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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

成し遂げた英雄は、無力さに打ち拉がれる。

作者: 浜花采沙



 この国は可笑しい。


 そんなことを、ユーグは幼いながらに肌で感じていた。きっと、そんなふうに思っていたのは、何もユーグだけに限った話ではなかったのだけれど。

 昔、といってもそんな昔ではない。ユーグが生まれるより前のことだ。今では最下層に居を構えている両親は、この国のカーストで言う上流で優雅に暮らしていたのだという。しかし、王族の怒りを買い、母が先に最下層へ、そしてそのあとを追うように父も最下層へ身を落とした。その証となる刻印も、これみよがしに頬に刻まれている。

 そんな二人が、幸運にも反乱を密かに掲げる組織に拾われ、なんとか生活してこれた故に生まれたのがユーグだった。そして、組織ぐるみで隠蔽を成したユーグの存在は王族にも知られていない。そのため、必ず刻まれる証も、ユーグにはなかった。


 ある日のことだった。

 組織の親分の倅であるエリオスが、顰めっ面で酒を煽っているところにユーグは出くわした。


「エリオスのあにき、どうかしたのか?」

「あ? なんだ、ユーグか」


 うん、とうなずくユーグを手招きし、己の膝に座らせたエリオスは、その無骨な手でガシガシと乱暴にユーグの頭を撫でてくれる。不器用な優しい手付きに、ユーグは笑みを浮かべた。

 そんなユーグの無邪気な反応に気を良くしたのか、エリオスは獰猛な笑みを浮かべる。大抵の子どもはこの笑みにより泣き喚いたりするのだが、生まれた頃より世話を焼いてくれるエリオスに懐いているユーグには泣く要素が見当たらない。そのために、呑気に笑顔を返すのだった。


「そとでなにかあったの?」

「……まぁなぁ。明後日に、王族が最下層にまで視察に来るんだとよ」

「しさつ? おうぞく……が、ここまで?」


 そんな話、今まで耳にしたことがなかった。ユーグは眉根を寄せて、また酒を煽るエリオスを見つめる。

 王族が来る。それは、即ち、最下層へ絶望色の希望を携えているということ。


「お前とお前の両親は、期間中は外に出るなよ。……特にユーグ、お前には不便かけるが、絶対にだ」


 エリオスの言葉に、ユーグは体が震える。両親を傷付けた王族に見つかってはならない。それは、物心つく頃から耳にタコができるくらい言い含められた約束。

 最近は、最下層から見目麗しい子どもが消えていくのもあるからだろう。美しい両親を持つユーグは例に漏れず、そしてあるはずの刻印もない。格好の的であるのは、幼いながらに理解していた。

 だから、ユーグはエリオスの言葉にもうなずいた。そのあとに同じことを両親にも言われ、うなずく。


 絶対に、出ない。見つかってはならない。

 幼いユーグは、守られながらも、自分にできる約束を守ろうとしていた。


 ――しかし、その日が来て。


「……ポーラ?」


 ユーグの弟分でもあるポーラの姿が見つからないことに、ユーグは取り乱してしまった。ポーラは、自分が守られていることに気付いている様子もなく、反対にその制限を嫌う節があった。そして、今日は王族が視察に来る。その制限を生んだ王族の話を、ポーラは興味津々に聞いていた。

 最悪な予想がユーグの中にムクリと起き上がる。


「ポーラ……っ!!」


 勝気な、生意気盛りの少年の笑顔が脳裏によぎる。ユーグは手近にあったローブを引っ掴み、無我夢中で外へと飛び出してしまった。


 これが、ある悲劇の繋がりを明確にしてしまうなんて、少しも思わずに。



 その集団は、すぐに見つかった。そして、ポーラの姿も。

 ポーラは血濡れで倒れ伏していた。その彼の前に立つ上等な服に身を包む見目麗しい少年が、無邪気に笑っている。ユーグは悟る。間に合わなかったのだ、と。

 恐怖よりも先に怒りが湧いた。変わり果てた弟分を平気で足蹴にする少年が、許し難かった。

 その思いのまま、ユーグは飛び出していた。顔も何もかも隠したユーグの乱入に、少年は面白そうに目を細めている。

 こんなの命知らずのやることだって、賢いユーグはわかっていた。それでも、荒れ狂う激情に、ユーグは逆らえなかった。


「……へぇ? 最下層のモノが、僕に逆らうってのかい? 無謀というか、莫迦だねぇ」


 少年が、コチラに手を翳す。その動作には見覚えがあった。

 ユーグの体は、予想する痛みに硬直する。


「……殿下」

「なんだい、僕のアリステア」

「お言葉ですが、もうそのへんで矛を収めてはもらえませんか?」


 しかし、鈴を転がしたような可憐な声の静止で、ユーグの命は永らえた。

 目を開けたユーグの瞳に、眩い美貌を備えた王族の後ろに控えていた見窄らしい――最下層ではそれでも上等な――お仕着せ姿の、これまた幼いながらに美しい少女が映った。白磁の頬には、上流階級を表す『上』の刻印。しかし、その横には『僕』という刻印までもあった。


「……僕に意見するのかい? 僕の贄のくせに?」

「意見しろと、そう命を下したのは殿下ですわ。私はその通りにしているだけですもの。何か問題がおありですか?」


 母と同じ銀糸の髪を持つ、父と同じ色の赤紫色の瞳がこちらをつぶさに観察していることに気付くも、よけいなことを口にしないように、ユーグは彼女の不躾な視線に耐える。よくわからないが、彼女は自分を庇ってくれているらしい。

 だが、そんな呑気な考えも、王族が彼女を殴りつけてから消え去った。鈍い音に息が詰まる。


「そうだね。僕は、キミに、それを望んださ。でもね、僕のアリステア? 僕の楽しみを奪うことは、ただの慰み物でしかないキミにも権利がないんだよ」

「……ええ、わかっておりますわ。けれど、殿下? そんな幼い子どもにまで懸想するなんて、殿下は節操無しと言わしめているのと同義ではありませんこと?」

「それもそうか。……興が削がれた。キミに免じて、これは見逃してあげる。でも、覚えておいて? 僕のアリステア――」


 ――コレと同じようにはキミは逃げられないよ。


 ポーラを掻き抱いてその場から転がるように逃げ出したユーグの耳の奥にこびりついた王族の愉しげな声が、組織に戻ることができてからも消えることはなかった。

 最後に見た少女の、額からツゥと流れる血の赤さ、けれど王族を見つめる瞳にはユーグとは異なる激情が渦巻いていたものを思い出す。昏くて、儚くて、危うい均衡を保つ彼女の腕に嵌められた黒々と輝く手枷が、彼女の立場を知らしめている。


「ユーグ!! それに、ポーラ……? どうしたの、一体何が遭ったのですか!?」

「か、かあさん……おれ、おれ……っ」


 でも、何故だろうか。あの少女が見せた、安堵の色に心が掻き乱される。ポーラは死んだと思っていたのに、彼は僅かに一命を取り留めてもいた。何故だろうか。何故、とユーグは震える体で母に抱きつく。

 “僕のアリステア”と呼ばれていた彼女。上流階級に居て、けれど違った証を持つ、年端も行かない少女。


「ユーグ、どうしたんだい?」

「とうさん、おれ、おうぞくにあったんだ。でも、おうぞくのうしろに、かあさんとおなじかみのけで、とうさんとおなじめのいろしたおんなのこがいた」

「――え?」

「ぼくのアリステアって、よばれてた。おれのせいで、なぐられて、ちもでてた……っ」


 彼女の姿が忘れられない。

 彼女の色が、両親と重なる。組織には、似たような色を持つ者も少なからず居るのに。彼女の美貌が、まるで彼女を窮地に追いやっている気がするのだ。

 その日から、ユーグはアリステアに囚われる。歳を重ね、組織の仕事にも関わるようになってからも、一人の王族の側にはいつも彼女が居たのだ。サラサラと揺れる銀糸の髪、夜の水面のように静かな朝焼け色の瞳。けれどいつも同じお仕着せ姿で、いつも傷だらけだった。その姿を嫌でも目にしてしまうユーグは、どうしてこんなに気にかかるのかわかっていなかったのだ。


 王族を討とうと、城に攻め入るその時まで。


 ユーグの前には、尻もちをつき、上等な服を血で汚していく王族が居た。いつかの日、ポーラを事も無げに手に掛け、少女までも折檻してみせた悪逆の王子。あのときは十五で、ユーグとは九つほど歳の離れた彼は、今では二十六。垢抜けた美貌はますます輝き、けれど何処かイビツだった。

 そうか、もうあれからそんなに経つのか。ユーグは濡れた剣を振るい、穢れた血を払う。結局、ポーラはあのときの傷が障って一年で命を落とした。仕方ないが、環境が最悪だったのだ。疫に犯され、みるみる衰弱した弟分の最期が忘れられない。


「キミ、証を持っていないんだね。最下層の希望って、キミのこと? ホント、レオナルドもフィアナも、厄介な男を産んだものだ」

「……父と母をご存知で、王子サマ」

「よぉく知ってるよ。だって、僕の手で自らフィアナを最下層へ落としたんだから。でも、レオナルドも薄情だよね? 愛した女とはいえ、その彼女を追って最下層に身を落としたくせに、彼はその女に生ませた娘をこんな悪鬼が蔓延る場所に置き去りにして見放したんだから」


 目を見開く。両親が元々上流にいた事は知っていた。両親から言われていたし、組織の奴らも酒の肴によく話してくれた。愛だな、なんて笑うエリオスに、そんな二人のもとに生まれた自分が愛されているとよく言われていた。

 けれど、娘がいたことは知らない。知らなかったのだ、ユーグは。


「首尾よく囲えて、僕は運が良かった。彼女のすべてを手に入れられた僕は、ようやく今日という日を迎えられる」


 腕を広げて、恍惚と笑う王子が言っていることが理解できない。だが、この王子は悪逆ではあるものの上流でも変わり者とされていた。


「僕のアリステア」

「――ユフィエル殿下」


 コツリ、と背後で聞こえた音にユーグは振り向く。そこには、いつものように草臥れたお仕着せ姿の、美しい女性が立っていた。ただ、ところどころに赤が散っている姿は異様で、ユーグは知らずに後退りしてしまう。


「あんた……コイツの愛人か?」

「違うわ。でも、似たようなものね。私は彼の慰み物だから。私たち二人の関係は、あなたが思うよりも歪よ、()()()


 名を呼ぶ響きに、心臓が掴まれるような感覚を覚える。微笑む彼女は、父を連想させる赤紫色の瞳に激情を渦巻かせている。ひとたび視線を交わせば、彼女の思いに囚われてしまいそうだ。


「……俺を、知ってるんだ」

「知ってるわ。だって、この城に入れるように手引したのは私だもの。仲介者であるレオナルド・ヴェスパーからあなたの話は聞いてるわ」

「父さんからっ!?」


 突然出てくる父の名に、ユーグは目を剥く。そんなユーグの様子すら目に入らないのか、アリステアはゆったりとこちらに歩み寄ってくる。その双眸には、最早ユーグなど映していないのだろうか。

 けれど、ユーグの隣、王子の前まで来ると、アリステアはようやく戸惑うユーグに視線を向けた。


「あなたは、早くここから脱出したら如何かしら」

「王子を討たなきゃ」

「――駄目よ。あなたにはあげない。レオナルドとフィアナの愛を一身に受けて、反乱軍のみんなにも愛されてるあなたに、たった一つ残された私の主人を手にかける権利を奪わせない。……いいじゃない、あなたにはたくさんあるんだもの。私が欲しかったもの、手に入れてるじゃない。じゃあ、殿下の命はあげない。私が奪うのよ。ずっとずっと約束していたのに」


 昏い。昏くて、儚くて、凍えてしまいそうだ。彼女の瞳に、光はない。

 恐ろしい、と思った。そして、哀しい、とも。

 ユーグはこのとき、ユーグが手にしていた剣を奪い取り、うっそりと微笑む彼女を気に掛けていた理由を悟った。

 明確に答えは口にしなかった。誰もユーグに示さなかった。けれど、王子は言った。囲えた、とはっきりと口にした。そして、彼女がユーグの両親の名を口にした。愛を一身に受けている、とも。わかってしまうには、彼らはヒントを出し過ぎた。


 アリステアだったのだ。ユーグの、両親が見捨てたという、実の姉。すべてを蹂躙された哀れな女性。


「    」


 王子の腕を取り、距離を取った彼女に伸ばした手は虚空を掴む。

 呼び掛けた呼称は、彼女の耳へと届いたはずなのに。彼女は嗤っていた。


「愛してたわ、ずっと。“   ”殿下だけ」

「僕も愛してたよ、僕の、“   ”」


 ユーグの目の前で、愛を囁き、口付けを交わす二人。けれど、王子の体を貫く剣が酷く場違いで、噎せ返る血の臭いに眉間にシワが寄る。

 何故だろうか。視界が滲む。何も見ていられない。


「ユーグ」


 アリステアが崩折れた王子を愛しげに抱き締めて、婉然と呼び掛けてくる。

 赤に染まった美女は、王子を貫いた剣を掲げていた。


「あなたは、生きて」


 一筋の涙。頬を滑るその雫が、酷く彼女を神聖なものに魅せてくる。


 彼女がその身に剣を埋め込んだとき、ユーグは叫んでいた。


 望んだ結末。怒涛の展開。ふざけるな、ふざけるな!怒りと悲しみのままに、ユーグは叫ぶ。

 捨てられた姉。家族として過ごした時間などなく、いつも目にしていたのは草臥れ傷付いた彼女の姿。憐れなのに、それでも侵しがたい神聖なものを感じずにはいられない。そんな、彼女が最期に口にしたのは、何も知らなかったユーグ(実の弟)が生きること。

 ユーグはいつの間にか泣いていた。ボロボロと、まるでそこだけ土砂降りの雨が降ったみたいだった。


 やはり、この国は可笑しい。


 でも、でも――



「ね、えさ……」



 自分の知らないところで、可笑しいながらも支え合っていた二人は、もう居ない。居なく、なってしまった。

 そういえば、ポーラは言っていた。


「おうじさま、じゃないんだ。おれのこと、やったの、おうじさまじゃない」


 嘘だと、思った。けれど、もしかしたら、本当なのかもしれない。今ではもう真偽は確かめようがないけれど。

 ユーグはアリステアの体から剣を引き抜く。グチュッとなんとも言えない音がユーグの鼓膜を揺らす。また、ボロボロとしつこく涙があふれた。


「うぁ……っあぁああああああ!!」


 それから、ユーグは英雄になった。最下層を王族だけじゃなく、上流からも解放した英雄に。

 けれど、暴虐を尽くしたユーグは、たくさんの王族や上流の者の血を吸った誰も居なくなった城の一室で思った。


 自分は、無力だ、と。


 枯れたはずの涙が、あのときの幻影と重なるようにツゥとこぼれ落ちた。

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