プロローグ
俺は笑顔を作りながら目の前の初老の女性に対して相槌を打つ。
この部屋に入ってからもう30分ほど経つだろうか。
「先生こんなことを息子がしてくれたんですよ。親孝行だと思いません?まぁあの子は昔からー」
永遠とも感じられるような時間。でも相手は楽しそうに話しているので止めるわけにもいかない。
性格がよく、なんでも出来たんでしょうと言いたくなるを堪える。もうこの話を何度聞いたことだろうか。もう俺の方が何を言うか先に予想出来るほどだ。
だが、俺は我慢する。いや我慢しなければならないのだ。
「おぉ〜それは羨ましいことですね〜」
「でしょう?やっぱり持つべきはいい息子だわ」
ニコニコと話す婦人の言葉を忍耐強く聞き終えた俺はこれを話題を変えるチャンスと思い、本筋に入る。
「ところで山口さん、今日はどうされました?」
「あらいけない、ついつい私の話をしてしまったわ。ごめんなさいね、先生相手だと話やすいから……」
「はぁ……それは光栄です」
オホホと笑う山口さんに俺は曖昧な笑いを返す。患者に話やすいと言ってもらえるのはありがたいのだが、ここまで話されると業務が滞る。
実際この人を相手すると、看護師からも文句が出る。いや、こっちも早く終わらせようとは思ってるんだけどね……。
「今日はね、ちょっと身体がダルくて……あんまり眠りも深くなかったのよね。3日前からそんな感じなんだけれど、どうしたらいいかしら?」
俺は更に山口さんに質問し、症状を見極める。彼女の話を聞いていると、どうやら不眠症のようだ。
「山口さん、今日はよく眠れるように薬出しとくからね。ちゃんと飲んで下さいよ」
と、念押しも忘れない。この人は軽い痴呆もあるため、薬の飲み忘れに気をつけなければならないからだ。
それから俺は薬を処方し、山口さんに帰っていい旨を伝える。
「すいませんねぇ……いつもいつも。またよろしくお願いしますね」
そう言いながら山口さんは診察室から出て行く。ガチャンとドアが閉まる音を聞き、俺はほっとしながら安堵の溜息をつく。
そして少し休憩でも入れようかと席を立とうとするとー
コンコン
……不吉なノック音が聞こえてきた。朝から働き尽くしでまだ休憩してないのに、とついイラっとした気分になる。
クソッ、やっと休憩できると思ったのに。
「どうぞ」
舌打ちしたい衝動を堪えできるだけ平常心を保とうと深呼吸していると、ドアが再び開き、来客の姿が見える。
「雨森 司さんですか?」
「……そうですが、なにか?」
俺は相手の容姿を観察する。セーラー服にまだあどけない表情を残した小柄な女の子。どう高く見積もっても高校生くらいだと思う。いくらなんでも大学生はない。
それに俺のことを本名で確認してきた。つまり俺と会うのは初めてであるし、患者として来客してきた訳ではないということだ。
「貴方に用がありまして」
「はぁ」
……俺に用があると言われてもなぁ。何かあったっけか?どうやら製薬会社の人間ではないようだし、医療機器関係者でもない。他の分野で俺に関係するとは到底思えないのだが。
俺の思いなど知らないのか相手は淡々と言葉を繋ぐ。
「雨森さん、貴方精神科医ですよね?」
「まぁそうですが。とりあえずそちらが名乗ってくれませんかね」
「あ、失礼しました。こちら探偵の鴉賀 真理と申します。よろしくお願いします」
「探偵ねぇ……」
俺は胡散臭さ極まりない職業に辟易する。何の用があって俺のとこに来たのか。
「……それでその探偵さんが俺に何の用?」
「殺人事件の解決に手を貸して欲しいんです」
ピタリと時間が止まった気がするが、俺は首を横に振りまた時間の進行を戻す。
「今何て言った?悪いがもう一度言ってくれると助かる」
相手は少し溜息をついて同じことを繰り返す。出来れば違えばいいと思ったのは俺だけではないだろう。
「ですから殺人事件の解決を強力して欲しいんです」
……これが俺の最初に出くわした事件の開幕だった。