な邪気を放っていたのは『ブラッドソード』。クリーチャー・エンサイクロペディアのランクはC。それが3体。形状は三日月刀なので昨夜エルとオルガが弔ったレイピアとは似ても似つかないが、

「皮肉なもんだな、昨日の今日とはな。」そんな気配りの感じられないオルガの一言。エルは問題ないと笑った。戦闘意欲に問題のないことは正直な所だったが、昨夜オルガが自分を追い、同席してくれたことに心底ほっとしていた。そうでなければ確かにオルガの懸念通り、何かしらの問題が生じていたかもしれない。ガルネード鉱山をグラーツが取り戻せない理由がはっきりし、倒すべき敵が明確になった。エルとオルガは各々武器を構え、ブラッドソードに立ち向かっていった。

 最新部の溜まり場。地べたに捨てられているようなブラッドソード。2人を認識すると3体のブラッドソードがユルリと浮かび上がり、フワリ・フワリと宙を舞う。エルとオルガはブラッドソードに向かっていた足をピタリと止め、構えたまま間合いは詰めない。周囲の魔獣達は依然闘争心を失ったまま。戦いの行く末に視線を向けてはいるものの、殺気は発していない。動くことの無い鼓動が続いた。初めは鍔が競り合うまでに近付いて浮遊していた3体の距離が徐々に開いていった。エルとオルガを中心に三角を描いて取り囲む。自然と背中を合わせる2人。呼吸音が大きい。それに併せて僅かに上下動する身体の揺れも大きく感じられる。その振動がピタリと止まった。ブラッドソード達が空中で静止した。静止した鼓動は更に停止を見せる。息が止まり緊張の糸が張り詰める。動くのは眼球のみか。ふと一匹のウルフの前脚がカツリと小石を鳴らした。この小さな轟音によって、堰を切って空気が流れ出した。ブラッドソードの攻撃方法は体当たり。その名の如く薄気味悪い赤色をした三日月刀の襲撃を、エルとオルガは共に刀で受け止める。鉱山内には連続した金属音が鳴り響き、加速するブラッドソードをエルとオルガが弾き返す。テンポを上げ攻勢に出るブラッドソード。2人は守りに徹しているのか、それとも攻防一体か。攻撃も含めているのならば、果たして効いているのかどうか。数分間は迷いを撒き散らしながらの戦闘となったが、エルの一撃で戦況は一変した。『天蚕糸(てぐす) (かがり)』。助走、加速をつけてより強力な一発をエルに見舞おうと、攻防の最中距離を置いたブラッドソードが空中で停止する。隙をついたエルの妙技が決まる。さらにその隙を見逃さなかったオルガ。まるでエルと打ち合わせていたかの身のこなし。目の前の、自分が相手にしていた魔獣を無視して、動きの止まった相手に向かって豪快に上段から大剣を振り下ろし、ブラッドソードを地面に叩きつけた。三日月刀は砕け、気色悪い赤色が失われた。だが、それまでオルガを相手にしていたブラッドソードが背後から猛スピードで迫り来る。それを弾き返したのはエルだった。手応えを感じるエルとオルガ。残り2体のブラッドソードはエルとオルガから距離をとり、魔獣同士は再び鍔がぶつかるまでに距離を縮めていた。

 2体のブラッドソードはまた少しずつ互いの距離を離すだろう。それが攻撃の合図。もう見切れない動きではない。さぁ、早く動き出せ。攻撃して来い。そんな思惑をブラッドソードが見事に裏切った。石飛礫ならぬ鉄飛礫。片手で握り隠せる位の小さな塊をこれでもかと無数に飛ばしてきた。

「イテッ、ぐわ、何だ、クソッ、コラッ!」オルガが文句を零しながらガードに専念する。エルも同様。しかしダメージは避けられない。飛来する鉄屑の種類は2つ。打撃を与える為のものと、よく研がれたもの。致命傷とまではいかないが、敵との間合いを詰めるどころか、敵をしっかり見定めることも難しい。エルとオルガには打撃と切り傷が次々と刻まれていった。2体のブラッドソードによる猛攻にジリジリと退るエルとオルガ。その様子を見て周囲の魔獣共は殺気を帯び始める。ブラッドソードによる猛攻が鳴り止んだら一斉に飛び掛ってくるだろ。万全の状態であれば容易に排除できるものの、ダメージを負った状態では苦戦するかもしれない。それをブラッドソードが高みの見物をしている姿を思い浮かべるとムカッ腹が立つ。それならばと、動き回ることで鉄飛礫を躱そうとタイミングを伺うエルに、オルガが声を掛けた。

 エルがオルガの背後に隠れる。体の大きなオルガの後ろに回ったことで、エルに向けられていた鉄飛礫のほぼ全てがオルガへと飛んでいく。それでもオルガはゆっくりと一歩ずつ、ブラッドソードとの間合いを詰めていった。ブラッドソード2体による集中攻撃。飛礫の数はそれまでのおよそ倍、鉄屑同士で衝突、弾ける物もあったが、その多くがオルガに向かって強襲する。攻撃に重みが出て顔を歪めるオルガだったが、後退することはなかった。ジリジリ、ユルリじっくりと、徐々に少しずつ間合いを詰めるオルガ。傷は確実に刻まれ続け、皮膚に沈み込む塊も見られた。それでもオルガの目の光は失われず、気迫は嵩を増していた。呼吸音は次第に荒く大きく、肩で息をして身体は拍子をとっていた。それでも先に音を上げたのはブラッドソードだった。詰められた間合いを嫌がるように一体のブラッドソードが天井近くまで急上昇。攻撃の手を休めて離脱した。それをオルガの背中越しに見逃さないエル。鋭い反射神経、瞬発力と集中力。エルの攻撃を受けるまでブラッドソードはその接近に気付かなかった。それ程までに、オルガの気迫は鬼気迫るものがあった。エルの出足は鋭かった。

 結果、不意打ちという形でエルが攻撃を仕掛ける。瞬きする間に16発。寸分違わず同じ一点にドラグヴェンデルを突き刺した。16発目の一刺しがブラッドソードを貫通、三日月刀は色を失い地面へと落下した。残るブラッドソードは一太刀。周囲の魔獣からは明らかに殺気が削げていく。いつの間にやら鉄礫は止み、オルガとの間合いが詰まっていた。摺足でさらに距離を縮めるオルガ。鬼の様な目力で凝視され、金縛りを喰らったかの如く動けないブラッドソード。オルガの間合いには達していた。しかし動かないオルガ。剣を振り下ろさないオルガ。鉱山内の時間が止まる。刹那、空より細剣が降下した。最後のブラッドソードを撃破したエルの放ったドラグヴェンデルだった。『地祇(ちぎ) 滑翔風舞(かっしょうふうぶ)』。

「剣を手放すからあまり使いたくない技なんだけど。」放ったレイピアを追って着地したエルが呟いた。

「フフフ・・・そうだな。だが助かったぜ。正直剣を振るうのはちとしんどかった。」そう言うとオルガはガシャリと音を立てて、珍しく大剣の重さに負けて、重力の導くままに剣を下ろした。ブラッドソードの鉄屑は数発、オルガの太い右腕深くに食い込み、1発は貫通していた。それでもフンッと力を込めると溜まっていた弾丸が表に吐き出された。オルガは血塗れの鉄屑の隣に落ちていたガルネード鉱石を1つ手に取ると、来た道を戻り始めた。

  二人共に歩けない程ではなかったが、特にエルの傷はオルガと比較して程度の軽いものではあったが、道には不定の感覚で鮮血が滴り落ちては土に吸収されていった。途中で魔獣に襲われなかったのは幸運だった。往路の2倍以上の時間を要した復路、エルとオルガは宿へとようやく辿り着く。



 「んっ、おはへひ(おかえり)~、ろほひっふぇはほ(どこいってたの)・・・って、何よその傷、血だらけじゃない!」太陽へ天辺を跨ぎ帰路についた頃、溜まった疲労の為にようやく身を起こしていたセシリアが一気に目覚めた。

「どうしたのよ、何なのもう。野良猫じゃあるまいし。」寝起きかつ混乱した頭、寝癖のついた髪のままにセシリアは法術にとりかかった。まずは出血量の多いオルガから治癒術が施され、続いてエル。共に傷は体の広い範囲に渡ったが、オルガの一部の傷を除けば軽傷だったので治療は短時間で済まされた。が、その後とが大変だった。

「何で私に声掛けなかったのよ。もう、こんなに血だらけになって。何がどうしてどうやったら、2人揃ってこんだけ血だるまになって帰って来られるわけ。もう本当に単細胞のやることって予想がつかないから嫌なのよ。」回復を終えたセシリアは溜息混じりにベッドへ腰掛けた。腕を組み、自分だけが除け者にされたと感じたセシリアは幼子みたいに拗ねていた。不機嫌な彼女を見たオルガはすかさず弁解に入る。

「いや、そのな、声を掛けようとは思ったんだが、あまりにも気持ち良さそうに爆睡してたもんだからよ。ま~、いいかなと・・・」これがいけなかった。セシリアの表情が豹変する。

「えっ、何、部屋に入ってきたの?勝手に?どういう神経してんの!・・・っていうか、どうやって。鍵が、鍵が掛かってたでしょう。」

「・・・開けた・・・」

「どうやって?」

「・・・針金でコチョリと・・・」激昂するセシリア。顔を真っ赤に染め上げながら。エルは俯き加減で頭を掻いていた。

「このバカ、変態、ウルトラ単細胞!」その後しばしの間、ありとあらゆる物がオルガに投げつけられた。隣りにいたエルにもポコスカ当たった。数刻前の鉄飛礫に匹敵する連撃。ただし今回はなされるがまま攻撃を受けるしかない野郎二人組。傷口が開かなかったことは不幸中の幸いだった。



 オルガは独り城門前に立ち、グラーツ王への謁見を求めていた。1度は門番に止められるも、ガレオスのオルガと名乗ると立ち所に目通りを許された。事前に人払いまで行われ、謁見室はグラーツ王とオルガの2人だけとなった。

「久しいの、オルガ殿。」

「はい。突然の訪問をお許し下さい。」

「いやいや、一向に構わんよ。それにしても一体何用かね。」

「はい・・・」相応の緊張感の中に懐かしむ様子が伺える遣り取り。面識があり、相互の立場を尊重し、密会の場を設ける、しかしながら腹の中には警戒心を宿していた。そんな中、オルガがガルネード鉱石を取り出した。

「ほう、これは-」感情を押し殺した上で感嘆の声をあげるグラーツ王。その表情は変わらない。

「これで取引をして頂きたい。」

「売買であれば城下町に店が出ている故、そちらで交渉してはいかがかな。」

「個人間で扱うには規模が大きすぎるかと存じます。国家間での交渉が妥当かと。」ずっと虚ろで俯き加減で遠慮がちだったオルガの視線が上がり、鋭くグラーツ王を包み込んだ。


 汎用性の高いガルネード鉱石。かつてはグラーツにおける流通経済の一翼を担う商材となっていたが、いつからかガルネード鉱山には魔獣が巣食い、人々を遠避けていた。その主だった魔獣をエルとオルガが退治した。それでも魔獣の残数は多く、また、どこからともなく魔獣達は溢れ出てくることだろう。そして残念ながら、それを駆逐する戦力をグラーツは持っていなかった。そこでガレオスの兵士を傭兵として雇いボディガード、つまり魔獣討伐に当てる。そしてグラーツはガルネード鉱石を用いて経済活動を発展させることができれば、両国にとって金の回る話となる。両国の交流にも繋がる。別にガレオスがガルネード鉱石を奪って金儲けしようというわけではない。そもそもガレオスにはガルネード鉱石を使って何かを作る、加工するということに関して、グラーツを凌ぐ技術力はない。持たざる国ガレオス。けれどもガレオスにはグラーツに無い兵力がある。魔獣を狩るに足る戦力を有していた。ガレオスにとって武力こそが資源。これを経済活動に結び付けられなければ、今以上にガレオスが発展する余地はない。魔獣から民の命を守る為の武力、魔獣を倒すことによって得られる生活の糧という矛盾。この矛と盾だけではどれだけの時を経ても旧式の装備に違いない。他国との公益を通じて民を守り導くことが、ガレオスの未来には必要なのだ。


 

 その後、ナナ湖ほとりの魔獣とユリ平原のそれを一掃するのではなく、オルガの指示に従い適度な数を残して打ち倒した。今度はセシリアも加えた3人で。そこに交易の商材が存在するであろうことは予測できたが、2人が尋ねることはなかった。オルガが胸に掲げる、ガレオスの未来を紡ぐ計画的犯行。

 ナナ湖とユリ平原の旨をグラーツ王へオルガが報告した翌日、エルとオルガが血みどろになって帰ってきた日から数えて5日、エル、オルガ、セシリアの3人は出発の日を迎えていた。宿のロビーにはエルが独り。そこに仕度を終えたセシリアが合流する。いつもであればエルと一緒に、煙草を吸うオルガが待っているはずなのだが。辺りを見回したセシリアが問う。

「あれ、オルガは?」

「手紙を書いているみたい。詳しくは分からないけれど。」

「オルガが手紙?剣じゃなくてペン?机に向かって文字を書く?嘘でしょう。頭でも打ったのかしら。熱でもあるんじゃないの。雨具の用意しといた方がいいわよ、エル、今日は大雨かも。雪だったりして。ウフフ・・・ちょっと覗いて来ようかしら。」セシリアの上機嫌な独り言を聞き流しながら、エルは視線を床へ落とした。

「散々な言われ様だな、俺・・・」勝手にウキウキ・ワクワクしていたセシリアの背後からオルガがのっそりと現れた。優しく大きな掌をセシリアの頭に乗せると、セシリアはペロリと舌を出した。宿の主人に手紙を渡し、頼むと一言添えるオルガ。出発の合図だ。

 


 諄々と手紙について聞いてくるセシリアを遇いながらザイアースベルクに向けて宿を、グラーツを発った。アンデッドが棲むと言われる村。そしてザイアースベルクに到着すれば、シュクリスの居城はそう遠くない所に位置しているのだった。






 第2章 ~ 想い


【帰るべき場所】



 アンデッドが棲むと言われている僻村、ザイアースベルク。品のない噂話と一蹴するにはあまりに長いあいだ語り継がれている流説。真実とも空言とも確証が持てない。一昔前であれば命知らずの冒険者や探究心ににを任せる渡り鳥が、意気揚々とザイアースベルクへ向かったが、誰一人戻る者はいなかった。今では近付く者すらほとんどいない。

 そんな俗伝に半信半疑のエルとオルガ。一方でセシリアは十中八九アンデッドが潜むと考えていた。問題はその数。そもそもクリーチャー・エンサイクロペディアによるアンデッドのランクはD。5体、10体程度の数量であれば全くもって問題ない。しかし仮にそうだとすれば、人を寄せ付けない程に畏れられることはないだろう。そこら辺の渡り鳥にあっさりと滅されているはずだ。となると相当数のアンデッドが予想された。ザイアースベルクの住人がゾンビ化していることも十分に考えられる。簡単には手を出せない程のアンデッド。そうだとしても、知能の低いアンデッドであれば有益な集団行動はできない。単体毎に唸り徘徊するだけ。加えて動きは遅く殺傷効果の高い攻撃もないのだから、3人いれば一掃することができるだろう。予想できる最悪のケースは-

 ザイアースベルクに到着した時、日は西に傾き、上空には夕焼け空が広がっていた。それは朱というよりも山吹色に近く、それ以上に朽ち葉色という表現が似合っていた。それでも辺りはまだまだ明るく、無人の村ではあったが暗さや重さを強く感じることはなかった。それでも村の入口から警戒心を強める3人。ゆっくりとした足取りで村の中心部へと歩いていく。先頭をオルガ、セシリアを挟んでエルが続く。小さな民家や古びた小屋が疎らに建てられていて、物陰へと隠れるにはもってこいの村だったが、アンデッドが潜んでいる様子は伺えなかった。何事もなければこのままザイアースベルクを素通りしてどこか適当な所で野宿、いよいよシュクリスの居城を目指すことになる。そんな期待を頭に過ぎらせながら、一行が村の中心部まで足を踏み入れたその時だった。村中の土という土が盛り上がった。その原因はやはりアンデッド。まずは腕、続いて頭、腕を支えにして胴体、脚部が地上に姿を現した。教科書通りの登場、お決まりのゆったりとした動き、無残に朽ち果てた肉体。濃密さを増してきた影と同色の、紛れもないアンデッドが至る所から出現した。これだけの警戒を施していたのに、不死者の存在を思い描いていたのに気配ひとつ感じることができなかったことをエルとオルガが疑問に思う。アンデッドが今まさに生成された印象を受けるのだった。

 ここに2つの確信が生まれる。1つはエルとオルガの頭に描かれていたもの。この村がザイアースベルクであり、噂に違わずアンデッドが棲みついており、その数は見当もつかないということ。しかしこちらは仮構とは言わないまでも、有体の現実に過ぎなかった。目に見えたものをそのまま思考回路というフィルターを通して整理したに過ぎない。重要なのは2つ目の確信。セシリアの密かな推測が現実となったもの。そしてこちら側こそがこの村の真の姿であり、エルとオルガの状況把握では全てを現せてはいなかった。アンデッドは確かに群集する。しかしそれはバラバラに行動した結果の集合体。謀って一斉に集うことなどまずありえない。ましてや侵入者が逃亡できないように村の中心部まで引きつけておいてから包囲する形で出現するなど、脳ミソが残っているかも分からないアンデッドの頭が回るはずもなかった。結論、アンデッド達を操るものの存在、セシリアが真の敵と見据えるもの、それが死霊魔術師だった。エルとオルガが何百、何千とアンデッドを倒しても、この村から抜け出ることは叶わないのだ。

 雑魚とも言えるアンデッド。1体、2体で現れることはまずないが、仮にそうであれば瞬く間に瞬殺できよう。尤も相手にせず無視することも容易に可能だが。それほどまでに弱く、(のろ)く、脆い。注意すべきは噛み付き攻撃と数にものを言わせた押し潰し。手足を破壊されてもその活動を停止することはない。痛がり苦しむ素振りも見せない。何事もなかったように前進を続ける。両手両足を切断すれば動くことはできまいが、唯一残された顎の力で抵抗をみせる。そんなアンデッドの弱点は頭部。頭部を破壊すれば再起することはない。。そんな最低限の知識をつい先ほどセシリアから教わったエルとオルガは、せっせと剣を振るうのだった。オルガは豪快に大剣でアンデッド共を薙ぎ払った。筋肉の鎧に覆われた両腕には必要最低限の、剣を支えるに足る最小の力しか込められていなかった。馬鹿力など不要。大剣が触れればアンデッドの頭は易々と吹っ飛び、力を失った首から下はその場へ崩れ落ちたり、地面にへばりつく前にオルガの蹴りで頭部同様飛ばされていった。一方のエルは1体ずつ正確かつ迅速に頭部へレイピアを突き刺していた。オルガの仕留めたアンデッドとは対照的に、貫かれた一点を除いて綺麗な状態(注・所詮アンデッド)で、首と胴が繋がったまま没していった。2人共に十分な余力を残し、セシリアを庇いながらアンデッドと戦った。一方的にアンデッドを撃破し続けた。それでもセシリアの足元から忽然と姿を現すアンデッド。セシリアは絶叫しながら、半身はまだ土に埋まっている状態のアンデッドに全力でロッドを叩きつけた。あまりによく通るセシリアの叫び声に最初は驚いたエルとオルガだったが、次第に慣れてしまった。

 時間がないから簡単に説明するわ。セシリアはいつまでも戦っていられそうなエルとオルガに説明を始めた。アンデッドの倒し方は頭を狙うやり方で間違いない。その時に、アンデッドから糸の様なものが引っ張られていないか確認すること。何十体、何百体に一体かは分からないが、死霊魔術師がアンデッドを操っているのであれば必ず死糸が引かれている。そしてその糸が向かう先にターゲットがいる。最初は糸を見つけることも難しいが、死霊魔術師との距離が近付く程に糸は密集し、その居場所を示す。そいつを倒せばアンデッドも朽ち果てる。だから糸を探しながら戦って。と、ここでオルガが水を差す。何で敵に近付くと糸が集まるって分かるんだ。セシリアはやれやれとしゃがみ込み、小さな○を1つ、その横に小さな・を縦に5つ、○と・の間を少し開けて描いた。そして○と・を線で結ぶ。今いる場所がここ、それは・に近い場所で線に触れることのない場所。敵に近付いた位置がここ、それは3本の線に触れる場所。敵に近付くと糸が重なっていくでしょう、分かったわね。成程な、と納得するオルガ。既に相手戦力の限界を悟った故の余裕を見せつける。黙って変わらずアンデッドを狩り続けるエルと、楽勝だ、のんびり行こうとアンデッドを壊し続けるオルガ。彼らに護衛されながら、セシリアは死霊の糸を探すべく目を凝らした。時間はない。

 初めに死霊の糸を発見したのはエル。アンデッドを貫いた瞬間に1本の細く、仄暗くセピアに輝く糸が右手側へ伸びていた。見つけた、あっちだと言うが早いか、向かう先を右側へと急転換した。オルガとセシリアもエルの声に反応して、皆で糸の示した方向へ進撃を開始した。倒しても倒してもその数を減らさないアンデッド。戦闘能力の差は明らか。体力的にもまだまだいける状態ではあったが、いい加減に同じ顔を見飽きていた。やれやれと思いながら突き進むと、今度はオルガが紫紺に光る糸に気付いた。しかしながら糸の向かう先は3人の進行方向とは一致せず、今度は向かって左手側に操られていた。今度はあっちだ。オルガが糸の方向を大剣で示し改める。ターゲットは向かっていた方向と違う場所に隠れているようだが、3人共動揺はしない。物陰から敵を狙う位に慎重であれば、ずっと同じ所に留まることはないだろう。相手が自分の存在や位置取りに気づいたと察すれば潜む場所を変えて当たり前。エルとオルガが攻撃の手を速めた。死霊魔術師を追い込むべく、距離を縮めるべく急いだ。糸の示す方向、より多くの糸が密集する地点に目当ての敵がいる。同時にアンデッドではありえないせっかちに動き回る気配にも注意を払う。逃がしはしない。加えて大きな問題。それは日没。日が沈んでしまえばあんなか細い糸など探せまい。ランタンやセシリアの法術で多少は何とかなるかもしれないが、日が完全に落ちれば一時退却という選択肢が懸命と言えるのだろう。1時間倒し続けろ、と言われればエルとオルガは戦い続けられるだろう。それ程まで戦力には余裕があった。エルとオルガは強かった。問題は時間。日没まであとどれ位だろう。法術で照らすことは可能だが、村全体を照射することはできない。そして糸を探し出すなど、もっての外。アンデッドに囲まれた死霊魔術師を発見するなど雲を掴むが如く。こうなっては勝機を見出すことは難しかった。セシリアはひたすらに目を凝らした。時折足元に現れるアンデッドを踏みつけ殴りながら、死霊の糸を詮索した。もはや叫び声を上げている暇もない。男2人も遅ればせながら、時間的制約に気付いていた。肉体的圧迫よりも精神的圧力に気圧されながら糸を探り、その行方を追った。やがて3人の糸を見つける頻度が上昇する。糸の導く方向も面から点へと近づいていく。間違いなく、死霊魔術師を追い込んでいた。

 水平線へと沈み逝く太陽。緩やかに波を刻む水面を幾千、幾万もの太陽光線が駆け抜けていく。直に迎える暗闇を憂えるからか、微弱でか細い幾重の光の線条一本一本全てが唯一無二の一点を、この地上と輝ける天球とを結び導いていた。希望を繋ぎ留める志の命綱、その力強さと可憐な色彩に癒された後、漆黒の闇夜に恐怖と後悔を抱くのだ。

 エル、オルガ、セシリアの3人はようやく、死霊の糸の終着点に辿り着いた。正確には目的の場所と思しき点に到着した。間もなく日没。気付いた頃にはザイアースベルクが漆黒に覆われる。日暮れに恐怖を抱いたのは子供の時以来だろうか。けれども肝心の死霊魔術師が見当たらなかった。恐れ狼狽しているであろう魔獣の姿が闇に紛れてしまった。エルとオルガは互いの距離を遠ざけつつターゲットを探した。が、いない。目に映るのは見慣れた、そして闇と同化し始めたアンデッドばかり。日没が刻一刻と迫っていた。そして差し迫るものが日没の他にもう1つ。セシリアがオルガへ猛然と走り寄ってきた。

「オルガ!私を空に向かって投げ飛ばして!」

「何、何だって!?」周辺のアンデッドを突き飛ばしてセシリアの方を振り向くオルガ。

「上に。できるだけ高く!」

「何だそりゃ。んじゃぁ、剣の上に乗れ。」そう言うとオルガは構えていた剣を寝かせ、セシリアを乗せる準備を整えた。セシリアは駆け寄り、オルガの剣に飛び乗る。

「んむ、うるぅあー・・・」オルガは奇妙な雄叫びを上げながら、剣を振り上げてセシリアを上空へ押っ放りだした。点在する家屋を見下ろせる高さまで飛翔するセシリア、その両腕には法術の構えが施されていた。そして躊躇うことなく発動させるのだった。

「おいおい、俺達ごと燃やす気か!」オルガの大声にエルも空を見上げたが、2人の視線と困惑を受けてもなお、セシリアが法術を踏み留めることはなかった。

「フレイム・オーケストラ!」幾つもの火球が我先にと地上へ降り注いだ。しかしながらその火の玉達はあまりに広い範囲を射程に収めてしまっていた。オルガらが火だるまになる心配はなかったが、同時にアンデッドを効果的に一掃することはできなかった。あちらこちらのアンデッドが単体で燃えてはいたが、現勢に変わりはなかった。ただ一時、周囲がさながら昼間の明るさを取り戻した。ほんの一瞬ではあったが。

 セシリアは必死に眼球を動かした。首もフル稼働。好機は極めて短く限られていた。死霊魔術師がすぐ近くに、手を伸ばせば届く距離にいるはずなのだ。幸運だったのは糸が光を反射したこと。遠火の光を手繰り寄せられた糸達が涼し気に跳ね返したのだった。やっと見つけた。近くにいるのは・・・エル。

「エル、右よ!小屋の後ろ!そこにいるわ!」セシリアの大声は通った。普段の声量ではそれ程には感じないのだが、声量が増すと声に貫通性が伴った。これまで気にしなかったが、そのことに皆が感謝した。セシリア本人も。指名を受けたエルは右手に見える小屋を確認すると、腰を落とし前傾姿勢をとった。間髪入れずに小屋を目指して走り出す。立ちはだかるアンデッドは相手にせず、その間をすり抜けていった。そして助走からそのままレイピアで小屋ごと吹き飛ばす。「玄翁虎落笛」。小さな廃屋は乾いた音を立てながら土台から◯げ、廃屋の建っていた付近は更地に変貌した。

 「きゃぁぁあああ・・・」セシリアは翻るスカートを押さえながら大地へ落ちていった。それをオルガがヒョイと抱える。いわゆるお姫様抱っこと云う奴で。ご苦労さんと一言労うと功労者を地面へ下ろし、背中の大剣を再び構えた。舞い戻ったセシリアもロッドを片手に、改めて法術の準備を整えた。2人が、自分達を取り囲むアンデッドに目を凝らす。動かない。元々動きの遅い魔獣ではあるが、間違いなく動きは止んでいた。オルガが近づいて確かめようとすると突然、ザイアースベルク中のアンデッドが一瞬で砂と化し、ザラリ・ゾロリと崩れだした。オルガはニマリと口元を緩め、セシリアはちょっとだけ、ビクッとなった。

「やったようだな。ったく、面倒臭ェ。」オルガの身体から闘気が消え、セシリアは両腕をダラリと垂らし大きく息をついた。そんな2人の視線の先にはエル。オルガは右手を挙げ、セシリアは胸の前で小さく手を振った。エルは頷いて合図を返したが、暗闇の中ではほとんど確認できなかった。そしてその表情が険しく、安堵に相好を崩していないことも2人は見て取ることができなかった。

 

 腐敗、腐朽、不潔で汚穢(おわい)、どれだけ不衛生であるかは想像もつかなかった。ましてや埃にアンデッドの砂が混じっているのだから、セシリアが散々に文句を言うのも理解できない訳ではなかった。それでも我慢する他ない。3人はザイアースベルクで旅寝するしかなかった。適当な民家にお邪魔して躰を無理矢理にでもやすめ、魔族との対戦に備える必要があった。セシリアはこれでもかとベッドを(はた)いて埃を落として横になると、すぐに寝息を立て始めた。エルとオルガは外で火を囲む。オルガは煙草をふかし、エルは細剣の手入れ。無言のままに時間が流れていた。時折オルガが薪、否、枝や木片、木材を火の中に投げ込む。時々カチリと弾ける音と明るさがやけに大きく眩しい夜だった。エルが1つの決意を告白するには静かすぎる小夜。

 


 話すよりも見せたほうが早いだろうから、そう断った上でエルが立ち上がった。(かがり)から少し離れて目を閉じるエル。煙草を土に擦りつけながら、目つき鋭くエルに視線を送るオルガ。カッ目を見開き力を込めるエル。白い閃光に包まれて身体が一回り大きくなったかと思える。眩しさから目を細めるオルガ、それでも決して目を背けない。背中には翼のようなものが生え、宙に浮いていた。変身していたのはごく短い間、10秒位だったろうか。取り巻いていた白光りが輝きを失い元の姿に戻ったエルが口を開いた。俺は魔族に変身できる。エルの告白にオルガは、そうかと答えるのが精一杯だった。変身できるのは10分。それを超えると理性が無くなって、見境がつかなくなって、誰其構わず・・・多分・・・殺すと思う。それでも・・・シュクリスに勝てないと判断したら、俺は変身する。それで刺し違えてでも必ずシュクリスを殺す。その時もしも、もしもオルガとセシリアのことが分からなくなっていたら、魔族の姿のままだったら・・・俺を殺して欲しい。

 エルは先に焚き火を離れた。外では独り焔を見つめるオルガ。その指には新しく煙草が挟まれていたが、ほとんど吸われることなく先端から灰と化していた。勝てないと判断したら魔族に変身する。シュクリスを倒した後とも人間に戻らなければ、殺してくれ、か。エルよ、そいつはちと難しいぜ。仮に俺達がシュクリスに勝てなければお前はさっきの姿に変身するのだろう。そしてシュクリスを仕留める。そのお前を殺せと・・・スマンが物理的に不可能だ。頭の悪ィ俺でも分からぁ。10分は短いよな。エルが変身した時点で敗色濃厚。みんな揃ってお陀仏か、エルが独りで生き残るか、2つに1つ、とは考えたくねェよな。死の如き静寂の中で夜が更けていき、朝が粛然と迎えられた。



~ ブラッドソード

- 魔獣

- ランク:C ~

刀剣の姿をした魔獣。地面に伏せている状態では一見魔獣かどうか判別できまい。血の如く赤色に彩られた刀身は不気味な気配を発し、鋭利な殺気を放つ。手足がついていない為、移動は空を飛ぶことになる。攻撃対象を発見すると浮遊しながら間合いを測り、隙を伺い、主に体当たり攻撃を仕掛けてくる。というよりは基本的に体当たりしか攻撃方法を持っていない。文字通り攻防一体の剣撃を防ぎ、さらに撃破するには並以上の戦闘能力、刀剣を破壊できるだけの攻撃力が必要とされる。また一部の報告では、何かしらの飛び道具を使うという情報もあり、近接戦闘以外にも注意が必要である。



~ ドラグヴェンデル:戦針(いくさばり)

- 蒼き秋風の魔導石

- 地祇(ちぎ) 滑翔風舞(かっしょうふうぶ)

目標地点に向けて風の軌条を敷き、そのレールに沿って武器を滑らせる技。遠距離攻撃ながら一手間かけることで高い命中精度をほこり、小さな急所も遠方から狙い定めることができる。また距離が長いほどに加速が増し、貫通力、破壊力が高まることも特徴の一つ。エルのように軽量の武器で攻撃を行う際には、その武器が音速の羽衣を纏うという。一方の欠点としてはやはり何より、武器を手放してしまうことが大きな痛手となる。使い所を間違えればたちまち丸裸の状態になってしまう為、発動後のフォローまで考えた上で行動しなくてはならない。



~ 死霊魔術師

- 魔獣

- ランク:C ~

アンデッドを操る魔獣。普段は闇に潜んで仕込みに余念がない。アンデッドを己の意思のままに操るための糸、『魔糸(まし)』を括りつけて地中に待機させる。獲物が接近したところで地中から溢れさせ、標的を取り囲むように襲わせるのが常套手段のようだ。意思統一のほとんど図れないはずのアンデッドが妙な集団行動をとったり、異常と思われるほどに大量のアンデッドと遭遇した際は、死霊魔術師の存在を疑うべきである。発見にさえ至ってしまえば、魔術師自体の戦闘能力は皆無といえるので、始末に困ることはないだろう。



~ クルヴィの杖

- 蛍火の魔導石

- フレイム・オーケストラ ~

ソロ・フレイムの応用法術で、火球を同時多発的に発生させる。かなりの法力を消費するが、それに見合った効果は期待できる。雑魚であれば少し位数が多くても一掃できるし、強敵に対しては炎球を一点集中させることで対抗することもできよう。それでも後先考えずに使い方を誤れば法力が早々に尽きてしまう為、乱発は避けたいところ。尤も、この法術を乱発できるほどの者であれば使い所を誤るということもなかろうが。


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