5.日常:先輩は怪談が嫌い
先輩 男。煙草は吸わないが煙草休憩は欲しい。
後輩 女。父母がヘビースモーカーだった。子供の頃から煙草は苦手。
戦いは終わった。部誌は仕上がった。きっと身内でしか読まれないだろう。それでも同人誌が出来上がるというのは、うれしいものだ。
製本された分厚いオフセット本が部室に積まれている。
ほとんどトキシラズ大先生の作品だが、他の部員だってしっかりと書いている。
「先輩って困るとホラー書きますよねー」
後輩は何が楽しいのか、ふふんと眼鏡を直す。今日はコンタクトではないらしい。
丁度、短編の一つを読み終えたらしかった。
「ホラーというか、怪奇もんだなあ。正直そんなに怖くないし」
「それ伝奇でいいのでは」
「いやいや、新伝奇と混じるし。それに伝奇つーにはアクションや耽美さがたんない」
「めんどくさいこだわりですね。そういうの、よく読むんですか」
正直、彼女が聞いた分では数える程である。たまに聞くのは夢枕貘が出した新装版の話ぐらいだろう。
そんなに好きだという話は聞かない。
「いや、あんまり」
戸惑ったように、口を止めた。
「正直、そんな好きじゃないからなあ。書くのも、読むのも」
困ったように先輩は笑った。クーラーの音が少しだけ、強くなっていった。
▼.作品より抜粋
ゆったりとした煙を吐いて、捨てる。甘い香りが広がる。男の意識が茫洋とする。煙管で吸っていた薬がぢりぢりと燃える音だけが耳に残る。リュックサックを横に置き、登山風の格好をしているそれは一服しているようにも見て取れた。
山々が続く中、青々とした木々が場違いに思える。それも今はだんだんと暗い、紅へと染まりつつあった。
ここは朽ちた風車の群れが並ぶ不毛な岩場だ。ただ一本だけ、新しい風車がカラカラと鳴った。男が新たに刺したものだ。
並べられた丸石に座る。誰かの墓だったのか、ただの石なのか、年月に削られて、もう判然としない。
煙の流れと、僅かな風、ゆるやかに回る風車、そして遠くから聞こえる赤ん坊の声。
「何もないですねぇ」
空から女の声がした。大きな鴉がばさがさと降りて肩に止まる。
毛繕いをはじめながら、暢気に続けた。
「いない、ですよ。いや、耄碌したつもりはないのですが」
鴉が嘴を開いて、言う。快活だが、どことなく悪戯が好きそうな声色。
「久々の山は疲れましたねぇ。あ、私にも一服くださいよ」
「お婆さんには毒ですよ」
「おやおや、この間まで、お姉ちゃんだったのに。悲しいものですねぇ」
けらけらと、笑う声がした。鴉はくりくりとした黒い目で男を見ると、また毛繕いに戻る。
また静かになった。聞こえるのは、薬の燃えるぢりぢりとした音、からから回る風車、子供と赤ん坊の声。
「声はすれど、形はなし、いやいや参った」
「本気で探してます?」
「人に当たらないで欲しいですねぇ」
声が近くなる。父と母を呼ぶ、濁った声、喉が締め上げられたような音。ひたすら泣く赤子の声が混じり、そして鈍く途絶える。一つ、二つだけではなくなり、声が満ちていく。
苦痛に喘ぐ子供の断末魔が山々の間に寂しく響いた。
目を下に向ければ、廃村が広がっている。昭和の終わりには無くなった村だ。今は草木に飲まれ、虫達の巣になっている。降りてくるのは、山の風と子供の呻きだけだ。登るのは廃墟好きか、この子供の声を聞いた怪談好きぐらいだろう。
どちらでもない男は長く甘い息を吐く。敢えて言えば後者に近いだろう。だが、再開発に邪魔な怪異を知り合いに解決するように押し付けられたというのが実態である。
その知り合いの使い、自称、天狗の方も休日と思っているのか、協力的とは言い難い。
仕方なくゆっくりと立ち上がる。薬が効いてくらくらする中、甘い息と共に瞳を回す。
岩場に一つ、近付いてくるものがいた。人の気配に寄ってくるそれは、何十もの子供の悲鳴を響かせた。
それは痩せきった犬だった。頭蓋骨が分かるほど痩せた犬は延々と、責め立てるように廃村へと声を落とした。
「幽谷響、か」
▲
「あーあー、やっぱり、こう、急造感が否めませんね」
「それは分かっている、分かってる」
今は十一時を過ぎ、帰り道。駅のベンチに二人は座っていた。
田舎の電車特有の長い待ち時間を立ち話で過ごしている。同じ方向に帰るので、後輩は先輩といる時は遅くなるのも安心していた。
二人の会話は自然、今日届いた部誌の小説のことになった。今は先輩の作品「呼子鳥」についてだ。
「いやね、捨て子の声を延々と幽谷響が返し、責め続ける。
確かにホラーっぽいですけど、別にこー、怖くないですよね」
「まあ、なあ、それに、登場人物に余裕を持たせすぎた感じがなー」
後々でミスに気付いて後悔するのはどんなものでも変わらない。
「あと鴉の天狗、いらないでしょ」
「あ゛ーあ゛ー、仕方ないだろ、主人公一人で間を持たすの大変なんだよぉ」
「いやいや、むしろ地の文だけにした方がホラーっぽくなったし、良かったのでは」
「う゛ー」
「それに主人公、退治するでもなく、餌上げて帰るだけじゃないですか。
なんかこー、ひと味足りない。もっと、あるでしょう。
安易に廃村にしないで、田舎の閉鎖された嫌な雰囲気だしたり。
幽谷響はフェイクで、村の方をホラーの主軸にするとかですね」
「ああー、それもそうだ。あとで直すか
書き直すとなると、鴉リストラして、田舎のこう、因習に詳しいヒロインを当てて、か」
「いや、ヒロインをメインにして、異邦人である彼を完全にヒーローにしてしまえば」
「なるほど。となると。んー・・・・・・おい、全部直しじゃん、別の話じゃん」
「見切り発車にはよくあることです」
ふふっと笑い、後輩は席を立つ。
「お、どうした」
「ああ、お手洗いです」
恥ずかしがらず、きっぱりという。羞恥や遠慮する関係でもない。
「いってら、こっちも喫煙所いってくるわ」
その声を受けながら、後輩は薄暗い駅を歩いた。
● ●
何度も乗り換えで使っている駅だが、この時間の暗さには慣れない。
それでもトイレに行くのに怖がる年でもない。
古いトイレ特有のアンモニアと消毒液が混じり合った嫌な臭いがする。じじっと切れかけたように蛍光灯が点滅した。目の前が一瞬暗くなり、ざざっとノイズのような音が走る。
いやだなあ、と上げると夏の虫が体をぶつけている。しかし、灯は安定していた。首を傾げるが、特に問題はないように見えた。
ピンク色のタイルを踏みながら個室へと進む。後輩の形が鏡に、写り、そして動いていく。
個室に手を掛けると急に声がした。ぎゃあぎゃあという赤ん坊の声。一番、端の個室からだ。
「なんで?」
気味の悪いことだが、本当に赤ん坊ならまずいだろう。じっとりと汗を掻きながら、端の個室まで移動した。
ぎいっと音を立てて開けると、ぴたりと声は止む。
戸惑うままに視線を巡らせると、赤い血で和式便器が染まっているのが見えた。真ん中には赤ん坊がいた。目を開くことも出来ず、赤い羊膜を張り付けたまま、動かない。息をしていたのだろう、口がぽっかりと開いていた。よく、乾いていた。
後輩は自分の悲鳴を、遠くで聞いたような気がした。
● ●
駅員、警察官、と来た後、簡単な質問だけで解放された。明らかに、後輩がただの発見者だったからだ。
赤子は死後かなりの時間が立ってた。おそらく死んだ後持ってきたのだと警察は言っていた。
何故、駅に捨てられたのか、何故、あの時は声がしたのか、よく分からない。
「すみません、お待たせしました」
「いいって、いいって、仕方ない」
喫煙所にいた先輩と合流できたのは、日付を跨いでいた。
先輩は見窄らしい犬を撫でていた。
「うわ、野犬ですか、どこから入ってきたんでしょう」
「さあな。まあ、こいつのおかげで、暇は潰せたよ」
じゃあの、ともう一度だけ撫でた。犬は一声も鳴かず、喫煙所の前に座り込んだ。
「あー、それでもう電車ないので」
「あ゛ー、しまった考えてなかった。
ネカフェしかねーな、でも結構離れてんだよな、ここの駅」
ラブホの電灯は見えたが二人ともスルーしながら方策を練る。
「とりあえず、駅員に相談すっかねー」
そういいながら、先輩は歩く。
後ろへついて歩くと、何故か、甘い香りが漂ってきた。
意識がふっと軽くなるような匂いだった。
「じゃあの」
どこかで声がした。前にいるはずの先輩と同じ声が、後ろから耳朶を叩いた。
後ろを振り向けば、先程の犬がこちらをまだ見ていた。
ひとまず、これで第一部終了です。次回以降の投稿は不定期になります。